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幽霊の同定
※『幽霊の心得』と同じ設定
※主人公が幽霊なので死にネタ注意



 酒を飲みすぎると、不可思議な現象に遭遇することがあるらしい。
 サカズキがそれを知ったのは、ある日の夜、いつものように同僚と酒を飲んで帰宅した後のことだった。
 浴びるように飲み、飲まされた酒が頭の中をぐるぐるとかき回していて、家へ帰り着いた途端に座り込んでしまったのだ。
 どうにか正義を担うコートだけは脱いだが、着替える余力もない。酒を進めてきた少し年上の同僚の顔を思い出し、何を苛立っとったんじゃ、と唸ってみてもサカズキの現状は変わらなかった。
 何かに苛立ち、サカズキを酔いに酔わせることで憂さ晴らしをした大将黄猿は、サカズキを家の前まで引きずるように送ってきたが、先ほど背後が光ったのを感じたので、どうせもう帰宅しているだろう。
 緩慢な動きで顔を上げ、サカズキの目が鍵がかかっていることを確認する。
 無様としか言いようがないが、訪れてくる眠気にじわりと意識を侵食されて、そのままサカズキは傍らの壁へと寄り掛かった。
 目の前で部下が同じようなことをしていたなら怒鳴る自信がある。まさかこんな場所で眠りこけるつもりはないが、少し休むくらいは良いだろうと、珍しく自分に甘いことを考えたサカズキの瞼が、わずかに降りる。

「何してるんだサカズキ、こんなところで寝たら風邪引くぞ」

 そこでどうしてかそんな声が掛かり、そっと冷たい何かが頬に触れた感触に、眠りの沼へ落ちかけたサカズキの意識が浮上した。
 ゆっくりと開いた目で周囲を見回すが、サカズキの座り込んでいる玄関は静まり返っている。
 この家にはサカズキ一人しかいないのだから、それも当然だ。

「…………?」

 眉をよせ、怪訝そうな顔をしながら動いたサカズキの手が、おのれの頬に触れる。
 慣れた感触が擦る頬には、未だに先ほどのひんやりした何かの感触が残っている気がした。
 酒の回った頭でうまく考えられず、困惑をわずかにその顔へ滲ませたサカズキの横で、あれ、と小さく声が零れた。

「もしかして分かるのか?」

 戸惑うようなその声に、何のことじゃァ、とサカズキの口が言葉を零す。
 そうしながら、座り込んだ時と比べて倍程度の時間を要して、彼はそのままゆっくりと立ち上がった。
 普段と変わらぬはずの土間を見回すが、やはりそこにはサカズキ以外には誰もいない。
 しかし、先程聞こえた声に、サカズキはそこに誰かが『潜んでいる』と認識した。
 ぼこ、と音を零して片腕をマグマに変え、足元へ滴るそれを放っておいて拳を握る。

「さっさと出てこんか、わしゃァ気の長い方じゃありゃせんけェのォ」

 酒の抜けていない体の感覚は鈍く、何処かに潜んでいる『何者か』を自力で探すのは難しいと判断したサカズキが、低く唸った。
 もしもこれで出てこなかったなら、そのままこの場をマグマで焼いてしまうだけのことだ。圧倒的な海軍の最高戦力をもってすれば、家屋一つ程度、消し炭にすることくらい簡単なことである。
 『海軍大将』の家へ忍び込む、なんていう一般人がいる筈もないのだから、手加減や情けなど掛けてやる必要もない。
 酔いの回った頭でそんなことを考えて凄むサカズキに、うわわわ、と慌てたように声が上がった。
 しかしその姿はやはり見えず、苛立ったサカズキが舌打ちしたのと同時に、何で! と声の主が言葉を放つ。

「見えてないのに、どうして俺の声が聞こえるんだよ!」

「……だから、さっさと出て来いと言うちょろうが」

「出て来てるって! ほら、目の前に!」

 慌てたように言い放たれた言葉に、サカズキの目が己の正面を見つめた。
 しかし、目の前には家の奥へ続く廊下があるだけで、当然ながら人影は無い。
 謀るつもりかと眉を寄せたサカズキへ、もっと下だと声は言った。
 それを聞き、ゆるりと視線を降ろすサカズキの前で、もう少しもう少し、とそのままサカズキの目線を誘導するように言葉が繰り返される。

「あともうちょい……そう、その高さ!」

 そう言って止められた『高さ』は、サカズキに言わせれば小さいとしか言いようのないものだった。民間人の一般的な身長か、それより少し下程度と言ったところだろうか。
 そして当然、そこには『誰も』いない。

「……何だ、やっぱり見えてないんじゃないか」

 何も無い廊下を睨む羽目になったサカズキの前で、どうしてか声の主はとても残念そうな声を出した。

「そりゃそうだよな、今までだって気付かなかったのに、おかしいと思ったんだよ」

「……今までたァ、どういう意味じゃァ」

「『今まで』は『今まで』だろ。だって俺、ずっとあんたの背中にくっついてたんだから」

 そんな風に言われて、わずかにサカズキが戸惑った顔をしたのは、仕方のないことだ。
 今まで生活してきて、サカズキがその背中に『誰か』をくっつけていたことなどありはしない。
 生まれてこの方誰ともスキンシップを取ったことが無い、とまで言うつもりはないが、サカズキ自身があまり他人との接触を好まないと言うことと、そして何よりサカズキの体に宿る悪魔の力がそれをさせなかった。
 感情が高ぶるだけでマグマの零れるサカズキの体は、何かの拍子に怒っただけで触れた人間に重度のやけどを負わせかねないのだ。
 当然、それをいなす手段もあるし、その手段程度なら会得できる人間もいるが、それほど多いわけでもない。
 戸惑うサカズキの目の前で、見えない『誰か』がわずかに笑い声を零す。

「そんな顔するなよ、仕方ないだろ。あんたの運が悪かったんだよ」

「……なんじゃとォ?」

「あんた、俺のこと殺しちゃったから」

 だから、ついてきちゃったんだ。
 自己申告を信じるならば『死人』であるらしいその声の主は、恨みなどまるで混じっていない声でサカズキへそんなことを言った。







 酔いの回ったサカズキの前に突然現れた『幽霊』は、『ナマエ』と名乗った。
 いつだったかの海賊討伐の時に、サカズキのマグマによって巻き添えに殺された一般人で、それからサカズキに付きまとっていると言う。
 それが嘘か本当かはサカズキには分からなかったが、サカズキの酔いが醒めるとその声が聞こえなくなる、ということもすぐに判明した。
 一眠りしても同じだ。ついでに言えば、軽く酔っ払っている程度でも意味が無い。
 それなりに酔った時でないと接触すら出来ない相手に、サカズキは彼が自分の妄想か幻覚の中の住人だと言う結論をつけた。
 徹底的な正義を掲げるサカズキが酒浸りになるわけもないのだから、それで問題は無い筈だ。

「久しぶりにたくさん飲まされてたなァ」

 しかし、今日もまた、『ナマエ』はサカズキの枕もとで何かを言っている。
 灯りを消した薄暗い部屋の中、声のあたりをちらりと見やり、しかしやはりそこに見えない相手にため息を零して、まだおりよったんか、とサカズキは低く唸った。

「そりゃいるよ、あんたについて歩くのが俺のライフワークだからな。死んでるけど」

 死者とは思えぬ楽しげな声を出す『ナマエ』に、サカズキは寝具に横たわったままで仕方なく目を閉じた。
 酒を過ごした日の夜、家に帰ったサカズキへ『ナマエ』が話しかけてくるようになったのは、いつぞや初めて接触したあの日からのことだった。
 『殺した』サカズキに憑りついていると言うわりに、『ナマエ』にはサカズキに対して何か危害を加えようとする様子もない。もちろん『ナマエ』はサカズキの妄想か幻覚なのだから、それで当然であるはずだ。

「この間行ったさ、フユジマ? あそこの波間にきらきら光る鯨みたいなのがいたけど、サカズキは見たか?」

「……知らん」

「そうか、残念だなァ、名前を教えてほしかったのに」

 二週間ほど前の遠征の話をしてきた『幻覚』にサカズキがそう言うと、相手はとても残念そうな声を出した。
 そう言われて何となく脳内を探ってみるも、やはりサカズキにはその『光る鯨』とやらを見た覚えが無い。
 誰か部下がそんな浮ついた話をしていたかと考えてもみるが、やはりそんな覚えは無かった。
 それならば、サカズキの妄想か幻覚であるはずのナマエは、それをどこで知ったのだろう。
 酔いの回った頭に浮かんだ疑問を、馬鹿馬鹿しいと一周して、サカズキはごろりと寝返りを打った。
 動いたサカズキに気付いてか、あ、と『ナマエ』が声を出す。

「ごめんな、もう寝るか?」

 明日も早いもんな、とサカズキの予定すら把握しているらしい『ナマエ』の言葉に、サカズキは応えずに目を閉じた。
 サカズキの妄想か幻覚であるはずの『ナマエ』は、サカズキが酒を過ごすと毎回と言っていい頻度で話しかけてくるようになった。
 誰かと話せることが嬉しくて、などと言うが、しかし二人きりである時だけの状況だ。サカズキが誰かと共に酒を飲んでいる時、ナマエは決してサカズキに話しかけては来ない。
 それもまた、サカズキにとっての『ナマエ』が妄想か幻覚の産物であると思わせる要因の一つだった。
 頭がおかしくなったと思われるのは不本意であるために、共に気兼ねなく酒を交わせる同僚にすらこのことを打ち明けてはいない。
 『誰か』を自分の傍に置きたいと、そんな女々しいことを考えているのかと思えば、自分にすら腹が立った。
 サカズキが海軍にその籍を置いているのは、そこにいれば海の屑共を焼き尽くすことが出来るからだ。
 悪を滅ぼし、『正しくないもの』を根絶やしにする。
 サカズキのそれは苛烈とも言える正義であり、自身でもそれを自覚しているからこそ、『ついていけない』というもの達も全て捨て置いてきた。
 畏怖の目で見られることにも慣れている。
 サカズキに無遠慮に触れてくる人間すら、ほとんどいない。

「おやすみ、サカズキ」

 だと言うのに、ひんやりとした何かがわずかにサカズキの額を撫でて、そして離れていった。
 『死者』であると言いながらサカズキに触れることのできる『ナマエ』のその温度は、死人らしい冷やかさだ。
 けれども、ただ撫でていくだけのその感触は頼りなく、ともすれば錯覚だとすら思えそうなものだった。
 実際、錯覚に違いない。『ナマエ』はサカズキの妄想か幻覚による存在で、そこにいるはずもないのだ。
 そう分かっているし、一人きりになった部屋の中で例えば声を掛けられたとしても無視すれば良いだけなのに、それをせずに返事をしてしまうのはどうしてなのか。

「……」

 素面の時、ごく稀に軽くくすぐられるような感触を感じることがあるのだが、あれはお前か、と問えないままでいるサカズキには、分からないことだった。



end


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