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君へ贈る日付
※何気に異世界トリップ主人公は一般人
※子サカズキ捏造につき注意



 ここが異世界だと気付いたのは、結構早い段階でのことだった。
 まず俺の知っている世界の海にはあんな馬鹿でかい生き物はいなかった。
 海賊なんて身近じゃなかったし警察じゃなくて海軍なのも違和感があったし、何より『グランドライン』に『悪魔の実』に通貨が『ベリー』。
 ついでに言えば海の怪獣が『海王類』。
 どう考えても、ここは漫画『ワンピース』の世界だった。
 そして、聞こえてきた『ルーキー』の名前に、俺が知っている漫画の内容が全て遠い未来の話だと気付いたのも、その頃だ。
 ロジャーはまだ海賊王ですらない。
 この分だと、原作に話が突入するころには俺は元の世界へ帰っているに違いない。
 そんな希望的観測をもって、ひとまず生活をしていかなくてはならないからと働いて、いつものように歩いた帰り道。
 まさか子供を拾うなんて、誰が思っただろうか。

「ただいま」

 家の中へ声をかけつつ扉を開けて閉めると、ほんの少し焦げ臭いにおいがした。
 ああこれは、と気が付いて、鍵をかけてからすぐににおいの下を辿ってリビングへ向かう。
 がらんとしたリビングにはひっくり返ったバケツとびしょ濡れの床があって、そこには少しばかり焦げ跡があった。
 人の形に似たそれを見下ろして小さくため息を吐いてから、とりあえず手に持ってきた荷物を部屋の端へ置いて、窓を開ける。
 親切に譲り受けた家だが、今日も無事、火事にならずに済んだようだ。
 それなら俺が家に残してきた子供がいる場所など決まっていたので、吹き込んでくる風を感じながら、俺はリビングから風呂場へと移動した。

「サカズキ?」

 声をかけながら風呂の中をのぞけば、びくりと体を震わせた小さな子供がそこにいる。
 その目が恐る恐るとこちらを見やって、ナマエ、と俺の名前を紡いだ子供の体は、俺しか使わないはずの浴槽の中にあった。
 水は半分ほど入っていて、最初に頭から入ったんだろうか、髪も着ている服もびっしょり濡れている。
 脱衣所からタオルを手に取って近付くと、彼が瞬きの一つもせずに俺を見上げた。
 何かされたら逃げられるようにと身構えた子供の様子に軽く息を吐いてから、タオルを持ったまま浴槽のとなりに屈みこむ。
 縁に片手をついてみても、座り込んだ彼のほうが俺より小さかった。
 黒い髪で少しぎらついた目のその子供は『サカズキ』という名前で、マグマグの実なんていうちょっとかわいい名前の悪魔の実を食べたマグマ人間だった。
 すなわち、俺が知っている『漫画』の世界では『海軍大将』で『海軍元帥』になったあの海兵だ。
 どうしてそんな相手が、俺の帰り道にあんな恰好で遭遇したのかは分からない。
 ただサカズキは全身が血や泥やそれ以外で汚れていて、必死の形相で逃げている途中に転んだようで、遠くからそんな彼を探している誰かの足音が聞こえたのだ。
 助けてとすら言わないで、転んだ体勢で俺を睨み付けた小さな彼に、恐ろしさを感じながらも助けようと決めたのは俺だった。
 サカズキを探し回っていた男たちはどうやら海賊だったらしく、海兵が何人か捕まえたところでこの島から逃げていったということはうわさで聞いた。
 あれから、サカズキはずっとこの家にいる。
 悪魔の実を食べたばかりなんだという子供は、強力な自然系能力者になっているが、今一つそういった制御がうまくいかないらしい。
 起きているときはまだましな方だが、寝ているときに悪夢を見ると、その体の周りが焦げ付いてしまうほどだ。
 最近は夜一緒に寝ていてもやけどして起こされることはなくなったのだが、昼間や夕方にうたたねをするとそうなりやすいらしい。

「大丈夫か?」

 尋ねると、サカズキがこくりと頷いた。
 その手がぱしゃりと水音をさせながら水中から現れて、縁に触れている俺の手へと伸びてくる。
 長いこと水に浸かっていたらしいサカズキの手は、少しふやけて、ひんやりと冷えていた。
 それを感じて、すぐに持ってきたタオルをサカズキの頭にかぶせる。
 軽くその頭を拭いてやってから、立ち上がって小さな体を持ち上げると、サカズキは何の抵抗もなく俺の手によって浴槽から救出された。
 タイルの上へ立つよう促しながら浴槽のそばへ下ろして、タオルを取ろうと手を動かす。
 タオルがそのまま引き止められたのは、俺の手に触れていたサカズキの小さな手が、がしりと俺の腕を捕まえたからだ。
 能力を発揮すれば簡単に俺の手を焼いてしまうだろうその小さな手のひらは、少しばかり震えているようだった。

「……すまん」

 子供特有の高い声で、サカズキが小さく呟く。
 寄越された言葉に小さく笑ってタオルを無理やりはがすと、そこから現れたのはぎゅっと眉を寄せてその目を鋭く眇めた子供の顔だった。
 まるで怒っているような顔だが、それが反省しているのだと分かるから、よしよしとその頭を撫でてやることにする。
 俺の掌を受け止めたサカズキが顎を引いたのを見てから、手を離した俺はサカズキの肩に頭からずらしたタオルをかけた。

「そう落ち込むなよ。大丈夫だから。ほら、体冷えちまってるから、とりあえずちゃんと風呂に入れ」

 手だけではなくて、サカズキの体自体が冷えているようだ。
 このままじゃ風邪をひくだろうと囁いた俺へ、サカズキが視線を向けてくる。
 何かを尋ねたそうにしているその顔に笑みを向けてから、ぽんと軽く頭を叩いて、俺はとりあえずサカズキを置いて浴室を出た。

「ちゃんと温まらないで出てきたら、俺が入る時にもう一回入る羽目になるからな」

 浴室の扉の前で足を止めて、振り向きながらそんな風に言葉を投げる。
 サカズキが案外恥ずかしがり屋だと知っているからだ。
 案の定、俺の言葉に顔をしかめたサカズキが、いらん! と声を上げながら近寄ってきてその手でバタンと扉を閉じた。
 それからすぐに聞こえてきたシャワーの音に、やれやれと息を吐く。
 サカズキは基本的にシャワーでしか風呂には入らないが、頭から湯をかぶれば少しはましになるだろう。
 新しいタオルと着替えを用意して脱衣所に出してやってから、そのままリビングへと移動する。
 とりあえず、サカズキが頑張った消火活動を片付けておかなくては、風呂から出てきたサカズキがまたさっきみたいな顔をするのは明白だった。
 もう何度もやったことなので、慣れた手つきで床の水を拭き取り、ついでに部屋も片付ける。
 もともと俺の家にはものが少ないし、サカズキがあちこちを散らかすこともないので、床の上の水を片付けてしまえば片付けはあまり時間もかからずに終わった。
 サカズキが寝ていたからだろう、横たわる人の形についた焦げ跡をとりあえずクッションで半端に隠してから、食事時に出しているテーブルを真中において、部屋の端に置いてあった荷物をそのそばまで引き寄せる。
 取り出したのは、今日の職場で貰ってきた惣菜だった。
 少し侘しい気もするが、確実に俺が作るよりもうまいし、元の世界とは違ってこっちの世界では添加物もない。今日の夕飯はこれだ。
 サカズキと自分の分で並べながら、ふと壁に掛けられているカレンダーを見やる。
 サカズキが律儀に毎月はがしてくれるおかげで、最近ではきちんと今の日付を確認できるようになったカレンダーを眺めて、明日に休みのマークを入れてあることに気付いて軽く首を傾げた。
 何の日だったかと考えて、それからその日付が表わすものを思い出して、あ、と声を漏らす。

「……何しとるんじゃ」

 そこで後ろから声がかかって、振り返ると風呂上りのサカズキが怪訝そうな顔で俺を見ていた。
 頬が少し上気して見えるのは、きちんと風呂に入った証拠だろう。
 肩口に小さめのタオルをかけたまま、近寄ってきたサカズキがいつもの席へと移動して、不思議そうなその目をこちらへと注いできた。
 カレンダーを見てたんだよ、と壁にかかっているそれを指差してから、袋から食事を出す途中だったのを再開する。

「明日、休みだったなあと思って」

「……忘れていたんか」

「うん、ごめん」

 呆れたような声を出した子供に謝りつつ、食事を全部出し終えた。
 さあ食べようと促すと、俺と同じように箸を持ったサカズキが、さっきより不思議そうな顔をこちらへ向ける。

「サカズキ?」

 どうしたのかと思って首を傾げると、なんで謝るのだといった風なことをサカズキが口にした。
 言われた言葉にぱちりと瞬いてから、カレンダーをもう一度見やる。

「だって、明日だろ?」

「明日が、なんじゃ」

「え、いや、だからほら」

 問いかけに、俺はカレンダーを指差してそちらを見やった。

「明日はサカズキの誕生日だろ?」

 八月の十六日と言えば、サカズキの誕生日だ。
 つまり、モデルだった俳優だかの誕生日だ。
 ワンピースのキャラクターは殆どが語呂合わせみたいな誕生日の中、モデルの俳優の誕生日だったのはサカズキ以外にあとは二人くらいだったので、何となく覚えていたのだ。
 サカズキが七月のカレンダーをはがして八月にしたときにそれを思い出したので、今月の休みをそこに入れたのだが、ついうっかり今の今まで忘れていた。
 結局サカズキが欲しかったものもリサーチできなかったことだし、サプライズはやめて明日は一日サカズキをどこかへ連れて行こう。
 どうやら海賊に捕まっていたらしいサカズキは、一人で外を歩くのがあまり得意ではないようだから、せめてこういう機会にでもその活動範囲を広げてやらないと。
 あまり甘いものを強請られたことが無いが、やっぱりこういう時はケーキでも食べさせるべきだろうか。
 俺はあまり甘いものが得意じゃないから一人で食べさせたいところだけど、それだとサカズキが遠慮するだろうか。
 つらつらそんなことを考えてから、そういえばサカズキからの反応がない、と気付いてカレンダーからサカズキへ視線を戻す。
 そこにあったのは戸惑ったような子供の顔で、どうしたのかと俺は再度首を傾げた。

「サカズキ?」

「…………誕生日なんぞ、ない」

 小さく呟かれて、ん? と声を漏らす。
 誕生日が無い、なんて、そんなわけがない。
 だって、コミックスでしっかり掲載されていたのを俺は読んだのだ。

「明日だろ?」

 だからそう言った俺に、サカズキはむっと口を閉じて眉間に皺をよせてしまった。
 少し不機嫌そうな顔だが、それが別にいらだちからくる表情じゃないことは分かったので気にしないことにする。怒っているなら、そのうちどこかからじゅうじゅうと音がしてくるはずだ。
 放っておいて『いただきます』とあいさつをしてから食事を始めると、俺に倣って同じ挨拶を紡いだサカズキも食事を始めた。

「明日、あっちこっち行こうな。そうだ、海軍支部で公開演習があるらしいぞ」

「……別に……」

「きっと恰好いいだろうなァ」

 いずれ海兵になるのだからそういうのも好きだろうに、遠慮しようとしたサカズキにそう言えば、やや置いてから『行く』という返事が向かいの子供から寄越される。
 それを受けて笑って、何か欲しいものがあれば買ってやるからな、と囁いた俺は、翌日の海軍支部で、サカズキが見上げていた海軍帽子を一つ買ってやることになった。
 大人用だったそれは少し大きかったようだけど、いつかそれが似合うようになるさと笑った俺を見上げた後で、そのまま帽子で顔を隠したサカズキは、どうやら照れていたようだった。



end


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