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小さな彼とおひるね
※トリップ男児




「マールーコ!」

 モビーディック号の船室の一つに響いた声に名前を呼ばれて、片手に帳簿を持ったままのマルコが視線を向けると、いつの間にやら開かれた扉の隙間から顔を出した子供が、佇むマルコを窺っていた。
 その小さな手は壁の端を掴まえていて、いつもならすぐにマルコの方へと駆け寄ってくる子供の様子に首を傾げてから、マルコがその顔に微笑みを浮かべる。

「どうしたよい、ナマエ」

 マルコが名前を呼ぶと、ナマエと言う名前の子供が、そこでようやく足の先を室内に入れた。
 少し埃っぽい薄暗い倉庫に入り込んだ子供は両手を後ろに回していて、何かを隠し持っているらしいのが分かる。
 マルコの目から何かを庇うその様子に、近付いてくるナマエに合わせてマルコはそのまま身を屈めた。
 敬愛する船長や他の何人かのクルー達ほどではないにしろ、子供に比べれば大柄なマルコへと近付けば、子供の秘密など簡単に分かってしまうからだ。
 『家族』の意思を尊重して屈んだマルコへ近付いて、自分とあまり高さの変わらなくなったマルコの双眸を見つめてから、ナマエはとても真剣な顔をした。

「あのね、マルコ」

「ん?」

「今日は、ナマエとおひるねしよ!」

 言葉を放ち、そしてナマエが自分の後ろから前へと移動させてマルコと自分の間に割り込ませたのは、子供が昼寝の時によく使っている枕だった。
 手先の器用なクルーが作成した、白ひげのマーク入りの特注品だ。
 子供が頭の下に敷いたまま、『白ひげ』の膝や腹に転がっているのを、マルコも何度か見たことがある。
 目の前に現れたその枕と、それから何故か真剣なまなざしをしている子供の顔を見つめて、マルコの目が瞬きをした。

「…………オヤジとは、今日はいいのかい?」

 いつだったか訪れた島でクルーの誰かが戯れに購入してきた『育児本』で、このくらいの年頃の子供は昼寝をさせるものだという記載があってから、この白ひげ海賊団では唯一の子供であるナマエの一日には昼寝の時間が組み込まれることになった。
 その面倒を率先して見てくれているのはマルコも敬愛する船長『白ひげ』で、寝かしつける為に語ってくれているらしいたくさんの『思い出話』を、子供もとても楽しみにしているらしいと言うことを、マルコも知っている。
 昼寝の時間だと言えば走って行ってしまうくらいなのだから、隠しようもない事実だ。
 そのナマエが、どうしてかマルコを昼寝に誘っている。
 船長に何か用事が出来たかと考えてみたが、マルコの知っている『予定』にはそういったものはなかった。
 むしろ『白ひげ』もナマエの昼寝の世話をするために昼下がりの時間を空けてくれているらしく、船医やナース達の健診がその時間に重なったこともない。
 不思議そうな顔をしたマルコへ向けて、今日はオヤジにはごめんなさいした、とナマエが言葉を紡ぐ。
 それはつまり『オヤジとの昼寝を断った』という意味で、ますます不思議そうな顔になったマルコを見つめて、子供はとても真剣な顔のままで言葉を続けた。

「マルコはもうきゅーけいで、お休み。だからナマエが、ちゃんとおひるねさせたげる」

「……何だって?」

「だいじょーぶ、オヤジの言ってたの、たくさんおぼえてるから」

 放たれた言葉はどうやら、自分の昼寝よりもマルコの昼寝を優先させると言いたいものであるようだった。



※※※



『最近働きすぎなんじゃねェの、お前。まーた夜更かししただろ、せっかくのパイナップルがしなびちまうぜ』

 移動中に聞き出したことによると、どうやら不可解なナマエの発言の発端は、食堂でフランスパンを頭に乗せたようなかのクルーが寄越した言葉を聞いていたがゆえのことだったらしい。
 確かに、最近のマルコは忙しくしていた。
 それもこれもあちこちの隊がすべき仕事を終えないままに島が近づいているせいなのだが、溢れた仕事を片付けるには当人達に任せるだけでは足らず、マルコの手にも本来なら他が任されていた仕事が寄ってきていたのである。
 当然ながら子供であるナマエにはそんな事情は分かる筈もないが、こんな子供から見ても分かるほどにマルコは酷い顔をしていたらしい。
 そんなことを考えこんだマルコの真上には、彼には見えないが日よけの庇が広がっていた。
 空からの日差しを遮り、マルコの上に影を落とすそれの端から、風を孕んで膨らむモビーディック号の帆が覗いている。
 棚を片付けている間、ずっと真横に立っていた子供の視線に根負けをして移動したマルコの体は、どうしたことか、モビーディック号の甲板の端にあった。
 最近の気持ちよい快晴を喜んだ船大工達が取り付けた庇の下に、マルコは転がっている。
 その頭の下にはあの小さな枕があり、そしてその枕の下には幼い二本の足があった。
 小さな枕を頭の下に入れられて、高さが足りないと笑ったマルコが枕を返してやろうとしたら、ナマエの足がそこへ割り込んできたのである。
 お前は眠らないのかと尋ねたマルコへ頷いた子供は、その両足の上にマルコの頭を乗せたまま、小さな手で軽くマルコの頭に触れていた。

「それでね、オヤジがロジャーに怒ったら、ロジャーは笑いながらお酒をくれたから、しょーがなく許してあげたんだって」 

 そして小さなその口で、マルコも聞かされたことがある船長の思い出話を語っている。
 話しながらマルコの頭を撫でるのは、恐らく『白ひげ』がナマエを寝かしつける時にそうするからだろう。
 もう片方の手がマルコの両目を覆っているのは、中々目を閉じなかったマルコに業を煮やして、その目をふさいでしまったからだ。
 小さな手ではマルコの両目を隠しきれはしていないが、彼の意思を汲んだマルコの両の目は閉じていて、澄ました耳にナマエの声が滑り込む。

「そしたら後からシキがきて、おれの分が無いなんてって怒っちゃったから、ロジャーの分をとって渡したげたら喜んで、でも今度はロジャーが怒っちゃうの」

 殆ど伝聞でしかないナマエが話すそれは少々難解で、大して睡魔を呼ぶことも出来ないが、訪れた久しぶりの穏やかな時間に、マルコの体からは力が抜けていた。
 吹いた風が潮の匂いを運びながらマルコの体を撫でて流れていき、近付く夏島の陽気を感じさせる。
 先に偵察に行ったマルコには、その島にはナマエを『元の世界へ返す』方法が無いと言うことを知っていた。
 今、マルコに膝を貸して話を聞かせている子供は、マルコが生まれ育ったそことは別の世界からやってきた子供だった。
 子供の語った『てれび』も『げーむ』も『ほいくえん』も『しんごうき』も『くるま』も『ひこうき』も『にほん』も、マルコ達は知らない。
 マルコ達の誰も知らないような平和な世界で生きてきたのだろう小さく健気な子供を、元いた場所に帰してやることが、今の白ひげ海賊団の航海の目的の一つだった。
 それが達成されるのがいつになるかはマルコにも分からないが、とにかく次の島では、それは叶わない。
 その方法を捜していることすら伝えていない子供が期待しているかどうかは分からないが、今のマルコ達に出来ることは、子供が落ち込む暇もないくらいに遊び回らせて楽しませることくらいだ。
 次の島では花火も盛んだと言う話だし、夜も楽しく過ごさせることが出来るだろう。
 食べ物は何を食わせてやろうか、どこへ連れて行ってやろうか、などと人の話をそっちのけで考え込んでいたマルコが、ふと落ちてくる声が途切れたのに気付いたのは、それからしばらくしてからのことだ。

「………………ナマエ?」

 目を塞がれたままで名前を呼んでみても、ナマエからの返事はない。
 頭の下には足の感触があるし、何より瞼を抑えている手も頭に触れている手もあるのだからそこにいることは間違いないが、返事をしないナマエを不思議に思ったマルコの手が、自分の顔からナマエの片手をひょいと持ち上げた。
 そうして十数分ぶりにその瞼を開き、明るさに少しだけ目を眇めてから、真上にあるその顔を確認する。

「…………寝てんのかい」

 思わず呟いたマルコの殆ど真上で、幼い子供が座ったまま目を閉じていた。
 その背中は壁に預けられていて、何とも穏やかに寝息を零している。
 笑ってため息を零したマルコが起き上がってもそれに気付いた様子もなく、ただ足に乗っていた重石が無くなったせいで体のバランスが崩れたのか、その体がマルコの置き上がった方へ向けて傾いた。
 仕方なく伸ばしたマルコの手が子供を支えて、それから自分の膝の上へと乗せる。
 小さな体を好き勝手に移動させられても、ナマエに目を覚ます様子はない。
 ここ最近、今の時間はナマエにとっての『昼寝』の時間だった。
 習慣づけられたそれに逆らうには、ナマエはまだ幼かったらしい。

「人を寝かすつっといて、自分が寝てりゃあ世話ねェよい」

 言いつつマルコが頬をくすぐっても、こそばゆさに肩を竦めたナマエはその目を開けなかった。
 ほんの少しの時間ですっかり熟睡している相手に笑ったまま、マルコはもう一度体を後ろへ横たえた。
 まだ出来上がっていない体を床に横たわらせては痛みを感じるかもしれないと、先ほどまで半分を枕にしていた子供を自分の上に寝そべらせる。
 いつだったかの船長のように子供を体の上に乗せてみると、夏島が近いせいか少し暑さすら感じられた。
 眠り込んだ子供の体温が温かく、じわりとマルコの方へと熱を移す。
 暑いねい、とそれへ笑ってから、甲板に横たわったままで動いたマルコの手が小さな枕を掴まえて、自分の胸元にあるナマエの頭の下へとそれを押し込んだ。
 ついで、自分の頭の下には腕を置いて、やれやれ、とその口からため息が漏れる。

「ナマエが起きるまで、おれも寝るとするかねい」

 誰にともなく呟いて、マルコの目がもう一度閉じられた。
 海原を駆けるモビーディック号の船体にぶつかった波が、遠い場所で音を立てている。
 時折響く鳥の鳴き声を聞きながら、やがてそのまま眠り込んだマルコが目を覚ましたのは、体の上の子供がすっきりと目を覚ました時だった。
 自分の方が先に眠ってしまったと気付いたナマエが、それから数日の間『マルコを昼寝させる』ことに情熱を燃やすことになるのは、また別の話である。




end


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