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ファンタジックな日常
※異世界トリップ主人公とシャチ
※幼児化注意





 世界には不思議なことなんてたくさんあるものだと言うことを、ナマエは知っている。
 何せ生まれ育った『世界』から気付けば海へ落下していたなんていう『不思議』を体験した身の上なのだから、それも当然のことだろう。
 紛れ込んでしまった『異世界』が自分のよく知る『漫画』の世界であるらしいと気付いた時にはさすがに途方に暮れたが、ナマエは生きてそこにいるのだから、考えるだけではどうにもならない。
 どれだけ訳の分からない状況へ陥っているとしても、生きていくためには生き延びるための努力をしなくてはならないのだ。
 そう割り切り、生きていくためにあれこれと手を出しながら日々を過ごしていたナマエが気付けば『海賊』となっていたのも、これだけ広い海で見慣れたマークを掲げる海賊団に遭遇した不思議からくるものに違いない。
 そして今日、ナマエはまたしてもグランドラインの『不思議』に遭遇している。

「……こういうのって、よくあるんだよな?」

「ねェよ!」

 きい、と高い声を上げて地団太を踏んだ拍子にずるりとトランクスをずり下がらせたのは、見慣れたはずの仲間の一人である。







 シャチの体が幼児期に退行した、という知らせが潜水艦の中を駆け巡ったのは、グランドラインに入り込んでしばらく後のことだった。
 異常気象に慣れ始めていたクルー達でも、さすがにそんな異常事態には動揺する。
 何らかのウィルスか、体調の変化は無いのかと背の高いクルー達にナマエが取り囲まれてしまったのは、その両手がシャチを抱え上げていたからだ。
 口に体温計を咥えさせられ、脈を図られ瞳孔を確認され耳に鼻に喉まで確認されてうんざりした顔のシャチ少年が解放されたのは、騒ぎを聞いて現れたローから、放っておけと言う言葉が放られた時だった。

「おいシャチ、お前この間の島で食ったな」

「え? いや、なにをですか」

「こういう果物だ」

 自分の顔に合わないサイズのサングラスを支えて首を傾げるシャチの前に、ローが持ち出して来たらしい図鑑を広げる。
 いくつかの果実の絵が載ったそれをシャチと一緒に覗き込んでナマエが瞬きをした横で、あ! とナマエの腕の中のシャチが声を上げた。

「これ! これくいました!」

「やっぱりな」

 小さな手が図鑑を叩くのを見やって、ローが笑う。
 一週間程度で戻る、気にするなと言ってそのまま船長が船長室へと去っていくと、慌ててシャチとナマエを取り囲んでいたクルー達もほっと一つ息を吐いた。
 変なもの拾い食いするなよと笑いながら離れていく彼らを見送り、うるせえよと小さな拳を振り上げて威嚇したシャチへ、ナマエが視線を向ける。

「……そろそろ降ろしていいか?」

「やだ」

 両手に抱えたままの相手へナマエが問いかけると、シャチはふるりと首を横に振った。
 だっておれのクツねェんだもん、と子供の様なことを言う相手に、まあ足のサイズが違うしな、とシャチを抱え直しながらナマエが頷く。
 月日の経つうちにきちんと成長したらしいシャチ青年の靴は、シャチ少年には随分と大きなものだった。
 最初は履いていたのだが、歩いているうちにつるりと脱げて転んでしまったシャチを、ナマエが思わず抱き起したのが一番最初だ。
 大丈夫かと打ち付けた額を撫でたナマエの体にシャチがしがみ付いて、ナマエは今のところシャチの運搬係となっている。

「とりあえず、きがえとりにいこーぜ。そーこな。くつしたはいたらおろしてくれていーし」

「アイアイ」

 ぺちぺちと肩を叩かれて仕方なく、白熊航海士の言葉を真似たナマエがシャチを抱えたままで倉庫へ向かう。
 倉庫にも子供向けの服は無かったが、シャチより体格の小さな人間用のものはある。それを着込めばどうにかなるだろうと考えて改めてシャチを抱き直そうとしてから、そういえば、とナマエは呟いた。

「あの果物って、あの時のやつか」

 シャチが指差していた果物を思い浮かべてのナマエの言葉に、ん? とシャチが言葉を零す。
 少しだけ考えるようにしてから、ああ、あれ、と声を漏らしたシャチの顔からずるりとサングラスがずれた。

「そういやいっしょにみつけたよな」

 小さな手でサングラスを上へ戻しながらのシャチの言葉に、ナマエが軽く頷く。
 先日出航した島は密林の生い茂る小さな無人島で、水や食料を集める為にハートの海賊団は船を降りていた。
 戦えないナマエを連れて歩いたのは、猛獣が出たらおれが何とかしてやるよ、と言って笑ったシャチだ。
 ナマエがハートの海賊団へ入ってから、ナマエを率先して世話してくれているのは彼だった。
 元々潜水艦を見上げているだけだったナマエへ声を掛けてくれたのもシャチで、島で過ごす二週間のうちにナマエをローへと紹介し、仲間に入れるよう仕向けてくれたのも彼だ。
 『漫画』でしか知らなかったハートの海賊団の一員になれてとても喜んだナマエは、だからこそ、そうやって何も知らないナマエへあれこれと教えてくれるシャチには感謝している。

「ごめん」

 ぽつりと小さく謝罪して、ナマエの眉が寄せられる。
 つい先日の食料集めの時、あの果物を最初に見つけたのはナマエだった。

『シャチ、これ食べられるか?』

『ん? 毒じゃなかったと思うけど……美味いか?』

『さあ……じゃあ食べてみる』

『や、待て待て。おれが食う。あーん』

『……あーん?』

 自分が口に入れようとしたものを横取りされて、ついでに不味いと噴きだされたことも思い出して、ナマエの目が少しばかり伏せられた。

「……やっぱり、俺が食べてればよかった」

 そうすれば少なくとも、今シャチに不自由はさせていなかったはずだ。
 後悔に塗れたナマエの言葉に、うん? とシャチがその腕の中で首を傾げた。
 不思議そうなその目がサングラスの向こう側からナマエを見やって、しばらく考えてからにんまりとその口元が笑みを浮かべる。

「まー、おれひとりですんでよかっただろ、まずかったし。もしうまかったら、みんなこーなってたかもしれねーよなァ」

 そうしてシャチの紡いだ言葉に、確かに、とナマエも頷いた。
 食べられる食材を捜して歩いていたのだから、その味が渋いとシャチが吐き出すほどのものでなかったら、毒草でないと判断されたあの果物は食料として採取されていてもおかしくは無かった筈だ。

「……持って帰ってこなくて良かったな」

 そうでなくては、下手をすればハートの海賊団が乗るこの潜水艦の全員が幼児の姿になっていた可能性すらあるだろう。
 子熊になったベポは可愛かったかもしれないが、どう考えても航海に支障が出る。
 一週間の間に潜水艦を浮上させないと言う保証はどこにもないし、もしもそうなってしまったら、他の海賊や海兵や海王類たちの良い標的だ。
 恐ろしい事態になるところだったと身を震わせるナマエの腕の中で、そうだなァと呟いたシャチは、それから『でも』と言葉を続ける。

「いっこくらいはもっててもよかったかも」

「……誰に食べさせたいんだ?」

「んー? へへへへ」

 ないしょ、と言って笑うシャチの顔は可愛らしい笑顔だったが、誰かを悪戯の標的にしようとしたシャチを相手に、ナマエの口から漏れるのは溜息ばかりだった。







 結局のところ、シャチが小さくなった原因の一端は自分にもある。
 それが分かっているナマエは、シャチが元に戻るまでの間、彼の世話を優先して過ごすことにした。

「これで大丈夫か?」

「ナマエ、おまえすげえな!」

 倉庫にあったうちで一番小さな服の裾と袖を簡易的に詰めてやり、

「シャチ、口が汚れてる」

「ん?」

 朝食のミートソースで口元が汚れれば拭ってやり、

「届いたか?」

「もーちょっと……とれた」

 高い場所の物を取ろうとするシャチを手伝ってやる。
 シャチ自身に危険が無いと分かったからか、周りで見ているクルー達は軽く笑っただけで朝のようにシャチとナマエを取り囲むこともなく、シャチを構うナマエを諌めたりもしない。
 言うことをきかせているわりに眉を寄せるシャチをよそに、そうやって一日を過ごして、今日が終わろうとしていた。

「よっと。これでどうだ?」

「おー、ぴったり」

 簡易の靴代わりにしていた厚手の靴下を脱ぎ捨て、使い古しのサンダルを改良して作られたサンダルに足を入れて、シャチが目を丸くする。
 ナマエはきよーだな、と言って笑顔を向けてきた相手に、そうかな、とナマエは少しばかり照れたような顔をした。
 二人がいる倉庫の一室は、夕食を終えて後は眠るだけとなったこの時間、明日以降をシャチが快適に過ごすための道具探しに訪れた場所だった。
 ちらちらとカンテラの灯りが揺れるそこで、すでにいくつかの着替えは見つけてあり、ナマエの傍らに折り畳んで置かれている。

「本当はもう少し改良したかったんだけど、材料がなくて」

「お? かいりょーって、どんなだ?」

「底の部分にクッションになるものを入れると、もっと歩きやすくなるかなとか」

「へー! それいいな」

 ナマエの言葉に目を瞬かせて、シャチがナマエの足を支えにしながら自分の足裏を確認する。
 何の変哲もないサンダルの裏があるだけのそこを見ている彼の頭を見下ろして、持ち込んだ簡易椅子に座ったまま、ナマエはしみじみと残念そうな声を出した。

「あと、歩いたら音が鳴るようにしたかった」

「……それはなにがすげーんだ?」

「シャチがどこにいても分かるから、迷子にならないかと」

「ならねーよ!」

 眉を寄せたシャチの手がぱちりと可愛らしくナマエの足を叩いて、それから跳び箱を跳ぶように足を広げてナマエの膝の上へと飛び乗る。
 がしりとしがみ付いてきた相手にナマエが慌てて両手を上げると、がら空きになった胴へシャチの両腕が回された。
 衝撃でがちゃりと外れて落ちたサングラスを自分とナマエの間に挟みこんで、顔を相手の体へ押し付けたシャチが、真下からナマエを睨む。

「けさからおもってたけど、ナマエはおれのことをガキあつかいしてんだろ! みためはこんなでも、ガキじゃねーんだからな!」 

 きがえもめしもてつだいやがって! と手伝わせた癖に被害者の顔をしたシャチから抗議の言葉が上がるが、だって、とナマエの口からはそれに対する反論が漏れた。

「まだその体に慣れてなくて、うまくできないだろ?」

 ハートの海賊団に、今のシャチ程の子供がいたことは無いらしい。
 道具も家具も全てが成人男性用で、今のシャチには手に余るものが殆どだ。
 短くなった指や手足にも慣れないらしく、たどたどしい様子で道具を扱ったりボタンを掛けたりしている様子は本当の子供を見ているようで微笑ましいのだが、しかしナマエの中の罪悪感を常に刺激してくるのである。
 あの時、シャチの口にあの果物を入れなかったら、シャチはこんな風にはならなかったはずだ。
 毒物でなくて何よりだが、いくら『不思議』に満ちたグランドラインでも、もう少し慎重に行動するべきだったのだろう。
 これからは図鑑で確認しないと食べない、と心に誓ったナマエの膝の上で、鋭かった目を丸くして首を傾げたシャチの頭からいつものキャスケット帽子が落ちる。
 シャチの後ろ側に落ちて、そのまま膝から零れて行こうとしたそれを掴むためにナマエが身を屈めると、それを待っていたかのように伸ばされたシャチの二本の腕が、ナマエの首に回された。

「なんだよ、いちにちそんなこときにしてたのか、ナマエ」

 ばっかだなァ、と呟いて、小さな手がよしよしとナマエの頭を撫でた。
 戸惑いつつナマエが身を起こせば、それにくっついていったシャチの足がぽいと履いたばかりのサンダルを脱ぎ捨てて、柔らかな足裏でナマエの膝を踏みしめる。
 膝に立たれてはさすがにナマエよりも視点が高くなり、それを確認してから抱き付く腕を緩めたシャチが、随分と近い場所からナマエを見下ろした。

「なっちまったもんはしょーがねーだろ、くよくよすんなよ」

 被害者にそんな風に言葉を寄越されて、ナマエの眉間に皺が寄る。
 寄せられたそれを小さな指でぐりぐりと押してから、シャチは少しばかり屈んで自分がナマエの足の上へ落としたサングラスを拾い上げた。
 ナマエの肩に捕まり、おっとっと、とバランスを崩しかけたシャチに、ナマエが慌てて手を添える。
 体を支えられたシャチの背中が伸ばされて、拾い上げたサングラスがそのままナマエの顔へと掛けられた。

「それとも、おれがもとにもどるまで、みえないようにしてやろーか?」

 薄暗くなった視界の向こうからそんな風に言葉を寄越されて、ナマエがサングラスの内側で目を眇める。
 もしもここでナマエが頷けば、シャチは恐らくその通りにしてくれるだろう。大きくなるまでナマエの前に姿を現さないか、ナマエの目を塞いでしまってその手を引いて過ごすか、きっとそれすらナマエへ選ばせてくれる。
 案外世話好きな海賊の前で、いいや、と首を横に振ったナマエの手が、そのままサングラスを外した。

「男だからな、責任は取るよ」

「お、いうじゃねーか」

 言葉と共にサングラスを返却すれば、顔に合わない大きさのそれをかけたシャチがけらりと笑う。
 だけどガキあつかいはすんなよ、と続いた言葉に頷いてから、ナマエはそのまま一度首を傾げた。

「……抱き上げるのはいいのか?」

 子供扱いと言えば、そこが最たるものだろう。
 しかしナマエは何度かそれをシャチ自身に乞われていて、今だってシャチを膝の上へ乗せている。もしもシャチが普段の体だったなら、まずあり得ないことだ。
 ナマエの言葉にサングラスの向こう側で瞬きをしたシャチが、それから少しばかり眉を寄せる。
 その体がそっと屈みこみ、改めてナマエの膝の上へと腰を下ろした。

「いーんだよ、これは」

 そうしてきっぱりと放たれたシャチの言葉に、そうなのか、とナマエは呟いた。
 どういう了見なのか全くわからないが、シャチがそう言うのならそういうことにしておこう。
 今一つ納得できないものを飲みこむためにそんなことを考えるナマエの膝の上で、シャチが口を動かした。

「もしこんどナマエが『こう』なったら、おれがおかえしにだっこしてやるからさ」

 な、と言葉を零した相手へナマエが『分かった』ともう一度頷くと、見た目が子供になってしまった海賊は、満足そうに笑みを浮かべる。
 その言葉の言い回しに少しの違和感を抱いたものの、その顔があまりにも楽しげなものだから、まあいいか、とナマエが流してしまったのも、仕方のないことで。
 そしてその数か月後、すっかり元通りになったシャチがどこからかあの果物を入手してきて、その片腕に小さな少年が抱えられることになったのも、もはや約束された未来だったに違いない。
 小さく縮んだ自分の体に、やはり世界は不思議に満ちている、とナマエは改めて認識した。



end


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