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赤と黄色の危険信号
※主人公はライフセイバーでトリップ主


 ばささ、と何かが羽ばたくような物音がして、俺はひょいと顔を上げた。
 わざとらしく俺の上を横切った影が、その俺の動きに気付いたように落ちてきて、砂浜にどすりと低く音が響く。

「よォ、ナマエ」

「……お元気そうで」

 ニヤニヤと笑いながら声を掛けて来た相手へ返事をすると、桃色の羽毛をあしらったコートを身にまとった男が、楽しげに肩を竦めた。
 サングラス越しに寄越される視線を受け止めて、俺はひとまず手元の旗を砂浜の端へと突き刺した。
 風を受けて揺れた旗が、赤と黄色の二色を震わせる。

「たまには赤と黄色以外の旗も立てたらどうだ。おれの旗を貸してやろうか?」

 俺の方へと近づきながら言葉を寄越した相手へ、これにも一応意味があるんだ、と返事をする。
 『この世界』では意味の無いものかもしれないが、赤と黄色の二色は、俺にとっては譲れないものだ。

「それに、海賊の旗なんて借りて立てたら怖いことになりそうだからイヤだ」

「フッフッフ! 相変わらずはっきり言う奴だぜ、小せェ島なら泣いて喜ぶ申し出だってのに」

 俺の言葉に楽しそうに声を漏らして笑った相手に、俺は軽く肩を竦めた。
 俺よりも年上らしい相手に、出来れば敬語を使いたいところなのだが、前に敬語を使った時に恐ろしく凄まれてしまったので、こんな口調を強いられている。
 年長者は敬う社会で過ごした時間の方が長い俺には違和感があるが、しかし本人が嫌がったのだから仕方ない。
 立てた旗から手を放し、俺は浜辺に敷いたシートを指差した。

「昼にしようかと思ってるんだが、一緒に食べていくか?」

 この間置いていった妙な格好の電伝虫で寄越された男の『仲間』からの連絡があったので、少し多めに作ってあったのだ。
 俺の言葉に笑みを深めて、おう、と返事した男が先にシートへと向かって歩いてく。
 羽毛を揺らしながら歩くその背中を見やり、何となくその姿を見慣れてしまった事実に気が付いてため息を零した俺は、それからちらりと空を見やった。
 白い雲が点在する青空は、俺と男が出会った時とよく似ていた。







 高波に飲まれて海をさすらい、気付けばこの島の浜辺に打ち上げられていてもなお、俺が海を嫌いになることはなかった。
 言語は通じるのにまるで異国のような風体の島の人々に世話をされて、ありがたく好意に甘えた俺が住居を構えたのは、海がよく見える入り江である。
 魚の漁へ行くと言う船に乗せて貰ったり、町まで行って仕事を貰ったり、時々入り江へやってくる子供達を勝手に監督したりしながらこの島で過ごして、ここはどうも『異世界』のようだ、と把握してからも俺の生活は変わらなかった。
 何度か溺れた子供を助けているうちに、子供達も俺がいないときはこの入り江では遊ばなくなった。
 他の海岸は全体的に遠浅だということなので、ここは格好の泳ぎ場なのかもしれないが、そうしてくれた方が俺も助かる。

「……これでよし、と」

 自分で作った赤と黄色の二色旗を入り江の端から端に立てて、そんな風に声を漏らした俺が、ふと視界の端をよぎった桃色に顔を向けたのは、俺がその世界に流れ着いて一年ほどしてからのことだった。
 ばしゃん、と随分遠くでしぶきが上がる。

「……何か落ちたのか?」

 思わずそんな風に呟いて、きょろりと空を見回した。
 しかし、そこには鳥など見当たらない。水しぶきを上げたのは、さっきちらりと見えた桃色の何かだろうか。まるで急に空中に現れたかのようだ。
 戸惑いながらもう一度海を見やって、先ほどしぶきが上がった辺りにちらりと見えた肌色に、大きく目を見開く。

「人か……!?」

 一瞬だが、波間から見えたそれは確かに誰かの腕だった。
 何かが沈んでいくことを示している海の様子に、慌てて上着を脱ぎ捨て、海へと駆けこむ。
 年中初夏の陽気を保っているらしいこの島の海はそれほど冷たくはなく、柔らかな砂を踏みつけてさらに海へと進み、深くなっていったそこからすぐに泳ぎ出した。
 両手で交互に水を掻いて、レスキューチューブ代わりの浮きを引きずりながら、先ほど水しぶきが上がった辺りまで移動する。
 子供達には行くなと言っている深いそこで水中に顔を入れて、沈んでいく桃色の影を確認してから息を吸い込んだ俺は、そのまま海の中へと潜水した。
 誰かが零している泡を頬に軽く受けながら、一直線にその影へと近寄って手を伸ばす。
 桃色の何かはどうやらコートの様なものであるらしく、海中にぶわりと広がったそれの隙間から、海の上を求めるように伸ばされた腕が覗いた。
 やはり人だ、と判断して、そっとその腕へと触れる。
 溺れた人間の反応が返ってくるかと思ったが、大人しく沈んでいくその人影は、俺が触れたことに何の反応も示さなかった。
 気絶しているのか、と判断してその腕を掴み、どうにか引き上げようとする。
 何ともでかい腕だ。俺の二倍はあるんじゃないだろうか。
 『この世界』の人間は大柄な人が多いようだから、そのせいかもしれない。
 水中の浮力に任せて引き上げた体を抱えてやりながら、そのまま海面を目指して水を掻く。
 海面に顔を出しながら抱えていた相手の頭を海面へ出してやり、片手で浮きを引き寄せた。
 平たいそれで相手が浮くよう固定しながら、足で水を蹴る。
 意識を取り戻してほしいところだが、今はとにかく陸まで戻るのが優先だろう。
 目が痛くなるような桃色のコートを見やり、浮きで肩から上が海上へ来るよう固定した相手の体を引っ張った俺は、そのままその人間を浜まで引きずっていき、浮きを外してから砂浜へと転がした。
 予想通りでかい体だ。もしかしたら3メートルはあるかもしれない。『元の世界』だったら確実にギネスブックに載っていたに違いないだろう。
 短い金髪で、ぐったりとしている相手の顔を、軽く叩いてみる。

「おい、大丈夫か? しっかりしろ」

 声を掛けるが、反応がない。
 しかし、弱弱しいが呼吸はあるようだ。とにかく気道を確保するか、と両手でその頭に触れたところで、何故かびしりと自分の体が硬直した。

「…………え?」

 困惑して体を動かそうとして見るが、まったく動かない。指の一本もだ。
 何だこれは、と目を瞬かせる俺の前で、俺が砂浜へ放った相手がぱちりと目を開く。
 じろりとその目がこちらを見たところで、俺の体は俺の意思とは全く関係なく両手を下ろした。
 自分の腕が自分の意思と関係なく動くだなんて、生まれて初めてのことだ。
 しかし、まあ今は自分の異常事態よりも、海へ沈んでいった相手が目を覚ましたと言う事実の方が重要だろう。
 そう判断して、俺は自分の腕を見てしまった視線を無理やり相手へと向けて、警戒されないように笑顔を浮かべた。

「だ、大丈夫か? どこか、痛んだり苦しいところは無いか」

 全身がびしゃびしゃに濡れた相手へ問いかけながら、ちらりと見やってその全身に外傷がないことを確認する。
 気付いた時には海に落ちていたのでどのくらいの高さから降ってきたのかを俺は知らないが、上がっていた水しぶきは随分と高かったので、それなりの高さから海に叩き付けられたことだろう。いくら水でも限度がある。
 俺の言葉に怪訝そうな顔をしながら、相手が俺の前で起き上がった。
 桃色のコートなんて派手なものを着ているが、随分と似合うな、なんてことを少しだけ考える。上等そうなそれも海水に塗れて、ついでに言えば砂で汚れてしまっていた。

「…………あァ、なんてこたァねェ」

 俺へ向けてそう返事をしてから、男は弱弱しい動きでコートに手を掛けた。
 脱ごうとしているが、濡れたそれが腕にまとわりついて苦戦している。手伝いたいところだが、俺の体はまだ動かない。
 くまがどうだのとぶつぶつ言っているようだが、まさか熊と一戦交えたのだろうか。いや、それでどうして何もない場所から突然降ってくるのだ。全く意味が分からない。さすが異世界だ。
 そんな風に思いながら、成すすべもなく目の前の相手を見つめることになった俺は、妙な違和感のようなものを抱いていた。
 既視感とも言うべきだろうか。
 ようやく男が脱ぎ捨てた桃色の羽毛をあしらったコートを、どこかで見たことがある気がするのだ。
 『元の世界』で見たグラビアのアイドルか誰かが着ていたのだったろうかとも少しだけ考えたが、どうも違う気がする。
 水を吸った重さで砂の上にへたりと倒れたコートを見やり、チッと舌打ちをしてから、男の顔がもう一度こちらを向いた。
 じいっと観察するような視線を向けられて、何とも居づらくて身をよじりたいが、まだ体は自由にならない。
 まるで自分の意思と体の神経を遮断されてしまったような感じだった。呼吸は出来るし、目も動かせるが、俺の体には一体何が起きているんだろうか。

「…………てめェがおれをここまで運んだのか」

 全身ずぶ濡れの俺を観察して、男がそんな風に言葉を寄越した。
 ああ、とそれへ返事をしてから、俺もとりあえずその視線を見つめ返す。
 これだけ体格が違うってのによくできたな、と何となく面白そうに男が言うので、そういう訓練も受けたからな、と俺は答えた。

「訓練?」

「ライフガードになろうかと思ってた時期があったんだ」

 問われた言葉にそう言えば、男は軽く首を傾げた。
 もしかすると、この世界にはライフガードなんてものは無いのかもしれない。だとすればおかしなことを言ったかと、何でもない、とごまかしを口にする。
 俺の言葉に少しばかり目を細めてから、男は俺の方へと少しばかり身を屈めてきた。

「何の話だか知らねえが、おれがどこの誰だか分かっていて助けたのか? 見返りに何が欲しい」

「見返り……?」

「金がいいか」

 俺と同じように海水まみれのまま、尋ねた男の目はまだ俺を観察しているようだった。
 寄越された言葉にぱちりと瞬きをしてから、俺は目の前の相手を見つめ返し、それからちらりと自分の体を見下ろした。
 相変わらず指一本も動かないが、さすがに初夏の陽気でも、濡れた体で潮風にあたっていると中々に寒い。
 見える範囲には何の異常もないようなのに、本当に、どうしてこの体は動かないんだろうか。
 訳も分からないまま、とりあえず男へと視線を戻した。

「人を助けるのに理由はいらないんじゃないのか? ここの金がたくさんあっても扱いに困りそうだし、俺はライフセーバーだから」

 ボランティアというのは無償で行うものだし、俺が『元の世界』へ帰ったなら、この世界で手に入れた金なんて全部ただの紙切れになる。
 偽札を持っているなんて周囲に思われてはたまらないし、この島の人間は優しいから、働き口だってしっかりあるのだ。
 俺の言葉に怪訝そうな顔をした相手へ、だからそれより、と一言を置いてみると、先を促すようにその目が眇められた。
 睨み付けるようなその眼差しに、不良じみた表情だな、なんてことを少しだけ考える。
 どうも俺より年上のようだが、桃色の羽毛コートを着込んで空から降ってきたこの男は、もしかしたらヤの字のつく職業だったりするのかもしれない。

「どうせなら『ありがとう』って言われた方が嬉しいな。別に、礼を言われたくてしてることじゃあないけど」

 そんな風に言った俺の前で、今度は男の方がぱちりと瞬きをした。
 その目がすこしばかり見開かれて、それから、ふいと顔が逸らされる。
 気分を害してしまったかと思ったが、ふるりと震えたその肩に、どうやらそうではないらしい、と把握した。

「……フ、フッフッフッフ!」

 妙な笑い声を零して、口元を大きく笑顔にした男が、よろりと身じろいで立ち上がる。
 そうされると更に大きく見える男を見上げたところで、俺はふっと体に自由が戻ったのに気が付いた。
 傾いだ体を慌てて片腕で支えてから、男と同じように立ち上がる。
 砂浜に触れていた部分は、余すことなく砂まみれになってしまっていた。
 別に俺だけだったら気にしないが、俺の前で立ち上がっている男の方が砂で汚れている。
 手を伸ばして払ってやった方がいいのかもしれないが、立ち上がられてしまっては肩口から上には手が届かない。
 俺が見やった先で、面倒くさそうに軽く体の砂を払ってから、男がそのまま俺を見下ろした。

「アリガトよ、助かったぜ」

「どういたしまして」

「フフフ!」

 素直に寄越された言葉へ返事をすれば、また男が妙な笑い声を零した。
 何となく聞いたことがある気がするそれに首を傾げながら、そっと身を屈めて、男のコートを手に取った。
 男の体格に合わせたそのコートはでかく、水を吸っていて重たい。砂にまみれて汚れたそれが、普通に洗濯できるものとも思えない。
 男がどこから現れたかもよく分からないし、とりあえずすぐそばにある俺の家で風呂にでも入らせて、町中の方へ案内した方がいいだろうか。
 しかし、この男の体に合うサイズの着替えは残念ながら持っていない。男が風呂に入っている間に、誰かから借りてこよう。
 そんなことを考えた俺の頭を、がしりと何かが掴まえた。

「う」

「なァ、おい、お前の名前は?」

 ぐいと上へ頭を引っ張られ、無理やり仰向かされた先で、男が俺のことを見下ろしながら尋ねてくる。
 何とも高圧的に思える相手に眉を寄せながら、ナマエだと返事をすると、またしても先ほどの笑い声を零した男が口元の笑みを深めた。

「そうか、ナマエか。おれはドフラミンゴだ」

「……え?」

「ドンキホーテ・ドフラミンゴだ。王下七武海の、つったほうが分かりやすいか?」

 オウカシチブカイ。
 出て来た単語にぱちりと瞬きをしてから、もう一度目の前の相手を見上げる。
 俺を見下ろして楽しそうな顔をした大男が、おれのことはちゃんと知ってるようだなァ、なんて言葉を口にしている。
 何の冗談だろうか。
 困惑しながら、俺は相手をじっと観察した。

 『オウカシチブカイ』という言葉と、どこかのディスカウントストアを彷彿とさせるその名前の『ドフラミンゴ』を、確かに俺は知っている。
 しかしそれは、『元の世界』で読んでいた漫画の中のキャラクターのことだ。
 海賊と海軍の戦争の最中に持論を披露し、俺が『この世界』へやってくる前に読んだ週刊誌では、確か主人公達と敵対する位置に置かれていた。
 とてつもなく体がでかく、その名を表すような衣装を着込んでいたキャラクターを思い出して、は、と息をのんで抱えたままのコートを持つ手に力を込める。
 そういえば、このコートは、あいつが着ていた衣装によく似ていないだろうか。

「それなりにワルイことはしてきたつもりだが、海賊を助ける心のお優しい民間人がいたとは知らなかったぜ」

 海軍大将の犬には気を付けろよ、なんて言いながら、未だに俺の頭を手放すつもりの無いらしい男の顔には、嘘なんて見当たらない。

「体のあっちこっち砂まみれだ、ついでに風呂でも貸せよ、ナマエ」

「ああ、うん、向こうが俺の家だから……サイズの合う着替えは無いから、借りてこようかと」

「いらねェよ、シーツでも貸せ」

 俺の言葉にそう答えながら、俺が指差した方向の建物を確認した男が、俺の頭から手を放して歩き出した。
 見送るようになってしまった俺の体が、俺の意思と関係なく動く。
 砂浜を素足で踏みつけて、男の横に並んで歩く自分の体には戸惑いしか感じられないが、今はそれどころじゃない。

「…………………………え?」

 つまり、ここはあの『漫画』の世界で、こいつは海賊なのか。
 どうにか困惑から抜け出した俺がそう把握したのは、男が風呂上がりの裸体を人の家のシーツで覆い隠し、俺を風呂場へと蹴り込んだ頃のことだった。
 衝撃の事実に震えながら風呂を終えて、着替えも持たされなかった俺が仕方なく腰にタオルだけの恰好で部屋へと戻った時に、目の前にいた美人のメイドさんに悲鳴を上げて風呂場へ逃げ戻ってしまったのは、まあ仕方の無いことだと思う。
 『ベビー5』と言うらしい彼女を呼んだ当人のドフラミンゴはすでに着替えを終えていて、フッフッフと上機嫌で笑っていた。
 『王下七武海』で『ドレスローザ国王』であるドフラミンゴが俺の下へやってくるようになったのは、その日からのことである。


end


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