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建前怪談
※怪談話?がちょびっとホラー風味
※主人公は何となくトリップ系白ひげクルー



 ナマエという名前の男は、特別『作り話』の上手い男だった。

「……そしてふと目が覚めた時、窓の外は明るかった。
 起き上がり、いつもの部屋にいることを確認してほうっと息を吐いた後、男はこう呟いた。
 『なんだ、全部夢か』。
 昨日あの肝試しの帰りに酒を飲んだから、酔って眠って、暑さの寝苦しさに悪夢を見ただけだ。
 分かってしまえばなんてことない。夢の中で鎌を持った血まみれ女に追われるだなんて、ああ、いやな夢だった」

 おかげで寝苦しい夏島の夜、あえて薄暗くした食堂で、自分の前に置いた唯一の光源である蝋燭を見つめながら語る彼の『作り話』を聞くのが、モビーディック号の一部のクルー達の中では定番となっている。
 今日もまた、おどろおどろしい怪談を囁いていたナマエのそれは、佳境へと向かっているようだった。

「だけどそのとき、ふと首裏がかゆく感じて、男は自分の首に手をやった。
 ぬるり。何かで滑る感触がある。汗をかいているのかとも思ったが、どうも違う。
 身じろいだ時に漂った匂いに、男は自分の体が強張るのが分かった。………………血の匂いだ」

 室内にいる大体のクルーの視線がナマエへ釘付けで、それらを確かめるように視線をゆるりと回したあとで、ナマエが更に話を続けた。

「息の吸い方すら忘れそうなほど体を強張らせたまま、身動きの取れなくなった男の指に、ぴとり、と何かが触れた。
 冷たい、薄い、細い、硬い感触だ。ぴり、とそれが触れた指の端が痛みを生んで、じくじくとそのまま広がった。
 何か、とても恐ろしいものが後ろにいる。
 そう気付いて、それでも振り向けない男の右の頬に、そっと後ろから伸びてきたものが触れた。
 目の端に捕らえたそれは、少し血に濡れた、白い白い女の指だった。
 ごくりと喉を鳴らしてつばを飲んだ男の後ろで、くすくすと笑うその声も、知らない筈の女のものだ。
 冷たい指が頬を滑って顎に触れ、がしりと強く掴まれる。
 そうして、動けないでいる男は、無理やり後ろを振り向かされた。

 …………『つーかまえた』」

「ひっ」

 雰囲気たっぷりに『女』の台詞を口にしたナマエに、こういった話が苦手らしいクルーが小さく声を上げ、びくりと体を震わせたのを視界の端にとらえて、マルコは軽く肩を竦めた。
 隣に座っているサッチにがしりと縋り付いている彼に、いつもなら『暑苦しい』と笑って引き剥がすサッチがそれをしないのは、間違いなくこの場に満ちているナマエの雰囲気にのまれてしまっているからだろう。
 哀れな『男』はそのまま行方不明となり、部屋に大量の血痕が残っていたというところで話を切り上げて、ふ、とナマエが目の前の蝋燭の火を吹き消した。
 一瞬にして真っ暗になった室内に、数秒の間がおかれて、それから誰からともなくいくつかのカンテラに灯りが灯される。

「……あいっかわらず、怖ェなァお前の話は……」

 体の半分に新入りの何人かをしがみ付かせたまま、あまり血色のよくない顔で呟いたサッチの方へ視線を向けて、そうか? とナマエが首を傾げた。
 その手がひょいとマッチを取り出して、自分が吹き消したばかりの蝋燭に火を付ける。
 カンテラ代わりのキャンドルホルダーをひょいと持ち上げて、彼はそのまま立ち上がった。

「それじゃ、俺はもう寝るから」

「おお、涼しくなったぜ、ありがとうなァナマエ」

 仮眠へ向かう途中で食堂へ引きずり込まれたナマエへサッチが笑顔を向けると、別にいいけど、と呟いてからナマエがじっとサッチを見つめる。

「…………それ、暑くないのか?」

「ばっか、怖がる弟分を宥めてやるのは兄貴の役目だろ」

「な、なななな何言ってるんだよ、サッチだって震えてるだろ」

 いい笑顔で言いながら、しかししがみ付くクルーをそのままにしているサッチの傍で、相変わらずの怖がりらしい新入りが生意気な口を叩いた。
 おお言いやがったなこの野郎、とわざとらしく騒ぎ始めた彼らを少しだけ眺めてから、それじゃ、とナマエがそのまま歩き出す。
 いくつかの椅子の間を通り抜け、マルコの傍を通る時に、その目がちらりとマルコを見やった。
 しかし何か言葉を寄越すでもなく、そのまままだ少し薄暗い食堂を抜けていくそれを見やって、マルコもひょいと椅子から立ち上がる。
 ちらりと何人かが立ち上がったマルコへ視線を向けたが、気にせずマルコはナマエを追いかけた。

「ナマエ」

 いつものごとく仮眠するための部屋へ向かうナマエの後ろを追いかけて声を掛けると、湿度の高い暑さに満ちた通路の途中で足を止めて、ナマエがちらりとマルコの方を振り向いた。
 片手に持った蝋燭がゆらゆらと揺れて、ナマエの影を通路の壁に擦り付ける。

「どうかした? マルコ」

 近寄ってきたマルコへ寄越されたナマエの言葉に、どうしたもこうしたも、と告げたマルコがわざとらしく肩を竦めた。

「誰かさんのせいで寝るのが怖くてしかたねェ、添い寝に付き合えよい」

 情けなく海の男らしくもない、そしてやはりわざとらしいマルコの台詞は、ナマエが先ほどのように『怪談』を披露するたびに彼へ告げているおかしな言葉だった。
 それを聞き、ゆらゆら揺れる火の灯った蝋燭を片手に、あまり表情の変わらないナマエも、いつものように言葉を返す。

「……別にいいけど、海賊が『怪談話』を聞いて一人で眠れなくなるっていうのはどうなんだ?」

「うるせェよい」

 いつもと同じやりとりを繰り返して、さあ行くぞとマルコが先導すると、ナマエは大人しくその後をついてくる。
 その足音を聞きながら、やれやれとマルコは内心でため息を零した。
 ナマエは、特別『作り話』の上手い男だ。
 単純なクルー達が軽く騙されるような小さな嘘をサラリと吐くし、あまり表情が変わらない分、その真意を確かめることもむずかしい。
 生まれて育った島の名前すらマルコには聞いた覚えがなく、偉大なる『船長』ですらも、それを知らなかった。
 ただ一つ確かなのは、ナマエがもう何年も昔、夜のグランドラインを漂流していた哀れな男で、そして今はマルコと同じ海賊であるという事実だけだ。

「お前が見張りに行く頃には解放してやるよい」

「うん、そうしてくれ」

 ナマエを連れ込む自室へ向かいながらマルコが言うと、片手にキャンドルホルダーを持ったままのナマエが軽く頷いた。
 先ほどまでおどろおどろしい怪談を語っていたとは思えぬほど、その顔は普段と何も変わらない。
 しかし、どうしてだか今日のような風の生ぬるい夏島の夜、ナマエが一人では眠れないでいることをマルコは知っていた。
 恐ろしい目に遭ったことがあるのか、それとも何か他に理由があるのかは、マルコにも分からない。
 だが、眠れないと言う事実は、翌朝のナマエの体力の無さを見れば一目瞭然なのだ。
 今日の彼は明け方からの見張り当番だ。いつもなら夜の間をその当番に割り振るところだが、昼頃見張りをやっていたナマエにその役目を振るのは難しい。
 ならば強制的にでも寝かしつけることこそが、ナマエを夜の海で拾い船に乗せたマルコの仕事だった。
 ただ『添い寝』を申し出ても拒絶されるが、理由をつけてやればそうでもないらしい、と気付いてからは、ずっと今と同じやり取りをしている。他のクルーやナースに譲るつもりは、今のところない。
 『あいつの『怪談』聞きてェし協力してやるよ』と言って笑ったどこぞのリーゼント頭が、大概はナマエの特別恐ろしい作り話を引き出す役を担っていた。恐らく、ナマエもそれには気付いていることだろう。
 しかし、マルコが『言い訳』を口にしている限り、ナマエもそれを指摘することは無いに違いない。
 これだけの熱帯夜だと少し寝苦しいだろうが、マルコの傍らに転がったナマエは大体どうしてかすやすやと眠り出すのだから問題は無い。

「そういや、さっきの鎌女が夢に出てきたらどうしてやりゃあいいんだよい」

「マルコなら、飛んで逃げてもいいんじゃないかな」

「ああ、そりゃあいいねい」

 万が一の悪夢に備えて尋ねたマルコへ、ナマエがそんな適当なことを言う。
 もしも俺が襲われてたら助けてくれ、と続いた言葉に、仕方ねェな、と呟きながらマルコは頷いて、ちょうど辿り着いた扉に手を掛けた。
 暑苦しい夏島の夜、相変わらず人の傍らで快適そうに眠るナマエを眺めることになったのは、それから一時間ほど後のことだ。



end


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