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ピエロの恋
※海兵主人公とロシナンテ



「頼みがあるんだ、ロシナンテ」

 『潜入捜査』の情報を渡すために使用した小さな個室の中で、切羽詰った顔でそう言われた時、ロシナンテは少なからず緊張した。
 何せロシナンテの同僚たるナマエと言う名前の男は、基本的に自分の中ですべてを解決する男で、ロシナンテに『頼み』を口にしたことなんて片手の指で数えられるほども無かったからだ。
 一体どれほどの難題がナマエを襲っているのかと考えを巡らせて、しかし全く思い浮かばなかったロシナンテの口が一度息を吸い込んで、そして覚悟と共に吐き出した。

「……何だ?」

 居住まいを正し、言葉を促したロシナンテに、聞いてくれるのかありがとう、とわずかに顔をほころばせたナマエが、そしてその重たい口を開く。

「…………俺の前では、出来るだけあの『コラソン』の恰好をしないでくれ」

「………………」

 そうして放たれた言葉に、ロシナンテは数秒思考を停止させた。
 ナマエの言う『コラソン』というのは、ここ最近ロシナンテが行っている『潜入捜査』でのロシナンテの名前だ。
 ロシナンテの兄であるドンキホーテ・ドフラミンゴが作ってしまったファミリーへ足を踏み込むための、仮装じみた格好だった。
 笑っていられない口を化粧で笑わせて、口ほどに物を言う目をサングラスで隠して、兄に似せたコートを着込み、与えられたマークをモチーフにしたような服に身を包んだ『コラソン』がナマエと顔を合わせたのは、つい数日前が初めてだった筈だ。
 そう言えば確かに、あの日のナマエはなかなかロシナンテと目を合わせようとしてくれなかった。
 ロシナンテにとってはただの『変装』だが、普段のロシナンテよりも目立つあの姿の方が、街の人間達には覚えられつつある。
 おかげで普段着のロシナンテが軽い変装をして出歩いても誰も気付かないわけだが、『海賊』として認識されつつある『コラソン』と『海兵』が遭遇するのは、確かにあまり都合が良くないだろう。
 分かってはいるが、真っ向からこう言われると、何となく悲しい。

「……気に入らないのか」

 肩を落とし、ぽつりとロシナンテがそう呟くと、いや違うんだ、とすぐさま返事が寄越された。
 まるで用意していたかのような切り返しの速さは、ロシナンテの返事を予想していたからだろう。
 じろりとロシナンテが視線を向けると、それを受け止めて首を横に振ったナマエが、本当に違うんだ、ともう一度言葉を零す。

「分かってる。『海賊』と会っていたなんてことが市民に知られたら、海兵としての面目が立たないしな」

「それも違うんだ。俺は海兵として顔が売れちゃいないから、普段着なら気付かれないし問題ない。むしろ人目のないところでも、俺の前であの恰好をするのはやめてほしい」

「……?」

 しっかりと放たれた言葉の意味が分からず、ロシナンテは首を傾げた。
 ロシナンテの考えたデメリットが問題ないのなら、どうしてナマエは『コラソン』に会いたくないと言うのだろうか。
 不思議そうなロシナンテの前で、その、と珍しく口ごもった後、ナマエはこっそりと言葉を零した。

「……こう言ったら引かれると分かっているんだが……あの恰好が、好みすぎて」

 見ていると心臓が破裂しそうになるから止めてほしい、なんて理不尽なことを言い放ち、ナマエの目が伏せられる。
 放たれた言葉の意外さにどきりと心臓が高鳴ったのを感じて、ロシナンテが微動だに出来ないでいると、ロシナンテの沈黙をどうとらえたのか、いや変な意味は無いんだ、とナマエは慌てて弁解を始めた。

「ほら、前にも話しただろ、海軍に入る前はサーカスにいたんだ。そこで世話を焼いてくれた先輩がクラウンで、俺はすごく良くしてもらってて……いや、その先輩も男だからな、そういう意味じゃないんだぞ、だけどな、あれから妙にクラウンっぽい化粧や格好に目が引かれるようになったというか、その」

 重ねられていく言葉に、ロシナンテはわずかに上がっていた自分の体温が冷えていくのを感じた。
 クラウンと言うのはピエロのことだと、以前ナマエに聞いたことがある。
 ナマエの世話を焼いたのが道化師だとして、本来ならロシナンテには全くかかわりの無いことだ。
 しかし、慌てたように言葉を取り繕いながら『そういう意味じゃない』と繰り返すナマエに、わずかな苛立ちがロシナンテの眉間にしわを寄せた。
 『コラソン』もロシナンテも、顔立ちはまるで変わらない。
 同一人物なのだから当然だ。
 だと言うのに、化粧や恰好程度でナマエをこんなにも慌てさせるのかと思うと、鏡の中でしか見たことのない顔を睨み付けてやりたくてたまらなくなった。
 もちろん、この部屋には鏡など無いのだからそれは叶わない。
 どうして自分がこうも苛立っているのかも分からないまま、それを吐き出すように『分かった』とロシナンテが呟くと、ナマエが言葉を重ねるのを止めた。

「お前の前では、あの恰好は絶対にしない」

 きっぱりとそう言い放ったロシナンテに、『えっ』とナマエが短く声を漏らしたような気がしたが、当人が望んだことなのだからロシナンテのきき間違いだったのだろう。

 数か月後、ナマエが『コラソン』の写真を懐に入れていると気付いた時のどうしようもない苛立ちを、ロシナンテはまだ知らなかった。


end


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