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クロコダイルと誕生日 2020
※『虚構を見る』と『虚構を想う』の微知識トリップ系海兵(後方支援型)とクロコダイル



 まず最初に、ここは俺にとっては『フィクション』の世界だった。
 悪魔の実に海軍、世界政府、海賊、海王類、電伝虫、通貨がベリーで人語を理解している様子の鳥が新聞を売る。
 俺が生まれて育った日本ではまずありえなかった話だし、見るはずもなかった光景だ。
 けれどもその『フィクション』は、ある日唐突に『ノンフィクション』となって俺の目の前に現れた。
 まったくもって意味が分からないし、夢なら醒めてほしかったが間違いなく現実だった。
 初めてここで迎えた数年前の今日、〇月◇日。一人になってからそれだけの時間が経ったという事実に、家でこっそり泣いた覚えがある。
 けれども人間というのは慣れる生き物で、俺だってこのフィクションだらけのノンフィクションには適応した。
 生きていく為に努力して、気付けば補給兵とは言え海兵になっていた。金を稼いで住まいを借りて、金を稼いで食事をとって、生きていく為に働いた。
 いつかは帰りたいなと思いながら、帰る方法も分からないまま、けれどもまあ、それまではここで流されるように生きていくんだろうと思ったし、その結論に涙は出なかった。
 けれども今、俺はとても泣きたい。

「なぜ……」

「顔色が悪ィなァ? ナマエ」

 呻く俺の横に、大変ご機嫌な海賊がいる。
 王下七武海、サー・クロコダイル。
 片腕が鈎爪というなんとも分かりやすい恰好の、毛皮のコートと葉巻が良く似合うマフィアのような顔をした海賊だ。

『…………え?』

『遅いじゃねェか』

 帰宅して玄関の扉を開けたと思ったら、そこには砂まみれの部屋が広がっていた。
 衝撃を受けた俺の前で、そう言ってにやりと悪辣な笑みを浮かべていたのがこの男だ。
 どう見ても窓が無くなっており、敷金が失われたという事実を俺がどうにか飲み込んだのは、その鈎爪に引っ掛けられて連れ出されてから一時間ほど経ってからのことだ。
 そもそも弁償額がものすごいことになりそうだ。掃除も大変だろうなと、ちらりとしか見えなかった部屋を思い浮かべて思う。

「一体、何の御用事でこんなことを……」

 一介の海兵を拉致するなんて、とても王下七武海のやることじゃない。
 この世界に身内もいない俺には身代金を要求する相手だっていないし、海軍側に何か要求をするつもりなら、もっと高位な人間か、その身内を狙うべきだ。
 俺ですら思いつくようなことをこの海賊が思いつかないわけがないし、ますます訳が分からない。
 引きずられて連れ込まれた海賊船の中、呟く俺に対して、クハハハ、とクロコダイルが笑う。
 俺に比べて大柄な体はそれに合わせてあつらえたようなソファにしっかりと座り込んでおり、連れてこられた俺は木造りの椅子に腰かけている。
 先程給仕らしき人が飲み物を運んできてくれたが、正直こんなところで出されたものへ口をつけていいかも判断がつかない。

「そのお粗末な頭じゃ思いつかねェか」

「はい、全く」

 馬鹿にするような声音で寄こされた言葉に、とりあえず頷いた。
 今日の俺は、いたって普通に働く真面目な海兵だった。
 いや、そもそも毎日の勤務態度だって真っ当なはずだ。
 少なくとも、疲れて帰ってきた家に王下七武海が不法侵入していたりだとか、海賊に攫われるような要因は無かった。
 だというのに現在の状況はこうである。
 俺が何をしたというのか。
 漫画だったら前のページへ戻って確認できるのに、ここで過ごす俺にはそれが出来ない。

「察しが悪いな」

 やれやれと言いたげに低い声を漏らして、『サー・クロコダイル』が片手を動かした。
 指輪で飾られているいくつかの指が、するりとソファのひじ掛けを撫でる。

「このおれが、やられたままでいるとでも?」

 声音には笑いが滲んでいるものの、鋭く見える眼差しがこちらを見た。
 放られた言葉に、ぱちりと瞬きをする。
 そんなことを言われても、俺がクロコダイルに何かをしたことなんて、あっただろうか。
 俺はただの海兵だ。それも補給兵。前線に出ることもなければ、どこかで彼の戦闘の邪魔をしたこともない。
 俺が『サー・クロコダイル』と接点を持っているのは、いつだったか、この海賊の気まぐれで世話係という役目を負わされた時と、それから召集の迎えに行かされた時くらいだ。
 その時だっていくらか話をした程度で、『サー・クロコダイル』の恨みを買った覚えは無い。そもそも、恨みを持った時点で俺の首と胴は生き別れになるだろう。そのくらいの強さを、この海賊は持っている。
 戸惑う俺の前で、クロコダイルが笑い声を零す。

「これでも分からねェか」

「はい、まあ」

 放られた言葉に相槌を打ちつつ頷くと、ますますクロコダイルの顔が楽しそうになる。
 機嫌のよい『サー・クロコダイル』というのはこんなに怖いのかと、俺は目の前の相手を眺めながら思った。
 思い出すのももう難しいあの本の中で、彼がこれほど楽しそうにしていたことはあっただろうか。
 少しばかり記憶を探っていると、意識の外から、急にがしりと首に何かがかかった。

「!」

 驚いて身を竦めるも叶わず、ぐいと引っ張られて無理やり椅子から立ち上がらされる。
 クロコダイルの片腕が砂へ姿を変えていて、伸びたそれの先にある鈎爪が、自分の首にかかっているのが分かった。
 思わず鈎爪に手を添えて位置を調節したのは、その切っ先が恐ろしく鋭いことを知っているからだ。
 そのまま引き寄せられて、とりあえず相手へと近付く。
 俺を立ち上がらせた当の本人はソファへ座ったまま、俺をじろりと見やった。

「おれを前にして考えごととは、随分と余裕と見える」

 言葉と共にするりと離れて行った鈎爪が、目の前の海賊の片腕に収まる。
 その様子を見送ってから、とりあえず自分の首に傷が無いかを確認していると、まァいい、とクロコダイルの方が先に口を動かした。

「その中身の少ない頭でも、今日の日付くらいは言えるな?」

「今日ですか? 今日は〇月◇日ですが……」

「分かってるなら話が早いじゃねェか。今日は、何の日だ?」

 ソファに腰かけたまま寄こされた問題に、ええと、俺は声を漏らした。
 今日は何かの語呂合わせだったろうか。
 それとも海軍や世界政府にちなんだ記念日か。
 少しばかり考えてみるものの、何も思い浮かばない。
 しいて言うなら俺の誕生日というくらいだ。
 今頃は家でのんびり休みながら久しぶりの酒でも舐めていたはずなのになと考えると、なんだかとても悲しい気持ちになる。
 黙り込んだ俺の前で、何故だか数秒の空白を置いてから、クロコダイルが舌打ちを零した。

「てめェのその頭の中身はなんだ? 砂でもつまってるんじゃねェだろうな」

「一応、脳みそが入っているかと思います」
 
 唸るような声音に返事をすると、そう言う話をしてるんじゃねェだろうが、とますます嫌そうな声が寄こされる。
 先程の機嫌の良さなど少しもない相手を見やった俺の前で、『サー・クロコダイル』はため息を零した。
 その手がもう一度ソファの肘置きを撫でて、片足がひょいともう片足の上へと乗った。
 長い足を見せびらかすように足を組み、そのまま背もたれへ深く背中を押し付ける。

「仕方のねェ野郎だ」

 言い放ち、その手がゆらりと鈎爪を揺らす。
 刺されたら痛そうな切っ先がこちらをちらりと見て、それからそっぽを向いた。

「今からおれ達が向かうのは、」

 そうして告げられた島の名前に少しばかり戸惑ったのは、どこかでよく聞くような典型的な旅行先だったからだ。
 気候の安定した春島で、いろんな人が楽しく過ごす場所らしい。
 王下七武海には、とても合いそうにない。
 なんでそんなところにと見つめた先で、アラバスタでも良かったがな、とクロコダイルが言う。

「『客人』を招くには少々面倒だ。他で済むならそちらで済ませるに限る」

「済ませる、とは一体……」

「それはてめェの頭で考えろ」

 きっぱりと言い放った海賊は、ふんぞり返ったままだ。
 さっぱり意味が分からないまま、俺はそのまま、『サー・クロコダイル』に春島まで連行された。
 美味しい食事に大量の買い物、美しい夜景とこれが美人とのデートだったら楽しいだろうなと少し思わせるようなコースだったが、それだと金を使われている俺が美人側になりそうなので却下だろう。
 結局最後の最後まで『答え』は貰えないまま、王下七武海の彼は俺をマリンフォードへ捨てて帰った。気に入らなかったのか、買い込んだ大量の荷物と共に。

「誕生日プレゼントかな……はは……」

 使い道のなさそうな高級品の入った箱の前で、そんな馬鹿なことを言ったって、笑い飛ばす相手もいない。
 大量の荷物をひいひい言いながら持ち帰ったことよりも、無断欠勤であるという事実が途方もなく恐ろしかったが、恐る恐る出勤した俺を上官が労い許してくれたので、恐らく『サー・クロコダイル』はなにがしかの要求を海軍にしてみたのではないかと思う。
 なにを要求したのかは怖くて聞けなかった。
 とりあえず今は、来年似たような事件に巻き込まれないようにと願うばかりだ。



end


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