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バードウィーク
※主人公は異世界トリップ(有知識)な海兵さん
※戦争編以前




「あ、クザン大将」

「あらら、ナマエじゃない。奇遇だね」

 ざあざあ降り注ぐ雨をぼんやり眺めていたクザンの前に、ふと姿を現した青年を見やって、クザンはそう言葉を紡いだ。
 わずかにぱらついていた雨が大降りとなって、濡れるのも面倒だからという理由で借りた軒先の手前で、どしゃぶりの雨の中に佇んだナマエはレインコートを着込み、更には大きな黒い傘を被っている。
 重装備だねと言って笑ったクザンへ、大将は軽装ですね、とナマエは言い返した。

「こんなところで雨宿りですか? 本部でサカズキ大将が探してましたよ」

「あー……やっぱり? でもさほら、こんな雨の中濡れて帰ったら風邪引いちゃうし」

 今日は早上がりのナマエは、今から家に帰るのだろう。後にしてきた本部の話をされて、クザンはへらりと笑う。
 やっぱりわざと雨宿りしているんですかと、クザンを見上げたナマエが呆れた顔をした。

「だって、早く帰ったってサカズキに怒られるだけじゃないの」

 随分暖かくなったとは言え、まだまだ冷える季節の雨に、クザンはそんな風に返事を紡ぐ。

「サボるのが悪いんですよ」

 上司に向かってそんな風に意見をしたナマエの傘が、雨をはじいて大きく音を立てる。
 肩から鞄をかけたまま、傘を持ち直したナマエは、少しばかり不思議そうな顔をした。

「というか、クザン大将ならこの雨で傘でも作れるんじゃないですか? ほら、アイスソードでしたっけ、アレみたいに」

 水分を好きなように固めて己の武器に出来る氷結人間へ言い放ったナマエに、いやいや、とクザンは首を横に振った。

「んなことしたら、大変なことになっちまうでしょうが」

「そうですか?」

「そうそう、ほら、あー…………まあいいけど」

 零度で凍らせた氷で出来た傘を被ったとして、そのまま雨の中を歩けば本部へ辿り着くまでの間にクザンの片手には氷の塔が構築されることになる。
 重量はともかくとして、倒さないように歩くのには細心の注意も必要だ。
 そう続けようとして、けれども面倒になって放棄したクザンを前に、少し考え込んだナマエが、なるほど、と手を打ち合わせた。

「石筍みたいな感じになりますね」

「……まあ、そうだね」

 石に例えられるのも微妙な気分だが、現象としては一番分かりやすいものでありそうなので、否定はしないでおこうと考え、納得顔の部下へクザンは頷いた。
 クザンを見上げたナマエが、それじゃあ仕方ないですね、と呟いてレインコートのフードを被る。
 そうして、その上半身を守っていた傘が、つい、とクザンのほうへと差し出された。

「それじゃあ、これ、お貸ししますよ」

「…………あらら、いいの?」

 差し出された傘と言葉に、クザンは少しばかり目を丸くする。
 ぼたぼたと傘とクザンの頭の上の軒を叩く雨の勢いは随分と強い。
 ナマエがレインコートを着た上で傘を差しているのだって、その冷たさに出来る限り身を晒さないでいるためだろう。
 けれどもクザンの言葉に、俺の家近いですから、とナマエは応えた。

「それに、今日は5月16日ですし」

「……なんかあったっけか」

「知らないんですかクザン大将、今日までは愛鳥週間なんですよ、俺の世界では」

 にっこり笑って言い放ったナマエの言葉に、クザンは軽く首を傾げる。
 クザンの部下となったナマエと言う名のこの青年は、クザンに対してだけ、少しばかりおかしな発言をする青年だった。
 自分はいわゆる『異世界』から来た人間なのだと言うのだ。
 これが証拠ですと見せられた掌ほどの小さな機械は確かにクザンの見たこともないものだったが、動きもしないそれはただの鉄の塊としか思えなかった。
 他の持ち物も、少し変わってはいるが、ただそれだけだ。
 ナマエの語る『世界』はまるでおとぎ話のそれに似ていて、クザン以外にはそれを語ろうとしないナマエの話を聞くことが、クザンは嫌いではなかった。
 まるで小さな子供が寝入り間際に絵本の音読を強請るようにクザンが聞かせてくれと願うたび、笑顔でナマエはクザンへ『世界』の話をする。
 海王類の一匹もいない海に、空を飛ぶ鉄の鳥に、乗り物に、法律に、制度に、社会に、思い出。
 ナマエの語る『世界』は、東の海のように平和だった。
 まるで夢のように。
 それが嘘でも本当であればいいのにと、そう思ってしまえるくらいに。

「……アイチョウシュウカンってのは、何の制度なわけ?」

 降りしきる雨の中、軒下から伸ばした手でナマエの傘を受け取りながら、クザンが尋ねる。
 問われたナマエは、ええっと待ってくださいね、と言葉をおいて、クザンの隣に並ぶように軒下へと逃げ込んだ。
 どうしたのかとクザンが見下ろした先で、安全地帯で鞄を開けたナマエの手が、中から小さな手帳を取り出す。
 何度かクザンがナマエに見せられたことのある、『ナマエの世界の』手帳だった。
 自分で作ったのか、誰かに頼んで印刷させたのかは分からないが、ナマエが大事にしているそれはもう随分と古びている。
 ぱらりとその手が手帳をめくり、五月のあたりを開いて止めた。

「んー……すみません、書いてないですね。確か、野鳥を愛でたり野鳥のための環境をどうとかいう期間ですよ」

 しげしげ眺めてそう呟いたナマエに、クザンの首が軽く傾ぐ。

「……おれって野鳥扱い?」

 真っ当な疑問を口にしたクザンに、こんな大きい野鳥はいやですね、とナマエも頷いた。

「けど、クザン大将は『青雉』ですから、鳥類の分類でいいんじゃないですか」

「いやいや、おれもまァ人間だからね」

「悪魔の実の能力者でロギア系で海軍最高戦力とか言われている人が、そんな、謙遜しなくても」

「ロギア系能力者で海軍最高戦力が鳥類ってのもイヤでしょうや」

「イヤですね」

 呆れたクザンの言葉にもう一度頷きながら、ナマエの手が大切そうに手帳を鞄へとしまいこむ。
 そうして少しずれていたフードを被りなおして、その視線がもう一度クザンを見上げた。

「でも、せっかくだからお貸ししますよ。それじゃクザン大将、また明日」

「あー……ちょいと、待って」

 そんな風に言い放って軒下から出ようとするナマエの頭を、クザンの手ががしりと捕まえる。
 軽く雨に濡れながら、それでも足を止めたナマエは、クザンの手に引かれて大人しく軒下へと戻った。

「どうかしましたか」

 問いかけつつ見上げるナマエの頭から手を離して、クザンの手が向かいの細い通りを指差す。

「この後用事無いんなら、おれにちょっと付き合ってよ」

 そこの通りの奥の店で一服、と続けたクザンに、ナマエが少しばかり怪訝そうな顔をする。

「……早く本部に戻らないと、サカズキ大将が更に怒りませんか?」

「もう少ししたら、あいつ遠征に出るんだよね」

 天気は悪いが、真面目に海軍大将として働くサカズキが遠征を先延ばしにしたりはしないことを、同僚であるクザンはよく分かっている。
 だからこそ、怒っているだろうサカズキにわざわざ会いに行くよりも、いなくなってくれるまで待ったほうがいいだろうという判断を下しているのだ。
 それに、とクザンの手がくるりとナマエから借りた傘を回す。

「今日まではおれを愛でてくれるんでしょ?」

 少々楽しげに放たれたクザンの台詞に、怪訝そうにしていたナマエが軽く瞬きをした。
 戸惑うような表情を浮かべた顔が、それから少しばかり伏せられる。
 笑って頷くかと思っただけに、ナマエの反応にクザンも戸惑いを浮かべた。

「ナマエ?」

「……クザン大将って、いい人ですよね」

「? 何か言った?」

 激しくなりつつある雨音にまぎれた小さな声が聞き取れずに、クザンがそれを聞き返す。
 けれどもそれには答えずに、改めて顔を上げたナマエは笑顔だった。
 クザンが見下ろしている前で、仕方ないですね、と呟いた自称『異世界の人間』であるクザンの部下が、クザンより先に軒下から雨の中へと足を進める。

「それじゃ、付き合って差し上げますよクザン大将。何せ愛鳥週間ですから」

 降りしきる雨にレインコートを濡らしながらクザンを見上げたナマエに、それはどうも、と笑ったクザンも雨の中へと踏み出した。
 ナマエから借りた傘が雨に打たれて、小気味良く音を立てる。

「ケーキも食べる?」

「帰ったら夕食なんで、いいです。あ、クザン大将が食べるなら」

「おれ? おれは……あー、おれもいいや」

「そうですか」

「ん。今日はコーヒーの気分だなァ、うまいやつ」

「海軍のコーヒーももう少し美味しくなりませんかね」

「あれァもう伝統の味でしょうや」

「守らなくてもいい伝統もあると思うんですよ」

「あらら、言うね」

 そんな風に言葉を交わしながら、ばしゃばしゃと足元を濡らして歩きつつ、二人分の影は通りの向こうへと消えていった。



END


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