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「一緒には行きません」
※戦争編終了後




 海賊王の息子、『エース』が死んだ。
 かの革命軍首領の息子の行方も、ようとして知れない。
 『大秘宝』の実在を明らかにした『白ひげ』エドワード・ニューゲートの言葉によって海は荒れ始め、確かに海賊達を相手に勝利を収めたのだろう海軍の兵達は、皆が皆大わらわだ。

「大将、そろそろ書類を片付けましょう」

 いつになく短い期間で机の上にうずたかく積まった書類を眺め、そう発言したナマエの向かいで、んー、と部屋の主がやる気の無い声を零す。
 その目はその手元でくるくるとペンを回しているが、インクもつけていないそれをどれだけ振り回したところで、何の意味も無いだろう。
 ぼんやりと机の上のあらぬところを眺めて何かを考え込んでいる様子の海軍大将に、ナマエの口からは溜息が漏れる。
 コーヒー淹れますね、と言葉を投げても上司からは適当な相槌が寄越されるだけだったが、ナマエは気にせず先ほど持ち込んだカートからポットを掴まえた。
 特殊な容器であるらしいそれから零れたコーヒーは、注意しなければ火傷の一つもしてしまいそうなほどの湯気を零している。
 きちんとコーヒーを注いだカップを片手に机へ戻り、ナマエがカップを差し出すと、ナマエの頭を簡単に一掴みに出来そうな大きさのその手がナマエからカップを受け取った。
 無造作に掴んだそれの温度に彼が何も言わないのは、反射のように発動された能力が、ぴしりとカップの半分を冷やしてしまったからだ。

「そんなことしてたらまたカップが割れますよ」

 急激な温度変化で駄目にしたカップなど、ナマエが彼の元へ配属されてから片手を余る。
 妙に物騒な彼の同僚達や、すでに肩書は下であるはずだが無遠慮にやってきては茶を飲み時折感極まった様子でテーブルをたたき割っていく海兵、ついでに言えば彼を叱責する際に時折机の上のものまで破壊していくかの海軍元帥によって犠牲になったカップも合せれば、そろそろ足の指を足しても溢れてしまうのではないだろうか。
 物は大事にしてください、と苦言を呈したナマエへ向けて、しかし海軍大将『青雉』はまたしても「んー」と声を漏らすばかりだ。
 やはり何かを考え込んでいる様子の相手を見つめて、ナマエは少しばかり眉を寄せた。
 元より仕事に対してやる気の見当たらないことの多い目の前の彼が、こうして何かを考え込むようになったのは、この数か月のことだった。
 数か月前、インペルダウンが荒らされ海軍本部が海賊達との争いの場となり、そしてそこで海賊王の息子が処刑されたのだ。
 非戦闘員であったナマエは殆ど遠く離れた場所から見ていただけだったが、そこで何が起きていたのか、突如現れたあの『赤髪』が何を言ったのか、耳で聞いてはいなくても知っている。
 そして、何となくではあるが、己の上司が『何』を考え込んでいるのかも分かっているつもりだった。
 だからこそ、ちら、と壁際を見やったナマエが、そこに掛けられているカレンダーを見つけて一つ瞬きをする。
 いまだコーヒー入りのカップを片手に動こうとしない上司の傍を離れて、歩み寄ったナマエの手が、カレンダーの一番上に出ていた一枚をひょいとめくった。
 面倒くさがりの海兵が選んで掛けた、数年分が一つにまとめられているカレンダーが、『先月』から『今月』へと表示を変える。
 四月と記されたそれを見て、大将、とナマエが呟いた。

「今日はエイプリルフールですね」

「んー? ……あー、そうね」

 改めて話しかけたナマエへ、ようやく意識を向けたらしい海軍大将が返事をする。
 それを聞き、片手にカレンダーの切れ端を持ったままで振り向いたナマエが、やっとカップに口を付けた男へ言葉を投げた。

「今まで言ってなかったですけど……俺、実は女の子なんですよ」

 そっと囁くように言うと、カップを傾けかけていた男の動きが止まる。
 その目がすぐさまナマエを見やって、それから微笑むナマエを見て一度瞬きをし、カップがその唇から離れた。
 呆れたように笑った男が、書類の山にもたれるように頬杖をつく。

「あららら……女の子がそんなに胸が平らだなんて、可哀想なこった」

 おれが大きくしてあげようか、と堂々と寄越されたセクハラ発言に、ナマエが眉間に皺を寄せる。

「セクハラじゃないですか。やめてくださいよ、女性相手にそんなこと言ってないですよね? いまどき拳骨じゃすまないですよ」

「女の子に言うわけねェでしょうや」

 ゴミを片付けながら言葉と共に詰め寄ってきた相手を見あげた男が笑ってそう答えると、それならいいですけど、と呟いたナマエは、それから気を取り直したように口を動かした。

「あと、実は大将のこと大っ嫌いです」

 はっきりと、きっぱりと放たれた言葉に、海軍大将が片手に持ったままだったカップがぴきりと凍りつく。
 中身すら凍ってしまったらしいそれがごとりと書類の上へ落ち、わあ! と慌てた声を上げたナマエがそれを拾い上げた。

「ちょっと、何してるんですか大将」

 幸い凍ってしまったコーヒーは書類に零れてはいないようだが、念のためコーヒー入りのカップが落ちた辺りを軽く掌で払って、ナマエが非難の声を上げる。
 ひんやり冷え切ったカップを片手にしているナマエを見やって、頬杖をついていたクザンの体がそのまま書類の山へと懐いた。
 積んだ書類に顎を乗せて、その目がじとりとナマエを見上げる。

「……それ、嘘ってことでいいの? そうでなきゃ、さすがにおれも傷付くんだけど」

 真っ向から『嫌いだ』なんて、とわざとらしく嘆く男に、さてどうでしょうね、と答えたナマエがつんと顔を背けた。
 それから、その目で先ほど自分がめくったカレンダーを見つめて、ゆっくりと言葉を紡ぐ。

「もしもクザン大将が海軍を辞めても、俺、絶対についていきませんからね。どこまでだって、地の果てだって、絶対に」

 ナマエは正確な日付を知らないが、恐らくもうすぐ、海軍大将二人の『決闘』が行われる。そうして敗者が海軍を去るのは、ナマエの知っている『知識』から知りえた『未来』だ。
 それがマグマ人間と氷結人間のどちらになるのかなど、ナマエはすでに知っている。
 ナマエがここにいるのは傍らの海兵がナマエを保護したが為の事で、当然なことの筈なのだが、言わずにはいられなかった。

「置いてかれたって、追いかけません」

 今日と言う日付で始まる一枚をじっと見つめているナマエの横で、しばらくの沈黙を置いて、ナマエの上司がゆっくりとため息を零した。

「……うん、ありがと」

「そこでお礼言うんですか」

 淡々と寄越された言葉に思わずそう言い放ち、ナマエの目が執務机に懐いているだろう男を見やる。
 それを見上げて、やはり未だに書類に懐いたままだった男は、にまりとその顔に笑みを浮かべた。

「いやァ、おれってば愛されちゃってるじゃないの」

「……喜んじゃうんですか」

 今にも鼻歌を歌いそうな様子の男に、じわ、と顔が熱くなったのを感じて、ナマエが一歩足を引く。
 しかしそんな部下の様子など気にした様子もなく、クザンが己の頬を改めて書類の山へと押し付けた。

「あ、そうだ。今日は予定がぎっちり詰まっててヒマじゃねェんだけど、そっちはヒマ?」

 そして軽い調子で放たれた言葉に、赤らんでいたナマエが顔をしかめる。
 その片手に捕まれていた氷漬けのカップがぴし、とわずかに音を立てたが、残念ながら非力なナマエの掌では凍ったカップと言えども破壊は出来ない。

「……執務はしっかり詰まってます。ヒマじゃないですからね。それを『嘘』にはさせませんからね、たとえエイプリルフールでも!」

 言葉を重ね、ばしん、と空いた手でナマエが机を叩くと、それに合わせてわずかに書類の山が揺れる。
 それらを抑え込むように体を執務机の上に倒していた海軍大将が、あららら残念、と声を漏らしつつ仕方がなさそうに起き上がった。
 頬に張り付いた一枚をひとまず剥がして、その書面をひらりと揺らす。

「それじゃ、終わったら夕飯にでも付き合ってよ」

 これは『本当』に誘ってるからね、と念押してきた相手に、眉を寄せたままのナマエが答えた。

「『終わったら』ですからね」

「はいはい」

 唸る部下に軽く笑って、海軍大将『青雉』は、ひとまず溜まりに溜まった書類を片付け始めたのだった。



end


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