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本日のおさわり15分
※黒猫化主人公は微知識




「うおーい、ナマエ〜」

 水を隔てた向こう側から聞こえた声に、俺はばしゃりと水面から顔を出した。
 銛を手放さないよう気を付けつつ、すぐ近くに浮かせてあった浮き輪に片手で掴まって、顔中にまとわりついた潮水をぶるりと頭を振って払ってから、そのまま顔を声がした方へ向ける。
 海面からそびえるモビーディック号の端に先ほどの声の主が座っていて、いつものテンガロンハットを頭の上に乗せたまま、何とも面白くなさそうな顔をしてこちらを見下ろしていた。

「どうしたんだよ、エース」

 呼ばれたので尋ねた俺に、まだ泳ぎ足りないのかよ、とエースが呟く。
 落ちてきたその声に、俺はちらりと腰元を見やった。
 腰に巻いたサッシュには網が結わえてあって、その中にはさっき俺がついた魚達がそこそこの量入っている。
 何度か網を上に上げたから、まあ、今日はこのくらいでいいかもしれない。
 我らが白ひげ海賊団は大所帯だし、エースを筆頭に大食いの奴らもたくさんいるから絶対に足りないけど、その分は他のクルーがとってきているだろう。

「それじゃ、そろそろ上がろうかな」

 そんなことを考えてから口を動かすと、よし来た、とエースがすぐさま立ち上がった。
 その手が、俺が捕まっている浮き輪に結ばれた縄に触れて、ぐいと上へと引っ張り上げる。

「うわ!」

 慌てて浮き輪に両腕を絡めた俺の体は、つり上げられた魚のように勢いよくモビーディック号の上まで引き上げられた。
 体が宙に浮いたので、高さがモビーディック号のふちを超えたことを把握してからすぐに浮き輪から手を離す。
 体を捻って姿勢を整えた俺は、そのままエースが立っているのと同じ船の縁にきちんと降り立つことが出来た。この体になる前には絶対にできなかったような動きである。ちょっと嬉しい。
 けれども、まさか喜ぶわけにもいかないので、俺はずぶ濡れのままで傍らを見やった。

「エース、危ないから止めろって、これ」

「なんだよ、ナマエなら大丈夫だろ?」

 注意した俺に返事をして、ぽいとロープを放ったエースが甲板の方へと降り立つ。
 こちらを見上げるその顔があまりにも不思議そうなものだから、何となく怒る気持ちがそがれてしまって、俺は仕方なく腰元の魚の網と手元の銛をエースへと差し出した。
 俺からそれを受け取って、エースが手早くそのまま道具を甲板の端へと片付けに行く。
 途中で他のクルーに魚入りの網を押し付けている様子を眺めながら、その場で屈みこんだ俺の口からはため息が漏れた。
 まあ、エースという海賊はこの船になじんだ頃から『ああ』なんだから、今さら仕方の無い話かもしれない。
 むしろ、オヤジが息子にした最初の頃の突っ張り具合には面食らったほどだ。
 だってあの『主人公』の兄貴なのだから、今はまだ東の海にいるだろうどこかの誰かさんのようにいつだってニカニカ太陽のように笑って誰も彼も友達扱いなんだと思っていたのに。
 伸ばした手を叩き落されて驚いたのが、もう随分と昔のことのように思える。
 やれやれと首を横に振る俺の下で、パタパタと音が鳴った。
 それに気付いて視線を向けて、おっとしまった、とそれを自分の方へと引き寄せる。
 俺の尾骨あたりから生えている黒い毛皮の尾が一本、海水に濡れてしんなりとした状態で俺の意識のままに移動した。その毛先から海水が落ちていくのを、体にそれを巻き付けることでどうにか抑える。

「あー……」

「ほら」

「うぶ」

 海水で汚れた甲板を見下ろしていたら唐突にばふりと頭をタオルで包まれて、思わず体が少しばかり後ろへ傾いた。
 けれどもそれでも海側へと倒れなかったのは、どうやらこのタオルの主らしいエースが、がしりと俺の頭を捕まえるようにしてタオルを押し付けていたからだ。
 どうにかバランスを持ち直した俺を放っておいて、わしゃわしゃと動き出したエースの手が乱暴にタオルを操る。

「う、お、おお、お、おお」

「変な声出すなよナマエ」

「そ、うおもう、なら、も、少し、手加減して、くれ」

 髪を拭くどころか頭蓋骨を掴んだまま乱暴に上下にシェイクされて、抵抗もままならずされるがままにされた。
 そのうち満足したらしいエースがぱっと手を放したので、ぐらぐら揺れる頭をどうにかタオルごと支える。
 ちょっと酔った気がするが、『弟』を前にしてそんな情けない顔も出来ない。男には意地という物があるのである。
 どうにか持ち直し、バランスよく縁に立ったままで頭から降ろしたタオルで顔を拭いてから、俺はちらりとエースを見やった。
 注意を向けたほうへ、少しばかり耳が動いたのが分かる。
 それに目を引かれたらしいエースの手が伸びてきて、『兄』である俺の頭の上にその手がぽんと乗せられた。

「ナマエのこれ、面白ェよなァ」

 言いながら、人の許可も取らずに指でそれをくすぐられて、仕方なくエースを見上げる。
 普通の人間が顔の側面に付けている耳の代わりに、俺の頭の上には、いわゆる猫耳と呼ぶべき耳が一対付いていた。ついでに言えば、それと同じ黒い毛皮に包まれた尻尾も一本生えている。
 これらは生まれつきのものでは無くて、ある日突然『こちら』の世界へ来た時に生えてきたものだった。
 もともと、俺は『この世界』の住人じゃなかったのだ。
 いつものように学校に行っていた筈が、どうしてか気付けばこの世界にいて、体がこんな風になっていた。
 ついでに言えば、どうも『この世界』は『元の世界』で読んだことのある漫画の世界に似ていて、知っているキャラクター達や生き物や島とも何度か遭遇した。
 こんなちょっと普通とは違う見てくれで、帰り方も分からず行くあても無くどうしたものかとしょぼくれていた俺を拾ってくれたのは『白ひげ』エドワード・ニューゲートだった。
 あの日俺はあの人の息子になって、家族や兄弟がたくさんできて、まあこの世界で生きていくのもいいか、と開き直った。
 何となく顔を知っている『エース』が俺の弟になったのは、それから随分と後のことだ。
 週刊誌を買ってて、ほぼ毎週頭から終いまで読んでいただけだから台詞などはうろ覚えだったものの、エースがあの『漫画』の『主人公』の兄であるらしいことを俺はちゃんと覚えていた。
 もしかすると、元の世界にいてあの『漫画』をずっと読んでいたら、そのうちオヤジ達もどこかのコマには載っていたのかもしれない。
 まあ、今となっては確かめようもないことだけれども。

「エース、くすぐったい」

 指先で耳の付け根を撫でられて俺が体を後ろに引くと、あ、わりィ、と大して悪びれた様子も無く謝ったエースが手を降ろした。
 それから、その目がちらりと俺が体に巻き付けているびしょ濡れの尻尾に向けられる。

「…………」

「…………」

 何となく無言で尻尾を動かしてみたら、エースの目がそれを追いかけるのがはっきりとわかった。
 ついでに言えば、引いたはずの手もちょっと動いている。
 何がどう気に入ったのかは分からないが、エースは俺の耳と尻尾を触るのが好きらしい。
 どう見たって猫の耳と尾だけど、そんなに長毛なわけでも無いし、触って感触を楽しむならマルコのあの不思議な羽毛の方がいいと思うのに、そう言ってみてもエースは首を横に振っただけだった。
 よく分からず首を傾げた俺の前で、少し眉を寄せて口を尖らせた拗ねた顔のエースが、『いやなのか』と聞いてきたのはついこの間のことだ。
 そんな顔を『弟』にされて、いやだと言い切れる『兄』はなかなかいないだろう。
 まあ触られても頭の端や背中を触られているようなものだから俺は気にしないが、もしもこれが普通の女の子を相手にしての行為だったならセクハラだと思う。
 じっと注がれる視線にため息を零してから、先ほどエースに押し付けられたタオルで自分の尻尾を捕まえた。
 海水で濡れたのをごしごしと拭いて、次は上着を脱ぐ。下はまあ、水着なんだしいいだろう。
 びしょぬれのそれを海側に出して絞ってから、軽く振るって皺を伸ばすように広げた。
 きつく絞ったので殆ど水気が無くなったそれを傍らに置いてから、手早く肩から背中を拭いた後で改めて上着を羽織る。
 あまり風は無いがここは夏島だし、濡れたところを拭いて日当りのいい場所にいれば、そのうち服も体も乾くに違いない。
 そんなことを考えつつ、ふと気配を感じて尾を動かせば、あ、とすぐ傍から声が落ちた。
 服に注意を向けていた俺が視線を戻すと、いつの間にやらこちらへ向けて手を伸ばしていたらしいエースが、何とも残念そうな顔をしていた。
 どうやら、人が見ていない間に人の尻尾を捕まえようとしたらしい。
 まだ濡れている尻尾を海側に逃がしながら、屈みこんだ体勢から縁に座り込む体勢になって、手元のタオルで体の残りの部分を拭く。
 甲板を歩いても汚さないだろう程度に体を拭き終えてから、俺は改めてエースの方へ視線を向けた。
 ついでに、海側へ伸ばしていた尾を甲板側へ曲げて揺らせば、視界に入ったそれにエースが少々反応したのが分かる。
 そのまま尻尾を前へと出すと、何とも素早く動いたエースの手ががしりとそれを捕まえた。
 あまりの強さに、う、と少しばかり声が漏れる。

「エース、痛い」

「あ、わりィ」

 俺の言葉に、先ほどと同じく全く詫びている様子の無い声音で返事をしながら、エースの掌がするりと俺の尻尾を軽く撫でた。
 先ほど乱した毛並を整えるように滑る掌に、俺は縁に座ったままで自分の膝に肘を乗せて頬杖をつく。

「まだ濡れてるから、あんまり触り心地よくないんじゃないか?」

「ん? そんなことねェと思うけど」

 尋ねる俺に、エースが答えた。
 いや、そんなことあるだろう。いつもより滑りが悪いのは、触られている方でも分かる。
 それに俺の体は海水で濡れているのだから、悪魔の実の能力者であるエースにとってはそれほど気持ちがいいものでもないんじゃないだろうか。
 濡れた尾をエースの手から逃げ出させるように動かせば、右手だけだったエースの動きに左手が加勢する。
 自在に動く尻尾でエースの右掌をくすぐると、お返しのように左手の指で尻尾の骨をぐりぐり擦られた。
 別にそれほど痛くも無いが、わざとらしくびくりと尻尾を揺らせば、慌てたように力を緩めた指先が優しげに攻撃してきた部位を撫でる。
 したいがままにさせながら、人の尻尾に視線と意識を集中させているエースの顔を、正面から眺めた。
 日焼けがしそうなずれ方をしているテンガロンに気が付いて、伸ばした手でその向きを直す。
 俺がそんな動きをしても、エースには全く気にした様子が無い。
 さらにしばらくエースの様子を眺めてから、うーん、と俺は小さく声を漏らした。

「……楽しいか?」

「それなりだな」

 尋ねた俺の言葉にそんな風に返事を寄越しつつも、エースの意識は俺の尻尾に集中しっぱなしだ。
 たかだか尻尾のどこにそれほど魅力を感じるのかは全く分からないが、まあ、エースが楽しいのなら仕方ない。
 『兄』は『弟』を構ってやるものなのだと言うことを、俺はちゃんと知っている。

「体が渇くまでな」

 だからちゃんと条件も付けて、俺はそれからしばらくエースの相手をしてやることにしたのだった。




end


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