ファースト・コンタクト
※無知識トリップ主は某俳優ファン
遠くから、不審なほど隠れて観察してくる男がいることを、ボルサリーノは知っていた。
初めてその視線に気付いたのは、一年ほど前だったろうか。
確かあれは、いつものように遠征を終えて、徒歩で海軍本部へ向かっている時だった。
その日のボルサリーノは、任務で軍艦を一隻壊してしまったので、あまり早く報告に出向きたくないと我儘なことを考えて、マリンフォードを徒歩で進んでいたのだ。
そしてその道中、ちくちくと顔に注がれる視線に気付いてそちらへ目を向けた。
その途端物陰に隠れてしまったその男は、どう考えても不審者だ。
しかしさらに町中で騒ぎを起こしては、軍艦の件と相まってどう考えても元帥の叱責を避けることはできず、それが面倒だと感じたボルサリーノはその男を捨て置いた。
それでも、それからマリンフォード内を歩くたびにその視線を寄越されては、嫌でも気になってくると言うものである。
仕方なくボルサリーノが収集させた情報によると、その不審な男は『ナマエ』という名前の一般人で、マリンフォードへと移住してきた移民であるらしい。
元いた島の名前はボルサリーノにすら聞き覚えはなく、偽りである可能性が高かった。
しかも、どうやら彼は、ボルサリーノのことをあれこれと調べているようだ。
最初はどこかの諜報員かと思ったが、あまりにも表だって行われる諜報活動に、その可能性はむしろ低いだろうとボルサリーノは結論を出した。
もしもこれが例えばCP9だったなら不出来すぎる。早々に処分される対象だ。
そしてどうも、『ナマエ』はボルサリーノへ接近するつもりがないらしい。
『つまらないねェ〜……』
一年程度の時間をその視線に付き合って、そんな結論を出したボルサリーノがそう呟いたのを聞いた同僚は呆れた顔をしていたが、つまらないものはつまらないのだ。
ボルサリーノは自分の戦闘力には自信を持っており、ピカピカの実を食べた自然系能力者としての自覚もあった。
戦う術を持たない男が何らかの形で危害を加えようとしてもそれを補うだけの能力はあるし、光の速さで動ける自分が、逃げ出す相手を捕えられないはずもない。
それに、最近の仕事は平穏な書類仕事ばかりで、少しは刺激が欲しいと思い始めていた頃だった。
海軍大将としての任があるボルサリーノの暇潰しと言えば、部下の訓練に付き合うか新世界へ入る前のヒヨッコ海賊諸君をつつき回すことくらいだ。
しかし、部下達を鍛えるのはせめて一週間に一度にしろとセンゴクから言い渡されており、そして先日行ったばかりだった。
ヒヨッコ達もつい最近蹴散らしたばかりで、まだ名のある賞金首がシャボンディ諸島へ入りそうだと言う報告も聞いていない。
『マリンフォードで騒ぎを起こすな』と低く唸って釘を刺してきたマグマ人間を思い出し、その顔に楽しげに微笑みを浮かべたボルサリーノがその体を光に変えて路地にいた『ナマエ』へ接近したのは、だからつまり、ただの気まぐれだったのだ。
「いっつもわっしを見てるよねェ〜? 何か用かァい?」
「……!」
しかしまさか、接近して見下ろした先で硬直した男が、その顔を真っ赤にするとは全く思ってもみなかった。
目を丸くして、戸惑った声をわずかに漏らしたボルサリーノを仰いだ『ナマエ』が、その背中をすぐそばにあった壁へと押し付ける。
その両手は何やら紙袋を持っていて、どうやら自分は彼がどこかの買い物の帰りの途中に遭遇したらしい、とボルサリーノは気が付いた。
調べた限り、ボルサリーノを見かけた『ナマエ』は何をしていようがすぐにその視線をボルサリーノへ注いでしまうから、恐らく今日もそうだったのだろう。
じっと見下ろした先で、ボルサリーノの顔を見上げている『ナマエ』の顔はまだ赤く染まっている。
「……ン〜? わっしの顔に何かついてるかァ〜い?」
問いつつ顔に片手を当てたボルサリーノの前で、男はぶんぶんと首を横に振った。
そんなに振ったら首がとれるんじゃないかと思うほどの勢いにボルサリーノが笑うと、『ナマエ』の目が大きく見開かれる。
その体が路地裏の奥へ逃げ出そうとわずかに身じろいだのに気付いて、素早く動いたボルサリーノの片脚が、『ナマエ』の真横の壁を踏みしめる形でそれを阻んだ。
だん、と大きく響いた音に、驚いた猫のように『ナマエ』の体が上に跳ねて動きを止める。
どう考えても町中のごろつきが一般市民をいたぶっているような構図だが、ボルサリーノの顔はマリンフォード内ではそれなりに知られている。
ましてや正義を記したコートすら身に着けているのだから、路地に駆け込んでくる海兵もいない。
ちらちらと注がれる視線は感じるが、恐らく海軍大将が一般市民に扮した悪人を詰問している様子に見えていることだろう。
年下の同僚が聞けば呆れた顔で手を横に振りそうなことを考えて、軽くボルサリーノが首を傾げる。
「もしかして、口がきけないのかァい?」
集めた『情報』でそんなことは無いと分かってはいるが、あえて押し黙ったままの相手へ問いかけると、『ナマエ』はもう一度ぶんぶんと首を横に振った。
それから、それでは相手の言葉を否定したことにならないと気付いたのか、震える口がゆるりと開かれる。
「あ、いや、あの」
震えの目立つ声で言葉を紡ぎながら、その目がボルサリーノをじっと見上げる。
泣き出しそうなその顔に、男が情けない顔するんじゃないよォ、とボルサリーノは肩を竦めた。
もしもこれが自分の部下だったなら、今日は特別に訓練をさせてやるところだ。
「その、何か用事があるとかじゃ、なくて、ですね」
「ン〜?」
「み、見てたかったから見てた、っていうか」
一応事情を話すつもりがあるらしい『ナマエ』へ、ボルサリーノが相槌を打つように頷く。
その足が降ろされても逃げ出そうとはしないまま、言葉を放ちつつゆるゆるとうつむいていった『ナマエ』は、その目で自分とボルサリーノの靴が踏みしめている地べたを見やった。
普段は物陰からとはいえまっすぐに視線を寄越すくせに、ボルサリーノが目の前に来ただけで怖じ気ついたように目を伏せる男に、ボルサリーノがわずかに眉を寄せる。
今すぐ手を伸ばしてその頭を掴み顔を上向かせてやろうかと思ったが、ボルサリーノがそう行動する前に『ナマエ』が更に言葉を吐き出した。
「ボ、ボルサリーノ大将さんが、おれの知ってる人にそっくりで」
「わっしがかァい?」
「格好いいなって、その」
寄越された言葉に、ボルサリーノはぱちりと瞬きをする。
さすがに、集めさせた『情報』の中にもそんな事情は入っていなかった。
しかし、うつむいた『ナマエ』は耳まで赤いので、その言葉が嘘だとは思えない。
もしもこれが演技だったなら、『ナマエ』がどこかの諜報員では無いと言うボルサリーノの出した結論は覆される可能性すらあるだろう。
しかし、男から『格好いい』と評されても、返答には困るものである。
例えばそれが戦いの最中でのことならば、ボルサリーノの圧倒的な戦闘能力を前に傾倒する部下達は確かに存在する。
しかし彼らは『強さ』に感銘を受けているのであって、ただの一般市民でしかない『ナマエ』はボルサリーノのそれを見たことなど無いはずだ。
だとすれば『ナマエ』は、純粋にボルサリーノの見た目に対してそれを言っていると言うことになる。
異性ならともかくとして、同性でそう言う感想を持つのが理解できないと首を傾げたボルサリーノの前で、『ナマエ』が身じろいだ。
その両手が持っていた紙袋を突き出してきて、がさりと紙袋が音を立てる。
「……オォ〜、別にわっしは恐喝しようってんじゃないんだけどねェ〜?」
「違います! これ、その、えっと」
困ったように声を零したボルサリーノへ、慌てて顔を上げた『ナマエ』が、やはり真っ赤なままの顔で口を動かした。
「誕生日、おめでとうございますっ!」
プレゼントです! と意気込んだ様子で言葉を続けられて、ボルサリーノは軽く眉を上げた。
戸惑うボルサリーノの方へとその袋を押し付けて、思わず受け取ったのを確認した『ナマエ』が、その場から一目散に逃げ出していく。
やはり鍛えてなどいないのだろう、鈍いその足が路地奥へ消えていくのを何となく見送ってから、ボルサリーノはちらりと手元の紙袋を見下ろした。
「…………わっしの誕生日ねェ〜……」
確かに、今日はボルサリーノの誕生日だった。
『ナマエ』がボルサリーノのことを調べていたのは知っているので、恐らくその段階で手に入れた情報だろう。
しかし、どうしてわざわざ観察対象に誕生日プレゼントなどを寄越すのか分からず、不思議そうに紙袋を見つめたボルサリーノの手が、ひょいと紙袋のくちを開く。
中にはきちんと包装されている『プレゼント』が入っており、重さからしても爆発物の類ではなさそうだった。匂いはしないので、食べ物の類でも無いだろう。
その指に軽く光を灯し、そのまま紙袋の中身を消し飛ばそうかと考えたボルサリーノが、それからもう少しだけ思案して、仕方なさそうに光をおさめる。
「…………こんなところで能力使ってちゃあ、騒ぎになっちまうしねェ〜」
他の海軍大将も同じだが、ボルサリーノの能力もまた派手な方だった。
道端で光を放って報告や苦情があがれば、始末書を提出することになることは目に見えている。
怒られるのも面倒だし、何よりそういえば、騒ぎを起こすなと同僚に釘を刺されていたのだった。
そんな言い訳めいた結論を出して、仕方なく紙袋を抱え直したボルサリーノは、その足を海軍本部へと向けた。
ゆるりと歩みを進めるうち、また離れた場所から慣れた『視線』が注がれたのを感じたが、今度はそちらに気付かないふりをして、そのままボルサリーノは海軍本部へと帰還する。
「……ちょいと、ボルサリーノ、海軍大将が一般人からカツアゲしてたって聞いたんだけど?」
「…………そりゃまたァ、ひっどい噂だねェ〜」
辿り着いた自分の執務室で、どこからか噂を聞きつけたらしい大将青雉の顔を見上げて肩を竦めたボルサリーノの傍らには、上等なマフラーが一本畳んで置かれていた。
end
戻る | 小説ページTOPへ