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海水浴
※何気に異世界トリップ主人公はちょっと心配性で白ひげ海賊団クルー



 あつい。
 今の俺は、多分どうしようもなくうんざりとした顔をしていると思う。
 それもそうだろう。
 一体現在の気温と湿度はどのくらいなんだろうか。
 晴れ渡った青空から降り注ぐぎらぎらとした太陽光が肌を突き刺してじりじりと焼いて、少し湿った空気の温度を上げて不快指数を上昇させている。
 日陰にいる分太陽の光は遮られているが、気温が変わるわけじゃないから大した意味もない。
 船内の暑さにうんざりして甲板に出てきたというのに、風の一つも吹かないのか。
 夏島なんて大嫌いだ。

「ようナマエ、どうしたんだよい」

 声を寄越されて視線を向ければ、マルコが上から俺を見下ろしてきていた。
 泳げない悪魔の実の能力者の癖に、なんでそんな縁に立っているんだろう。
 まあ万が一何かあっても、マルコなら飛べるから大丈夫なんだろうか。

「暑いです、マルコ隊長」

 そんなことを思いつつ訴えると、そうだねい、とマルコが頷いた。
 腕で顎まで伝った汗をぬぐってから、その目がちらりと海の方を見下ろして、水面を指差す。

「そんなに暑いなら、泳げばどうだよい」

 他の奴らみたいに、と続けられた言葉に、む、と俺は眉間に皺を寄せる。
 確かに、見張り当番でないクルー達は随分な人数がモビーディック号を降りている。
 今回の夏島はどうやら無人島らしいので、散策をしに行っているメンバーもいるし、マルコの言う通り海を泳いでいるメンバーもいる。
 もしもここが日本の海水浴場だったりなんかすれば、俺も確実に海へ飛び込んで泳いだだろう。
 だけれども残念ながら、この世界は俺が生きてきた平和な世界じゃなかった。

「俺に何かあったらどうするつもりですか、マルコ隊長」

 俺の心からの訴えに、マルコが首を傾げた。

「なんだ、ナマエは泳げなかったかい」

「泳げますよ。そこそこに、ですが」

「それなら泳げばいいだろい」

「やめてください。何かいたらどうするんですか」

 ここは漫画『ワンピース』の世界だ。
 つまり、俺にとって未知な生物と植物その他であふれた世界だ。
 海の中にだって何がいるかわかったもんじゃない。
 きっぱりと言い放った俺を見下ろして、マルコが変な顔をした。

「……相変わらず怖がりだねい」

「慎重と言ってください」

 何とも心外な言葉だ。
 いつの間にか異世界へ来ていて、なんだかんだで白ひげ海賊団へ入団してしまった俺は、家族になってくれたみんなから変な目で見られるのが怖くて自分の境遇を話したことがない。
 そのせいか、異世界の人間として細心の注意を払っているというのに、マルコ達の反応は大体にしてこういう感じだった。
 だがしかし、何かあったって責任を取れるのは自分だけなのだ。警戒だってするだろう。
 頬を伝った汗を軽く拭いながらそんなことを考えていたら、縁に立ったままだったマルコが身を屈めて、ちょいちょいと俺を手招いた。

「それじゃあ、せめてこっちこいよい。ここのほうが涼しいよい」

「……そうですか?」

 優しく笑って言われて、俺はおずおずと日陰から立ち上がった。
 マルコの近くへ寄ってみると、確かに風が吹いていて少し涼しい。
 座り込んだままだと、船体が風を遮ってしまっていたようだ。
 ここに座るともっと涼しいよい、と言いながら傍らを叩かれて、え、と声を漏らす。
 そんなところに座って、万が一落ちたらどうするつもりだ。
 俺の顔を見て俺が何を言いたいのかわかったのか、笑ったマルコが俺の頭を軽く叩いた。

「もし『不注意』で落ちても、おれが助けてやるよい。安心しろ」

「……本当ですか」

「本当だよい。そのかわり、もしおれが海に落ちたら助けろい」

 俺を安心させるようにありえないことを言って笑ったマルコに、それなら、と小さく呟く。
 手を伸ばして船の縁に捕まって、少しばかり声を漏らしながら体をマルコと同じ場所へと持ち上げた。
 縁をまたいで座ってみると、確かにさっき日陰に座っていた時より涼しい。

「おお……」

「涼しいだろい?」

 声を漏らして座り直した俺へ、笑ったマルコが手を伸ばしてきた。
 体を支えるように背中に触れた手のひらを受け入れつつ、こくりと頷く。

「はい、涼しいです……ね?!」

 そちらへ笑顔を向けようとしたところで、がしりと薄いシャツを後ろから掴まれ、ぐいと体を後ろに引っ張られて目を見開いた。
 ふわ、と体が宙に浮いた感覚があって、ぞわりと背中が粟立つ。
 慌てて手を伸ばしたけど間に合うはずもなく、船体にしがみつくことすらできないまま、俺の体はそのまま海へと落下した。
 ばしゃん、と背中から飛び込んだせいで大きな音が立ったのを、水の中で聞く。

「……ぶは!」

 慌てて水面まで浮かび上がって息を吸い込むと、おーお前もきたのかナマエ、なんて他のクルーがのんきな声を出しているのが聞こえた。
 そちらへ返事することもできずに、顔についた海水をぬぐってから、俺はモビーディック号の上の裏切者を見上げた。

「何するんですか、マルコ隊長!」

「涼しそうだねい」

「そうじゃなくて!」

 確かに海の中はほんのりと冷たいが、今はそういう話をしているんじゃない。
 俺はあれほど海水浴を拒否していたというのに、何を考えているのか。
 身勝手な相手を見上げると、縁の上で体を反転させたマルコが、どうしてかこちらを見下ろしたまま立ち上がった。
 そのとても楽しそうな顔に、何となく嫌な予感がして体を引く。

「……あの、マルコ隊長?」

「よろしく頼むよい」

「は!?」

 軽く声をかけてぴょんと船から飛んだマルコの体は、不死鳥へ変わることなくそのまま海へと落下してきた。
 ばしゃんと水音を立てたマルコに、慌てて息を吸い込んでから水中へ潜る。
 悪魔の実の能力者であるマルコは、水泡を纏いながら海の中へと沈んでいくところだった。
 すぐに追いついて捕まえた体を自分の方へと引き寄せて、すぐに海面を目指して水を掻く。
 普通人体は水に浮くようにできているはずだが、マルコの体からは浮力を殆ど感じない。これは悪魔の実のせいなんだろうか、それとも鍛えすぎてるんだろうか。
 よくわからないがとりあえず水面に顔を出して、すぐにマルコの顎を浮かせてその呼吸を確保させると、ちゃんと息を止めていたらしいマルコが、ぷは、と息を吐いた。

「何してるんですか、死にますよマルコ隊長!」

 ちょっと心臓が止まったかと思った。
 マルコが飛び込んだところを見ていたんだろう、泳いでいたクルーの一人がこれを使えと浮き輪を投げてきたので、ありがたくそれを捕まえる。可愛らしい花柄だが、あのクルーはこれをどんな顔で買ったんだろうか。
 本当に力が入らないんだろう、花柄の浮き輪にちょっと変な顔をしたマルコは、けれども俺のなすがままにそれを装備した。
 時々酒の肴にバナナだパイナップルだと議論されている髪までびっしゃり濡れて、情けなくもぺったりとその頭に張り付いている。
 俺もマルコも、当然ながら服まで全身ずぶ濡れだ。薄着でよかったとこれほど思ったことはない。
 ぐったりと浮き輪に懐くようにしたマルコが、あー、と声を漏らす。

「久しぶりに入ったが、やっぱり海はいいねい」

 カナヅチの体で服も着たまま海に飛び込むなんて自殺行為をしたくせに、マルコは何やらとても気持ちよさそうな顔をしている。
 あまりにものんきな顔をしているので、立ち泳ぎを続けつつ、俺はその額を叩きたくなった衝動をどうにかこらえた。

「……マルコ隊長、何考えてるんですか」

 俺の言葉を聞いて、マルコが花柄の浮き輪に体を預けながらにやりと笑った。
 やっぱり額を叩いてやろうか。きっといい音がする。

「ナマエならちゃんと拾ってくれるってわかってたよい」

 そう考えて実行に移そうとしたところで、マルコが言葉を寄越す。
 え、と声を漏らしてその顔を改めて見やると、浮き輪に体を通したままのマルコが、弱弱しい動きで自分の濡れた髪をかき上げた。

「ナマエも言っただろい」

「はい?」

「あちィんだよい」

 そんな風に言って笑ったマルコの顔には、全くもって反省した様子が無い。
 その発言に、一つの可能性に気付いてしまった。
 もしや、自分が海に入りたかったから、俺をあの高さから落としたんじゃないだろうか。
 何という自由さだ。迷惑すぎる。
 けれども、もう海へ落とされてしまっているので、いまさらそこを抗議したってどうにもならない。
 はあ、とため息を吐いて、伸ばした手で浮き輪に触れる。

「……いいですよ、もう。とりあえず、船に戻りますからね」

「泳がねえのかよい?」

「俺の恰好、泳ぐ装備に見えますか? マルコ隊長もですよ。大体、俺は水中の危険生物と戦える経験値は無いんです」

「何だよい、心配性だねい」

「慎重と言ってください」

 楽しそうなマルコへそう言ってやって、装備された浮き輪をけん引しながらその場から泳ぎ始めた。
 真横のモビーディック号は大きくて、縄梯子のあたりまで行くのも面倒そうだ。

「確か、縄梯子が降りてるのは船尾でしたよね」

「そうだったねい」

「……泳ぐ気あります?」

「悪魔の実の能力者に無茶言うなよい」

 飛び込んだくせにぴらぴらと手を振って言い放ったマルコに、じとりと視線を送ってから水を掻く。
 いっそ放っていきたいが、それで何かあったら夢見が悪すぎるだろう。
 それに早く海から上がらないと、水中からどんな危険生物が襲い掛かってくるかわかったものじゃない。
 だから仕方なく黙ってマルコを連れて海を泳いだ俺の後ろで、久しぶりらしい海に浸かったマルコは随分と楽しそうだった。

 後で白ひげに言いつけてやろう、と俺が心に誓ったのは言うまでもない。



end


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