100万打記念企画SSS
※大将黄猿とトリップ系海兵(微妙にトリップ特典あり)
『この世界』へ来て良かったと思えることを一つだけ上げるとするならば、身体能力が大幅に向上したことだ。
ひょっとして『この世界』での『普通』がこれなのかとも思ったのだが、周りの人達は俺をすごいすごいと褒め、自分には出来ないとまで言ってくれたので、つまり俺の体が特別仕様になったんだと思う。
それならばと稼げる仕事を転々としているうちに海軍へ入隊してしまったのは、軽々荷物を運んでいる俺が目をつけられたからだろう。
「…………大将、休憩しましょう」
白い息交じりに声を掛けると、ン〜? と軽く声を零した目の前の大男が、それからちらりとこちらを振り向いた。
「急にどうしたんだァい?」
不思議そうに首を傾げられて、とりあえず足を止める。
「後続が追い付いてきてません」
そしてそう言いながら後ろを軽く手で示すと、そこで初めて気付いたと言うように、ぱちぱちと俺の上司が瞬きをした。
その視線を追いかけて、俺もくるりと後ろを見やる。
今日の演習は、この山を越えた向こう側で訓練を行っている『大将赤犬』の部隊を強襲すると言う何とも酷いものだ。
山を越えなくても他にもいくつでもルートはあると思うのだが、我が部隊の大将が決めてしまったので仕方ない。
時々現れる猛獣を撃退しながらいくつか山を越えて、後はこのひとつだけ、となったのが一時間ほど前のこと。
俺の腰にくくられている縄はぴんと張られているが、その先にいる仲間達は随分と後方だ。
そろそろロープも足りなくなるだろうし、ここらで一度到着を待った方がいいだろう。
吐き出した息が白く凍り、それから消えていくのを見送っていると、だらしないねェ、と我が上司殿がため息を零す。
むしろもう少し部下に気を使った方がいいですよ、とは思ったものの、俺はそれを口には出さなかった。
俺だって、『この世界』へ来てこんな体にならなかったら、今頃は遅れている仲間達の最後尾にいるはずだ。
いや、それとも、もしかしたら海軍に自体入隊していないだろうか。
少しばかり考えつつ、背負ってきた荷物を降ろす。
きちんと閉じられていた鞄を開いて水筒を取り出して、開いたそれに中身を継いだ。
今朝熱々のうちに淹れたそれはまだ少しは温かかったらしく、柔らかな香りと共に湯気を零している。
一口二口舐めて、冷え切った体に熱すぎるそれに顔をしかめながら何とか一杯を飲み干していると、オォ〜、なんて声がすぐ横で上がった。
それを追って視線を向ければ、いつの間にやら雪の中に座り込んだ大将黄猿が、こちらをじっと見つめている。
「わっしにもおくれよォ〜」
微笑んで寄越された言葉に、俺が使ったものでいいのなら、と一言置いてから一杯分のお茶を渡した。
この寒さの中いつもと大して変わらない格好の我が上司殿は、自分の手には何一つ荷物を持っていない。
荷物係は交代制で、今頃その荷物はせっせと斜面を登ってきている仲間達の誰かが抱えている筈だ。
いやだったら到着を待ってください、と言った俺の横で笑って、大将黄猿が渡したお茶に口をつける。
「……あったかいねェ〜」
「そうですね」
呟く相手に相槌を打ちつつ、湯気を零す水筒のふたを閉じた。
後はカップを戻せば片付けられる状態にしてから、俺も上司の隣に腰を下ろす。
ひんやりと周囲に満ちた空気に、早く山を越えたいですねと言葉を零した。
「サカズキ大将に会いたいです」
演習だと言う話だが、きっとあの大将もうちの大将と同じように、自分の能力を遺憾なく発揮した指導をしているに違いない。
マグマの直撃は避けたいが、岩をじゅうじゅうと焦す横に立ったらどれだけ温かいことだろう。
「オォ〜、ナマエはサカズキがお気に入りなのかァい?」
俺の呟きをどういうふうに受け止めたのか、大将黄猿が不思議そうにそんな言葉を寄越してくる。
寄越された言葉にそういう意味じゃないんですがと呟いて、俺は視線を相手へ戻した。
「これだけ寒いと、あったかい人が恋しくもなりますよ」
雪山を登り始めてまだ後続が真後ろにいた頃、後ろで似たようなことを呟く声が聞こえたので、恐らく今俺の所属する部隊で最も求められている海兵は大将赤犬だ。間違いない。
俺の言葉に、そうかァい、と間延びした呟きを落として、最後の一口を飲み終えたらしい上司が俺の方へと手元のカップを差し出す。
さっさと鞄へ仕舞おうとそれを受け取るために伸ばした手が、ガシリと掴まれた。
そのままぐいと引っ張られて、驚いて体を引く。
自分よりずいぶんと体格の違う相手に腕を引っ張られても、俺の体はそちらへは倒れない。
しばらくそうやって均衡を保ってから、やや置いて小さくため息を零した大将黄猿が、それから仕方なさそうに手を放した。
「ナマエは本当に、力持ちだねェ〜」
「いや、何なんですか、いきなり」
「寒いんなら、わっしがあっためてあげようかと思ったんだけどねェ〜」
問いかけた俺へそう返しながら、大将黄猿が軽く両手を広げて見せる。
飛び込んで来いと言いたげなそれに、俺は首を横に振った。
目の前の誰かさんはこの上なく薄着なのだ。
見ているだけで寒々しい。
「自分の体温が奪われる未来しか見えないので遠慮します」
「オォ〜、ひっどいねェ〜」
俺の返事に、大将黄猿が笑う。
しかしやっぱり寒かったのか、強襲演習の時に一番動き回っていたのは目の前のこの人で、怒号を上げてマグマを飛ばす大将赤犬はとても怖かったが、予想通り冷え固まり始めたマグマは温かだった。
end
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