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フリージアの残留
※微妙に異世界トリップ系元海兵は足を痛めているのでその辺注意
※ほんのりと名無しオリキャラ注意
※少しだけ子コビー注意



 コビーがその男に遭遇したのは、本当にただの偶然だった。
 演習への通りがかり、補給と休息の為に立ち寄った島は穏やかな春島で、コビーもまた他の同僚たちと同じように久しぶりの陸を楽しんでいたのだ。

「! 大丈夫ですか?」

 路地で転んでいる年配の男に気付いてコビーが声を掛けたのは、正義を背負う海兵としては当然のことだった。

「ああ、悪いな。ありがとう」

 手を貸されてゆっくりと立ち上がった男が、そんな風にコビーへ声を掛ける。
 いいえ、お気になさらず、とはきはきとそれへ応え、コビーは辺りに落ちていた彼の荷物らしきものを拾い上げた。
 随分な重量の鞄二つを軽々と持ち上げて、そのまま立ち上がる。

「どうぞ」

 そうしてそう言いながら荷物を差し出したところで、男の顔をまっすぐに見たコビーの目が、ぱちりと瞬いた。
 そのまま自分を凝視する年若い海兵に気付いた様子もなく、ありがとう、ともう一度笑顔で礼を述べてコビーから荷物を受け取った男は、少しゆっくりとした動作で自分の肩へとそれをかけた。
 それからふと空を見上げて、晴れ渡った青空に軽く眉をよせ、先程と同じくゆっくりとコビーの方へとその顔が向けられる。

「この島は初めてか、海兵さん。もうじきつらら雨がふりそうだから、今日はもう船に戻るか、屋根のある場所に入った方がいい」

 そうして寄越された言葉に、コビーも先ほどの男と同じように空を見上げた。
 真上の空はこんなにも青く澄み渡っていると言うのに、天気が崩れると言うのだろうか。
 『つらら雨』とは何だろう。
 全く分からないが、ここがグランドラインと呼ばれる恐るべき航路である以上、島民の話を疑っても仕方ない。
 共に船を降りた何人かの顔を思い浮かべ、彼らにもその話をした方がいいのかと少しだけ考えたコビーの傍から、ゆっくりと男の気配が離れていく。
 それを感じてすぐさま空から男のいたほうへと顔を向けたコビーは、自分から遠ざかっていく男の背中をすぐに見つけた。
 大きな荷物を肩から掛けたまま、ゆったりと歩く男は片脚を引きずっている。
 どうやらそこを痛めていて、早く歩けないのだ、とコビーは気が付いた。

「……あの!」

 それを見つめ、やがてコビーが声を掛けると、それが聞こえたらしい男が足を止める。
 大きな荷物が軽く揺れて、それを支えるように『おっと』と声を漏らしながら体勢を変えた男へ、コビーはすぐに近付いた。

「でしたら、荷物を運ぶのを手伝います」

 片手を自分の胸元にあてて、そう言葉を紡いだコビーに、男がコビーの顔を見やった。
 不思議そうな顔をして、それから首まで傾げた年上の彼へ、コビーは軽く微笑みを浮かべる。

「ぼくは、海兵ですから」

 いつ頃その『つらら雨』とやらが降るのかは分からないが、このままでは目の前の彼がそれの被害を受けてしまいそうである、ということはコビーにも分かる。
 守るべき市民を守るのが海兵の務めなのだ。
 笑ったまま、胸に宛てていた手を相手へ向けて差し出したコビーに、男がもう一度瞬きをして、それから軽くその口元に笑みを浮かべた。
 先ほどコビーが見たのと同じ、人好きのしそうな穏やかな笑顔が、コビーの前へと晒される。

「いい海兵さんだなァ」

 そんなことを言われたのは初めてだ、なんて言いながら、男の手がコビーへと自分の持っている荷物の片方を差し出した。
 受け取ったそれは重たく、これでは歩くのも大変だったろう、と軽く眉を寄せながら、コビーはひょいとそれを肩に掛ける。

「もう一つもお預かりしましょうか?」

「いいや、せめて一つくらいは自分で持つさ」

 俺の荷物だからな、なんて言って笑う相手に、そうですか、とコビーも頷く。
 それからまたゆっくりと歩き出した男に付き従うように、コビーの足も動き出した。
 先ほどよりは少し早い速度で足を運びながら、路地をまっすぐ歩いていた男が、ちらりとコビーを見上げる。

「俺はナマエって言うんだが、お前さんは何ていうんだ?」

 『いい海兵さん』の名を訊ねた男の顔は、少し楽しそうな笑みを浮かべている。
 それを見て、そしてその言葉の意味を理解し、コビーは一つだけ息を吐いた。
 残念そうにかげったその目を隠すように目を細めて微笑んで、歩きながらの簡単な敬礼を男へ向ける。

「コビーと言います。どうぞ、よろしくお願いします」

 ナマエさん、と囁くように名前を呼んだその先で、へえそうか、と笑った男の顔に、嘘などかけらも見当たらなかった。







 コビーが人生の中で生まれて初めて見た『海兵』達は、恐ろしかった海賊達を倒し、身を呈してでも弱き者を守る、とてつもなく素晴らしい『正義』をその背に背負っていた。
 小さかったコビーはどちらかと言えば貧弱で弱気で臆病で、だからこそ『強い』海兵に憧れたのだ。
 とくにその頭の端にかかっていたのが、『海賊』に怯えて泣いた幼いコビーを抱えて、安全な場所へと運んでくれた海兵だった。
 大泣きをしたせいで物陰に隠れていたコビーの存在に気付いてしまった『海賊』が、『海兵』達に遭遇した憂さ晴らしをするためか、それともコビーを何がしかの取引の材料にするためか、その恐ろしい手をコビーへと向けてきたのだ。
 そこから助けてくれたその『海兵』は、コビーの代わりに瞼の上に傷を負い、ぼたぼたと零れる血が顎を伝って抱えられているコビーの方まで零れていた。

『おいおい、ほら、泣きやめって。あー、困ったなァ』

 『海賊』と『海兵』達の戦いの場から離れた場所で、半分血まみれの顔でそんな風に言葉を落として、ぼろぼろ泣いているコビーの前に屈みこんだ『海兵』は、それから片手でぐいと自分の顔の血を拭った。

『俺は海兵なんだ。こんな怪我くらい何ともないって』

 そんな風に海兵は言うが、それでもどうしようもなく零れる血に、自分のせいで目の前の『海兵』が死んだらどうしよう、と考えてしまった。そのせいでますます涙がこぼれたことを、コビーは覚えている。
 そんなコビーに困ったような顔をして、それから『海兵』はぐっと自分の傷跡を押さえて止血しながら、にんまりと笑みを浮かべた。

『ほら、大丈夫だって。痛くねェよ』

 そんなに泣くと目ん玉溶けちまうぞ、なんて言う海兵の言葉に、コビーの両手が慌てて自分の両目を押さえる。
 自分の両手で視界を覆ったコビーの前で『素直だなお前』と呟いた海兵は笑っているようで、もしもコビーが泣いておらず、そしてその場で血の匂いがしなかったなら、コビーだって笑ったりできたのかもしれない。
 そのうち何かがぽすんとコビーの頭に乗せられて、ぐしゃぐしゃと髪を乱すようにしながらコビーの頭を撫でる。

『痛いところ無いか? 怪我は?』

 優しく指で頭を擦られながら落ちてきた問いかけに、コビーは一つ一つ首を横に振った。
 コビーが無傷であることを確認して、そうか、と言葉を落とした海兵が、それからそっとコビーから手を離す。

『この島は平和だったってのに、災難だったなァ、坊主』

 そんな風に言いながら頭から温もりが離れたことが何だか寂しく、は、と息を漏らしたコビーが何かを言いかけたところで、おい! と遠くから飛んできた声がそれを遮った。

『ナマエ! 手が空いているなら捕縛した連中の連行を手伝え!』

『イエッサー』

 投げられた声に適当な返事をして、海兵がひょいと立ち上がる気配がする。
 目玉が溶けて落ちることを警戒しながらそっとコビーが目元を解放すると、明るくなった視界に、コビーに背中を向けている海兵の姿が入った。
 他の海兵達よりに比べると小さく、あまり強そうには見えない背中だ。
 けれども、他の誰よりも頼りになるように見えたのは、あの海兵が誰よりも早くコビーを助けに飛び込んでくれたからだろうか。

『……ナマエ、さん』

 コビーの幼い声が、先程海兵を呼んでいた名前を紡ぐ。
 小さなそれに返事が寄越されることはなく、コビーを安全な場所へ残して、その海兵は呼ばれた方へと紛れていってしまった。







 窓の外を、薄い氷が叩いている。
 雨のように降り注ぐ氷達に、へえ、とコビーは声を漏らした。

「ここは春島だと聞いていたんですが、こんな天気がよくあるんですか?」

「ああ、すぐ近くに冬島があるらしくてなァ」

 今の時期は特に多いよ、とコビーへ言葉を返すのは、この小さな家の主だ。
 荷物を運んだコビーを、『一時間くらい休んでいけ』と言って引き止めた彼は、コビーの斜め向かいに腰を降ろしている。
 彼が手ずから淹れたお茶がコビーの手元とナマエの手元にあり、ふわりとわずかに湯気を零していた。
 先ほど子電伝虫でコビーが連絡をしたとき、『こんな天気で雨なんか降るかよ』と笑っていた同僚は、無事に屋内へ避難できているだろうか。
 そんなことを少しだけ考えているコビーの斜め向かいで、まあ当たっても大して痛くないぞ、とナマエが呟く。

「ただそれなりに冷たいからな、背中に入ると飛び上がっちまう」

「なるほど……それは恐ろしいですね」

「全くだ」

 やれやれとため息を零す相手へ笑って、コビーの目が男の方へと向けられた。
 ずず、とお茶を啜るナマエは、やはりどう見てもナマエだった。
 海軍へと入隊し、雑用係から昇格したコビーが『あの日の海兵』を捜した時、その名前の海兵は数年前に除隊した、という記録と、今の彼より少し若い頃の写真だけが残っていた。
 今の彼の様子を見る限り、ナマエはコビーのことなど知りもしないだろう。
 コビーが入隊するより前に除隊していたのだから、それも当然だ。
 助けた子供の名前を知っていたかどうかも分からないし、恐らくあんな行動を簡単にできる海兵だったナマエなら、コビーと同じように助けられた子供は他にも何人もいるに決まっている。
 ただそれでも、もしも会えたら言いたかった言葉がわずかにコビーの喉の奥へとせり上がり、それからゆっくりと飲みこまれていく。
 あの時、助けてくれてありがとうございました。
 ただその一言が言えないのは、臆病で弱かった小さな子供が自分だと、何となく言いづらかったからだった。
 覚えていない事柄を言われたところで、ナマエも戸惑うだけだろう。
 ひょっとしたら、そんな過去など全く思い浮かばず、コビーを不審に思うかもしれない。
 せっかく海兵になったのだから、胸を張って言葉を放てるくらいには強くなりたかったのに、未だコビーの根の何処かは臆病なかげりを持っているらしい。

「そういや、海軍本部の軍艦がこんな島に何をしに?」

「あ、はい。演習の物資補給と休息で……」

 もやもやとしたものを抱えていたコビーへ放られた問いかけにすぐさま答えてから、その途中で言葉を止めたコビーは軽く首を傾げた。
 不思議そうな顔をしているだろうコビーを見て、どうしたんだ、とナマエも少し不思議そうな顔をしている。

「いえ、あの……本部の軍艦だと、よくお分かりになりましたね」

 海軍に配備されている軍艦は、大体が同じ仕様だ。
 それともコビーが知らないだけで、本部と支部では何か明らかな違いがあるのだろうか。
 そんなことを考えたコビーの前で、ああ、とナマエが声を漏らした。
 少し照れたように笑って、その手が自身の首裏へと回される。

「実は俺も昔、ちいっとばかし海兵をやってたことがあったんだ」

 今は足をやっちまったから退役したが、と続いた言葉に、知っています、と告げたくなったのをコビーが飲みこむ。
 片手に持っていた湯呑を置いて、懐かしむように目を細めたナマエがそのまま口を動かした。

「今は一応歩けるようになったが、短距離も走れやしない。足だけが取り柄だったからなァ」

「そんなこと!」

「ん?」

 そうして放たれた聞き捨てならぬ台詞に、がたんとコビーが立ち上がる。
 それにナマエが不思議そうな視線を向けていて、寄越されたその目に自分がおかしな行動をとっていることに気付いたコビーは、それからすぐに椅子へと座り直した。

「す、すみません……」

 小さく謝罪は落としたが、『でも、そんなことないと思います』とナマエへ向けて反論する。
 コビーの中にある小さな頃のおぼろげな記憶の中で、何より鮮明に映っていたのはあの日のナマエの背中だ。
 恐ろしい『海賊』からコビーを助けてくれて、泣いているコビーを泣き止ませようとしてくれた。
 間違いなく、ナマエはコビーの目指す『海兵』の中の一人だった。
 コビーのそんな思いなど知る由もなく、軽く首を傾げたナマエが、それからひとまずは、と言った風に言葉を続ける。

「それで、町中でガープさんを見かけたからな。あの人がいるってこたァ、本部の軍艦だろう」

「……ガープ中将とは、親しかったんですか?」

「いやいや! あの人ァ俺のことなんて知らないって」

 近寄らないようにしてたからな、と言ってナマエが笑う。
 海軍の中でも『英雄』と名高いモンキー・D・ガープに『近寄らないように』していたと言う変わった元海兵に、コビーはきょとんと目を丸くした。
 それを見て更に笑みを零したナマエが、その手にもう一度湯呑を持った。

「まあ、演習で来てるんなら良かった。島の近くに『英雄』ガープが出てくるような海賊がいるなんて言われても、島から人を逃がすのには時間がかかるからな」

 やれやれ、と安堵したようにため息を零したナマエに、そうですね、とコビーも同意する。
 それからそっと自分の分のお茶へ口をつけながら、コビーの口元に浮かんだのはわずかな笑みだった。
 やはり、目の前の男はあの『海兵』だ。
 自分が逃げることより先に他を『逃がす』ことを考えて口にする、コビーの知る『正義の味方』だ。
 飲みこんだ茶の穏やかな苦みを舌に感じながら、そっと湯呑を置いて、コビーは改めてナマエを見やった。

「まだ、雨はやみそうにありませんし……もしよろしければ、海軍にいた頃のことでも教えていただけませんか?」

「ん? 別にいいが、年寄りの話は長いぞー」

 夕飯までうちで食うことになるかもな、などと言いながら、ナマエが笑う。
 それでも是非に、と言葉を放ったコビーはその日、ナマエの宣言通り彼の手料理までを口にして軍艦へと帰還した。
 結局、最後まで自分があの日の子供だとは言えなかったけれども、夕食の礼に混ぜ込むように紡いだコビーの『ありがとうございました』にナマエは嬉しげに笑っていたから、それでよかったのだと、コビーは思った。


end


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