船医者マルコと誕生日
※『白衣とメガネ』設定
※主人公はnotトリップ主
「ほら」
「え?」
放られた声と共にぽんと頭の上に乗せられた重みに、おれは目を瞬かせた。
風が吹き抜ける高台で、村を眺めてぼんやり座っていた時のことだった。
戸惑いながら動くと頭の上のものがずるりと滑って、重みが落ちていきそうな気配に慌てて頭へ手をやる。
手に触れた柔らかい感触は、どうやら布地のようだ。
畳まれたそれを片手で押さえつつ改めて振り向き見上げると、おれを見下ろして笑っている相手がいる。
その手がこちらへ向けられていて、おれの頭の上に物を置いたのが彼だということは一目でわかった。
「マルコ?」
久しぶりに見た顔に、おれは相手の名前を呼んだ。
この村へこの海賊が留まるようになって、一年と少し。
時折ふらりと出かけては帰ってくるマルコが、いつものように『外』へ出てから、はや一週間だ。
いつの間に帰ってきたんだと尋ねつつ、両手で頭の上に乗せられていたものを降ろす。
両手で手にして見下ろしたそれは、やっぱり布で出来たものだった。
丁寧に折りたたまれたそれを掴んで広げてみると、それが上着だということが分かった。
「これ、どうしたんだ?」
おれにくれるのかと尋ねながら、両手で持ったそれを自分の体へ当ててみる。
袖の長さも丈もぴったりみたいだ。
「お前にと思って買ってきたんだよい」
「へー」
大きさを確認していたらそんな風に言われて、おれは改めて広げたその服を確認した。
誰かの古着を手直ししたわけでもない、真新しく見える上着が、なんだか妙に輝いて見える。
新品なんて、ここではあまりお目にかからないものだ。
もちろん買おうと思えば買えるだろうが、誰かからお下がりを貰ったり古着を手直して手に入る衣類より、食料だとか消耗品だとか、他に優先的に買うべきものがある。
村を眺める為に座っていた高台でひょいと立ち上がって、広げたそれへ袖を通した。
肌触りも柔らかで、布地は厚くないのにしっかりとした温かさを感じる。
今着ている服の上からその上着を羽織って、おれはマルコを見やった。
「どう?」
「ああ、似合ってるよい」
おれが選んだんだから当然だが、とマルコが片手で顎を撫でた。
にんまりと機嫌が良さそうに笑う相手に、なんだかおれも笑ってしまう。
「服なんてめったに買わないしすごく嬉しい。お土産ありがとう、マルコ」
外から帰ってきたばかりの海賊へそう言って、大事に着るからな、と言葉を続けた。
大事に着ておけば、いつか誰かに渡すときも、この着心地を堪能してもらえるだろう。
何年か先の『いつか』を考えて笑ったおれの前で、マルコが少しばかり肩を竦める。
「土産のつもりは無かったんだけどねい」
「え? お土産じゃないのか?」
放られた言葉に、おれは首を傾げた。
外へ出かけたマルコが、帰ってくる時に何かを持ち込んでくるのはいつものことだ。
変わった薬、変わった食べ物、変わった種、変わった本。
この村で暮らすおれ達が知らない物を持ち込んでくれる『海賊』が、おれの視線を受け止めて少しばかり眉を動かす。
「一昨日の日付は言えるかよい」
「一昨日? 一昨日は、〇月◇日だけど……」
おれの誕生日だったよと、おれは意味もなく主張した。
マルコがいなくて残念だったねと、そんな話を何人かとしながら、村のみんなでケーキを食べた。
祝い事のたびに村で振舞われるケーキは蒸しパンみたいな柔らかさでほのかに甘く、美味しいけれども日持ちがしないのだ。
マルコの分と残した一切れは、結局昨日には少しぱさぱさになっていて、それでも食べたがった子供がいたからそちらへ渡した。
マルコが帰ってきたら小さいものを焼こうと、そんな話をしてある。
「知ってるよい、お前の誕生日だってことは」
眉を寄せたおれの前で、マルコがそんなことを言う。
知ってて村を離れたのかとおれが口を尖らせると、伸びてきたマルコの手がおれの羽織っている上着に触れた。
曲がっていたのか、その指で襟を直して、よし、と一つ頷かれる。
「前に、新品の服は手元にないって言ってたろう。それなら誕生日プレゼントにどうかと思って、ちょいと買ってきたんだよい」
似合うのが選べてよかったと笑ったマルコに、おれは目を瞬かせた。
『誕生日プレゼント』。
放られた言葉の意味を飲み込むようにしながら、そっと自分の羽織った上着を見下ろす。
穏やかで明るい色の、明らかに新品と分かるものだ。
肌触りの良いそれを片手で撫でてから、そのままそっと脱ぐ。
「ナマエ?」
どうしたんだと尋ねてくるマルコの前で、貰った時のように丁寧に上着を畳んだおれは、そのままそれを両手で抱えるように持ち直した。
「……どうしよう、マルコ……」
そうっと呟いて、目の前の『海賊』を見やる。
どうしたんだと尋ねてくる視線を見つめ返して、おれは言葉を続けた。
「これ……独り占めにしたら駄目かな……?」
この村は小さくて、物資もそれなりにしかない。
誰かのものが別の誰かのものになるのは日常茶飯事で、おれが今履いている靴だってよそからのお下がりだ。
けれども、村の人間以外から初めて貰った『誕生日プレゼント』なんて特別なものを、誰かに渡すなんて想像もできない。
悪いことかなと眉を寄せて尋ねたおれに、マルコが目を丸くした。
そうしてそれから、何故だかその口がにやりとあくどく笑みを浮かべて、片手がその腰に当てられる。
「……あー、残念だが、そいつはとんでもなく悪い考えだよい」
「やっぱり……?」
「けどまァ、男には誰だって悪いことをしでかしたくなることがあるもんだ」
だから安心して独り占めにしちまえと、マルコが言う。
放られた言葉はおれの凶行を許すそれで、え、と思わず声が漏れた。
一歩足を踏み出してきたマルコが、片手を口元へ当てて、少しばかり声を潜める。
「ここだけの話だが……おれだってそう言う悪ィことはしてきたし、何ならオヤジだってやってたよい」
「マルコ達も?」
「あァ、まァ、イイ子が海賊稼業なんてしてるわけがねェけどよい」
言い放って、マルコはにかりと笑った。
楽しそうなその笑顔に少しばかり目を丸くしてから、そっか、と少しだけ体から力を抜く。
この村を支えて来てくれた『海賊』の一人がそう言うのなら、大丈夫だろうか。
「じゃあ……おれが死んで棺に入れられる時、これ入れて貰えるように頼んでおこうかな」
他の全ては色んな人達へと分配されるが、一つだけ死んだ人へ持たせることになっているのだ。
いつかがあるならこれがいいなと、そんなことを思いながら言葉を零したおれの前で、マルコが少しばかり眉を潜めた。
「なんで今死ぬときの話をした?」
怒った声を出したマルコの手が動き、おれの額がべちりと叩かれる。
「痛い!」
「縁起でもねェこと言うやつが悪いんだよい」
両手で贈り物を抱えたまま、身を捩って相手から距離を取ったおれの前で、腕を組んでこちらを睨んだマルコが言い放ち、それからもう一度笑った。
全く、酷いことをする『海賊』だ。
そうは思ったし非難もしたくなったけど、笑っているマルコを見たら、何となくおれもつられて笑ってしまって、額の痛みはうやむやになってしまった。
end
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