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100万打記念企画SSS
※トリップ主とキャプテン・クロ



 『百計のクロ』を知っているだろうか。
 うちのキャプテンの名前である。

「あー……キャプテン・クロー」

 軽く扉を叩いて、それでも返事をしてくれない相手に声を掛けつつ扉をそっと押し開くと、部屋の主は両手をと足を組んだ優雅な姿勢でお昼寝中だった。
 戦闘の最中ならその手元には武器がある筈だが、今はただの航海中の昼下がりで、あの恐ろしい武器は誰かさんから少しだけ離れたテーブルの上にある。
 少し狭まった視界でじっと見つめても何の動きも無い様子に、どうやら眠りが深いらしいと判断して扉の取っ手に手を掛ける。
 戻ったらすぐに顔を出せと言われているが、相手が眠っているなら好都合だ。
 このまま撤収して休憩してしまおうと扉を閉ざそうとしたところで、おい、と声が放られた。
 びくりと体を震わせて視線を向けると、やや置いてゆっくりと深く座っていた椅子から背中を起こしたこの船の船長が、独特の動きで軽く眼鏡を押し上げる。

「さっさと入れ」

 そうして寄越された命令に、俺は慌てて『はい』と答えながら部屋の中へと侵入した。
 睨まれて扉を閉ざして、がちゃんとしっかり鍵まで掛けてから、いつものようにキャプテン・クロの傍へと近寄る。
 俺の様子を見やり、両足を降ろした状態で軽く掌を合わせたクロが、多少前傾になった姿勢でこちらを見上げた。

「それで、首尾はどうだ?」

「島には、あー、海軍はいないです。賞金稼ぎが集まりそうな酒場は三つくらいですが、クロネコ海賊団の手配書は見当たらなくて」

 寄越された言葉に返事を紡ぎつつ、必死になって頭の中を引っ掻き回す。
 この船に攫われてからと言うもの、俺の仕事と言えば新たな島での情報収集だった。
 クロが満足しなければ何度だって船を降りなくてはならず、かといって逃げようものなら恐ろしい速さで追いかけられると言う恐怖と背中合わせである。
 何度も何度もやらされているといいかげん慣れて来たようで、どうやら今回の情報収集にはクロも満足したようだった。

「そうか」

 そんな風に呟いてから、その手がこちらへ伸びてくる。
 思わず身を引こうとしたら、それを読んでいたかのようにもう片方の手が俺の服を掴まえて、どういうやり方なのか分からないがそのままその場に膝をつかされた。
 椅子に座るクロより低い位置から見上げた先で、『クラハドール』の時より表情の変わらなくなった海賊が、俺の顔を覆っているものを掴まえる。

「この部屋に入ったら取れと言ったのは忘れたのか?」

 昨日も言った筈だがな、なんて落ちて来た言葉と共に奪われたのは、この船に乗ってすぐに与えられた仮面だった。
 情報収集を行う役を担うのだから、万が一にも海軍や一般人に面が割れないようにと言う配慮らしい。
 目が覚めたら顔が何かに覆われているという事態にはめちゃくちゃ驚いたが、勝手に外そうとすると周りのクルーに必死になって止められるので、俺が仮面を外すのは顔を洗ったり風呂に入ったりするときと、後はこの部屋にいるときだけである。仮面自体は可愛い猫の絵柄で、はっきり言って不気味だと思う。
 久しぶりに涼しくなった顔を軽く手の甲で擦ると、猫みてェだなとクロが笑う。
 にやり、と歪むその笑い方は、俺の知っている『いい人』の『クラハドール』には全く似合わない筈なのに、『キャプテン・クロ』には随分似合ったものだった。
 まあ、こちらが目の前の誰かさんの本性なのだから仕方ない。
 つまりは結局のところ、やっぱり、俺の記憶は俺の妄想ではなくて、現実だったということだ。
 主人公に負けた後のクロがどうしたのかはよく覚えていなかったが、どうやらクロはあの後海賊に復帰したらしい。その目的が何なのかを俺は知らないが、船のクルー達は怖れながらもクロを慕っているようで、恐怖政治でもあるようだがまあまあまとまりの良い海賊団だ。

「あー……あの、キャプテン」

「何だ?」

 声を掛ければ軽く言葉を返してくるクロの目が、じっとこちらを見据えている。
 まるで人の心の中まで覗こうとするようなその冷たい視線に、やや置いて、何でもないです、と俺は小さく言葉を零した。
 言いたいことがあるなら言えとクロは言うが、しかし言いたいことを言っても聞き入れてもらえた覚えが無い。
 大体、どうして俺は突然この船に拉致されてしまったのだろうか。
 成り行きで海賊のような状態になっているが、俺はただの一般人だったはずなのだ。
 それがあの日、夜中に突然現れた海賊に攫われて、気付けば顔に仮面までつけられていた。
 戸惑い困惑して、船から降ろしてほしいと言った時のクロの恐ろしさと言ったら、噂の杓死で殺されるんじゃないかと思ったほどだった。
 あの『いい人』だった『クラハドール』はどこに行ってしまったんだろうか。
 命惜しさに何も言えずに従っている俺の前で、クロがわずかに首を傾げる。
 その手がぽいと俺の仮面を放り捨て、俺のすぐそばに落ちたそれがからんと軽く音を立てた。

「表情がかたいな」

 強張っている人の顔に手を触れて、クロがその目を少しばかり眇める。

「笑ってみろ、ナマエ」

 比較的優しく促されても引きつった笑みしか浮かべられなかった俺は絶対に悪くないはずだが、不満そうにつねられた頬はとても痛かった。



end


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