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中つ国 (1/2)
※短編『常世の国』の続編
※微妙にグロ有り注意?




「お! ナマエ、戻ったのか」

「えーっと、た……ただいま……?」

「お帰り、ナマエ」

「あ、そうだ聞けよ、一昨日の島でよー」

 『戻ってきた』ナマエは、あっさりとハートの海賊団に歓迎されていた。
 たったの一日程度しか共に過ごしていない筈なのに、シャチやベポやそれ以外のクルー達は他の仲間達に向けるのと変わらない笑顔を彼へ向けていて、肩を掴まれ話しかけられているナマエも、それを受け入れて同じように笑っている。
 それを少しばかり遠くから眺めて、ペンギンの口からは溜息が漏れた。
 片手で軽く帽子の下の額を押さえると、先程思い切り強打された箇所が鈍く痛む。
 またしてもペンギンの真上に出現しその自称石頭でペンギンの頭部を攻撃したナマエは、今回もまた、どうやって現れたかも分からなかった。
 それもまた偉大なる航路の不思議の一つと言えばただそれだけのことかもしれないが、解明しないわけには行かない。
 もしもそれが誰にでも簡単にできる手段であるなら、潜水艦と言う密室に敵の侵入を許してしまうことになりえるからだ。

「おい」

「ペンギンさん」

 近付いたペンギンが声を掛けると、なんだかんだとシャチに話しかけられていたナマエの目がペンギンを見やる。
 それに合わせて同じようにペンギンを見やったシャチの手をナマエの方から引き剥がして、ペンギンの手がナマエの襟首を掴まえた。

「船長が連れて来いと言ってたんだ、連れてくぞ」

「そうなんだ?」

「そりゃ仕方ねェなァ、じゃーな、ナマエ。また後でな!」

「あ、はい、わ、うぐっ」

 にかりと笑うシャチの言葉に返事をするナマエを待たずに歩き出すと、ペンギンに襟を掴まれたままのナマエが妙な声を上げながら慌てて椅子から立ち上がった。
 ガタガタと椅子を押しのけて後ろ向きにどうにか歩きながら、片手でどうにか襟を掴まえて気道を確保したナマエが、ペンギンと並走しながらペンギンを見上げる。

「あの、ペンギンさん、苦しい……」

「さっきの仕返しだ」

 放してくれと訴えるナマエへペンギンがそう言うと、う、とナマエが言葉を詰まらせた。
 片手は襟を掴んだまま、もう片方の手がそっと自分の頭の一部を撫でて、それからもう一度ちらりとペンギンを見やる。

「あの、ごめんなさい……手当とかした方が」

「……いらん」

 恐る恐る寄越された言葉に言い捨てて、ペンギンは更に足を動かした。
 大人しくペンギンに襟を掴まれ、そのまま後ろ向きに並走する格好になったナマエが足を止めたのは、ペンギンが船長室の前で立ち止まった時だった。
 これ以上はおかしな格好で歩かせるのも難しいかと、仕方なくペンギンが襟を手放すと、素早くナマエが体を反転させる。
 ついでに乱れた襟を両手で整えて、すう、はあと深呼吸をした。
 自らを落ち着かせようとするようなそれを放っておいて、ペンギンの手が扉を叩く。

「入れ」

 すでに誰かからの連絡が言っていたのか、中の主は誰何もせずにそう命令した。
 受け入れて扉のノブに手を掛けてから、ふとペンギンがもう一度傍らを見やる。

「ナマエ」

「あ、はい」

「今日は、きかれたことにちゃんと答えろ」

 誤魔化したりするなと念を置いたペンギンが見つめた先で、ナマエは少しばかり不思議そうな顔をしていた。







 いくつかのトラファルガー・ローの尋問を終えて、ナマエは三週間後にたどり着く次の島までクルーとしてこの船に在籍することになった。
 その体が今、ハートの海賊団が揃えて着用しているつなぎに包まれているのは、ボディチェックのついでにナマエが着替えさせられたからだ。
 どうやら、ペンギンの知らぬうちに、誰かがナマエのサイズのつなぎを用意していたらしい。

「絶対戻ってくると思ってたんだよなー、ほら、裾とか大丈夫か?」

「えっと、はい」

 何やら世話を焼いて笑うシャチの横で、自分の恰好を物珍しげに見下ろしたナマエの顔に、少しばかり嬉しそうな笑みが浮かんでいる。
 それを少しばかり離れたところで見てから、ペンギンは一つ肩を竦めた。
 それから、その手がさっさと食材のかわむきを行っていく。
 今日から改めて『仮』の『新入り』となったナマエの仕事は、どうやら食堂にあたるこの部屋の清掃であるらしい。
 珍しくシャチがやるぞと気合を入れているので、前回と変わらず『ナマエの見張り』という役目を賜ったペンギンの雑用は食事の下ごしらえとなった。
 時々ちらりとこまごまとした掃除を行うナマエを見ながら、その手がナイフを操って野菜の皮を剥いでいく。
 着込んでいるつなぎは真新しいが、周囲の人間と変わらぬ姿をしているせいで、ナマエがそこにいることによる違和感は全くなかった。
 おぼつかない手つきは掃除をし慣れていない人間の動作だが、バケツへ放った雑巾で水を跳ねさせて悲鳴を上げているシャチ程のドジはしない。
 近寄ってきたベポが手伝いを買って出るのを受け入れて、一緒に並んでテーブルを擦り椅子を拭いているナマエは、ただの雑用だと言うのに随分と楽しそうだ。
 その顔を眺めて、ペンギンは剥き終えた野菜を籠へ放りつつわずかに眉を寄せた。

『まァ、島につく前に船からまた消えちまうかもしれねェがな』

 あくどく笑って言った船長に、どうしてかナマエは首を横に振っていた。

『大丈夫です、お世話になります』

 そう言って頭を下げたナマエの顔に浮かんでいたのは、一週間ほど前にも見た、諦めに似た何かをにじませた顔だ。
 湿っぽい表情にペンギンが苛立ったのは仕方がないにしても、前回と何となく様子が違う。
 ペンギンの手が新たな野菜を掴まえて、片手に握っていたナイフの刃がその表面へとあてられた。
 小さく音を立てて薄く向いた皮を下に広げた布へ落としながら、ペンギンの目が手元の野菜を眺める。
 思い返せば、前回、ナマエは『三日後に海に捨てられる』という事に全く怯えた様子を見せていなかった。
 強面のクルー達には怯えた顔をしたくせに、死の恐怖に怯えないだなんて可笑しな話だ。
 あの時は『諦めたのか』と考え、生きることを簡単に諦められるような環境で生きてきたのならばやはり警戒すべき相手なのだとペンギンは思っていたが、ひょっとするとナマエは、自分がすぐに潜水艦の中からいなくなると言う事実を知っていたのかもしれない。
 三日後を待たずに船の中から姿を消すなら、海へ捨てられるなんてこともあり得るはずがない。
 そう思っての余裕だとするならば、今回も同じなのか。
 しかし、また消えるのではないかと笑って尋ねたトラファルガー・ローに、ナマエは首を横に振っていた。
 その事実まで思い返して、しょり、と少し厚みのある皮を落としたペンギンの手が、ぴたりと止まった。
 その目が、もう一度清掃を行っているナマエ達の方を見やる。

「ベポさん、それ、大丈夫ですか?」

「ドジなクマですみません……」

「…………手伝いますから、そんなに落ち込まないでください」

 どうやらバケツをひっくり返したらしく、床に這って肩を落とすシロクマの横に屈みこみ、広がった汚水を手元の雑巾で拭き集めるナマエの様子に、おかしなところは見当たらない。
 ベポの傍らにある薄くて小さな背中をしばし眺めて、何やらモヤ付いたものを吐き出すように息を零したペンギンは、ひとまず手元の作業をさっさと終わらせてしまうことにした。







 ひとまずの午前中の雑用を終わらせて、昼食を摂り、午後のペンギンの『雑用』はナマエを案内することだった。
 未だ海の中を行く潜水艦にナマエが現れた『方法』は分からないが、ナマエ自身にも分からないならひとまず謎の解明は置いておく、というのがローの決定で、ならば三週間の雑用を滞りなく行わせるために、必要最低限の案内はしなくてはならないからだ。
 とはいえ、元々『前回』で最低限の案内はしてあったため、ペンギンが連れて歩いたのは潜水艦のほんの一部だ。

「よォ、ナマエー」

「うひゃっ!」

 そして案内していった先の一部のクルー達の部屋となっている大部屋で、ひょいと顔を出して来たシャチの血まみれ姿を見ておかしな声を上げたナマエが、慌てた様子でペンギンの後ろへと逃げ込んだ。
 見た目から言えばただの民間人でしかないナマエを驚かせて、楽しげに笑ったシャチが、持っていた斧の玩具をぽいと床へ放る。
 顔や腕に飛び散った血糊を手元のタオルで拭いながら笑う彼に、ペンギンの目が呆れに眇められた。

「何をやってるんだ」

「いやァ、新鮮な反応だな! ペンギンとかベポ達だと血糊ですぐばれるだろ」

 見慣れてると違うよなァ、と呟く目の前のシャチに、当然だろうがとペンギンは言葉を零す。

「せめて血の匂いくらいさせてからにしろ」

「前それやろうとしたけどベポに嫌がられたんだよ、部屋が臭くなるって」

 けらけら笑ったシャチが、綺麗になった顔と対照的に汚れたタオルを折り畳み、んで、と言葉を零してペンギンの向こう側を覗き込んだ。

「もう綺麗にしたから出てきても大丈夫だぜ、ナマエ」

「いやあの、驚いただけで怖がってるとかそう言うわけでは……」

「そういう台詞は、せめておれの服を放してから言え」

 相変わらず後ろに隠れたまま、ペンギンのつなぎの袖を掴んでいるナマエへペンギンが顔もむけずに言うと、うう、とナマエが小さく声を漏らした。
 それから、その手がそっとペンギンの服を放して、それから恐る恐ると言った風にペンギンの後ろから顔を覗かせる。

「ばあ」

「ひゃあ!」

 そしてそれを待ち構えて帽子を外し、その下にあった脳漿が飛び出たような仮装をしたシャチの風体に、ナマエの口からは少女のような悲鳴が漏れた。
 すぐさま背後に隠れなおしたナマエの気配に眉を寄せて、ペンギンの手が振り上げられ、目の前のシャチが晒している脳漿部分を軽く叩く。

「痛! おま、これがマジもんだったらどうするんだよ馬鹿!」

「そこまで派手に脳を晒して動けるか馬鹿」

 少し柔らかかったのが気持ち悪いと、感触を拭うように掌を相手のつなぎに擦り付けるペンギンに、自信作だったのに! と何やらシャチが喚いている。
 別のクルーと一緒に作ったのだと続いた言葉に、後でもう一人の馬鹿の頭も叩いてやることに決めて、ペンギンは目の前の相手を睨み付けた。
 わずかに苛立ち交じりのペンギンの正面で、頭を庇うようにしながらもニヤニヤと笑いつつ悪趣味な仮装を帽子の下に隠したシャチが、あー、と声を漏らす。

「にしても、あれだなペンギン」

「何だよ」

「お前、ちゃんと頼られてんのな」

 言いつつピッと指を差されて、ペンギンはそれを追うようにちらりと後ろへ視線を向けた。
 ペンギンの後ろに潜んでいるナマエが、シャチがいるのとは逆の方へ顔を向けている。
 その手はしっかりと先ほど逃がしたはずのペンギンの片袖の端を掴んでいて、振り払われるなんて思ってもいないような様子だった。
 確かに、言われて見れば頼られているようにも見える。その様子に気付いて、ペンギンは小さくため息を零した。
 ローが託したからこそペンギンはナマエの世話を焼いているが、それほど優しくした覚えもない。
 それどころか、恐らくそのクルーよりも疑いに満ちた眼差しでナマエを見ているというのに、わざわざそんな相手に頼らざるを得ないなど、なんとも哀れな青年である。
 そしてその状況を作り出した相手が自分の目の前にいることを把握して、ペンギンはじろりとそちらを睨み付けた。
 哀れな青年をこれ以上脅かさないよう、あえて庇うように一歩を前に踏み出してから、無意識を装って肩を竦める。

「船長にも面倒を見ろって言われてるからな」

「ふーん?」

 袖を掴まれたままの腕を振り払うこともなく、ひとまずそう言ったペンギンの前で、訳知り顔のシャチがニヤニヤと笑う。
 何となく気に入らないその顔にペンギンがもう一度腕を振るうと、狙って叩いた頭から帽子と脳漿の偽物が飛んでいき、どうやらそれが視界に入ったらしいナマエがもう一度悲鳴を上げていた。







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