誓いの楔
※子マルコと主人公(身体的退行/見た目は少年)は白ひげ海賊団
※子マルコ捏造中
「ナマエ、あれ、なによい?」
くい、とシャツの裾を引いて問われて、ナマエはその足を止めた。
呼ばれるがまま振り向けば、ほんの二ヶ月ほど前に『弟』になった子供が、不思議そうな顔でよそを向いている。
少し眠たげな目が不思議そうに瞬くのを横から見やって、同じ方向へ顔を向けたナマエの視界に入ったのは、白いドレスに身を包んだ女性と、男性がゆっくりと大きな建物の中へと入っていくところだった。
建物の尖った屋根の先には十字に作られた飾りが立てられていて、『この世界』にも教会なんてものがあるのか、なんていう感想がナマエの口から漏れる。
それがうまく聞き取れなかったらしい子供が、女性と男性を見送った後でその顔をナマエの方へ向け、不思議そうに首を傾げた。
「あれは結婚式だと思う」
「ケッコンシキ?」
ナマエの紡ぐ言葉を、子供が繰り返す。
何だそれはと問うてくる子供に、結婚の誓いをすることだとナマエが告げると、ぱちりと瞬きをした子供がそろりとナマエへ近付いた。
「ケッコン、ってなによい?」
そうして更に不思議そうに問われて、うーん、とナマエの口から声が漏れる。
ナマエの傍らの子供が、ナマエの知る常識の範囲外の場所で育った子供であることは、ナマエもよく知っている。
むしろ『この世界』自体がナマエの常識の範囲外だが、それは今更言っても仕方のないことだ。
更に言うなら、気付けば体が退化していて、身の回りの全てが『生まれ育った世界』とはかけ離れた場所になり、住所不定無職から住所不定海賊に肩書を変えたこと自体も、ナマエの常識からは外れている。
夢では無かったこの場所から『元の世界』へ帰る方法だって分からないまま、ここにいることに慣れてしまったナマエは、不思議そうな顔の子供を見つめて呟いた。
「結婚っていうのは、あー、つまり……一生一緒にいようって約束することだよ」
結婚したからと言って必ず添い遂げるばかりでもないだろうが、そんな身もふたもないことを言っても仕方ないだろうとその可能性は忘れたふりをして、どうにか子供にも分かりやすいだろう言葉を選んだナマエの傍で、いっしょう、と子供がもごりと言葉を零した。
それからその目がもう一度、恐らくは教会だろう建物の方を見やる。
「……ナマエ、マル、ケッコンシキみたいよい」
それから寄越された言葉に、うん? とナマエは軽く首を傾げた。
しかしナマエの返事を待たずに子供がその場から駆け出して、大きな建物の方へと走っていく。
この世界には大柄な人間も多く、小さな子供など視界の外から飛び込んでくるようなものだと言うのに、子供には周囲を気にした様子もない。
案の定往来を歩く人達の数人に驚いた声を上げられており、それを見たナマエの口からは溜息が漏れた。
元々、今日は久しぶりについた陸での『自由行動』の日だった。
だからこそナマエはいつもの通り、誰にも話したことのない自分の『故郷』へ『帰る方法』を捜しに降りたのだ。
それを追いかけてきた子供が、遊びに行くなら連れていけと強請ったから、結局まだ本屋の一つにも入っていない。
見た目で言えば歳の近いナマエへ、あの子供が一番懐いていることを知っているからだ。
嫌だったら置いていけばいいといつだったかクルーに言われたが、まだまだ小さな子供を一人で放り出すなんて非道なこと、ナマエの常識からすれば出来るはずもない。
だからこそ連れてきたというのに、あんなふうに一人で走って行ってしまうだなんて。
「……勝手なやつ」
今はナマエが『世話役』としてつけられているからいいかもしれないが、いつかナマエが『元の世界』へ帰っていなくなった時、あの調子ではすぐに迷子になってしまうのではないだろうか。
後で叱ってやらなくては、等と考えながら、ナマエも周囲に気を付けながら足を動かす。
「マルコ」
駆けた子供の後を追いかけたナマエが呼びかけた時、子供は建物わきの窓にへばりついている状態だった。
こら、と声を掛けて近寄ったところで、振り向いた子供の短い指がその唇へと当てられる。
「ナマエ、シーッよい」
たまにナマエがやる仕草を真似た子供に目を丸くしたナマエの前で、子供はすぐにその目を窓の向こうへと戻した。
仕方なく、ナマエもマルコの傍へ寄る。
傍らから窓の中をのぞいてみると、うまい具合に隙間があるのか、建物の中の物音がナマエ達の方へと転がり出てきていた。
誰かがオルガンを弾いているのか、穏やかで緩やかな曲がその場に流れ、司祭だか神父だかであるらしい男が、ドレス姿の女性と、先程とは違う姿の男性の前に佇んでいる。
永遠の愛を問いかけるそれを聞きながらちらりと傍らを見やってみるが、ナマエの傍にいる子供の顔は、真剣そのものだ。
「……楽しいのか?」
少女だったらまだ分からないでもないが、日ごろ甲板を駆けまわりクルー達に投げ飛ばされて笑っている活発な少年が、結婚式などを見て何か楽しみを見いだせるのだろうか。
自分が『小さかった』頃はどうだっただろうかと考えてみても、遠すぎる記憶はナマエの頭には蘇らなかった。
しかし、しっかりと窓際に張り付いている様子からして、この式が終わるまで、子供はこの場を動かないだろう。
仕方ないなと肩を竦めて、ナマエはマルコの傍に座り込む。
やがてようやくナマエとマルコがその建物の傍を離れたのは、十数分後、厳かなその式が終了した頃のことだった。
※
そんな、数日前のことを、ナマエはぼんやりと思い出していた。
既に離れた島のことを脳裏に浮かべてしまったのは、今現在、ナマエの視界の半分を、レースのハンカチが覆っているからだ。
「ケッコンシキ、よい!」
とても嬉しそうな顔をして、子供がその目を輝かせている。
船の上の子供二人が遊び場にすることを許された倉庫の隅で、子供に手を引かれてそこへ連れ込まれたナマエを待っていたのは、何処かで見たような置き方をされた小さい椅子と、いくつかの工具やサーベル、そして大判のハンカチを手に飛びかかって来た子供だった。
驚いてハンカチをとってもすぐに被せられる、という攻防を数回行ったところで諦めたナマエの前で、子供が航海士のものだろう本を片手に持っている。
読むつもりでないことは、それをさかさまに持ったまま開いている様子からして明らかだった。
『これは何だ』というナマエの問いに、子供が返したのは先ほどの言葉だ。
つまりどうやらこれは、あの日見た『結婚式』の再現であるらしい。
今までままごとなど仕掛けられたこともないだけに困惑していたが、その思惑に気付いてから、ナマエはとりあえず大人しくその場に佇むことにしている。
木箱の上へとよじ登り、ナマエをほんの少しだけ見下ろす角度になった子供の前で、とりあえず大人しくレースのハンカチを被ったまま、ナマエはちらりと傍らを見やった。
しかし、こんな場所で遊んでいる『子供』など、この海賊団の中ではナマエと目の前の子供くらいだ。
いつ仲間になるのかも分からない、ナマエの知る『マルコの家族』は、まだこの船には乗っていない。
もしや大人の誰かが参加するつもりなのかと先ほどから窺っているのだが、その様子もどうやらないようだ。
「……あー……マルコ?」
「ん? なによい?」
どうしたものかと考えつつ名前を呼ぶと、木箱の上の子供が軽く首を傾げる。
そちらへと視線を戻しつつ、あのな、とナマエは言葉を紡いだ。
「俺が花嫁ってのは色々と不満があるがまあ置いておくとしても、婿は誰になるんだ?」
「むこ?」
ナマエの言葉に、子供の口からは不思議そうな声が漏れた。
間違いなく『婿』を理解していない子供に、新郎だ、と言い換えても当然通じるわけもない。
しかし、たったの二人では、子供の求める『結婚式ごっこ』も出来はしないのではないだろうか。
誰か架空の花婿がいるのか、それともまさか自分に一人二役を求めているのかと困惑するナマエの前で、こほん、と下手な咳をした子供は、すっとその背中を伸ばした。
少し背が沿っていて、今にもその丸い頭から後ろに倒れていきそうな様子にナマエは少しばかり慌てたが、手を伸ばそうとしたところで小さな手のひらを晒されて無理やり止められる。
「セーシュクに、シキをはじめるよい」
どこで聞いた言い回しなのか、そんな風に言葉を紡いでから、子供はぱらりとさかさまのままの本を開いた。
「ナマエ、ナマエはマルとケッコンしー、ずっといっしょにいることになりますよい」
「……ん?」
「いっしょにごはんたべて、いっしょにねむって、マルがオフロしたらかみをあらって、たまにオヤジとならんでオヤツもたべる……ますよい」
少しばかりたどたどしく、間違いなくそこには書かれていない言葉を述べた子供に、ナマエがレースのハンカチを片手で抑えて首を傾げる。
不思議そうなその眼差しを気にした様子もなく、子供は更に言葉を続けた。
「どこにいくときもマルといっしょで、マルをぜったいおいてかないで、マルがきらいっていってもきらいじゃないからおこっちゃだめですよい」
すました顔でそう言って、子供の目がちらりとナマエを見やる。
じっと注がれる視線と共に、『わかりましたか?』と大人ぶった言葉を紡がれて、ナマエはハンカチの内側で瞬きをした。
やがてその口元にわずかに笑みが浮かんで、お前が一人二役なのか、と小さく呟く。
「わーかーり、ましたかよい?」
しかしそれを『返事』とはしないのか、念を押すように言葉を重ねた子供へ、仕方ないな、とナマエの口元の笑みが深くなった。
「分かった。はい、わかりました」
「ん」
ままごとに合わせて言葉を重ねたナマエの前で、子供が重々しく頷く。
それから小さなその手が本を閉じ、自分の足の横へ置いた後で、短い両腕がナマエへ向けて広げられた。
「それじゃナマエ、あやめるときもしぬときも、マルをアイスとちかえよい!」
「……めちゃくちゃだな」
妙に物騒な誓いの言葉と共に笑顔を向けられて、ナマエの口からは呆れたような声が漏れる。
『愛す』の意味が分かっているのかと尋ねたいところだが、恐らくまともな答えは返ってこないだろうと判断して、『誓います』と言ってやったあと、ナマエは子供へ一歩近づいた。
差しのべられた両腕の間にその身を進めて、自分より小さな子供の頭の上に、自分が被せられていたレースのハンカチを乗せる。
視界を全て塞ぐのでなく、端を持ち上げてその顔を覗き込むと、不思議そうな顔をした子供がナマエを見下ろした。
「よい?」
「マルコも誓うのか? それとも俺だけ?」
そのままの状態でそう尋ねると、ぱちぱちと瞬きをした子供が、それからにんまりと笑みを浮かべる。
「マルもちかってやるよい、ナマエ。あやめるときもしぬときも!」
やはり物騒な誓いの言葉を紡いで、いっしょにアイスよい、と続いたそれに、やっぱり意味が分かってないな、とナマエは肩を竦めた。
それからふと思い出して、目の前の子供へ向けてこっそりと囁く。
「アイスっていえば、今日のおやつはアイスだって言ってたぞ。バニラとチョコ、どっちがいい?」
「ほんとよい? マル、チョコがいーよい! あ、でもバニラもたべるよい!」
「分かった、それじゃ半分こな」
「よい!」
ナマエの提案に嬉しそうに笑った子供が、ぴょんとナマエの方へ向けて飛び込んで来た。
広げたままだった両腕でしがみ付いてきた子供の体当たりに体を後ろへ傾がせて、おっとっと、とたたらを踏んだナマエがしりもちをつく。
したたかにぶつけた尻がじんじんと痛み、痛い、と小さく声を漏らしたナマエを気にした様子もなく、ナマエの上へ座り込んだ子供の頭から、レースのついたハンカチが滑って落ちた。
「ナマエ、ずっといっしょよい」
そうしてとても楽しそうにそんなことを言う子供の笑顔は眩くて、ああそうだな、なんて答えることしか、ナマエには出来ない。
それからというもの、『帰る方法』を捜しに行く気が起きにくくなってしまったのは、まず間違いなく未来の『不死鳥』のせいだった。
真っ向からそう述べて、『人のせいにしてんじゃねェよい』とあきれ顔でナマエが詰られるのは、それから十何年も先の話だ。
end
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