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床ドン
※転生系主人公はCP9末端



 『女の子は『壁ドン』に憧れる!』だなんて、随分昔、『この体』に生まれる前の世界で見たテレビか何かのフレーズを思い出す。
 ドキドキする、なんて言ってたのはどのタレントだっただろうか。
 確かにドキドキはするが、この心臓の高鳴りはまず間違いなく『悪い方』だと思う。

「…………ルッチ?」

 どうした、と尋ねながら見上げた先で、俺を見下ろしているCP9最強の男は相変わらずいつも通りの無表情だった。
 しかし、俺が座っていたソファを蹴倒して俺をひっくり返し、頭ギリギリのところを片脚で踏みつけてソファがひっくり返っているのを固定するだなんて奇行、いつもなら行わない。
 いつも通りに見えるが、いつもより機嫌が悪いことは明白だ。
 何だ。一体何があった。
 抜け出すことは容易だろうが、それをして『抵抗』ととらえられては我らがリーダーによって酷い目に遭うことになる未来しか考えられず、俺は身動きもせずに相手を見上げる。
 しばらく黙ってこちらを見下ろしていたルッチが、低い声をその唇から押し出した。

「……五日経った」

「え?」

「おいナマエ、お前が任務から戻って、何日経った?」

 落ちてきた囁きに、俺は軽く首を傾げる。

「三日かな」

 今回は久しぶりに、ただの『諜報』活動だった。
 CP9の中でも一番道力の低い俺が、唯一得意とする分野だ。
 言いたくはないがもうすっかり慣れてしまった『殺し』も無い、なんとも平和な数日間を見たこともきいたことも無かった島で過ごして、情報を持ち帰った。
 報告書に書いた日付ぐらい覚えている。確かに俺が戻ってから『三日』が経った。
 それで、『五日』というのはなんだろう。
 不思議に思って見つめた先で、軽く舌打ちをして身をかがめてきたルッチの手が、俺の胸ぐらを掴まえる。
 そのまま無理やり引き起こされて、慌てて自分の両足で床を踏んだ。
 どうやって力を配分しているのか、俺の服の一カ所にも悲鳴を上げさせずに俺を立ち上がらせるルッチは流石としか言いようがないが、退いてくれたら自分で立ち上がることくらい出来たってのに、一体何なんだ。

「ルッチ、どうしたんだ」

 自分の胸ぐらからルッチの手を離させながら尋ねると、相変わらずの目つきの男がこちらを見る。
 何だか知らないがとても怖い。俺がその辺の子供だったら、びゃーびゃー泣いたに違いない。そうなってもルッチは泣き止ませようとはしてくれなさそうだ。
 『闇』とは言え正義の味方だと言うのに、子供と仲良くしている様子が思い浮かばないのはどうなんだろう、とその顔を見あげながら思っていると、ルッチの手がもう一度こちらへと伸びてくる。
 下から掬い上げるように顎を掴まれ、ぐい、と無理やりルッチの方へ顔を固定されて、慌てて伸ばした手でそれを掴んでもびくともしない。
 簡単に人を殺せるCP9の指先はとても硬くて、顎に食い込むとちょっとどころでなく痛い。
 俺だって鉄塊は出来るがルッチの攻撃に対抗できるほどじゃないし、何よりそれを『抵抗』とみなされたらやっぱり機嫌を損ねてしまいそうだ。

「ルッチ」

「一日目は遠慮してやった」

「え?」

「二日目は様子を見てやった」

「んん?」

「だが、もう三日目だ」

 低い声で囁いて、ルッチがこちらへとその顔を近付けてくる。
 覗き込んでくるその眼差しに、じっとそれを見つめ返して、俺はどうにか頭の中を整理した。
 どうやらルッチは、俺が戻って三日の間、『何か』を待っていたらしい。
 『遠慮』してやるだなんてルッチらしくないが、いや、一応ルッチだって正義の味方で、そこまでの暴君じゃない。暴君なのはうちのお馬鹿な長官くらいだ。
 そこまで考えて、そういえば帰りの船で殆ど作り上げ、戻った当日に仕上げた報告書を出した時、長官が何か言っていたことを思い出す。
 ケーキをぶちまけて、また一人で怒ったとか、何とか。
 そういえば、いつもはコーヒーの供なんてそんなに頼まないのに、どうしてあの日の長官はケーキの話なんてしていたんだろう。

「………………あ」

 そこまで考えたところで、改めて先ほどルッチの言った『五日前』の日付を思い出した俺は、小さく声を漏らした。
 当然俺のそれを耳で拾ったらしいロブ・ルッチが、じろりとこちらを見下ろしている。
 それを見上げて、わずかに口元を笑ませた俺は、ルッチの手に添えていた両手をルッチの方へ向けて伸ばした。
 俺よりも背の高い誰かさんが少し背中を丸めていたから、問題なく届いたその顔にそっと両手をあてる。

「ごめん、ルッチ。誕生日おめでとう」

 そういえば五日前は、目の前の誰かさんの『誕生日』だった。
 『ロブ・ルッチ』で六月二日なんていう、なんともわかりやすい語呂合わせの日付だ。
 絶対に覚えているだろうと思ったのに、思い切り失念してしまっていた。

「……やはり忘れていたな」

 俺へ向けてそんな風に言って、ルッチがその目を眇める。
 相変わらず不機嫌そうなそれが、何だか子供が拗ねているようにも見えて、ごめんな、ともう一度呟いた。
 ルッチの誕生日を祝いだしたのは、俺が最初なのだ。
 年の近いCP候補生の一人として、一緒に過ごしたあの島で、落ちこぼれ一歩手前だった俺は成績優秀なルッチと組まされることが多かった。
 そのうち勝手に友愛を感じた俺がこの世界で生まれて初めて誰かに渡した『誕生日プレゼント』は、その辺で拾ってきた松ぼっくりに似た形状のものだった。
 『この世界』にも自分が生まれ育ったあの世界と似たようなものがあるという事実に衝撃を受け感動を覚えた俺が、ずっと大事にとってあった『宝物』だ。
 今にして思えば、何というゴミを渡したんだろうかと思う。そりゃあルッチだって後日『捨てた』というわけだ。
 結局、あれは松ぼっくりだったんだろうか。
 そういえば、この間ルッチの部屋へカクと一緒に突撃した時、あれに似たものが棚に置かれていた気がする。俺が渡したものと同じ種類のものかは分からないが、今度見せて貰おう。

「先月までは覚えてたんだ」

 プレゼントも買ってあるよ、と目の前の相手へ向けて言葉を放つと、ほう、とルッチが低く声を漏らした。

「その状態で、『日付』を忘れていたわけか。この頭はよほど単純なつくりをしているらしい」

「そうかもなァ、でも開いてみてみるのは勘弁してくれ」

 不機嫌なルッチへそう言ってから、俺はそっと目の前のルッチから手を離した。
 とんとん、と人の顔を相変わらず掴まえているルッチの手を叩くと、思ったより簡単にその指が離れていく。
 それを見送ってから床を見やり、俺は先ほどルッチによって蹴倒されたソファを見やった。
 頭に当たる部分が接触していただろうところの傍が、床までしっかりと足型にへこんでいる。
 頭に食らったら死んでいそうなそれにはやはり恐ろしさしか感じない。ドン、と何とも大きな音もしたのだから仕方ない。

「…………うーん」

 かつて生まれ育った世界の『女性』達は、どうしてこれにときめくことが出来たんだろう。
 床でも壁でも大差ないだろうそれに、性別の差を感じて小さくため息を零しつつ、とりあえずソファを起こす。
 それから振り返ると、ルッチが少々怪訝そうな顔をしてこちらを見ていた。
 それを見上げて笑いかけ、俺はひとまず部屋にある扉の方を掌で示した。

「プレゼントを取りに俺は部屋まで戻るけど、一緒に来る?」

 それともここで待ってるか、と言葉は続けてみるが、ルッチがどちらを選ぶのかは分かりきったことだった。
 そして俺の予想の通り、小さく舌打ちをしたルッチが、さっさとしろ、と言葉を吐きながら先に歩き出す。
 間違いなく俺の部屋へ向かっているその後を追いかけて、俺はルッチの隣に並んだ。

「そういえば、みんなは俺をのけ者にしてケーキを食べたのか」

 談話室になっていた部屋を出て、通路を歩きながら尋ねた俺の横で、知らん、とルッチが言葉を落とす。
 おれは食べてない、とでもいうような言葉に、あれ、と軽く首を傾げた。

「お前が主役じゃないのか?」

 誕生日はケーキ、なんていうのは俺の中での常識だが、小さな頃から一緒に過ごしたカク達だって同じ常識を持っている筈だ。
 事実、長官殿はどうやってか顔面にケーキをぶちまけたとお怒りだったのだから、間違いなくケーキを食べただろう。

『美味しいものはみんなで食べるのが一番美味しいんだ』

 小さな頃のルッチ達に何度もそう言っていたらどうやら擦り込まれたのか、それとも万が一の時のことを考えての毒見役に選ばれたのか、ルッチは俺へ食べ物を分けることが多かった。
 カクやジャブラ達だってよく一緒に食事をとっているのだから、『ケーキ』なんてわかりやすい嗜好品を分けて食べないとは思えない。
 まさかあれは長官の三時のおやつの話だったのか、と考えてしまった俺の傍で、ちらりとルッチがこちらを見やった。

「お前がいないのに、どうしておれが口にする必要がある」

 ジャブラの顔に存分に擦りつけてやった、とは、その台詞の後ろに続いた言葉だ。
 放たれた言葉の意味を吟味して、軽く瞬きをした俺は、何だそれ、と言葉を落とした。
 つまり、ルッチの分のケーキはあったけど、俺が『任務』で外出していたから、それを食べなかったってことだろうか。
 俺と一緒に食べられなかったから?
 いや、ただ単に毒見役がいなかったからか。

「…………」

 しまった。
 少し、顔がゆるんでしまっている気がする。
 どうにか引き締めたいが、どうにもならない俺の横で、視線を外してしまったルッチは何も言わない。
 顔つきは変わらないのに、さっき真下から見上げた顔に浮かんだ恐怖はまるで感じないのが不思議なくらいだ。
 ソファごと蹴倒された時に感じたのとは違う胸の高鳴りを感じてしまって、とても困る。
 給仕の女性たちはルッチを『格好いい』というが、こういう時のルッチは、どちらかというと。

「……それじゃ、あとでパンケーキでも焼いて食べるか。バースデーケーキの代わりに」

 CP9最強の男に向けるには全く似合わない言葉が頭の中を巡って、それを吐き出す代わりに弛んだ口からそう零すと、好きにしろ、とルッチが言った。



end


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