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薔薇七本
※短編『予定調和』から
※主人公はクロコダイルのお仕事相手で裏稼業



「似合わねェ匂いだな」

 姿を現していつものように挨拶を交わした後、椅子に座ってすぐにそんな風に言葉を放ったクロコダイルに、俺はぱちりと瞬きをした。
 それから、じろりと向けられたその視線を追いかけて、自分が先ほど傍らの椅子の上のもののことだと気付く。
 しっとりとした赤い花弁を広げた薔薇が七本束ねられて、第三の客のように椅子に腰かけているのだ。
 あまり気にしていなかったが、そういえば確かに少し匂いが強い。
 知らなかったが、この薔薇自体がそういう品種だったのかもしれない。

「不快なら片付けさせようか」

 可愛らしいというより毒々しい花を数輪束ねた花束を片手で持ち上げてそう言うと、どうでもいい、と告げたクロコダイルが正面で身じろぐ。
 どうやら足を組んだらしい相手を見やり、そうか、と頷いた。
 どうでもいい、と言うことは放っておけと言うことだろうと把握して、とりあえず花束をクロコダイルから離すべく、自分の膝の上に置く。
 近くに置くと更に匂いが強くなった。これはスーツに匂いが移りそうだなと少しばかり笑ったところで、かつ、と正面にいるクロコダイルの鉤爪がテーブルを叩く。

「薔薇の花束なんざ、また随分と熱烈な贈り物だな」

 そしてそんな風に寄越された言葉に、おや、と軽く首を傾げた。

「どうしてこれが贈り物だと?」

「てめェのところの情報を、おれが一つも握ってねェと思うのか?」

 不思議に思っての俺の言葉にそう返して、クロコダイルの口元に笑みが浮かんだ。
 酷薄な光を宿したその瞳からして、どうにも機嫌が悪そうな顔だ。何か気に入らないことがあったんだろう。
 テーブルの向こうの物騒な海賊を見やり、それから少しだけ考えて、ああ、と声を漏らす。

「『バレンタイン』か」

 小さな頃口を滑らせた俺のせいで、うちの身内にだけ根づいてしまった行事だ。
 『大事な人』に『贈り物』をする日だと決められてしまったこの日は、部下達がこぞって贈り物を用意する。
 昔は俺の父親に対するものが殆どだったが、親父が死んで俺がその後を継いでからは、俺の手元にその贈り物が来ることが多くなった。
 殆ど消え物ばかりであるのが幸いと言ったところだろう。
 小さな頃はそれこそチョコレートばかりだったが、あまり甘いものが得意ではなくなったのでそう宣言したら、今度は酒や煙草ばかりになった。
 屋敷へ戻れば部屋に積まれているだろう贈り物を思い浮かべ、来月がまた面倒そうだと胸の内で呟きながら、俺は軽く肩を竦めた。
 クロコダイルの言う通り、この薔薇の花束は贈り物だ。

「何だ、知っているなら話が早いな」

「ああ?」

 言葉を放った俺へ向けて、クロコダイルがその眉間に皺を寄せる。
 何の話だ、と言いたげに睨み付けてくるその顔を見やって、俺は椅子から立ち上がった。
 片手に薔薇の花束を持ったまま円卓を迂回して近付いても、クロコダイルは身じろぎの一つもしない。
 ただその目が怪訝そうにこちらを見ていて、組んだ足の上に置かれた、クロコダイルにしか似合わないような指輪をはめた指がわずかに揺れた。
 その腕が捕まえようと思えば簡単に掴まえられるような場所で足を止める。
 もしも俺がここで不審な動きでもすれば、クロコダイルはあっさりと俺を殺してしまえるだろう。
 それをクロコダイルも知っているのだろう、ますます怪訝そうに眉間のしわを深めた相手へ向けて、俺は片手に持っていた花束を差し出した。

「『大事』な『お得意様』に……今日の『オマケ』だ、受け取ってくれ」

 まだ『商談』の一つもしていないのにそう囁くと、クロコダイルが本当にわずかに、その目に戸惑いを浮かべた。
 その様子に、おや、と少しばかり首を傾げる。
 『贈り物』だと分かっていた筈なのに、どうしてそんな風な目をするのだろう。
 しかし俺がそれを訊ねる前に、クロコダイルはその顔から戸惑いを消し、片手でこちらが差し出している花束を掴まえた。
 まだとげのついているだろうそれをぐしゃりと潰すようにしながら、そのまま俺の手から花束が奪われる。
 その目が俺から奪った薔薇を見下ろして、その口から短い舌打ちが漏れた。

「…………花なんぞ、何の価値もありゃあしねェ」

 低い声でそんな風に言い放つクロコダイルの手の中で、すぐに薔薇が渇き、枯れ始めた。
 毒々しいまでの赤を宿していた花びらがその茎や葉ごとしなびて変色し、そして最後は包みもろとも崩れて砂となって落ちる。
 ざら、と音を立てて落ちたそれを見送ってから俺が笑うと、じろりとその目がもう一度こちらを見た。

「……何を笑っていやがる」

「いや、何でも」

 誤魔化すようにそう言って、首を横に振る。

「受け取ってもらえなくて残念だ」

 そんな風に言葉を落としはしたが、今更、クロコダイルのこの反応は分かりきったことだった。
 俺の知る『サー・クロコダイル』は、使えるものでないと受け取ってはくれないのだ。
 男から薔薇を貰うかどうかより、その薔薇が何かの役に立たないと、クロコダイルにとっては意味が無い。
 そして当然、俺が用意した薔薇の花束はただ少し珍しい品種だったと言うだけで、大した利用価値も無かった。
 それでも薔薇を用意したのは、まあ、今日が『バレンタイン』だからだ。
 けれども、この世界ではその意味を知っている人間なんて、恐らく俺しかいない。

「船には他の『オマケ』とチョコレートでも届けておくよ。帰りにでも食べてくれ」

「食い物だと?」

「毒見が必要なら、俺がやろうか?」

 そんな風に言いながら足を動かして椅子へと戻ると、馬鹿馬鹿しい、と言いたげにクロコダイルが鼻を鳴らした。

「誰がてめェを船に呼ぶか」

 落ちた言葉はいつもの通りだ。この分だと多分、船に届けさせたチョコレートも口にしてはくれないだろう。
 せっかくの『バレンタイン』だと言うのに残念だが、最初から渡すつもりだった『オマケ』の方だけでも受け取ってくれたらいいかと笑って、椅子に腰かけた俺はクロコダイルの前で組んだ手をテーブルの上へと乗せた。
 それを見て足を組み替えたクロコダイルが、少しばかり体を前に倒してくる。
 ほんのわずかに聞こえた砂の音は、多分先ほどの薔薇の花束がその足で踏みにじられた音だろう。

「それじゃ、始めようか」

 贈り主の目の前でも容赦のない相手に笑いながら、俺は今日の『商談』を始めることにした。
 ただ一つその日に起きた不思議なことは、クロコダイルが帰った後、あの花束の砂が無くなってしまっていたことだった。
 少し不思議だったが、目の粗い板間だったので、ひょっとすると、細かく踏みつぶされて板の狭間に擦り込まれてしまったのかもしれない、と言うことで納得した。


end


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