- ナノ -
TOP小説メモレス

へんなことあの人
※『へんなこ注意報』設定
※ちょっと変態気味主人公
※時期外れだけどお誕生日ネタも含まれます




 ナマエが『この世界』で生きて行こうと決めたのは、ひとえに言えばただ一人の『所為』だった。

 それは、もう数年も前のことになる。

『……さむい……』

 先ほどまで確かに仕事へ行っている途中だったはずなのに、意味も分からないまま足もつかないほど深い海へと落ちて、すぐ近くにあった木片にどうにかしがみ付いたナマエは全身がずぶ濡れだった。
 片手に掴んだ鞄も同じだ。中の書類はきっと駄目になってしまっただろうが、確認することなんてこんな場所ではできやしない。
 すでに数時間は海の上を漂っていて、ナマエの体力は限界に近かった。そのうち鮫にでも遭遇して死んでしまうのではないかと、そんな馬鹿げた考えが頭の中をぐるぐるとまわる。
 自分のそれが間違いだったと知ったのは、ざばり、と大きく水音を立てた何かが目の前で海水をびしゃびしゃと零しながら立ち上がり、ナマエの上に影を落としたからだった。

『…………ぁ、』

 それに気付いてそちらを見やったナマエの口から悲鳴が漏れなかったのは、体力を消耗しすぎていたからに他ならない。
 誰がどう見ても化物と呼ぶべきその巨大生物は、低く唸り声を上げながらその歯をむき出しにして、ナマエのことを小さなその目でじっと見ていた。
 生臭い息が落ちて、ぼたぼたと口の端から落ちる海水以外の水滴に、ナマエは自分が今命の危機に瀕していると言うことを正しく理解した。
 寒さ以外の理由で体が震えて、思わず海の中に沈みそうになったのをどうにか木片にしがみ付き直すことで防いで、恐怖に満ちたその目が目の前の化物を見上げる。
 そこで、ナマエを助けてくれたのが彼だった。

『グランドラインで海水浴とは、酔狂なことだ』

 自分の何十倍もあろうかと言う巨大生物を打ち据えて追い払い、そんな風に言って楽しげに笑ったその人は、ナマエも知っているような漫画のキャラクターにそっくりだった。
 どう見てもナマエより年上で、そしてナマエと同じ性別である。
 それでも、恐怖で破裂しそうなほど脈打っていたナマエの心臓が、それまでとは違う跳ね方をしたのだ。
 板にしがみ付くことしか出来ないナマエを自分が乗っていた小舟に引き上げ、大人しくしていなさい、と言った彼がナマエを連れて行ったのは巨大なマングローブを密集させたような場所で、『この世界』が自分の常識で知っている『世界』では無いと気付いたが、そんなことはもはや些細なことだった。

『さて、ひとまずは君の着替えか』

『あ、あの!』

『ん?』

 船から陸地らしい場所へと上がり、ナマエをどこへ連れて行こうか思案している様子の彼へ声を掛ければ、掛けられた声に気付いた彼がナマエを見下ろす。
 その目がわずかに不思議そうにするのを見ながら、ナマエは口を動かした。

『好きです! 付き合ってください!』

 口から漏れたナマエの言葉に偽りは無いが、それを聞いた目の前の彼はわずかにその目を細めた。
 ほんの少し身を屈めて、伸びた手がナマエの顎を掴まえる。

『男に愛されても嬉しくはないな』

 どこか面白がるような声が、ナマエの耳をくすぐった。

『大体、私と君は初対面で、私は君の名前すら知らないのだが? 君もそうだろう』

 そんな相手に愛を囁くのかねと、彼が言葉を紡ぐ。
 それを聞き、ナマエの両手が自分の顔に触れている彼の腕を軽く捕まえた。

『俺の名前はナマエです。あの、何て呼んだらいいですか?』

 目の前の『彼』はどう見てもあの『キャラクター』で、そして今ナマエが足で踏みしめている巨大マングローブの島はどう考えても『あの漫画』に出てきた島の一つだった。
 マングローブから立ちのぼる巨大なシャボン玉が、ふわふわと空へ向けて揺れていくのが、彼の後ろにも見える。
 ナマエの言葉にさらに目を細めてから、顎を掴んでいた彼の指が少しばかり上へずれて、むにりとナマエの両頬を圧迫した。

『この島の住人は、私のことを『レイ』と呼ぶかな』

 口の尖った変な顔にさせられたナマエへ向けてそう言い放ち、その目が探るようにナマエを見つめる。
 それを真っ向から見つめ返して、ナマエは変な顔のままで言葉を綴った。

『それじゃあ、レイさん! 好きです! 結婚を前提に付き合ってください!』

 ナマエが改めてそう言った時、ナマエを見下ろした目の前の彼は、少しばかりの驚きに目を瞠っていた。
 ほんのわずかなその戸惑いを可愛いと思ったくらいには、ナマエは病に蝕まれていた。







「レイさん、誕生日おめでとう!」

 昼下がりの喫茶店のテラスで、久しぶりに午後のお茶に誘った相手へ向けて言葉を放つ。

「……どこから仕入れた情報かね?」

「シャッキーさんから!」

 問われた言葉に微笑んでナマエが答えると、なるほど、と目の前の彼が頷いた。
 ナマエの前に立つ『レイさん』は、驚くほど個人情報の漏えいが少ない男だった。
 コーティング職人の『レイさん』で、女性にはモテる方で、弱いけど賭け事が好きで、シャッキーと呼ばれるぼったくりバーの主と懇意にしている。その程度の情報しか、この島にはほとんど転がっていない。
 いつからこの島にいるのかと言う情報すらあいまいで、どこを出身としている人間なのかも、その前歴が海賊王の片腕だったということも、一般人は知らないのだ。
 ナマエがそれを知っているのはナマエがこの世界の人間では無いからだが、教えてもらっていない以上、ナマエがそれを彼へ向けて口にすることは無かった。
 知らない筈のことを知っているだなんて、不審者もいいところだ。そんなことで愛する相手から疑われたり嫌われたりなんてしたくない。
 おかげで誕生日を祝うのに三年もかかってしまった。
 シャッキーはナマエにも親しげにしてくれていたが、『彼』が望まないことをナマエに教えたりはしなかった。やっと彼も、ナマエに誕生日の一つくらい教えてもいいと思ってくれたのだろう。

「今年はレイさんの欲しいものが分からなかったから、俺の独断と偏見で買ってきました。どうぞ!」

 言葉と共にナマエが手元の包みを差し出すと、彼はあっさりとそれを受け取った。
 その手がさっさと包みを開き、中から取り出した瓶に少しばかり目を丸くする。

「酒か」

「最初は指輪もいいかなって思ったんだけど、レイさん指のサイズ測らせてくれないし」

 仕方ないから島のあちこちを巡り、彼が好きそうなものを探し回ったのだ。
 最終的に購入した金は目玉が飛び出るような金額の古酒で、ナマエがずっと貯金している『レイリー資金』ががっつりと減ってしまった。
 けれども、瓶のラベルを確認してわずかに口元をほころばせた彼が見れたのだから、何も問題はない。

「随分良いものだ。高かっただろう」

 ありがとう、と言葉を置いて微笑む彼に、レイさんが喜んでくれたならそれでいいのだとナマエは口にした。
 自分が贈り物を貰ったような弛んだ顔をしてから、あ、とその口が言葉を零す。

「レイさん、来年の誕生日は何が欲しい?」

 今年はどうにか間に合ったが、来年はどうか分からない。
 欲しいものは今のうちに用意しておこうと考えたナマエがそう問うと、気の早い話だなと彼は少しばかり呆れたような顔をした。

「来年、このおいぼれが生きているかも分からないと言うのに」

「またそんなこと言って……来年はもっと気合い入れて準備するから!」

 先日仕事を増やしたばかりだが、物によってはもう少し実入りの良い仕事へ変えようと、そんなことを心に決めて言葉を放つナマエの前で、彼がやれやれと肩を竦める。
 その手がそっと持っていた酒瓶をテーブルの上に置き、彼はそのまま頬杖をついた。

「最近、また仕事を増やしたそうだな?」

「え……」

「やはり、何か欲しいものがあるのか?」

 言ってごらん、と言葉を続けたその目には、気遣わしげな光が浮かんでいた。
 優しい顔をされるだけで、ふつりと胸の内が湧き立って、ナマエの顔がだらしなく緩む。

「俺が欲しいのは、レイさんだけっ!」

 そうして零れたナマエの言葉は、全くの真実だった。
 ナマエは、目の前にいる彼が好きで、そして彼が賭け事に弱いことを知っている。
 ナマエの読んだ『漫画』でも手慣れた様子で『人間オークション』にいたのだから、恐らくは何度か似たような目に遭っていることだろう。
 競りにかけられる前に逃亡するだろうから、競られること自体も殆ど無いだろうが、もしもその現場に遭遇したら即決で落札できるだけの財力が欲しいのである。
 もちろん、彼は金で買われたところでナマエを愛することなど無いだろうし、無駄な金をと呆れた顔をされるだろうが、一瞬でも彼が手に入るならナマエは満足だった。
 けれどもナマエのそんな考えなど知りようもない彼は、小さくため息を零す。

「またそんなことを……今はそういう話をしているんじゃないだろう」

 仕方の無い奴だと言いたげなその言葉に、そういう話だったじゃないですか、とナマエは反論した。
 そこで店員が飲み物を運んできて、彼の前にコーヒーを置き、ナマエの前に紅茶を置く。
 去っていくウェイトレスを見送ってから、そうじゃなくて、とナマエはすぐに口を動かした。

「俺の欲しいものはいいんですよ。レイさんの欲しいものの話!」

「おや、誤魔化されなかったか」

 ナマエの前で黒い液体を軽く口にして、彼が笑う。
 それからその目が少しだけ思案に揺れて、温かな日差しの落ちるテラスの傍の往来へと向けられた。
 穏やかな陽光が落ちるそこは、まるで平和そのものだ。
 この島には海賊も人攫いも天竜人もいると言うのに、その後ろ暗い部分すべてがいなくなったような平穏だった。
 穏やかな日差しは彼の髪も照らしていて、輝くように光を弾くそれを、綺麗だなァ、と胸の内で零したナマエが見つめる。
 一分足らずで往来を眺めるのを止めた彼が視線を戻し、その手にあったカップをソーサーへ戻した。

「別に何でもいいんだが……それでは、その腕の時計はどうだ?」

「時計?」

 そうして寄越された言葉に、ナマエが自分の腕を確認する。
 腕に巻かれた時計の針は、町中で見かけた時計より三時間二十三分進んでいる。
 彼に勧められてもナマエがそれを直さないのは、それがナマエの『故郷』の時間を刻んでいるこの世界で唯一のものであるからだ。
 太陽光で充電できるつくりの時計は珍しいらしく、質屋も高く買うと言ってくれたが、身の回りのものを全て金に換えても今までずっと財産として手元へ置いてきた物だ。
 ナマエが大事にしていることを彼も知っているだろう。駄目か、と続いた言葉は笑いを含んでいて、カップを持ち直したらしい向かいからは陶器のこすれる音がした。

「それなら、ナマエが選んだものにしてくれ。私の為に選んでくれたものなら、どんなものだって嬉しいさ」

 しかしあまり高価なものはやめるように、なんて言い放つ彼の向かいで、ナマエはそっと腕時計に触れた。
 軽く指で擦ってから、その目をちらりと向かいへ向ける。

「針も直した方がいい?」

「ん? ……おや」

 ナマエの言葉の意味を理解した彼が、ぱちりと瞬きをする。
 くれるのか、と訊ねる相手へ、ナマエは一つ頷いた。
 彼が欲しいと言うのなら、ナマエがそれを断る筈がない。
 微笑んだナマエに、彼は眉間にわずかな皺を刻んだ。

「大切な物じゃなかったのか」

「レイさんが喜んでくれる方が大事かも。あ、来年の今日までお得なキャンペーンとして持ち主もついてくるんですよ、これ」

「そのサービスは遠慮しよう」

「酷い! でもそんなレイさんも素敵……!」

 いつものように軽口を叩いて、辛辣な彼の言葉に身悶えるナマエの前で、彼がコーヒーをもう一口飲みこんだ。
 それから、少しだけ考えるようにした後で、もう一度ため息が漏れる。

「……いや、やはりその時計を強請るのはやめておこう」

 そうして寄越された言葉に、身悶えるのをやめたナマエが視線を向けた。
 向かいに座ったまま、カップを持ったままの彼が、微笑みを浮かべてナマエを見ている。

「私はどうも、自分の腕に飾って眺めるより、それを着けている君を見ている方が好きなようだ」

 優しげに放たれた言葉に、数秒を置いて言葉の意味を理解したナマエは、おかしな声を零しながら目の前のテーブルに突っ伏した。
 腕に当たった紅茶のカップがガチャリと音を立てたが、触れた熱い陶器がすぐにはなれていったので、恐らく向かいに座る彼がカップを自分の方へと引き寄せたのだろう。
 気遣いのできる彼の前で、ナマエがじたじたと身悶える。
 女性を口説くことが得意な彼は、よくこうしてナマエを身悶えさせるようなことをさらりと言ってのける。
 そのたびにときめくナマエは重症だが、恐らくこの病が完治することは無いだろう。
 帰りたくないとは言わない。
 『元の世界』に置いてきた家族や社会人としての立場を思えば、放ったらかしたままを良しとするのは無責任すぎる話だ。
 しかし、帰り方自体がさっぱり分からないし、それを捜すために目の前の彼から離れるだなんて、ナマエには考えることすら出来ない。
 離れられないから、ナマエの心はいまだにタイフーンから逃れることが出来ないままなのだ。
 そんな馬鹿なことを考えて、ひとしきり彼の恰好良さに身悶えたナマエが、やがてテーブルに懐いたままで顔を上げる。

「レイさんは、俺をこんなにも好きにさせてどうするつもりなんですか……あとそのカップ飲み終わったらください」

「君のそれは相変わらずだな。飲み終わったらすぐに片づけて貰うから安心しなさい」

 ナマエの執拗な愛をあっさりと交わして、昼下がりのコーヒーを嗜む『シルバーズ・レイリー』は、いつもと変わらぬ罪深さだった。



end


戻る | 小説ページTOPへ