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されど恋文
※『つまり恋文』の続き
※主人公は何気に異世界トリップ中
※海兵さんとボルサリーノ大将



「あれ」

 書類を仕分けていた手をふと止めて、俺は小さく声を漏らした。
 見やった先には、書類の間から出てきた薄い封筒がある。
 丁寧に封をされているそれを引っ張り出しながら、今日は誰からも預かってないんだけどな、と今しがた運び込んで来た書類を見やって呟いた。
 通常の文書なら何かにまぎれないよう担当の海兵が運んでくる筈だし、そういった関係の封書はすでに今執務机に向かっている大将へ届け済みだ。
 封はされているが差出人の記名が無い封筒の裏を見やって、軽く首を傾げた。
 俺の直属の上司である海軍大将黄猿殿は、他の海軍大将同様の人気を誇り、よく『ファンレター』なるものを貰う。時々、俺も『大将へ届けてほしい』と手紙を預かることがあるし、気まぐれに大将が認める返事を渡しに行くこともあるから、誰から貰ったものかは必ず確認している。
 しかし、今日はこの執務室へ訪れるまでの間、誰にも遭遇していない筈だ。
 書類を集めていたところでよそから紛れ込んだのか、と考えて、宛名を見ようとくるりと封筒を裏返した俺は、そこに記されていた名前に少しばかり目を丸くした。

「…………あれ?」

 どう見ても、そこには俺の名前が記されている。
 どういうことだろうか。
 戸惑いながらもう一度封筒の裏を見直すが、やはりそこには差出人の名前は記されていなかった。
 表側の字も、見覚えは無い。頻繁な書類のやり取りをしている相手ではないようだ。
 不審すぎる。
 何だこれ、と思いながらも、とりあえずは封を切ろうと両手で封筒に触れたところで、上からふっと影が掛かる。

「どうしたんだァい?」

「え? あ、ボルサリーノ大将」

 落ちてきた声に顔を上げると、いつのまに執務机の前から移動してきたのか、我が上司殿が俺のことを殆ど真上から覗き込むように見下ろしていた。
 どうしたのかと見つめた先で、あんなに『あれ』『あれ』言われたら気になっちまうよォ、なんて言って笑いながら、ボルサリーノ大将の視線が俺の手元へと向けられる。

「それ、手紙だねェ〜」

「はい、そうみたいですね」

「誰からだァい?」

「それが、心当たりが無くて」

 いつの間にか書類に挟まってましたと呟いて、俺は両手で持っていた封筒の封をぺりぺりと開いた。
 中に入っている白い便箋をつまみ出して、折り畳まれていたそれを開く。
 こちらを見下ろしているボルサリーノ大将がさかさまにそれを覗き込んでいる気がするが、気にせず中に記された文面を目でなぞった俺は、そこにあった文章にぱちりと目を瞬かせた。
 日本で言うところの『親愛なる』にあたる単語で始まるその手紙は、時候の挨拶の後で、妙に俺を褒めたたえる美辞麗句を並べていた。
 俺の仕事ぶりを、俺よりも知っていそうな文面だ。過大評価されているし、憧れる、とまで記されている。
 労わりの言葉まで綴られているそれらに恥ずかしいのかいたたまれないのかよく分からなくなって、読み切れずに便箋を畳んだ。

「…………」

「熱烈だねェ〜」

 手の中の手紙からも顔を逸らした俺の向かいで、さかさまの状態だったというのに文章を読んだのか、ボルサリーノ大将がそんな風に呟く。
 それから、その手がひょいと俺の手から便箋を奪い取り、俺の前でもう一度便箋を開く音が聞こえた。
 それに気付いて慌てて視線を戻し、椅子から立ち上がる。

「いや、大将、返してください」

 音読されないだけマシだが、あの過大評価されている文面を目の前のこの人に読まれると言うだけでも、何だか無性に恥ずかしかった。手紙を書いた人間だって、まさか俺以外の人間の目に触れるとは思っていないだろう。
 両手を伸ばし、返却を要求する俺をちらりと見やってから、つまらなそうに便箋を畳んだボルサリーノ大将の手が、ぽいと俺の手の上へと手紙を戻す。
 受け取ったそれをきちんと封筒へ納めてから、俺はそのまま椅子へと腰を降ろした。
 それにしても、この手紙の主は、俺をこんなに褒めたたえて何がしたいのだろうか。
 最後まで読み切れていない手紙を見下ろし、軽く首を傾げたところで、あれだねェ、とボルサリーノ大将が言葉を落とす。

「ファンレターだねェ〜」

「……ファンレター」

 そうして呟かれたそれに、俺がすぐさま脳裏に浮かんだのは、ボルサリーノ大将がよく貰っているあれだった。
 大人気の我が上官殿が手にするあれと、同じ種類のものだと言うことか。
 そうだとすれば、手紙の主は純粋に俺を褒めてくれているのだろうか。
 それは、何と言うか、少し嬉しいような、やっぱり恥ずかしいような。
 微妙な顔になっただろう俺の前で、ボルサリーノ大将がおやァ、と声を漏らす。
 落ちてきたそれを追いかけるように顔を上げると、どうしてだか俺の上官殿が妙に機嫌の悪そうな顔をしていた。

「まんざらでもないのかァい?」

 つまらなそうに呟いたボルサリーノ大将に、首を横に振る。

「いえ、あの……初めて貰ったので」

 ファンレターなんて、普通に生きていたなら手にすることもなさそうなものだ。
 事実、生まれて育った『向こうの世界』で、俺がそういうものを貰ったことなんてたったの一度だってない。
 これは『この世界』特有のものなのか、それともこの人の部下であるがゆえに人の注目を少しは集めてしまっていたのか、どちらだろう。
 そんなことを考えながら笑って、残りは家で読むことにします、と告げた俺は、手紙をそのまま引き出しへとしまった。
 俺の動きを眺めていたボルサリーノ大将が、へえ、ともふうんともつかない声を出してから、俺へと背中を向ける。
 それからそのまま大人しく執務机へ戻ってしまった大将を見送って、俺もとりあえず自分の仕事へ戻ることにした。
 部下がファンレターを貰ったことが気に入らないんだろうか。
 自分はあれほどファンレターを貰っていて、少し煩わしそうにもしていたのに、と思うと少し妙な気がするが、しかしボルサリーノ大将の考えが俺に分かるはずもない。
 唯一の救いは、あの人が自分の仕事に私情をあまり持ちこまないところだろう。
 どこかの海軍大将は機嫌が悪くなると室温が上がると言う話だし、別の海軍大将は気分が悪いからちょっと休憩、なんて言って部屋を出て行って三日三晩帰らないなんてこともありえない話ではない。
 それでも空気が悪いままで仕事をするのは少しばかりつらいので、もう少ししても機嫌が良くならなかったら、コーヒーでも淹れてくることにしよう。
 そんなことを考えながら書類を仕分け、更に自分の仕事を進めていた俺の視界に、強烈な光が入り込んだのはそれから数十分ほど後のことだ。

「うっ」

 唐突なそれに思い切り目を閉じ、顔を庇うように腕で目元を覆ってから、ちかちかと残像の点滅する瞼の裏を必死に睨む。
 数秒を置いて、ゆっくりと開いた目に強烈な光が差し込まないことを確認してから、恐る恐ると顔から腕を離した俺は、大将、とそこにいた上官へ向けて声を投げた。

「このくらいの距離は歩いて頂くか、もしくは能力を使う前に一声頂きたいです……」

「オォ〜、悪いねェ〜」

 まったく反省した様子もなく声を漏らしたボルサリーノ大将が、先程と同じ場所に立って俺を見下ろしている。
 まだちかちかと残像の散る視界でそれを見上げて、どうかしたんですかと尋ねようとした俺の頭に、ぺち、と何かが降ってきた。

「……?」

 乗ってしまったそれを摘まんで、その正体を確認して一つ瞬きをする。
 俺の指が掴んでいるそれは、何かの文面を記したインクが少しばかり透けて見える、少々いびつな形の紙細工だった。
 どう見ても『ハート』の、女子好みな可愛らしいものだ。
 そうしてそれは、しばらく前に俺が目の前の上官へ教えたものでもある。

「…………あの」

「ナマエ宛だよォ〜」

 何ですかこれは、と訊ねる前に落ちてきた返事に、俺はしげしげと手で持ったそれを見つめることになってしまった。
 以前、俺も同じようなものをボルサリーノ大将に渡したことがある。

『ナマエはわっしに、手紙、くれないのかァい?』

 そんな風に言われて真っ向から強請られて、短い文章しか思いつかなかったから、昔妹に付き合って覚えた形を折り曲げて誤魔化したのだ。
 ボルサリーノ大将は妙にそれを喜んでくれて、なかなか開いて中身を読もうとはしなかったし、折り方まで聞いてきたから教えて一緒に他の紙を折り曲げた。
 『こちらの世界』にはこういう手遊びは浸透していないようだから、きっと似たようなものを折れる人間はそうはいない。
 とすると、これはボルサリーノ大将からの『手紙』だろうか。
 戸惑いを浮かべる俺を見下ろして、二番手で悪いけどねェ、なんて言うふうにボルサリーノ大将が呟く。
 出遅れた、とでも言いたげなその言葉は、まるで俺の『一番』が良かった、とでも言っているようで、何だかむずりと腹の底がくすぐったくなった。

「……仕事中に、何してるんですか……」

 きちんと仕事をしてくれているんだと思っていたのに、と思って呟くと、ちゃんと終わらせたに決まってるじゃないかァ、とボルサリーノ大将が肩を竦めた。
 確かに、所作の割に仕事の早い光人間たるボルサリーノ大将のことだ、いつも通り書類はきちんと片付いているに違いない。
 それじゃあ新しい書類を用意しますね、とだけ呟いて顔を下へ向け、手にした『ハート』をそっと机の上へ置く。
 むず、と口の端が緩んだ気がしてきゅっと顔を引き締めたところで、がしりと頭が掴まれた。
 そのまま顔を上向かされて、逆らうことが出来ずに無理やり顔面を晒す羽目になった俺は、こちらを覗き込んでくるボルサリーノ大将の目がわずかに丸く見張られたのを目撃した。
 それから、目の前の顔がすぐさま笑顔を浮かべて、とても楽しそうにその口が言葉を紡ぐ。

「顔、真っ赤だねェ〜」

 こちらを見やってそんな風に言われて、俺は自分の顔が熱いことにようやく気付いた。
 弛んだ手から頭を外させて、ぱ、と片手で自分の顔に触れ、間違いなく熱を持っている顔を隠すように少しばかり俯く。

「ボルサリーノ大将の気のせいだと思います」

「そんな顔で言われてもねェ〜」

 俺のごまかしなんて当然通用するはずもなく、ボルサリーノ大将はそんな風に言葉を紡いだ。
 しかし、顔が赤くなるのだって仕方のないことだろう。
 嬉しい。
 たかだか上官から、こんな飾り折りされた『手紙』を貰っただけでおかしな話だが、嬉しいものは嬉しい。どうしようもないのだ。

「……それでは、ボルサリーノ大将のせいだと思います」

「オォ〜、わっしのせいにされてもねェ〜」

 俺の返事に対して、ボルサリーノ大将が笑いを含んだ声を漏らす。
 間違いなく機嫌を良くしている我が上官殿の『手紙』の中身は、あの日の俺の『手紙』への返事だった。
 とりあえず、今度の週末はまた彼と出かけることになりそうだ。



end


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