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物故者の不実
※カゲカゲの実の一部設定がご都合主義改変中
※全面的に死にネタ注意
※主人公は何となくトリップ主で元医者



 『痛い』という感覚を味わうことが無くなって、もうどのくらい経っただろう。
 申し訳なさに心臓が引き絞られたように痛んで、その潰れそうなほどの痛みに目から涙をこぼしていたのだって、もうずっと前の話だ。

「酷い傷だなァ」

 鏡の中の自分の顔を眺めて、ぼんやりとそんなことを呟いた。
 飛び出しかけた中身を『しまう』ために様々なことをしてくれたらしいどこぞの『医者気取り』によって、俺の顔は随分と傷だらけだ。
 野性的で済む度合いを超えている気がするそれを軽く指でなぞって、幾重にも重ねた分厚いタオル越しに伝わるような遠い感触に、軽く息を吐く。
 別に可愛い顔をしていただとか、男前だったとか言うつもりはないけれども、せめてもう少し『前』のままに近い顔だったら良かったのに。
 無いものをねだっても仕方ないが、そんな風に考えながら手元のカートを掴み直し、俺はそれを押して歩き出した。
 窓の外は相変わらずの暗雲で、薄気味の悪い霧が立ち込め、木々の狭間には時々誰かの姿が覗く。
 そのどれもが人間であると言えない姿なのは、ここが『スリラーバーク』と呼ばれる場所だからだ。
 俺と同じく誰かさんに従うゾンビたちを一瞥してから、俺はそのまま、自分の影を踏みつけて廊下を進んだ。
 辿り着いた扉の中へと足を踏み入れて、今日もまた気持ちよさそうに眠っている部屋の主へ視線を向ける。
 少し変わった体型の、とても大柄なその寝坊助は、スリラーバークを支配するゲッコー・モリアと呼ばれる海賊だった。
 ホラーハウスよりも恐ろしいこの島で、こんなにも安らかに眠っているのは多分この人とペローナ嬢くらいだろう。
 そう言えばさきほど窓の外を飛んでいたな、と楽しげな彼女の姿を思い出したところで、ぐうぐうと部屋の中に響いていたいびきが不意に止まった。
 それに気付いて視線を向ければ、やや置いて大きな体がごろりと寝返りを打って、見た目に反して高い声がわずかに唸り声を零す。

「おはようございます、モリア様」

 五日ぶりの挨拶をして近寄ると、横向きになったベッドの上の住人が、開いたその目でこちらを見やった。
 俺の顔を見て、一度、二度瞬きをした後で、まるで落胆するようにその両目の瞼が少しばかり距離を詰める。

「……よォ、ナマエか」

「よくお休みでしたね」

「あァ、悪い夢をみた」

 いつもと変わらぬ返事に、それは最高ですね、と言葉を放って笑いかけた。
 彼の見る『悪い夢』がどんな夢かを俺は知らないが、多分それはとても幸せな夢なんだろうと思う。
 ひょっとしたら、もうずっと前、俺みたいな下働きやそれ以外の大事な仲間を何人もつれて海の上を進んでいた、あの頃の夢だったのかもしれない。
 その夢の一番最後を考えるとやはりそれは『悪夢』でしかなく、けれども終わりを見る前に目を覚ますことが出来たなら、それはいい夢だったとも言えるんじゃないだろうか。
 俺の返事にキシシシシと笑って、ごろりとベッドに横たわったままの彼が片腕を枕にした。

「コーヒーか、飲ませろ」

「はい」

 そのまま俺が持ってきたカートを一瞥して寄越された言葉に、返事をしてそれに従う。
 もう随分冷めているだろうコーヒーを淹れたカップを差し出すと、慣れた仕草で寝転んだままそれを飲んだ彼は、中身のなくなったカップをぽいとベッドの端へと放った。

「目覚めの一杯にゃあ温すぎるんじゃねェか」

「申し訳ありません」

 寄越された言葉に謝って、カップを回収する。
 もう一杯お持ちしますね、と言葉を放ってそばを離れようとすると、途中で足が動かなくなった。
 転びそうになったのを何とかこらえて足元を見下ろすと、床から生えた黒い『手』が俺の足を掴まえている。
 ずるりとそのまま床から這い出てきたのはゲッコー・モリアの影法師で、起き上がるその動作に合わせて掴んだ足を引っ張られると、俺にはなすすべもなく転ぶことしか出来ない。

「あ」

 とりあえずカップを割らないようにと抱えたところで床へ転がる羽目になって、打ち付けた背中が痛そうな音を立てた。
 体は動くから骨は折れていないようだが、痛みは感じない。
 それでも反射的に顔をしかめてしまったのは、こちらを見下ろしている一対の目があるからだ。

「どうした、ナマエ。はやく起きろ」

 サボってるんじゃねェよと言いながら横になったまま頬杖をついている相手を床の上から見上げて、はい、と返事をする。
 影法師が俺の足を手放したのを確認してから起き上がると、途中で服を掴まれて、立ち上がるのを手伝われた。
 ありがとうございますと影法師の主へ礼を言うと、横たわったままの彼が軽く肩を竦める。

「どんくさい部下を持つと苦労するぜ。ほら、とっとと新しいのを淹れて来い」

「はい」

 寄越された言葉に頷いて、両手で持っていたカップをカートへ置き直した。
 それから元来た道を戻るためにカートを押して、広い部屋の中を移動する。
 そのまま廊下へ出ようとしたところで、ナマエ、と俺を呼び留めたのは未だにベッドの上に転がっている部屋の主だった。
 それを受けて振り返れば、こちらを見ている彼が、その口から言葉を放つ。

「おれがお前を拾ってやった時、おれがなんて言ったか覚えてるだろうな?」

「はい。『役に立つなら連れて行ってやる』ですね」

 まるで俺の『記憶』を試すように何度か繰り返された問いへ、毎回と同じ言葉を返し、『お役に立てるよう頑張ります』と続けると、彼は満足そうに頷いた。
 それから犬猫を追い払うように軽く手を振られたので、一礼して部屋を出る。
 コーヒーを淹れたらまた戻ってくることになるが、恐らくその頃には彼はまた眠っていることだろう。
 そうしたらまたいつもの通り、コーヒーから湯気が出なくなるまで待って、淹れなおしての繰り返しだ。
 それは、何より俺を服従させている彼が命じたことでもあるし、彼が『幸せな悪夢』から目を覚ました時に一番最初に顔を合わせたいと思っている俺自身の意思でもある。
 わけもわからぬまま落ちたこの海で、俺を拾って『役に立て』と言いながら俺に役目を与えてくれた命の恩人が望んでくれたから、俺は今もここにいるのだ。

『お前も死ぬってのか、ナマエ』

 仲間の殆どを失ってしまったあの日、ただの雑用係でしかなかった俺すらもたくさんの傷を負っていた。
 もしもあの人がカゲカゲの実の能力者でなかったなら、俺はただその目の前で息絶えることしか出来なかっただろう。
 絶望の二文字を描いた双眸を見上げて、嫌です死にたくありません、と喚いたってどうにもならないことくらい、あの日の俺にだって分かっていた。
 苦しくて、痛くて、申し訳なくて、無様に溢れた涙のせいであの人の顔がうまく見えなかったのを、今でも覚えている。

『……モリア、さま』

 だから俺はあの日、あの人に拾われて初めて、『わがまま』を言ったのだ。
 俺が死ぬ前に俺の体から切り取られた影は、まず初めに、まだ両腕が残っていた他の誰かの死体へと放り込まれた。
 あまり覚えてはいないが、死にかけた俺の体を無理やり蘇生したのは、恐らくは俺自身だ。
 染みついていた技術の出来る限り全てを使ったからか、誰よりも弱い筈の『俺』の体は案外しぶとく生き延びて、『俺』の影は消えなかった。
 けれども、どうにか延命できた俺自身と彼とが共に安全な場所へと逃げのびた後、一度だけ俺の『影』はあの人に逆らったらしい。
 『主人の元へと戻れ』と命じても出て行こうとしなかった『影』は、手下が自分に逆らうことを良しとしないあの人の手によって、ぎりぎりで生き延びていた俺の体へと無理やり戻された。

『まったく、手間かけさせやがって』

 高い声で唸りながらこちらを睨んでいたあの人の顔を見あげたのが、俺が俺として再び目を覚ました時の最初の記憶だ。
 それから一週間程度は、あの人の世話をしながら生き残ったあの人の部下達と共に、死んだ海賊達の埋葬をしたりして過ごしていた。
 そしてそのうち、自分の体の違和感に気付いたのだ。

「……あとどのくらいかな」

 カートを押しながらそんな風に呟いて、ちらりと自分の腕を見下ろす。
 服の下に隠れている肌の血色が恐ろしく悪いことは、恐らく俺しか知らない。
 どうやら俺は、死んでしまったらしかった。
 あの人の能力で切り取った『影』は、主人が死ぬと消えてしまう。
 だから死んだと言うのもおかしな話なのかもしれないが、体の異常はそうだとしか言いきれないものだ。
 体はまだ動くが、どんどん感覚が鈍くなっている。
 最初の頃にあった痛みももう感じなくて、今のところその傾向はないようだが、いつか体の一部が腐ってしまってもおかしくないのではないだろうか。
 ひょっとすると、俺の体が元々『この世界』で生まれたものでないことが何か関係しているのかもしれないが、そんな前例も無いことは俺にも分からない。
 当然、たとえ当の能力者だとしても、俺がそんな素性だとしらない彼にも分からないだろう。
 どちらにしても、恐らく俺はもうすぐ動けなくなって、死んだ他の彼の部下達と同様に、彼を置いていくことになる。

「モリア様、怒るだろうなァ」

 またあんな顔をするあの人を見ることが耐えられなくて、身勝手にも、俺は彼に事実を伝えられないままだ。
 もしも俺が動かなくなったら、ひょっとしたら死体の『俺』を蹴飛ばして踏みつけて罵倒して、気が済んだら誰かの影を入れて使ってくれたりするかもしれない。
 いや、その前にドクトル・ホグバックに色んな動物の死骸を『移植』されるんだろうか。
 それはちょっと怖いが、動けない死体になった後でもあの人の役に立てるのなら、それはそれで嬉しいことだ。
 抱えていたものを失って、『仲間なんざ、生きてるから失うんだ』と呟いていたいつかのあの人のことを考える。
 動いていないらしい心臓のあたりが痛む錯覚も、もう久しく感じない。
 せめて涙が出たら違うのかもしれないが、死んだ体からは余分な滴の一つも零れなかった。


end


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