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約束は守るもの
『そういえばマルコ、お前悪魔の実の能力者になったんだから、もう海で泳ぐのはできないぞ』

『よい!?』

 放った俺の言葉に、小さな子供は衝撃を受けた顔をした。
 その目が戸惑うように俺を見上げて、それから自分の体を見下ろす。

『……マル、なんにもかわんないよい』

 だから大丈夫だと言い放つ小さな子供に、いやいや、と俺は首を横に振った。

『悪魔の実の能力者はカナヅチになるんだ。いくらお前が泳げても、もうダメなんだ』

 そう言ってやるが、今一つ子供に納得した様子は無い。
 まあ、体験していないのだから当然か。
 そう判断した俺は、このまま放っておくと一人にしたときにいつものように勝手に海に入りかねない子供の前で屈んで、その体をひょいと持ち上げた。

『ナマエ?』

『実践するか』

 不思議そうな子供へ言って、その体を肩口に抱え上げる。
 そのまま甲板へ出て、子供とともに船から無人の桟橋へと降りた俺は、両手で改めて小さな子供の体を持ち上げた。
 可愛らしいが奇抜な髪形の子供が、不思議そうに俺を見ている。

『いいかマルコ、俺は絶対に手を離さないから、慌てなくていいからな』

 そう言葉を置いて、桟橋の上に屈みこみ、子供の体をそっと海の中へと降ろしていった。
 不思議そうにしながら自分の足が青い海に触れるのを見下ろした子供が、その足先が輝く水面に半分ほど沈んだところでくてんと体から力を抜く。
 いや、体に力を入れられなくなったんだろう。
 その手が俺に縋り付こうとしているが、膝まで海水に浸った子供の力は随分と弱弱しい。
 泣きそうな顔で眉を寄せた子供が、困った顔を俺に向ける。

『ナマエ……マル、ちからはいんないよい……っ』

『悪魔の実の能力者だからな』

 寄越された言葉に、俺はそうだろうと頷いた。

『それに、何だか沈む感じがしないか?』

 この辺りは随分と海水の濃度が高いようで、体が浮きやすいが、今の子供にはそんな感覚も無いだろう。
 俺の質問に、子供がこくこくと何度か頷く。
 今にも泣きそうな顔になった子供をすぐに持ち上げて、膝から下が濡れているその体を自分の膝へ座らせながら、ぺたりと桟橋へ腰を下ろした。
 俺の服を濡らしながらも、安全地帯に戻された子供ががしりと俺へ抱き付いてくる。
 よしよしとその頭を撫でてやりながら、シャツの裾を引っ張って子供の足を拭く。
 タオルを持ってくればよかったか。

『今のは、お前が悪魔の実の能力者だから起こることだ。一人で泳ごうとしたら溺れるから、もう絶対に一人では海に入っちゃ駄目だからな?』

『よい……っ』

 俺の言葉に、子供が素直に頷く。
 今までにない感覚が、どうやらとても恐ろしかったらしい。
 これなら、一人留守番させても海に入って時間をつぶそうとする、なんてこともないだろう。
 そう判断して、俺は自分の教育が行き届いたことを把握した。
 大きくなるまでできる限り守ってやるつもりだし、育てていくつもりだが、手の届かないところで命の危険に飛び込まれては俺が助けることもできないからな。
 けれども、のびのびと泳ぐことが好きだった子供の姿を思い出して、少し可哀想だな、とも思う。
 きゃあきゃあ騒ぎながら水を掻く子供の声が聞こえなくなるのも、それはそれで随分と残念だ。
 やや考えてから、俺はそっと口を開いた。

『……もうすぐお前の誕生日だし、今度、サイズの合う浮き輪でも買うか』

 子供が泳げるようになった時で浮き輪は卒業してしまって、今のこの船には救命用の物しかない。
 あれを遊び道具にしないように教育したのは俺だから、手放した遊び道具をそろえてやるのも俺の仕事だ。
 俺の言葉に、ぐっと頭を俺へ押し付けていた子供が、もぞりと身じろぐ。
 やや置いて上向いた目が俺を見上げて、丸い瞳が戸惑ったように揺れた。

『……そしたら、ナマエ、マルとおよいでくれるよい?』

『ああ。マルコを浮き輪に乗せて、海の中を引っ張ってやるくらいはできるぞ。でも、一人で使うのは禁止だからな』

 きちんと釘を刺した俺を見上げて、ぱちぱちと瞬きをした子供が、それから嬉しそうにその顔に笑みを浮かべる。

『ん! マル、うきわほしいよい!』



 そんな会話を交わしたのは、俺以外にとってはもう随分と前のことだ。



「ほら」

 差し出した包みに、マルコは怪訝そうな顔をした。
 その目がちらりと俺を見やり、それからもう一度俺の手元の物を見やる。
 平たいそれにはリボンが掛かっていて、潮風に吹かれてひらひらと揺れた。

「なんだよい」

「見てわからないか? 誕生日プレゼントだ」

 尋ねられて、俺はしっかりと返事をした。

「誕生日おめでとう、マルコ」

 言い放った俺に、ああ、と声を漏らしたマルコの手がようやく俺から包みを受け取る。
 今日は、今俺の目の前で樽に座っている海賊の誕生日だった。
 恐らく今日の夜は宴が開かれるんだろう。あちこちでクルー達がバタバタとしている。
まあ、いつだって宴をしているようなにぎやかな海賊団ではあるが。
 俺がこの船に乗るようになってから、結構な期間が経つ。
 本当なら俺も騒ぎに参加したいのだが、手伝いに行ったのにどうしてかサッチに部屋を追い出されてしまった。
 他のところへ手伝いに行っても同様で、どうやら同じように締め出されているマルコの相手をしてこいと言うことらしいと把握したので、予定を繰り下げてマルコへこれを渡しに来たのだ。
 開けてもいいかい、と尋ねられて、どうぞ、と返事をする。
 マルコの手がするりとリボンを解いて、なんとも几帳面にそれを指に巻き取った。
 それから、似合わないくらい慎重な動きで包みを開いていく。

「前みたいに破いても構わないぞ?」

「いくつの時の話をしてんだよい」

 俺の言葉へ返事をしながら、きちんと包み紙を破かずに開いたマルコは、中から出てきたものに不思議そうな顔をした。

「………………なんだよい?」

「見てわからないか?」

 何となくさっきもやったような気がするやり取りをして、俺は軽く肩を竦める。
 マルコの手が包みの中から取り出したそれをそっと広げて、ぺらんと目の前に垂らした。
 平たくドーナツ型と言うべき輪っかの穴の向こうで、マルコが怪訝そうな顔をしているのが見える。

「……………………浮き輪?」

 呟いたマルコに、そうだと俺は頷いた。
 この世界にビニールがあるのかは分からないが、それによく似た携帯用の物を見つけたのは、ついこの間出発した夏島でのことだった。
 丈夫だと言う店主に、ナイフで刺しても割れないことを実演してもらったので、同じタイプの物を買ったのだ。
 見かけた途端、小さな頃のマルコのことを思い出したからだということもある。
 ちょうどマルコへの誕生日プレゼントを探していたところで、結局あの約束にも満たないような約束を叶えていないことまで思い出したものだから、仕方の無いことだった。
 そっと手元の物を広げるのをやめて、マルコの怪訝そうな眼差しがそのままこちらを見やった。

「……なんで浮き輪なんだよい」

 もう子供じゃねェんだよい、と何とも非難がましい言葉を寄越される。
 わかってるよとそれへ頷いて、俺はマルコへ笑いかけた。

「でも、前に約束したからな、マルコと」

「おれと?」

「次の島で泳げるところがあるようなら、一緒に泳ぎに行こう」

「……悪魔の実の能力者に何言ってんだよい」

 俺の誘いに、マルコの顔に呆れが宿った。
 その様子を眺めながら、言葉を紡ぐ。

「大丈夫、マルコを浮き輪に乗せて、海の中を引っ張ってやるくらいはできるぞ。でも、一人で使うのは禁止だからな」

 俺が放った言葉は、小さかったマルコに放ったものによく似ていた。
 けれども、俺にとってはそれほど過去のことでなくても、マルコにとっては随分昔のことだ。
 覚えていないんだろう彼が、俺の様子をしばらく眺めてから、軽くため息を吐く。
 その手が空気の入っていない浮き輪を折りたたんで、わかったよい、と言葉を紡いだ。

「ナマエがそう言うんなら、仕方ねェから付き合ってやるよい」

 とても仕方なさそうな声を出す癖に、こちらから目を逸らしたので、俺は小さく笑う。
 どうやら、俺からの贈り物は喜んでもらえたようだ。

「そうか、よかった」

 だからそう言って、楽しみだなァ、と続けた。
 俺の横で、そうだねい、とマルコが返事をする。
 その手が丁寧に俺からの贈り物を包み直していくのを見やりながら、俺は、次の島も泳ぎやすい夏島だといいな、なんてことを少しばかり考えていた。


end


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