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10.10
※海軍少将ドレーク氏若干捏造
※作成:767話掲載以前



「あ、ドレークさん」

 ゆったりと歩いていたドレークへと声が掛けられて、やはり、とドレークは声の主にその視線を向けた。
 視線を受け止めてへらりと笑ったのは、ナマエという名の移民だ。
 海沿いに置かれた木箱の一つに腰を下ろして海を眺めていたらしい彼は、ドレークが海賊の手から助け出した『いずこかの海』から攫われてきた青年だった。
 行くあても身よりも無いと言い、今はマリンフォードの民として新たに生活を構築している最中である。
 助けた手前、何となく気になってドレークがその顔を見に行くこともあるが、それは大概街中にあるナマエの勤め先での話だ。

「こんなところで何をしているんだ? ナマエ」

 問いかけながら首を傾げたドレークに、ははは、とナマエが笑う。
 彼はいつだって笑っている。
 感情の見えない愛想笑いを見るたび、ドレークは舌打ちしたくなるようなわずかな苛立ちを感じていた。
 けれども、海賊によって攫われて保護されたナマエへそんな感情を向けることなど『正義』を担う海兵にできる筈もなく、今日もまた苛立ちを飲みこんでナマエへと歩み寄る。

「俺がドレークさんに助けてもらったのって、確か7月だったじゃないですか」

 近寄ってきた相手を見上げて、ナマエは手に持っていた何かを傍らに置き、木箱に座ったままで口を動かした。

「もう10月になっちゃったなァ、と思って」

「ん? ああ、そうだな」

 言われた言葉の意味が分からず、ドレークはひとまず相槌を打つ。
 そうしながらナマエが座る横の木箱へ腰を下ろすと、ドレークの体を受け止めた木箱がぎしりと音を立てた。
 気にせず、海に体を向けているナマエとは逆方向を見やる形で海に背中を向けて、その視線を陸地へ向けた。
 マリンフォードの港の外れには、荷物が置かれているだけで、人の姿は殆ど無い。
 ドレークも、通りがかりに見慣れた背中を見つけなかったら、そのまま素通りしていたことだろう。
 こんなところで何をしているんだ、ともう一度先ほどと同じ問いかけを落としたドレークの隣で、ナマエが木箱の上にごろりと寝ころぶ。
 いくら木箱が大きいとは言え、当然ながらその全身を支えてやることなどできず、腰から下を投げ出すようにしたナマエの頭が木箱の縁から足とちょうど反対側にはみ出た。
 殆ど真下から顔を覗き込むようにされて、ドレークが呆れた顔をする。

「首を痛めるぞ」

「ドレークさん」

 寄越された言葉に返事をせずに、ナマエが言葉を紡ぐ。
 相変わらず下から注がれるその視線を受け止めて、なんだ、とドレークが問いかけると、ナマエは手を動かし、先ほど傍らに置いた『何か』を掴んでドレークへと差し出した。

「はい、どうぞ」

「…………ログポース?」

 差し出されたそれは、誰がどう見てもこのグランドラインで扱う『記録指針』だった。 しかも、針が三つある『新世界』用のものだ。
 どうしてそれを持っているのだろうか、と戸惑うドレークの前で、ナマエが軽く手元のものを振る。
 誘われるように伸ばしたドレークの掌の上にそれを乗せてから、ぱたりと手を降ろしたナマエはもう一度空を見上げた。

「ドレークさん、今月お誕生日でしたよね? それ、誕生日プレゼントにどうぞ」

 穏やかな声を出して言い放つナマエへ、なんと言ったらいいのか分からず、ドレークはただ手渡されたログポースを見やった。
 海軍も、軍艦を使ってこの海を行くことは確かにある。
 けれどそれは、基本的にエターナルポースを使用してのことだ。
 ラフテルを目指す海賊共や旅をする船乗り達と違い、その航海では目的地が最初から明確に決まっているのだから当然である。
 つまり、少将という肩書きを持って海軍に属しているドレークに、今ナマエが手渡したものは必要ないものだった。
 ナマエも当然、それを知っているはずだ。

「……ナマエ」

 そっと声を掛けたドレークに、はい、とナマエが返事をする。
 青空を見上げているその顔が、自分を窺っているドレークに気付いてへらりと笑みを浮かべた。
 相変わらずの、とってつけたような笑みだ。
 ドレークが助けたナマエという名前の一般人は、最初からそうだった。
 海賊に攫われ、捕らわれ、助けられたというのに帰るべき『故郷』も無いと言う。
 言っていることは不明瞭で、ドレーク以外の海軍海兵には畏怖の目を向ける。
 貧弱なその風体と、船内へ侵入して暴力を振るわれ拘束されていたナマエを助けたドレークの証言が無かったら、危うく海賊ではないかと疑われるところだ。
 ナマエは何でも知っているような顔をする。
 実際、ドレークも、彼は『なんでも』知っているのではないか、と思う時がある。
 海軍の有無を言わさぬ暴力も、全てを許された貴族に頭を垂れる犬にしかなりえないことも、汚いものの上に敷かれた正義も。

「…………」

 その顔をしばらく眺めて、ドレークは軽くため息を零した。
 その手がナマエが寄越したログポースを衣服のポケットへ押し込んで、自由になった手を伸ばして相変わらず木箱からはみ出たままのナマエの頭を優しめに掴んだ。

「うわ」

「起きたほうがいい」

 言いつつ頭を上へ持ち上げるようにすると、あいたたた、と大して痛くも無い癖をして悲鳴を上げたナマエが、大人しくドレークの動きに従って体を起こす。
 改めて木箱に座り直したナマエを見やって、手を離したドレークは口を動かした。

「おれの質問に答えていないぞ、ナマエ」

 こんなところで何をしているんだ、と紡がれた三度目の問いに、わざとらしく頭を片手で抑えたナマエが瞬きをした。
 その目が傍らのドレークを見やって、それから少しだけ時間を置いて、返事が寄越される。

「『ここ』から帰るには、どうしたらいいかなあと思って」

 ぼんやり考えていました、と続いた言葉に、ドレークは戸惑った。

「…………前に尋ねた時は、帰る場所が無いと言っていなかったか」

「違いますよ。『帰れない』って言ったんです」

 ドレークの言葉をそう訂正して、ナマエは先ほどから貼り付けたままの笑顔を向けた。
 それを聞いて、そうだったろうか、とドレークは少しばかり記憶を探る。
 交わした言葉の一つ一つを正確に覚えているわけではないので確信はできなかったが、そういえば、『帰る場所が無いのか』と尋ねたドレークにナマエが頷いたのだと言うことは思い出した。
 けれどももしや、あれは嘘で、ナマエは故郷から『追放』されたということだろうか。
 そうであれば、帰りたいだろう。
 故郷というものがどの程度大切なものであるかは、ドレークも知っている。
 劣悪な生育環境であった場合以外で、生まれ育った場所を捨てていきたい者などそうはいないし、ナマエはどう見ても恵まれた場所で育った人間だった。

「故郷の場所が……せめて名前が分かるなら、おれが出来る限りの手配をしよう」

 海兵として、何より助けた者の務めとしてドレークが言葉を吐くも、無理ですよ、とナマエは笑うだけだ。
 あまりにもあっさりと拒絶されて、ドレークは少しばかり眉間に皺を刻んだ。
 簡単にそう言えるということは、ナマエの『故郷』は随分と遠く、または辿り着きづらい場所であるようだ。
 空か、海底か、新世界か、もしや噂のカームベルトにあるという島々か。
 けれどそれらは、ドレークが在籍する海軍本部の軍艦ならば送り届けることの出来る場所である。多少の苦労や危険はあるだろうが、生還している海兵も数多い。

「……ナマエ、」

「無理なんです」

 再度申し出ようとしたドレークを遮って、ナマエはひょいと木箱から立ち上がった。
 ずっと体を向けていた大海原に背中を向けて、その目がまだ木箱に座っているドレークを見下ろす。
 自分が思い考え感じているすべてを押し殺したような、いつも通りの愛想笑いがそこにあって、それを見るたび感じる苛立ちが、今もドレークの胸部を襲った。
 いっそ、泣くなり悲しむなりすればいいのだ。
 海賊の船から助けたあの時から、ドレークはナマエのそう言った顔を見たことがない。
 話をする限りまだ親しい友人も作っていないらしいナマエが、あたりさわりなく喜んだり楽しんだりする以外で感情を出してこないと気付いたのは、はたしていつだったろうか。
 怒らせようとしても困ったような顔をされるばかりで、結局ドレークはナマエからその愛想笑いを引き剥がすことすらできない。
 今もまた、わずかな苛立ちを飲みこんだドレークには気付いた様子もなく、ナマエは続けた。

「何がどうなってこうなったか分からないから、俺は動くこともできない」

 言葉を放ちながら、ナマエが軽く息を吐く。

「待っていたって仕方ないけど、行くあてが無いんです」

 あてもなく旅をしていくには広いし危険すぎる海でしょう、とナマエが言った。
 確かにその通りだと、ドレークは頷く。
 グランドラインは危険に満ちた海だ。
 ナマエのような貧弱な者が守ってくれる者も無いまま旅をすれば、早晩命を落とすことは想像に難くない。
 そこまで考えて、ふと気付いたドレークは先ほどナマエが手渡してきたログポースへそっと手を当てた。
 もしやこれは、それでも旅立とうかと考えたナマエが、己のために用意したものではないか。
 そして、それを諦めてしまったのではないだろうか。
 浮かんでしまった考えにわずかに動揺したドレークを見やって、ドレークが触れているポケットの中身が何なのかを知っているナマエが笑みを消して、不思議そうに首を傾げた。

「どうかしましたか? そのログポース、何かおかしかったですか」

「いや……」

 寄越された言葉に、なんといって良いかわからず、ドレークの口からは不明瞭な声が出た。
 ログポースを、返すべきだろうか。
 一人で旅に出るのは確かに危険だろうが、誰かの旅に同行していくことはできるだろう。
 自分の記録指針があれば、その時々で渡り鳥のように船を変えていくことだってできるかもしれない。
 けれどもそれは、やはり随分と危険な行為のようにドレークには思えた。
 乗り合わせた船が、『正義』の船であるとは限らない。
 かつてドレークが切り伏せた海賊達のように弱いナマエを打ち据えたり、数十万ベリーのためにナマエを売ろうとしないとは言い切れないだろう。
 ナマエが旅立つ、という前提でもないのにそんなことまで考えて険しい顔になったドレークに、ますますナマエが不思議そうな顔をする。
 やや置いて、ドレークは自分のポケットから手を離し、なんでもない、と言葉を落とした。
 その目がもう一度ナマエを見やって、これだけは聞いておこう、と口を動かす。

「……そういえば、これをどうしておれに?」

 ただ単に居合わせたから渡しただけかもしれないが、尋ねずにはいられないことだった。
 海軍に属するドレークに、グランドラインを辿っていく長期休暇などは無い。
 そして、任務を遂行する上で、まっさらなログポースを使うことなどありえないのだ。
 以前ナマエにエターナルポースのことを問われて答えたことがあると、ドレークは覚えていた。
 だから、ナマエも、海兵であるドレークにはこれが必要ないことくらいは分かる筈なのだ。
 本来ならば。
 ドレークの問いかけに、ナマエがへらりと笑みを浮かべる。
 相変わらずの愛想笑いをして、彼はそのまま口を動かした。

「ドレークさんはそのうち必要になりますよ」

 はっきりとした断言に、ドレークはわずかに目を見開いた。
 ナマエは何でも知っているような顔をする。
 実際、ドレークも、彼は『なんでも』知っているのではないか、と思う時がある。
 海軍の有無を言わさぬ暴力も、全てを許された貴族に頭を垂れる犬にしかなりえないことも、汚いものの上に敷かれた正義も、それらにドレークが失望しつつあることも。
 まるで全てを見透かされたような気がして体を強張らせるも、ナマエはそれを気にせず、だからまあ予備としてでもどうぞ、なんて言葉を放って、それから、ああそうだ、と声を漏らした。

「ちょっと早いけど、誕生日おめでとうございます、ドレークさん」

「……………………ああ、ありがとう」

 自分のことは何も見せないくせをして、何もかも知っているような目で言い放ったナマエへ、ドレークは絞り出すように礼を述べることしかできなかった。




end


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