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生誕記念日
※何気に異世界トリップ主人公



 今日という日付を確認してから、うむ、と俺は一つ頷いた。
 片手に用意したものを持って、とりあえず屋敷の中をすたすたと歩く。
 深夜を過ぎても、目的の相手が起きていることくらい知っているのだ。

「社長?」

 たどり着いた部屋の扉を軽く叩いて、中へ向けて普段とは違う呼び方で声を掛けてみる。
 けれども返事は寄越されず、あれ、と首を傾げてもう一度扉を叩いた。

「サー?」

 ニコ・ロビンがよく使う呼びかけをしてみても、中からの返事はこない。
 うーんと唸ってから、更にもう一回、扉を叩いた。

「オーナー?」

 三度目の呼びかけにも、返事は無い。
 もしかして、俺の知らないうちに出かけたのだろうか。
 こんな夜中にまさかとは思いつつも、けれども相手がそういった闇の中で活動するにふさわしい職業を肩に乗せていると知っているので、恐る恐る扉の取っ手に手を掛けた。
 軽く押しやってみると、不用心にも鍵がかかっていなかったらしい扉はゆっくりと開かれる。
 隙間から差し込んできたランプの明かりを辿って視線を中へと向けて、執務机に座った姿を見つけた俺は、少しばかり眉を寄せた。

「…………返事してくれてもいいと思いますけど」

 俺の三回の呼びかけを無視してくれた相手へ言葉を投げつつ、とりあえず失礼しますと一言挨拶を置いて部屋へと入る。
 きちんと扉を閉ざして、それから相手へ近づくと、執務机に向かったままで何かの資料を読んでいたクロコダイルが、ふとその視線をこちらへ向けた。

「……何だ、いたのか」

「いましたよ! 超いましたよ!」

 わざとらしい発言に、思い切りそう主張する。
 俺が部屋に入っただけで目を覚ますことの多いクロコダイルが、あれだけきちんと呼びかけた俺に気付かないなんてこと、あり得るはずが無い。
 けれども俺の主張に、うるせェぞ、と砂人間はうんざりした声を出した。
 俺がクロコダイルの下で働くようになって、もう随分と経つ。
 海賊に襲われた俺を、気まぐれと『英雄』のパフォーマンスで助けてくれたクロコダイルが、礼を述べて逃げ出そうとした俺を掴まえて、礼なら体で払えと言ったからだ。
 もしやバナナワニにでも食わせるのかと本気で焦ったが、俺は今のところ、クロコダイルの屋敷の使用人として働いている。
 人前ではあれだけ気取った英雄を演じている癖に、クロコダイルは最初から、俺の前では俺の知っている『クロコダイル』の態度のままだった。
 少しわがままで、気分屋で、強欲で、プライドが高い。
 まあ、クロコダイルはきちんと給料を払ってくれるし、どう考えても高水準の金額だし、何よりいつかクロコダイルがルフィと戦って負けると知っているので、俺は今もこの屋敷でクロコダイルのために働いている。

「で?」

「え?」

 目の前の顔を眺めていた俺へ向かって、クロコダイルが低く声を零す。
 唐突すぎるそれに首を傾げると、舌打ちしたクロコダイルの視線が、じろりと俺を睨め上げた。

「こんな時間におれのところに来たんだ、何か重大な理由があるんだろうな?」

 言いながらこちらへ向けられた右手に『くだらねェ用だったら砂に変えてやる』と脅かされた気がして、俺はとりあえず一歩後ろに引いた。
 けれども、重大な理由であるには違いないので、どうにか逃げ出そうとした足を踏みとどまらせる。
 俺の様子にクロコダイルが軽く眉を動かしたのを見ながら、ぐっと拳を握り、俺はこの部屋へ訪れた理由となるべき言葉を口にした。

「お誕生日、おめでとうございます」

 今日は九月五日だ。
 それはすなわち、語呂合わせになったサー・クロコダイルの誕生日だった。
 今日で一体いくつになるのかは知らないが、とりあえず本日の夕食時にはケーキが用意される手はずになっている。
 クロコダイルはあまり甘いものは好まないらしいから、そういう人でも食べられるケーキを作っている店を探すのには随分と苦労した。
 俺の言葉を聞いたクロコダイルが、やや置いてからその目を剣呑に眇めた。

「…………くだらねェじゃねェか」

「あれ、そうですか?」

「たかだか生まれた日を祝うほど、おれは平和ボケちゃいねェ」

 唸られて首を傾げると、クロコダイルはため息交じりに言葉を吐いた。
 誕生日を『くだらない』と切って捨てた相手に、俺はぱちぱちと瞬きをする。

「そうですか? 俺だったら嬉しいんですが……」

 いくつになったって、生まれた日を祝ってもらえるのは嬉しいことでは無いだろうか。
 そう思ったから、クロコダイルの誕生日を祝ってやろうとあれやこれやと手配をしたというのに。
 ロビンだって『いいんじゃないかしら』と笑っていたから、絶対に大丈夫だと思っていただけに、何だかがっかりだ。
 料理はもう仕込みも終わっているだろうからどうにもならないとして、ケーキはキャンセルした方がいいんだろうか。
 少し肩を落とした俺の前で、ハッ、とクロコダイルが鼻で笑った。

「相変わらず頭のめでてェ野郎だ」

 花でも咲いてやがるのか、とまで言い放つクロコダイルは、俺へ向けてよくそんな言葉を口にする。
 大体は、俺が自分の常識に基づいて行動した時や、『元の世界』の話をした時に寄越されるものだ。
 この世界は漫画『ワンピース』の世界で、俺がいた世界の、俺が生きてきた『日本』とは全く違う。
 俺の世界には悪魔の実も無かったし王下七武海も四皇も海王類もいなかったし、ひったくりをした悪いやつを干からびさせるような『英雄』だっていなかったのだから当然だった。
 どう考えたって、クロコダイルは俺の話を馬鹿にしている。
 もしかしたら、俺の言葉をすべて妄想で片づけているかもしれない。
 けれどそれでも、俺が自重したことは殆ど無かった。
 だって、俺の言葉をクロコダイルは馬鹿にするけど、真っ向から否定してきたことなど一度も無いからだ。

「……で、いつだ?」

「え?」

「てめェの誕生日だ。いつだ?」

 今だって、俺が『誕生日』にこだわることを笑ったのに、そんな風に質問を寄越す。
 それを聞いて応えようとした俺は、その日付がこの屋敷で働くようになってから少し後に過ぎたことを思い出した。
 実は誕生日なんだと告げた俺へ『あら、おめでとう』と笑ってくれたロビンを思い返して、そういえばクロコダイルには言っていなかったな、とも思い出す。
 確かあの日はちょうどクロコダイルが王下七武海を招集した会議に参加しに行っていて、バナナワニの世話がとてつもなく大変だった気がする。

「えーっと……この間過ぎました」

 とりあえず俺がそう答えると、クロコダイルの眉間に皺が寄った。
 その左手がざわりと半分ほど砂に変わって、こちらへ移動してきた鉤爪ががしりと俺の首を引っかける。
 鋭すぎるその先がちくちくと肌を攻撃してきたので、抵抗せず引き寄せられるがままに俺はクロコダイルの近くまで移動した。
 執務机の前で、上等な椅子に座ったままのクロコダイルが、傍らまで俺を引き寄せてからじろりと俺を見上げている。
 それを見下ろして、俺はずっと手に持っていた物をクロコダイルへ向けて差し出した。

「ちなみに、こちらが誕生日プレゼントです。どうぞ」

 シックな包み紙にこげ茶のリボンが巻かれたそれをクロコダイルへ向ければ、俺の首を鉤爪で捕まえたまま、クロコダイルの右手がひょいと俺の方へと伸びる。
 そのまま受け取ってもらえるのかと思いきや、クロコダイルは俺に箱を持たせたまま、しゅるりとリボンを解いた。
 何がしたいのかを把握して、クロコダイルが開きやすいよう、箱の持ち方を自分の手の上に乗せるような恰好へ変更する。
 びりりと包み紙を破いて中から出てきた小さめのヒュミドールに、クロコダイルの目が少しばかり細められたのを、鉤爪の切っ先によって顔を上向けさせられながら視認した。
 俺を簡単に干からびさせることのできる右手の指が、かちゃりとヒュミドールを開いて中身を確認する。

「……ふん、葉巻か。悪くねェな」

 プレミアム・シガーの一つをつまんで確認したクロコダイルの発言とともに、鉤爪がわずかに俺の首から距離を取ったので、ほっと息を吐きながら顔を少しばかり下に向けた。
 俺の方をちらりと見やりつつ、クロコダイルの手が葉巻をヒュミドールへとしまい込んで、俺から受け取ったそれを丸ごと執務机の上へ置く。

「オーナーが吸ってるやつって、めちゃくちゃ高いですよね」

 同じ銘柄を選んで買ったのだが、たった数本で恐ろしい金額を並べてくれたのだ。
 俺だったら、火をつけることすら躊躇してしまいそうである。
 けれども俺の言葉に、ふん、とクロコダイルがまたも俺を鼻で笑った。

「この程度の金、出せないわけがあるか」

 あまりにもあっさりとしたその発言に、俺はどうやら目の前と自分の間に決して乗り越えることのできない壁か溝があると気が付いた。
 当然、資本的な意味合いのものだ。
 そう発言してみたいものの、距離を少しばかり開いたとは言え、まだクロコダイルの鉤爪が首筋を狙っている現在の段階では、そんな風に言うことが出来る筈もない。

「あー……あの、オーナー……」

「何だ」

 とりあえず声を掛けると、クロコダイルがきちんと返事をした。
 それを聞きながら、とりあえず、とクロコダイルの鉤爪に触れる。
 ひんやりとした鉄の感触に、そと息を吐いてから、やや置いて口を動かす。

「その……できたら、そろそろこの鉤爪を外してほしいなァ、なんて」

「ああ?」

 けれども俺の要望に、クロコダイルは低く唸っただけだった。
 それどころか、鉤爪の切っ先がまたも首筋に押し当てられて、ちくちくとした痛みを感じる。
 クロコダイルが腕を引こうと思ったら、簡単に俺の首は掻き切られてしまうに違いない。
 じわりと湧いた冷汗すらそのままに、とりあえずクロコダイルを窺う俺の前で、クロコダイルが口を動かした。

「足りねェ」

「え?」

「俺を祝うには言葉が足りてねェぞ、ナマエ」

 はっきり、きっぱりとしたその発言に、俺はぱちりと瞬きをした。
 鉤爪が無かったら、そのまま首を傾げて問いかけているところだ。
 誕生日おめでとう、だけではダメだということだろうか。
 祝いの言葉が足りないなんて、生まれて初めて言われた気がする。
 えーっと、と声を漏らしてから、少しだけ考えて、俺は改めてクロコダイルへ向けて言葉を放つことにした。

「…………それじゃあ、お誕生日おめでとうございます、オーナー。生まれてきてくれてありがとうございます」

 とりあえずそう言葉を放って、そっとクロコダイルを見下ろす。
 俺の言葉を受け止めて顔をしかめたクロコダイルを見つめたまま、言葉の続きを口にした。

「もし社長が生まれてきてくれてなかったら俺は確実に野垂れ死んでました。命の恩人です。感謝してます」

 事実、あの日もしクロコダイルに会わなかったら、俺はあのままあの名前も知らない悪そうな海賊にどうにかされていたに違いない。
 心からの感謝を述べてクロコダイルを窺ってみる。けれども、クロコダイルは眉間に皺寄せているだけだった。
 まだ、俺の首筋は鉤爪から解放される様子は無い。

「……え、足りないですか?」

 きちんと言葉を述べたのに、と尋ねてみるが、クロコダイルは一つ頷いただけだった。
 あれだけ言っても駄目だったら、一体何を言えば満足してもらえるのだろうか。
 よく分からないまま、それからしばらくあれやこれやと誕生日を祝う言葉を述べた俺が鉤爪から解放されたのは、それから半時間も過ぎたころだった。

 自分より年上の海賊が『クロコダイル』と名前で呼ばれたかっただなんて、普通の日本人に気付くことはできないんじゃないかと、俺は思う。



end


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