- ナノ -
TOP小説メモレス

ライフタイマー
※短編『ライフは1』の続き
※幼児化トリップ主人公は微知識




 仕事帰りに電車に乗っていて、いつもの駅へ降りた。
 その次の瞬間には俺はこの世界へ落下していて、本当にどうして、そんな目に遭ったのかも分からない。
 もしも今家に戻れたとして、社会的な俺の立場はどうなっているんだろうかと、そんなことを考えると体が漠然とした不安に震えるほどだった。
 叫んで暴れてしまいたくても、そんなことをしたって『元の世界』へ帰れるわけじゃないのだから、仕方ない。
 体は小さくなってしまっても、頭の中が幼くなったわけではないのだから、俺は大体そういう時は落ち着くまで、一人で船尾のあたりへ向かうのが常だった。

「よーナマエ、今日も冷えるなァ」

 けれども大体、こうやって誰かさんが後を追いかけてくる。
 カンテラを片手にしていて、もう片方の手に折り畳んだ毛布を持ったリーゼント頭の海賊を見上げて、サッチ、と俺はその名前を呼んだ。
 その顔を見ただけで、先ほどまで胸の内をざわざわと騒がせていた不安が吹き飛んでいったのを感じる。
 俺の命の恩人は、こんな時でもやっぱりすごい海賊だ。

「当番、おわった?」

 今日のサッチは『皿洗い』当番だという話で、さっきだって食堂に併設されていた大きなキッチンでうず高く積まれた皿たちを相手に楽しそうに鼻歌を歌っていた筈だ。
 手伝いたかったが、俺の体はどうしてか『この世界』へ来た時に幼いものへと変わってしまっていて、まず手が届かないので無理だった。
 テーブル拭きも何もかも他のクルーに取り上げられてしまって、明日も早いんだからもう寝ろ、と笑った彼らに食堂を追い出されたのが、大体十分ほど前のことだ。
 静かな場所へ向かおうとするとだんだんと鼓動が早くなったのを感じて、一人でいても眠れないことが分かっていたから、いつものようにこうして船尾までやってきた。
 サッチはそれを知らなかっただろうし、何より十分やそこらであの量の皿洗いが終わるとは思えないのだが、終わったんだろうか。
 首を傾げた俺を見下ろして、途中で追い出されちまったんだよなァ、なんて言ったサッチが、持っているものを降ろしながら俺の傍へと座り込んだ。
 俺と同じように足を投げ出して、はー、と声を漏らしたその顔が、向こう側に置かれたカンテラに照らされて見える。

「おれだってたまには皿洗いの一つくらいしてェってのに、隊長ってのはつまんねェぞ、ナマエ」

 口を尖らせてそんなことを言うサッチに、やっぱり駄目なことだったのか、と俺は納得した。
 サッチがさも当然のように皿洗いを始めたから聞けなかったのだが、やっぱりあれは新人のやる仕事だったらしい。
 だから本当なら俺がやりたかったのに、椅子を引きずっていくことすら許してもらえなかったのだから困る。

「つまんなくても、たいちょだからしかたない」

 立場が上になって、様々な責任を抱えているのだから、一部の仕事が取り上げられたり免除されるのだって仕方のないことだ。
 俺がそう言って頷くと、相変わらず生意気だな、と酷いことを笑いながら言ったサッチが、持ってきた毛布をぽいとこちらへ網を掛けるように放り投げた。
 唐突に視界を塞がれて、うぷ、とも何とも言えない声を漏らしながら身を捩って抜け出せば、伸びてきた大きな手がぐるりと俺の体に毛布を巻き付けてしまう。
 肌に触れる柔らかなそれからは少しだけ嗅ぎなれた匂いがして、その毛布がサッチのものだと言うことはすぐに分かった。
 そのままぐいと引っ張られて、むりやりサッチの膝の上へと乗せられる。
 恐らくは『大人』に戻った俺よりもたくましいだろうその胸元に背中を預けさせられて、手も足も出ない毛布蓑虫と化した俺を軽く抱えたサッチが、それから傍らへと手を伸ばした。

「星でも見てたのか?」

 そんな風に言いながら、その手がかたりとカンテラの火屋を開き、中で揺れていた炎をその指で消してしまう。

「サッチ!?」

 明らかに熱そうなそれに思わず慌てた声が出たが、大丈夫だって、とサッチは軽く笑うばかりだ。

「大丈夫じゃない、ヤケドはいたいのに」

「だから、大丈夫だっての、ほら」

 眉を寄せて呟く俺へ、サッチの片手が寄せられる。
 毛布の中でもぞもぞと身動ぎ、しかしやはり手を外へ出すことが出来ないと把握して、サッチから背中を離した俺は、毛布ごとサッチの掌へ手を伸ばした。
 厚手の毛布越しに掴んで、そのままサッチの手を自分の方へと引き寄せる。
 カンテラの無くなったその場所でもある程度ものが見えるのは、空に輝く月や星のおかげだろう。
 色の判別は少し難しいが、どうやら確かに、サッチの指先は火傷を負ったりはしていないようだ。

「…………」

「大丈夫だったろ?」

 そのことを把握してほっと息を吐いた俺に、サッチが呟く。
 その声が面白がるような雰囲気を含んでいるのを感じ取って、眉を寄せた俺はそのままサッチの手を更に引き寄せた。
 顔に近付いてきたそれへ向けて、大きく口を開ける。

「あ」

「おーっと」

 一口噛んで驚かせてやろうとしたのに、それを感じ取ったらしいサッチによってがしりと顔を掴まれて、俺の歯は空振りした。
 そのままぐいと後ろへ引っ張られ、改めて体がサッチの方へと預けられる。

「ひどい奴だなァ、噛んじまうのかよ」

「大丈夫、いたくしない」

「いやいや、噛んだらいてェだろよ」

 悪い子め、と子供に言うように言って笑ったサッチが顔から手を放すのを見送って、仕方なく俺はサッチへの報復を諦めた。
 サッチがこうやって俺のことを子供扱いするのは、いつものことだ。
 サッチだけじゃなくて、他のクルー達もみんながみんな、俺を子供だと思っている。
 『大人だった』と訴えたところで元の姿に戻れないのなら信じて貰えないかもしれないと、俺はその勘違いを解くことを諦めていた。
 実際のところ、もしも俺だったら相手の正気を疑うに違いない。サッチにそんな風に扱われるなんて、嫌なのだ。

「このままの天気でいくんなら、明日は晴れそうだなァ」

 やがて俺から目を離したサッチが、もう一度夜空を見上げてそんな風に呟いた。
 確かに、今日の夜空は澄み渡った綺麗なものだ。
 しかし、サッチがそんなことを言うなんて、と俺は首を傾げた。

「グランドラインの天気はそういうのアテにならないって、このあいだサッチが言ったのに?」

「まあ、そりゃそうだけどよ」

 呟いた俺に笑い声を零してから、折角だから甲板でやりたいだろ、とサッチが言う。
 何の話だとその顔を見上げると、こちらへ顎を晒したままで、サッチは続けた。

「エースんとこの奴らの歓迎会、やるんなら明日だってよ」

 エース、と紡がれたそれに、ぴくりとわずかに体が震える。
 エースという名前の海賊が、この船に乗ったのはつい先日のことだった。
 毎日毎日、毎晩毎晩『白ひげ』を襲撃して、そしてようやくその息子になることを受け入れた人騒がせな海賊は、やっぱり俺が知っている『エース』の顔だった。
 本当ならすぐにでも歓迎会をしたかったと言う話で、しかし酒が足りないからと、今日まであちこちの船から酒をかき集めていたらしい。
 続々と届く酒樽で甲板は大変なことになっていて、きっと酒好きなクルー達や『白ひげ』は大喜びだろう。
 エースが『白ひげ海賊団』になったと言うことは、ティーチが誰かを殺す日が近づいたということだった。
 もっとしっかりあの『漫画』を読んでおけば良かった、なんて今更しても仕方ない後悔をしながら、それでもどうにか思い出した限りだと、誰かを殺した『ティーチ』をエースが追いかけるのが、そもそものあの戦争騒ぎの発端だった筈だ。
 ティーチの危険性を訴えてみようにも、古株の『ティーチ』と俺のどちらが信用できるのかなんて誰に聞かなくても分かることで、サッチから嫌われたり引き離されたりする可能性の高いことが出来るわけもない。
 だとすれば、俺にその出来事を『無かったこと』に出来る可能性は殆ど無い。
 俺の命の恩人が、あの『戦争』で危険に晒される確率というのは、一体どのくらいのものだろう。
 こんな小さな体では鍛えてもどうにもならなくて、せめてもう少し育つまでの猶予があればと思ったのに、どうやらそれも叶わないらしい。
 何が出来るかも分からない。ひょっとしたら、出来ることなんてほとんどないのかもしれない。
 けれどそれでも、俺はサッチを守るのだ。
 あの日俺を助けてくれた俺の命の恩人を、今度は俺が助けるのだ。

「どうした? ナマエ」

 俺の体に力が入ったからか、星と月を眺めるのをやめたサッチが、その顔をこちらへと向けてくる。
 不思議そうな顔で見下ろす相手へ、誤魔化そうとどうにか口元を緩めた。

「何でもない」

 頑張ってそんな風に言いながら『笑った』俺に、ぱち、と目を瞬かせたサッチが、口元を笑ませたままで少し困ったような顔をする。
 それからひょいとその両手がこちらへ伸びてきて、むにり、と俺の両頬が左右からつままれた。

「ひゃっち?」

「そんな何か企んでそうな顔で、『何でもない』が通用すると思ってんのか、お前は……おりゃっ」

 笑って見せたと言うのにそんな酷い言葉と共に両頬をぐにぐにと引き伸ばされて、痛いと相手へ訴える。
 変な顔してんぞと言って笑いながら、さあ吐けと俺へ追及を寄越して来たサッチが諦めてくれたのは、俺の頬がひりひり痛み出してからのことだった。



end


戻る | 小説ページTOPへ