みそかごと
※短編『秘め事』の続き
※異世界トリップ主人公が足に後遺症を持っているので注意?
「え……サカズキ大将!?」
思わず大きな声を出してしまった俺の目の前にいるその人から、何じゃァ、と低い声が転がってくる。
その口元にわずかな笑みが浮かんでいるのは、俺が驚くのが予想通りだったからだろう。
だって、今日は『海軍の軍艦が来た』なんていう噂は聞いていない。
いつも通り平穏で静かな島の夕方で、俺は普段の通り働いていて、明日と明後日は久しぶりに休みを貰ったところだった。
明日は少し早起きをして、今度『誰かさん』がこの島へ来た時に案内できる場所でも探しに行こうかなんて、そんなことを考えながら帰って来た筈なのだ。
だと言うのに、どうしてか、町の外れにある俺の家の前には人影があった。
傾くオレンジ色の太陽を正面に受けて、俺の影の半分を体に乗せながら立ってこちらを向いているのは、珍しく制帽も白いコートも身に着けていないが、誰がどう見たってサカズキ大将だ。
驚きのあまり止まってしまっていた足を動かして、ひとまずそちらへと近付く。
「今度の遠征でいらっしゃるの、二ヶ月後だっておっしゃってませんでしたか?」
確か、三週間前に顔を合わせた時、サカズキ大将はそんな風に言っていた筈だ。
記憶を頼りにそう尋ねた俺を見下ろしたサカズキ大将は、日差しが眩いのか少しばかり目を細めていた。今日も素晴らしく晴れていたから、夕陽の眩さは格別だろう。
それに気付いてとりあえず家へ招こうとしたのに、門を開こうとした俺の動きを推し留めるように、その手が俺の借りている家の門を掴む。
「休みじゃけェ、軍艦は連れて来とらん」
そうして寄越された返事に、なるほど、と一つ頷く。
休みだから遊びに来てくれた、と言うことなんだろうか。
そうだとしたら、俺はサカズキ大将の『友人』くらいにはなれているってことだ。
それは、素直に嬉しい。
そんなことを考えて、笑いながら腕に力を入れてみるが、門を掴んだサカズキ大将が力を緩めないので、門が開かない。
「……あの?」
不思議に思って顔を見上げると、いつもだったら帽子の影からこちらを見下ろしているその目が、西日に照らされながらこちらを見ていた。
やっぱり眩しそうだ。
「ここじゃなんですし、中でお茶でも如何ですか?」
先に誘った方が良いんだろうかと門を掴んだままそう尋ねてみるが、茶ァは飲んで来た、と言う返事が寄越される。
これは、遠回しに断られたと言うことだろうか。
ひょっとすると、近くを通りかかったからただ軽く顔を見せに寄っただけで、これから島のどこかへ用事があるのかもしれない。
そう考えると強固に誘うことも出来なくて、そうですか、と答えた俺は門から手を離した。
それから、とりあえずそっと足を動かして、サカズキ大将の周りを迂回する。
「ナマエ?」
そんな俺に気付いてサカズキ大将が不思議そうな声を出したけれども、気にせず先ほど立っていたのとちょうど反対側に回ったところで足を止めてから、俺はサカズキ大将を見上げた。
俺の動きに合わせてこちらを向いたサカズキ大将の顔は、逆行を浴びているせいで少し影が掛かっているが、はっきり見える。当人も眩しくはなさそうだ。
これなら、サカズキ大将が夕陽で目を痛めることも無いだろう。
反対向きにはなったが、俺より体の大きなサカズキ大将のすぐそばにいるので、その影が落ちて来て俺は全く眩しくない。
どうした、と尋ねてくるその顔を見上げて笑ってから、俺は片手に持っていた鞄を肩へかけ直した。
「何でもないです。それより、お休みをこの島で過ごしに来たんですか?」
もしもそうなら、その『休み』の間にまた顔を合わせる機会は無いだろうか。
まだ新しく『案内』できる場所は開拓出来てはいないけど、出来れば一度くらいは一緒に食事もしたい。
そう尋ねるつもりで見上げた先で、背中からの夕陽で顔にわずかな影を落としたサカズキ大将が、少しばかり難しい顔をした。
しっかりと指先までが覆われたその手が軽く自分の顎に触れて、それからそのままポケットへと逃げ込んでいく。もう片方もポケットに入ってしまった。
「……いや、この島からは今夜、出発するつもりじゃァ」
「……そうですか……」
そうして聞かされた『予定』に、俺の口から漏れた声には隠しきれないほどの落胆が滲んでしまっていた。
それなら、今から準備もあるだろう。なるほど、家に上がろうとしてくれない筈だ。
だけど、そんな短い時間でも顔を見せに来てくれたと言うことは、やっぱり少しは『友人』として扱ってくれているようだ。
本当はもっとその先までを望みたいところだけど、俺のそんな感情なんて知らないこの人からすれば、かなりの好待遇である気がする。
だって俺は一般人で年下で、そしてついでに言えばこの世界にいるはずもない人間で、本来なら『海軍大将赤犬』とお近づきになんてなれるはずも無かった存在だ。
今の関係だって十分恵まれている。
肩を落としていても仕方の無いことだと落胆を振り切って、俺は相手へ笑顔を向けた。
「……それじゃあ、二ヶ月後にいらっしゃる時には、またどこかご案内させてくださいね」
明日にでもしっかり見つけておきますから、と軽く拳を握った先で、サカズキ大将が眉間に皺を寄せる。
「また一人でどこぞを歩き回りよるつもりか」
「どこぞをってそんな。この間だって、良い場所だったでしょう」
この前俺がサカズキ大将を連れて行ったのは、この町があるのとは反対側の岬だった。
高台の向こう側には青い海が広がっていて、吹き抜ける風も随分涼しくて気持ちよかった筈だ。
そう続けた俺の言葉に、そこまでの足場が好かん、とサカズキ大将が言葉を落とす。
確かに、そこまでの足場は少し荒い岩場で、海賊とのあれこれで少し足を動かしにくくなってしまった俺は目的地にたどり着くまでに三回くらい躓いた。
そのたび俺が転ぶ前に腕を貸してくれたサカズキ大将は、最終的には目的地まで俺の手を繋いで引いていってくれた。
別に狙ったわけではないのだが、あれはあれでちょっと嬉しいハプニングだったと思う。一人で何回も転びながら先へ進んで下見をしてきた甲斐もあったと言うものだ。
しかし目の前のサカズキ大将が顔をしかめたままなので、へらへらと笑うわけにもいかず、今度はそう言う場所は避けますから、と俺は言葉を放った。
けれどもサカズキ大将はやはり渋い顔をしたままだ。
それから、少しばかり何かを考えた後で、その口が言葉を紡ぐ。
「……『明日にでも』と言うたのォ。明日ァ、休みをとっとるんか」
「え? あ、はい。明日と明後日は休みです」
問われたことに素直に頷くと、ほうか、と一つ零したサカズキ大将の手が片方、先程逃げ込んだポケットから出てきた。
そうして、その掌がひょいとこちらへ向けられる。
「わしと一緒に来んか、ナマエ」
「え?」
放たれた言葉の意味がすぐに理解できず、ぱちりと瞬きをした。
そんな俺を見下ろして、すぐ隣の島へ行くだけだとサカズキ大将が言う。
そういえば、日帰りできるような場所に他の島があるのだと、前に聞いたことがある気がする。
海軍の支部があるこの島を離れるなんて恐ろしいことは出来ないから、俺は一人で島から離れたことも無いが、温泉があって景色が綺麗で、昼夜過ごしやすい穏やかな秋島で、すごく良い場所だという話だ。
いや、そんなことはどうでもいい。
「……えっと……俺のこと、誘ってくれてるんですか?」
思わず、そんな言葉が口から落ちた。
そんな俺を見下ろして、サカズキ大将が片眉を動かす。
「それ以外に聞こえよるんか」
そうしてそう尋ねられて、ぶわ、と顔が熱くなったのが分かった。
夕暮れ時で辺り一面橙色だからきっと気付かれたりしないとは思っても、何となく気恥ずかしくて、考え込むふりをして顔を逸らす。
誘ってくれている。
サカズキ大将が、俺を外出に誘ってくれている。
これは、今までにないことだ。
だって今までは、俺が仲良くなりたかったから、俺の方からサカズキ大将を誘っていた。
断られない分嫌われてはいないだろうと思っていたし、それだけで十分幸せだった。
そんな俺を、サカズキ大将が外出に誘ってくれている。
もちろんただの友人としての誘いだろうし、本人にそのつもりは微塵も無いだろう。
でも、何だかデートに誘われているみたいだ。いや、日帰りとは言えこんな時間からだと何処かに泊まるだろうから、デートどころか旅行だ。
嬉しくない筈がない。
「い……行きます」
弾みそうな声をどうにか抑えてそう言って、俺はこちらへ向けて差し出されていた手を掴まえた。
がしりと掴んだ掌は、随分と温かい。
サカズキ大将は悪魔の実を食べたマグマ人間で、少し普通より体温が高いらしい、とは前に聞いたことがあるので知っている。
今のこの穏やかな温かさが、悪を前にすればすべてを焼き尽くし焦す岩漿となるのだ。
その恐ろしい苛烈さを知っていても、触れたその手が優しげに俺の手を掴まえるから、逃げようと思えるはずもない。
「あの、それじゃあすぐに準備してきますね。着替えとか、お金とか」
「わしのついでに連れていくだけじゃァ、金は要らんけェ、着替えだけ用意せえ」
すぐに顔を上げてそう言った俺へ、そんな風に言葉が落ちてくる。
この分だとあれこれの金を支払われてしまいそうだ。しっかり自分の分は払えるよう用意しようと考えつつ、はいと頷いてから、俺は空いている手を門の方へと改めて伸ばした。
「それじゃあ、サカズキ大将、少しだけここで、」
「ナマエ」
待っていてください、なんて言いながら門を開こうとした俺を、俺の手を掴んだままのサカズキ大将が引き止めた。
上から掛けられた声に動きを止めて、はい、とそちらへ返事をする。
こちらを見下ろしたサカズキ大将が、俺の目をまっすぐ見下ろしてから、そっと俺の手を解放した。
「さっきも言うたが、わしゃあ休暇中じゃァ」
「はい」
落ちてきた言葉にこくりと頷くと、じゃけェ、なんて言葉を落としてから、サカズキ大将が一歩足を引く。
俺自身が門の方へ移動していた所為と、それからサカズキ大将が俺から少しだけ離れたために、サカズキ大将の影から外れてしまった俺の顔を西日が鋭く照らした。
眩しさに思わず目を眇めてしまった俺の傍で、サカズキ大将が言葉を落とす。
「『大将』はいらん」
分かったらさっさと用意してこんか、なんていって、伸ばされた手が俺の傍で門を開く。
顔を日差しから庇いつつ門の内側へ足を運んで、俺はちらりとサカズキ大将を見やった。
思い切り西日を食らってしまったせいで、少し残像の残る目では、サカズキ大将の顔をちゃんと確認できない。
ただその口元がぎゅっと引き締まっているのは、怒っているせいでは無いことは分かった。
だから、そちらへできる限りの笑顔を向けて、分かりました、と言葉を放つ。
「それじゃあ、すぐ戻りますから少しだけ待っててくださいね、サカズキさん!」
ちょっと気恥ずかしかったけどしっかりそう言葉を放ってから、俺はすぐに門の外の相手へ背中を向けた。
走れない足では早歩きすらも大変だが、出来る限り急いで家の中へと入って、狭い家の中をどたばたと移動する。
急いで戸締りをして、しても一泊だろうからと着替えは一回分だけにして、お金と最小限の道具だけを詰めた鞄を持って。
そうやって慌てて戻った俺の鼻を何かが焦げたようなにおいが少しばかり掠めたが、不思議に思った俺が周囲を見回す前に誰かさんが歩き出したので、俺がそれを確認することは叶わなかった。
何処かで嗅いだことのあるそれが土の焦げたにおいだったと気付いたのは、島へ戻った日、家のすぐ前に、一生懸命踏みならされた小さな焦げ跡を見つけた時のことだった。
end
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