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その不安までも
※『抱擁とその意味合いについて』設定




 ナマエは自覚している。
 自分は、随分と面倒くさい人間だ。

「あーっと……」

 たどり着いた甲板で、わずかに焦る気持ちを抱えながら周囲を見回したナマエは、その目で一人の青年を発見した。
 特徴的な髪形の後ろ姿に、見間違える要素などありはしない。
 きらりと瞳を輝かせて、その足がすぐさまそちらへ向かう。

「マルコー」

「なんだよい」

 呼びかけながら近づけば、足音で気付いていたのか返事を寄越して、マルコがちらりとナマエを見やった。
 その視線を感じてへらりと笑って、マルコへ近付くナマエの両手が広げられる。
 そのまま勢いに任せてガシリと抱き付いても、マルコは抵抗の一つもしない。
 以前は怒ったり暴れたりもされたのだが、ナマエが一日に一度抱き着きに行くのを繰り返しているうちに、あっさりと受け入れられるようになっていた。
 肩口でため息を零されるあたり歓迎されてはいないようだけれども、嫌がられないというだけでナマエにとっては素晴らしいことだ。
 筋肉質で硬い体をぎゅうぎゅうと抱きしめながら、そんなことを考える。
 ナマエは、別の世界からこの世界へやってきた人間だった。
 けれども、この船にいる誰も、ナマエのそんな事情を知らない。
 ナマエが一言たりともそのことを話さないからだ。
 ナマエは、ある日突然、『この世界』へとやってきた。
 だからきっと、帰る時だって突然だろう。
 瞬きをするような時間の間にナマエという存在はこの船から消えて、そしてきっともうここへは戻ることも叶わない。
 もしそうなっても、他の誰が忘れても、今こうして抱きしめる相手にだけは忘れてほしくないと、ナマエはいつだって身勝手なことを考えていた。
 自覚はしている。
 面倒くさい人間なのだ。

「っと」

 気が済むまで抱き付いた後で、ぱっと体を離してへらりと笑ったナマエは、マルコの体から手を離しつつおはようといつものように挨拶を言った。
 おうおはよう、とマルコが返事を寄越して、その背中から離れたナマエの手元でがさりと音がたったのに気付いてその目が怪訝そうに動く。

「ん? 何だよい」

「あ」

 つぶやき視線を向けたマルコに、自分が物を持っていたことを思い出して、ナマエは引き寄せたそれを自分とマルコの間に移動した。
 少し安っぽいリボンをくるりと巻いたそれは、いわゆる酒瓶だった。
 先日行った島でナマエが買った、その島で一番度数の高いものだ。
 琥珀色の液体を収めた黒い瓶が、朝日をはじいてつやりと光る。

「ほら、マルコ。誕生日プレゼント」

「ああ……まァた、きっついの買ったねい」

 言葉と共に寄越されたものを受け取って、マルコはしげしげと手元を眺めた。
 美味かったからとそれへ向けて告げたナマエに、お前はうまいだけで済むだろうけどよい、と呆れた声が寄越される。
 どちらかと言えばワクに近いナマエは、この船では何本かの指に入る酒豪に位置づけられていた。
 当人としては酔わないからあまり酒を飲もうとも思わないが、面白がったクルー達が勧めれば勧めるだけ飲むようにしている。
 そうして行った周囲との飲み比べの結果、絡んできていたサッチやジョズ達を甲板に沈めたのはもう随分と前の話だ。
 そんなナマエが選んだそれのラベルには、当然ながら随分と高い度数が明記されていて、それを眺めたマルコが、ちらりとナマエを見やってにやりと笑った。

「まあ、今度飲むときは付き合えよい」

「……片付け要員か?」

「当然だろい」

 首を傾げたナマエへ向けて、マルコが楽しげに言い放つ。
 自分へ笑顔を向けるマルコを、ナマエは何か眩いものを見るような気持ちで見つめた。
 ナマエは、自分が随分と面倒くさい人間であることを知っている。
 その一方的な抱擁を受ける羽目になっているマルコだって、とっくの昔にそれに気付いていることだろう。
 けれどそれでも、マルコは何も言わなかった。
 何故ともどうしてとも聞かずにいてくれることに、どれだけナマエが安心しているかなんてこと、恐らくこの海賊は知らないに違いない。

「…………分かったよ。まあとりあえず、誕生日おめでとう、マルコ」

 了承と、それから祝いの言葉を贈ったナマエへ、とりあえずってなんだよい、と笑いながらもマルコが礼を言った。




end


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