愛のはなし
「おはようございます、クザンたいしょー!」
「あらら……朝から元気だね」
眠りから意識が浮上したところで、先に起きて身支度を整えたらしいナマエに顔をのぞき込まれた気配がして、クザンは仕方なく目元を隠していたアイマスクを押し上げた。
その状態で見上げれば、クザンの視界にさかさまになったナマエの顔が入り込む。
相変わらず、今日も元気そうににこにこと笑ってる。
「けど、おれはもう大将じゃないつってんでしょうが」
いつものように注意を紡いでから目の前の顔に手を伸ばしたクザンは、さかさまのままでナマエの左頬を掴まえた。
人差し指と親指でつまんだ頬を軽く引っ張ってやってから、起き上がって大きくあくびをする。
「今日も仕事?」
そうしてベッドに座ったままで尋ねたクザンへ、いいえ昨日で終わりましたから、とナマエはあっさり答えた。
予想通りの返事に、そう、とクザンが頷く。
この町へクザンとナマエが辿り着いたのは、一週間ほど以前のことだ。
連泊するために部屋を借りて、少しのんびりしようかと言ったクザンへ『それじゃあ仕事してきます!』と声を上げたナマエは、その宣言の通り日雇いの仕事をその日のうちに見つけてきてしまった。
なんで急に働きたいと言い出したのかと尋ねたクザンへ『欲しいものがあるんです』と言ったナマエは、どうやらその目標額を達成したらしい。
ナマエが何を欲しがっているのか分からず最初は首を傾げたものの、その後の挙動不審な態度で、クザンはナマエの目的をあっさりと把握した。
そうなればもはや何かを言う必要もなく、ナマエが仕事に行っている間の時間をとてつもなく暇に過ごしたまま、今日が来るのを待っていたのだ。
知られているなんてことを知らないナマエが、ぎしりと音を立ててクザンの横に腰を下ろす。
上背のあるクザンから見やれば随分小さな体格のナマエが、後ろ手に何かを隠し持っているのがクザンにははっきりと見えた。
けれども背中を丸めてやってそれに見ないふりをして、クザンは促すようにナマエを見やる。
「ナマエ?」
どうかしたかと尋ねたクザンへ、ばっとナマエが勢いよく顔を上げる。
「クザン大将、お誕生日おめでとうございます!」
言いつつばっと差し出されたナマエの持つ何かは、ぶすりとクザンの片頬に突き刺さるように押し付けられた。
角が少しばかりちくちくと攻撃してくるのを掴んで止めさせて、あー、と声を漏らしたクザンがわざとらしく口にする。
「そういや誕生日か」
ちらりと見やった壁際のカレンダーには、きちんと今日の日付が書かれていた。
昨日までは無かった赤マルがあるのは、恐らくナマエがクザンの眠っている間に記したものだろう。
クザンの言葉にはいと頷いて、にこにこと笑ったナマエがプレゼントらしきそれから手を離す。
眩いばかりの笑顔を浮かべたナマエを見やって、クザンは軽く肩を竦めて笑った。
「これのために仕事頑張ってたわけね」
「はい! あ、あとケーキも注文したので、後で取ってきますね! 料理も!」
「あらら……本格的だ。ありがとね、ナマエ」
たった二人で旅をしているのに、ナマエは随分と力いっぱいクザンの誕生日を祝うつもりであるらしい。
朝から元気だったのだって、今みたいに贈り物を手渡せるその時を今か今かと待っていたからだろう。
同行者である相手を見つめてから、クザンが貰った贈り物を自分の膝の上に置く。
この島ではあちこちで見かけるブランドの包み紙が、可愛らしいリボンを纏ってクザンを見上げていた。
「けど、さっきの台詞、もう一回ちゃんと言ってみて」
「え?」
「何度も言ってるでしょうや。おれはもう、『大将』じゃないって」
そうして囁いてみると、む、とナマエが眉を寄せた。
「クザン大将はクザン大将ですよ」
「だから、大将じゃないって。別に呼び捨てにしろとは言わねェけどさ」
いつものやり取りをして、誕生日なんだしお願い聞いてくれてもよくない? とクザンがわざとらしく言葉を紡ぐ。
それを受けて、う、とナマエが言葉を詰まらせたのが、見ていて分かった。
ただ後ろに『大将』と付けるなと求めているだけなのに、ナマエは随分と強情である。
クザンは退役した海兵で、ゆえにそんな風に呼ばれる資格などもはやないものだった。
本当は、ただそうやって呼ばれるだけなら構わないのだ。
けれどもクザンが気になるのは、そうやって『クザン大将』とクザンを呼ぶナマエが、まるで自分と相手の間に一本線を引いているかのような顔をすることだった。
元は部下であり、クザンが退役するときに一緒に海軍を退役したナマエは、もはやクザンの部下ではなくなった。
今は一応対等な立場であるはずだ。年齢差を考えれば敬語であるのは仕方ないにしても、立場は同じなのだ。
だというのに、いつまでも部下のような顔をされていては、クザンが困る。
「ナマエ?」
促すように呼びかけたクザンへ、ぎゅっとナマエが拳を握る。
一度深呼吸をしてから、その口がそっと動いた。
「お誕生日おめでとうございます、ク、クク……クザン、さん」
「はい、ありがと」
必死になって呼んでくれた相手へ、クザンがわずかに笑う。
一体何がそれほど恥ずかしいのか、少しばかり顔を赤らめたナマエはそれでも、その日一日だけはクザンのことを『クザンさん』と呼んだ。
end
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