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とある計画の一端
※やっぱり異世界トリップ主人公



 『百計のクロ』を知っているだろうか。
 噂によれば、計算された略奪を繰り返すことで東の海では有名な海賊だったそうだ。
 二年半ほど前に海軍に処刑された、という言葉が頭につくその海賊のことをどうして俺が今気にしているのかと言えば、目の前にその男が立っていると言うことを知っているからである。

「こんにちは、ナマエ」

「こ、こんにちはクラハドールさん……」

 微笑まれてできる限りの笑顔を返しつつ、俺はそっと背中を伸ばした。
 ここはとある島のとある町だ。
 俺が佇む店先まで歩いてきて笑顔を見せている黒髪の男は、くい、と独特の仕草で掌を使って眼鏡を押し上げた。
 その仕草を始めて見た時に既視感を覚えて、そのまま目の前の男が誰なのかを俺が思い出してしまったなんてこと、こいつは知らないだろう。
 温和な顔で微笑んだままの彼を見ながら、小脇に荷物を抱えているのを見て首を傾げた。

「今日は、お使いですか?」

「ああ、お嬢様がここのお菓子を気に入られてね。最近はお加減がよろしくないようだから、少しでも元気付けて差し上げたいんだ」

 優しげな顔でそんなことを言う相手に、相変わらずだなと俺もできる限りの笑顔を返す。

「クラハドールさんは、いい人ですね」

「ははは、そんな風に言われると照れてしまうな」

 俺の言葉に照れくさそうな笑顔を浮かべて、私はただお嬢様のためにできる限りのことをしたいだけだよ、と本心かどうかも分からない言葉を放った彼が、荷物を抱えたままで店先の箱を一つ指差した。
 並べてあるうちで一番大きな箱を示して、それを一つくれないか、と問われたので、俺はその箱を手早く包む。
 少し大きめの袋に入れて、そっちのと一緒にしましょう、と彼が抱えている荷物へ手を差し出す。
 助かるよと笑った彼が寄越したそれも袋に詰めて、開いた隙間におまけでいくつかの菓子を詰めてから、持ち手をそろえて差し出した。

「1200ベリーです」

「ん? 箱の分だけか」

「上のはおまけですから」

 懐から財布を取り出そうとした相手へ言えば、目の前の執事が首を傾げる。
 おまけにお金なんて取りませんよとそれに笑ってから、俺はもう一度持っている袋を差し出した。
 いっそのこと店頭のものすべてを差し上げてもいいから、今すぐ帰ってもらいたいくらいだ。
 けれども、外面がよろしく今は好青年で通っている『クラハドール』にそんなことを言えば、俺の方が非難されることは目に見えていた。

「ごひいきにしてもらってますから」

 だからその代りに言葉を紡げば、そうか、と頷いた男が俺から袋を受け取って、その代りにベリーを俺の手に乗せる。

「では、遠慮なく頂くよ。ありがとう、ナマエ」

 言いつつ向けられた穏やかかつ優しげな笑みには、嘘の色など見当たりもしない。
 俺に『知識』が無かったなら、きっといい友達にだってなれただろうに。
 そんなことを思いながら受け取ったベリーを片付ける俺の前で、どうしてか立ち去らなかった彼が、くい、ともう一度眼鏡を掌で押し上げた。

「そういえば、」

「はい?」

「前の話は、考えてくれたか?」

 視線を戻した先で、こちらを観察するように視線を注いだ彼が言葉を紡ぐ。
 前の、という言葉に少しだけ考えてから、そういえば『隣村の屋敷へ来ないか』と聞かれていたことを思い出した。
 遊びに、という話では無く、住み込みで働くためにだ。
 聞いた瞬間に頭の中で拒絶が可決したので、俺としてはもう断ったことになっていたが、考えてみてくれと言い逃げて去って行った『クラハドール』には何も答えていなかったらしい。
 すみませんが、と前置いて、俺は軽く頬を掻いた。

「俺も、ここの人達にはお世話になってますから……今は、恩返しをしている最中ですし」

 海水浴の最中、高波に飲まれて引きずられ、俺は気付いた時にはこの島に漂着していた。
 『日本』も知らない人々に困惑しながら、漂流者としての世話をされているうち、ここが自分の生きてきた『世界』ではないと気付いたのだ。
 通貨はベリーで、新聞はカモメが運び、警察は海軍で海賊やらの賞金首がいる。何年も前に処刑された『海賊王』が『ゴールド・ロジャー』。
 どう考えても『ワンピース』だ。
 最初はドッキリかと思ったが、日本人にはあり得ない風貌の人々は穏やかで優しく、とてもそんな趣味の悪いことをするような人達には思えなかった。
 よく分からないが『異世界』に紛れ込んだ俺が、一先ずこの世界で生きていこうと決めて『帰る家が無い』と話し、職を得て自立し生活を始めたのが、半年ほど前のこと。
 それなりに栄えているらしいこの町にやってきたこの男の、その癖を見て硬直したのが三か月前の話だ。
 俺の言葉を聞いて、目の前の彼はとても残念そうな顔をした。

「……そうか」

「すみません」

 寄越された言葉に頭を下げると、いいんだ謝らないでくれ、と優しげな声が前から寄越される。

「私も、二年としばらく前にシロップ村へ来たよそ者だからな。君の境遇には共感するし、そんな風に恩を返そうと思えるのは素晴らしいことだ」

 穏やかな声を出して、お嬢様の話し相手になってくれないかと思ったんだが、と微笑む『クラハドール』は、どう見たって善人だった。
 しかし、その腹で何を考えているかも分からないのだから、本当に人間というのは恐ろしい。
 もしもこいつが『クロ』でなかったなら、誘われた時にもう少し迷ったりも出来ただろうと思う。
 三か月前に出会ってから、何故かこいつはよくこの町へやってくるようになった。
 同じような境遇の俺を気にしているんだと周囲の人達は言っていたが、本当はその『同じような境遇』でないことも俺は知っている。
 連載を追っていただけでそれほどじっくりと読み返したりはしていなかったが、序盤の頃のこいつがいい人の顔をして悪いことを企んでいたことくらいは覚えているのだ。
 本気でその『お嬢様の話し相手』としたいのだとしても、他にも適役はいるだろう。この町にも噂だけは聞こえてくる『隣村の嘘つき小僧』とか。

「俺じゃ、お嬢様の話し相手を務めることは難しいですよ。そんなに面白い話も出来ませんし」

「ははは、またそんなことを。君は、楽しい話をたくさん知っているそうじゃないか」

 町でも評判だろうと言われて、子供向けのおとぎ話しか知りませんよ、と笑い返した。
 どうやら、この間子供らにせがまれて話した『日本』の昔話やらのことが、この男の耳にまで届いてしまったらしい。これからは、申し訳ないが断ることにしよう。
 俺がそんなことを考えているとも知らず、微笑んだ目の前の男は、それから仕方なさそうに肩を竦めた。

「残念だ、君が来てくれたら私としても嬉しいのに」

「クラハドールさんがですか」

「ああ。また今度、機会があれば誘うことにしよう」
 優しく笑う『クラハドール』の顔は、相変わらずどこからどう見たって善人だった。
 隣村に突然現れて、心優しい裕福なお屋敷の夫妻に拾われて、恩返しに尽くす誠実な『いい人』の『クラハドール』。
 夫妻が娘を残して流行病で亡くなって、その家につかえている執事の一人だということと、その癖が『誰』を示すのか気付くまで、俺だってそう思っていた。

「それじゃあ、失礼するよ」

「はい、また」

 微笑みながら袋を持って去っていく背中に軽く手を振って、見えなくなるまで注意深く見送る。
 通りの向こうで一度こちらを見やった彼は、俺がまだ見送っているのに気付いてその口元に笑みを浮かべて、掌で眼鏡を軽く押し上げてから、そのまままっすぐ歩いて町を出て行った。
 並木の向こうに背中が消えたのを確認してから、やれやれとため息を吐いて椅子に座り直す。
 いつ頃『キャプテン・クロ』の計画が実行されるんだったかは覚えていないが、ああして笑顔でこちらへやってくるのを見る限り、まだ先であるらしい。
 新聞にも一通り目を通してはいるのだが、麦わら帽子の海賊の話題はまだ見ない。
 ああまったく、と声を漏らして、俺は先程彼が歩いて行った方向を見やった。
 当然、そこにあの背中は見当たらない。

「………………うん、いい人だよな、外面は」

 『百計のクロ』を知っているだろうか。
 噂によれば、計算された略奪を繰り返すことで東の海では有名な海賊だったそうだ。
 二年半ほど前に海軍に処刑された、という言葉が頭につくその海賊のことをどうして俺が今気にしているのかと言えば、その男がこの島にいるからだ。
 暴力でただ略奪を行う海賊より、知略を巡らせる海賊の方が始末に悪い。彼が、平穏を求めたわりに暴力に訴える生粋の海賊であることを知っているから、なおさらだ。
 何より恐ろしいのは、このまま何も起こらずに日々が過ぎれば、やっぱり全部自分の妄想なんじゃないかと思ってしまいそうなことだった。
 信じてはならないと知っているはずなのに信じてしまいそうになるだなんて、なんて恐ろしい奴だろう。

「…………あーあ」

 小さくため息を零して、そのうち噂の『嘘つき小僧』でもこっそり見に行こう、と心に決めてから、俺は改めて客引きのために椅子から立ち上がった。



 『いい人』の『クラハドール』が隣村からいなくなったと聞いたのは、それから半年後のこと。
 ついでに言えば、夜中に突然現れた猫耳の巨漢と痩身の男に攫われたのは、更にその一か月ほど後のことだ。
 何故かって?
 まずは俺が聞きたい。



end


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