狂死郎と誕生日
※NOTトリップ主人公は都のちょっと変わったみなしごB
※ワノ国に対するほんのりとした捏造(数え年)
「傳ジローにいちゃん!」
ぽんと放られた声に、傳ジローは足を止めた。
担いだ荷物もそのままに視線を向ければ、にこりと笑って近寄ってくる子供がいる。
「またお前か、ナマエ」
自分より低い位置にある頭を見下ろし、近寄ってきた子供を見下ろした傳ジローの口からため息が漏れた。
ワノ国、花の都。
青々とした木々が茂る山をいくつも背負い、清らかな川と美しい海の見えるその島にも、それなりの逸れ者がいる。
孤児である傳ジローもまたその一人で、彼へと近寄ってきてにっこり笑ってみせた小さな子供もそうだった。
「にいちゃん、おはよう」
「もう昼だ」
「じゃあこんにちは!」
放られた言葉に言い返せば、そんな風に返事が続く。
にこにこと人に好かれそうな顔をして笑う相手を見やり、傳ジローはひょいとその場に屈みこんだ。
視点が近くなり、傳ジローを見上げていた子供の顔が彼のそれに合わせて動く。
「この間仲介してやった茶屋は?」
「ちゃんと働いてるよ! おいしいお茶のいれかたを習ってるところなんだ」
今日はお使いだよと手元の金を見せられて、この馬鹿、と呆れた傳ジローの手が目の前の子供の額を叩く。
ナマエはとにかく、無防備な子供だった。
このワノ国でもこれほど危機感のない人間などそうはいないだろう。
往来で金を見せびらかすなど、盗ってくれと頼んでいるようなものだ。
「いたい……」
「痛くしなきゃ覚えねェんだ、お前みてェな奴は」
眉を寄せた子供が声を漏らしつつ片手で額をさするのを見やり、開いたばかりの包みを閉じさせて金をその懐へ仕舞わせながら、傳ジローはきっぱりとそう言った。
傳ジローがこの子供と知り合いなのは、孤児の彼を傳ジローが見つけたからだった。
路地裏で呆然と座り込んでいた子供がどこの誰の子供かなんて、親のいない傳ジローが知るわけもない。ワノ国では火事が日常茶飯事で、どこからか焼け出されたのだろう彼の着込んだ着物の端は焦げていた。
『ここ、どこ……?』
心細そうに呟く声が耳を引っ掻き、仕方なく。本当に仕方なく、傳ジローは落ちていた子供の世話を焼いた。
とはいっても、寝床をどうやって得るかと、食事のとりかた程度。
家でいくらか手習いがあったのか、珍しく読み書きのできたナマエには、働き口だって見つけられた。
誰かの下で働くなど傳ジローからすればまっぴらごめんだが、この子供はとても頼りなく、自分の身を自分で守ることは難しいだろう。
そこまで考えて茶屋まで引っ張っていってやったのが、半月前のことだ。
「動物じゃないんだから、叩かなくたって覚えられるのに」
むっと口を尖らせて、ナマエが言う。
幼子のような顔をした相手に、動物の方がまだましだろ、と傳ジローは答えた。
けれどもその手が幼子にするように目の前の子供の頭を軽く撫でて、それを受け止めたナマエが傳ジローへその目を向ける。
先程傳ジローが懐へ片付けさせた金を大事そうに片手で押さえて、それから、あ、と子供が声を漏らした。
「ねえ、傳ジローにいちゃん」
「ん?」
「今日って何月で何の日だか知ってる?」
「今日? 〇月……あー……◇の日か」
いつだったか日付を検めた日から『ひ』『ふ』『み』と指折り数え、日付をはじき出した傳ジローの前で、そう〇月、◇の日! とナマエが声を上げる。
嬉しそうで楽しそうなその顔に、何かあったっけか、と傳ジローは少しばかり首を傾げた。
花の都にはいつでも楽しい話題が転がっている。
それに乗じてうまく人を乗せて利益をかすめるのが傳ジローの得意とする手段の一つで、だからもちろん、情報収集は怠っていない。
その自分が思いつかないなら何もないはずだけどなと、そんなことを考えた傳ジローの前で、あのね、と子供が言葉を零した。
「今日って、おれの生まれた日なんだよ!」
「…………はあ?」
重大な発表とばかりに胸を張って放られた言葉に、傳ジローが眉を動かした。
その手が掛けていた黒メガネを額へ押し上げて、目の前の相手をしげしげと眺める。
寄こされた視線を受け止めて、顎を逸らしたナマエには自信がたっぷりだ。
なんともいえぬその顔に、お前な、と傳ジローは呆れの満ちた声を零した。
「そんなのおれが知るか」
「知らないだろうと思ったから教えたんだよ」
「知ってどうするんだ、そんなもの」
生まれた日なんて、ワノ国では大した価値もない。
年明けとともに年齢を重ねていくのが基本の世の中だ。
そもそもよくそんな日付を覚えていたなと、傳ジローの口が言葉を紡ぐ。
大事な日付だからちゃんと覚えていたんだよと、ナマエがそう言い返した。
相変わらず変わった事を言うやつだなと、傳ジローは肩を竦める。
先程額へ上げた黒メガネを降ろして、その視線をそのまま隠した。
「生まれた日の何が大事なんだか」
「おめでとうって言ったりしてもらって、お祝いするんだよ」
「誰に言ってもらうって?」
「にいちゃんに!」
にこ、と笑顔を浮かべた子供が、傳ジローを見つめている。
血も繋がっていない、ただちょっと手を貸してやっただけの相手へ寄こすには、あまりにも信頼に満ちた眼差しだった。
その眩さにいくらか眉を寄せてから、傳ジローは黒メガネの内側から相手をじとりと見つめる。
しかし隠れてしまった傳ジローの視線など気にした様子もなく、ナマエは今か今かと傳ジローの反応を待っているようだ。
「……お前、変だよ」
「ひどい!!」
思わず呟いた傳ジローの前で、子供が非難の声を上げた。
※
ひととせ、ふたとせ、いつとせ、ここのせ、はたとせ。
気付けば月日は移り行き、ワノ国には夜が来た。
怒りに取り憑かれた男がその名を狂死郎と改めてからも、都は相変わらずのままだ。
失った主君の大事な姫を守り、いずれ来る日の為に怨敵へ頭を下げて取り入って、闇夜に紛れて盗んだ金を持たぬ者にばらまいて飛び回る。
そうやって日々を過ごしていた男が、従えて歩いている子分共を撒いて都の片隅に構えられている茶屋へ足を運んだのは、ほんの気まぐれだった。
うまい茶を出す店としてひっそりと営業を続けているそこへ足を踏み込めば、来客に気付いた男がさっと背中を伸ばす。
「いらっしゃいませ!」
振り向き笑ったその店員は、とても平凡な姿をしていた。
侍のように体が引き締まっているということもない。上背がそれほどあるわけでもない。
しかしにこりと笑ったその顔はまるで幼子のように明るく、ワノ国の夜を知る狂死郎から見れば場違いなほどだ。
さすがの男でも『狂死郎』と呼ばれる侠客を知っていたのか、その姿を見た途端に目を瞬かせて笑顔を緩めてしまう。
それをいくらか残念に思いながら、狂死郎はその目を細めた。
「よう、ちょいと団子を包んじゃくれねェか」
懐から小銭の入った巾着を取り出して、じゃらりと揺らす。
これであるだけと声を掛けて相手へ放ると、慌てたように男がそれを受け取った。
「あの、こんなにたくさんだと、店のお団子全部でも足りないんですが」
「そんじゃあ茶も付けてくんな」
一杯飲んで帰る、と声を掛けて店先の適当な席へと腰を下ろす。
狂死郎の重みを受けてわずかに軋んだ音を立てた長椅子は、しかし真面目に職務を全うすることにしたらしい。
戸惑いと困惑の気配を零しながらも、店員の男がごそごそと茶の用意を始める。
聞こえてくる音を耳で拾いながら、狂死郎は改めて店内を見回した。
そこまで大きくはない店だ。
店主はもともとは老夫婦だったが、すでに彼らがこの世にいないことを、狂死郎は知っている。
少し修繕しなければならない箇所が見えるが、そこまで金が回っていないのだろうと見て取った。
この花の都は、今の将軍に忠実で金を生み出すものしか住めない。納める金を優先しているのだろう。
ふむ、と狂死郎が息を漏らしたところで、店主の男が狂死郎のもとへ茶と団子の包みを運んできた。
「どうぞ」
そうして最後に、お釣りです、と言ってまだ中身の入っている巾着まで返してくる。
横冴えたそれに片眉を動かして、狂死郎は渡されたそれをつまみ上げた。
「釣りはいらねェ、とっときな」
「え?」
「宵越しの銭を持ってちゃァ恰好がつかねェだろう?」
言葉と共に巾着をぽいと放れば、男が先程のように慌てて受け取る。
戸惑いをその顔に浮かべる相手に、やれやれと狂死郎が肩を竦める。
今一つ侍のもてなし方を知らない男だ。
そんなことでこの都でやっていけるのか。
「ありがとうございます……」
渡された金を返すなと示せば、困った顔をしながらも頷いて、男が金を懐へと片付けた。
その様子を眺めながら、狂死郎の手が湯呑を掴む。
啜った茶は良い塩梅だ。
一口、二口と優雅に茶を飲み、包みの端からつまみ出した団子を齧る。
甘みの控えめなそれを噛み、残りは土産にしようと決めた。気丈だがまだまだ幼いところのある姫君が、きっと喜んでくれるだろう。
そんなことを考えたところで、遠くで狂死郎を探す声が聞こえたことに気付く。そろそろ子分共に見つかりそうだと考えて、最後の一口を含み、茶で流すように飲み込んでから、割らぬように茶器をそっと椅子へ置いた。
「うまかった」
串を返しながら言葉を放って立ち上がり、狂死郎の目が改めて男を見やった。
狂死郎より随分と小さな男が、立ち上がった彼を見上げている。
いい年した男のはずなのに随分と幼く見えるその顔に、ふ、と狂死郎の口へと笑みが浮かんだ。
〇月、◇の日。
『今日って何月で何の日だか知ってる?』
二十年以上前の今日、おかしなことを言ってきた子供が、もはや随分と大きくなっていた。
時折様子を見てはいたが、ここまで近づいたのは初めてだ。
侠客相手に怯えず接客を出来るだけの度胸は育ったかと考えて、しかしもともと物怖じしない奴だったなとも思い出す。
片手で刀の位置を直し、狂死郎の手がひょいと包みを持ち上げた。
「あ、あの」
そのまま立ち去ろうとしたところで後ろから声を掛けられて、前へ踏み出しかけた足が止まる。
放られた声を追うように視線を戻せば、狂死郎を見上げた男が、その片手を懐にあてている。
そこには、先ほど狂死郎が渡した銭が収まっている筈だ。
どうしたのかと見つめれば、その、と声を漏らした男が、それから言葉を続けた。
「お代、預かっておくから……また来てね、にいちゃん」
おいしいの作って待ってるよと、そう告げた男の顔に笑みが浮かぶ。
小さな頃と同じ、警戒心などどこかに放って捨てたような笑顔を向けられて、は、と狂死郎の口がわずかに揺れた。
何故と問うべきか、どうしてと驚くべきか悩んで、けれども結局、狂死郎の口に浮かんだのは、いつものような笑みだけだ。
「……お前さん、変な奴だなァ」
「ひどい……!」
首を傾げて言葉を放った狂死郎に、男が非難めいた声を漏らす。
それを受けて少し大きく笑い声を零した侠客が、それからひと月に一度はとある茶屋を訪れるようになったのは、ここだけの話だ。
end
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