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うれしかった。
※古株白ひげクルーと少年マルコ(多少の捏造)
※『ただ一つそこにあること』以前の話



 『エドワード・ニューゲート』の息子になると決めたマルコがその船に乗った時、よろしくな、と言って微笑みかけて手を差し出して来たのは優しげな顔の男だった。
 弱そう、というのがマルコがその男に感じた第一印象で、恐らくそれは間違っていなかっただろう。
 ナマエと名乗った男は他のクルーに比べて弱くて、考え方がいちいち平凡で温厚で、全く海賊らしくない。

「ナマエは、なんで海賊になったんだよい」

 だからマルコがそう尋ねたのだって、無理のないことだ。
 問われた相手は、マルコの方をきょとんと見つめて、それから、うーん、と軽く声を漏らした。
 その手がせっせと編んでいる縄は、モビーディック号の為に必要となる備品の一つだ。
 マルコも同じく手元で縄を編みながら、ひとまず大人しく答えを待つ。
 縄を編むだけのような作業に何人も人数を裂くわけもなく、甲板の端に座り込んで両手を使っているのはマルコとナマエの二人だけだった。
 だからこそ、会話はナマエが返さなければ続かない。
 それが分かっているからか、そうだなあ、と呟いたナマエの手が、また一つ縄を編み込んだ。

「ニューゲートが俺を拾ったからだな」

「ひろった?」

「ああ、俺が海を漂流してたらニューゲートの船が通りかかって。死んでなかったから助けたとか言ってたかな」

 柔らかな声を出すナマエに、ふうん、とマルコが声を漏らす。
 ナマエが語ったそれは、他のクルー達から聞いたのと同じ話だった。
 嘘は言っていないらしい。

「それじゃ、オヤジにひろわれる前はなにしてたんだよい?」

 ぐっと足で縄を押さえながら編み込んで、マルコは更に言葉を重ねた。
 どうしたんだ今日は、とそれにナマエが笑って、軽く首を傾げる。

「俺の話なんてつまらないんじゃないか?」

 そんな風に問われて、いいから答えろよい、とマルコは口を尖らせた。
 マルコがナマエにその素性を聞くのは、初めてのことだった。
 何せナマエはマルコがこの船に乗った頃からいた、マルコから見ても古株にあたる一人なのだ。
 ナマエはマルコが拾われる現場を見ていてマルコの素性を知っているが、マルコはナマエのことを殆ど知らない。
 それに気付いたマルコが、何となく本人には聞きたくなくて情報を集めようとした結果分かったのが、他のクルー達もまた、同じようにナマエのことを知らないということだった。
 酒の席で聞き出そうにもすぐに潰れちまうんだよなと笑っていたのは、マルコの兄貴分の一人だ。
 誰にだって触れられたくない過去の一つや二つはあるもので、ナマエのそれも、ひょっとしたらそういうものなのかもしれない。
 けれども、自分のことは知られているのに相手のことは何も分からないだなんてこと、悔しいことこの上ない。
 だからこそ仕方なく、正面切って問いかけたマルコの前で、ナマエが少しだけ目を逸らした。
 何かを思い出すようにさ迷ったその目が、ふ、と和らいで、それからマルコの方へと視線が戻される。

「……ニューゲートに拾われる前は、どこにでもいるような普通の会社員だったよ」

「カイシャイン?」

「まあ、働いてる人ってことだ。きちっとした格好で、鞄を持って出かけて会社に行って、上司から仕事を貰って、書類作って、業者とやり取りして、たまに謝って」

 言葉を並べられて、マルコは軽く首を傾げる。
 不思議そうなその顔を見て、まあ分からないよな、と仕方なさそうにナマエが笑った。
 その手が縄の最後を編み上げて、丁寧に結んでいく。

「それが、気付いたら海に落っこちてたんだ」

「……ナマエは、そらじまのやつだったのかよい?」

「空島の奴は羽の生えてる奴が多いらしいぞマルコ、俺には生えてなかっただろ?」

 マルコの言葉を否定した相手に、そういえばそうだったよい、とマルコは頷いた。
 つい昨日、マルコはナマエに風呂へと放り込まれたばかりである。一緒に入ったから、ナマエが少し頼りない普通の男の体をしていることは知っている。
 たかだか三日風呂に入っていなかっただけだと言うのに、海の男でありながら綺麗好きなナマエはやはり変わり者だ。
 水に浸かると体から力が抜けてしまうマルコに目を丸くして、それからマルコが能力者だと言うことを思い出したらしいナマエはマルコの体を洗ってくれたが、その手つきはとても優しくて、逆にくすぐったくて笑い転げてしまうほどだった。

「それじゃ、なんでおっこちてたんだよい」

「それが俺にも分からないんだよなあ。おかげで帰り方も分からない」

 行くあてが無いって言ったらニューゲートが『家族』にしてくれた、と続いたその言葉に、マルコはぱちりと瞬きをした。
 思わず弛んだその手から縄が逃げて、せっかく編んだ編み目が緩んでいく。

「マルコ?」

 それに気付いてマルコの手元に手を伸ばしたナマエが、マルコの残りの作業を引き取った。
 緩んだ目を丁寧に詰めながら編んで、縄を完成させていくナマエの動きを見つめてから、恐る恐る、とマルコが口を動かす。

「…………それじゃあ、いつか、帰りかたがわかったら……そこに、帰っちゃうのかよい?」

 『帰り方が分からない』から帰らなかったのだったら、それが分かればこの船を降りてしまうのか。
 呟いたその言葉が意味なすものはとても恐ろしいもののような気がして、マルコの手が小さく拳を握りしめた。
 ナマエは弱くて、考え方がいちいち平凡で温厚で、全く海賊らしくない人間だった。
 しかし、とても優しい男でもある。
 特殊な悪魔の実を食べたとは言え、足手まといとも言えるただの子供であるマルコを、この船の上では誰よりも一番構ってくれているのだ。
 今マルコがナマエと同じ作業をしているのだって、仕事を捜していたマルコをナマエが誘ったからだった。
 まだ船に慣れていない頃から、食事をとるのも眠るのも、起きて働く時だってナマエはマルコと一緒にいてくれて、おかげでマルコは随分と早くクルー達と打ち解けることが出来たと思う。
 マルコが敬愛する一番の海賊は『親父』に決まっているが、ナマエだって、マルコの大事なところに居座る人間の一人だ。
 そのナマエがもしもこの船を降りてしまったら、と考えると妙な恐ろしさを感じて、マルコの眉間に皺が寄る。
 手元の縄を完成させたナマエが、うん? と軽く首を傾げた。

「何の話だ?」

 そんな風に不思議そうな声を出して、くるくると長い縄を巻き取ってから、その手がひょいとマルコの方へと伸ばされる。
 荒れはあるもののあまり力強くないその手がマルコの頭を軽く撫でて、優しげな声がマルコの方へと落とされた。

「そんな顔しなくても、船を降りるつもりなんてないから安心しろよ」

「……ほんと、かよい」

「まあもちろん、何か不可抗力があったらその限りじゃないとは思うが」

 呟くマルコの前で、すぐに頷いてもくれないナマエは酷い大人だ。
 じろ、と睨んだマルコに笑って、よしよし、とさらにナマエがマルコの頭を撫でた。

「少なくとも、お前たちの足手まといにならない間は船に乗っているし。どうしようもなくなって船を降りても、どこかの島にはいるから会いに来たらいい」

「……元いた場所に帰ってたら、会いに行けなくなるかもしれないだろい」

「だから、せめて会いに来て貰える場所にはいるって。お前が飛んできてもすぐ見つけられるように、見晴らしのいいところに住むのもいいかもなァ」

 未来の話をするナマエに、マルコが口を尖らせた。
 船を降りないと言ったその口で何を言うのかと睨み付ければ、くすくすとナマエが笑う。
 そうして優しいその手がマルコから離れて、先程マルコと編んだ縄を持ち直した。

「『元いた場所』にはもう帰らないって決めたんだ。だから、そんな顔するなよ」

 な、と言葉を零して頭を傾けたナマエが縄を抱えるのを見ながら、マルコはぷくりと頬を膨らませた。
 まったく納得がいかないと言ったその顔が、ぷいとナマエから逸らされる。

「ナマエが『アシデマトイ』になっても、おろしたりしてやんないよい」

「いやいや、それは俺が困る」

「おれはこまんねェよい」

 そんな風に返事をしながら、先程使った資材を袋へ詰め直して、マルコは立ち上がった。
 それに合せて立ち上がったナマエはまだ笑っていて、優しげなそれをマルコの目がじろりと睨み上げる。

「だから、ナマエはずっと乗ってなきゃだめよい」

 きっぱりとしたマルコの言葉に、ナマエがぱちりと瞬きをした。
 それから、縄を抱えたままで、困ったな、なんて言葉を零す。
 うーんと少しだけ考えるような声を漏らしてから、それじゃあ、とナマエが呟いた。

「マルコの為にも、足手まといにならないよう頑張っておくかな」

「そうしろい」

 ふん、とマルコが胸を逸らすと、偉そうだなァなんて言ってナマエが笑う。
 それからその足が歩み始めたので、マルコもその後を追いかけた。

「次の仕事はなんだよい?」

「次は船体の掃除だな。船の外側に行くし、お前は別の作業にしてもらうか」

「へーきだよい」

「またそんな無茶なことを言って……海に落ちたらどうするんだ」

「だいじょーぶよい!」

 ナマエを見上げて主張するマルコに、ナマエが少しばかり困った顔をする。
 確かにナマエの言う通り、マルコは悪魔の実の能力者で、海に落ちてはひとたまりもない。
 けれども、マルコは自分の身体能力には自信を持っていたし、何かあっても空を飛べばいいのだということを知っていた。マルコの体に宿る悪魔は、マルコを炎を纏った鳥に変えるのだ。
 むしろそう言った能力を持たないナマエの方が、船外の清掃なんてものには向かないだろう。ナマエは普通の人間で、ついでに言うなら他のクルー達よりも弱い。

「おれがナマエの分までやってやるよい」

 だからこそそう述べたマルコを見下ろして、少しだけ考えたナマエがやれやれとため息を零す。

「いや、自分の仕事はちゃんとやる。……それじゃ、ちゃんと命綱は着けろよ」

「えー、じゃまよい」

「この間みたいに無茶をされちゃ困るからな、絶対だ」

「…………分かったよい」

 しぶしぶ頷いたマルコに、よしよし、とナマエが頷く。
 縄を片付けるためだろう、その足が倉庫へ向かうのについて行きながら、マルコは自分のすぐ目の前にある頼りない背中を見やった。
 ナマエは見た目の通り弱くて、平穏が好きで、少し心配性な変わった海賊だ。
 だから仕方がないので、マルコが早く強くなって守ってやらなくてはならない。
 そうすれば、船を降りたらだなんて話、二度としなくなるはずだ。
 うむ、と小さな頭が後ろで頷いたことにも気付かずに、作り終えた縄を抱えて倉庫に片付けたナマエが、ひょいと倉庫から顔を出した。

「そうだ、マルコ」

「なによい?」

「明日、次の島につくらしいから、何か欲しいもの考えておけ」

 唐突にそんなふうに言われて、マルコの目がぱちりと瞬く。
 戸惑いにまみれた不思議そうなマルコの顔を見つめて、倉庫から出て来たナマエが、あれ、と言葉を零した。

「違ってたか?」

「……なにがだよい?」

「明日、お前誕生日だろう?」

 10月5日だぞ、と言葉を寄越されて、マルコの目がもう一度瞬きをする。
 たんじょうび、と慣れない単語を口にすると、言葉の意味が分からなかったと思われたのか、生まれた日のことだ、とナマエはマルコへ説明した。
 そんなことは知っている。マルコが分からないのは、その日付と先ほどのナマエの言葉の関連性だ。

「たんじょうびが、なんで、欲しいものよい?」

 結びつきが分からず首を傾げると、んん? とマルコと同じ方向にナマエの頭も傾いた。
 どういうことだとナマエは呟いているが、マルコこそそう問いたいところだ。
 またナマエ得意の、マルコとは違う『常識』の中にある知識だろうか。
 不思議そうなマルコの前で、まあ、うん、わかった、と言葉を零したナマエが、その手を軽く自分の腰に当てる。

「とりあえず、祝いに何か買ってやるから、欲しいもの考えておけよ」

「いわい?」

「生まれた日は祝うもんだからな」

 宴もするらしいぞ、と微笑んだナマエが、それじゃあ行くか、と次の作業場へ向けて歩き出す。
 歩き出せずマルコがそれを見送っていると、数歩離れたところでマルコが付いてきていないことに気付いたらしいナマエが、くるりと後ろを振り向いた。

「マルコ?」

 マルコの名前を呼んで、不思議そうな顔をしていたナマエの目が、少しばかり見開かれる。
 それから、すぐにその表情を笑みに変えて、仕方なさそうに手招きをされた。

「何て顔してるんだ」

 はやくこないと誰かに見られるぞ、とナマエは言うが、マルコの手元には鏡なんて無いので、自分がどんな顔をしているかなんてわかりようがない。
 しいて言うなら頬も耳も熱くて、ひょっとしたら赤くなっているかもしれなかった。
 腹をくすぐられているようなくすぐったさに口が緩んで、それを隠すようにまだ柔らかさのある自分の腕を唇に押し付ける。
 そのままとたとたとナマエの傍へ近寄ると、横に並んだマルコを見下ろしたナマエが、そんなに嬉しいのか、と言葉を落とした。
 見下ろすその目のやさしさが気恥ずかしくて、マルコはふいと顔を逸らす。

「……べっつに、そんなんじゃないよい」

「そうか」

 素直じゃない子供の言葉に、けれどもナマエは怒ったり馬鹿にすること無く、ただそう頷いただけだった。



end


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