シシリアンと誕生日
※無知識転生トリップ主は虎のミンク族
モコモ公国はとても広い。
海を歩く巨大な象主の背に揺られて、森も川も町も長い年月の間に作り上げられたここには、ミンク族と呼ばれる一族がいる。
姿かたちが全員『獣人』ではあるが、その系統は様々だ。鹿も羊も猫も犬もいる。
どうして俺達はここにいるのか、この国の成り立ちが少し気になるが、歩く『象』は話しかけても聞こえていないのか返事をしないし、どこへ向かっているのかも分からない。
残されている書物と言うものも数少なく、読むことが出来るものはそれより少ない。
くじらの中に隠された石板に刻まれた文字だって俺には理解できないし、それ以外も何もかも、ここには分からないものばかりがある。
そもそも、俺がここに生まれた『意味』ですらも不明なのだ。
俺は、ミンク族を『獣人』だと思っている。
『人間』の見た目とは違うからだ。
そして、ミンク族は俺の思う『人間』のことをレッサーミンクと呼ぶ。
小さな頃からぼんやりと抱いていた違和感は、大きくなってふと『思い出した』時に、俺の中でしっかりとした形になった。
俺は、もとは『人間』だった。
ここではないどこかで生まれて生きて、そうして死んだレッサーミンクだ。
そうして今はここで、ミンク族と言う名の『獣人』として生まれ直している。
転生だとか生まれ変わりだとか、多分そう言うものなんだろう。
地球丸ごとを見つめて宇宙まで目を向けていたかつてのあの世界と、ここが同じであるとも思えない。
海を歩く巨大な象やその背に国を構える獣人なんてものがいたら、間違いなく特集番組の一つや二つは組まれる娯楽になる。
未開の土地へ足を踏み込むことが好きな者も大勢いたのだ、ミンク族が見つからないはずがない。
俺達が極端に小さくて誰にも見つかっていないという可能性もあるが、それを確かめるためには象主から降りて出国せねばならない。
誰かを誘えたならそのまま出国したかもしれないが、俺が一番仲のよかった幼馴染はすでに将来の夢が決まっていた。
『え……犬嵐銃士隊になるのか?』
『ああ。ゆガラはどうするつもりだ?』
『俺は……じゃあ、そうだな……』
それならば、俺だってここにいることを選択する。
外へ出ている間に俺や相手に何かがあったら、二度と会えないかもしれない。
そんなのは、絶対にいやだった。
「ガルルルル!」
「おっと」
離れていてもよく聞こえる全力の唸り声に、とん、と太い木の枝の上で足を止めた。
犬嵐銃士隊が使うことの多い訓練場で、少し切り立った場所にあるそこから、何人かが蹴落とされている。
申し訳ありませんシシリアン様と上がった悲鳴の一つに、ははあ、と思わず声を漏らした。
どうやら、誰かが『甘い』ことを言ったらしい。
様子見ですわりかけていた腰を浮かせて、そのまま木の枝を蹴飛ばす。
太い枝はよくしなり、そうしてそのまま俺の体を跳ね上げた。
「さァ、ここまで自力で上がってこい!」
訓練場から下を覗き込んで怒鳴り声をあげているミンク族の横へ、すたりと降り立つ。
あまり音はしなかっただろうが、すぐさま気配に気付いた相手が俺から少しばかりの距離を取り、腰のサーベルへ手を当てて身構えた。
少し身を低くした後、帽子のつばの下からこちらを睨みつけたライオンのミンク族が、わずかに髭を揺らす。
「ゆガラか、ナマエ」
「久しぶりだな、シシリアン」
ゆっくりと構えを解く相手へひらりと手を振ると、侠客団がここで何をしている、と言う問いかけがあった。
確かにここは町が近く、俺達が根城にしているくじらの森からは離れている。
寄こされた問いに肩を竦めて、いつものことだろ、と返事をした。
「最近は『昼型』なんだ」
モコモ公国には、二人の王がいる。
イヌアラシ公爵とネコマムシの旦那は仲が悪く、いさかいを避けるためにお互いの『起きている』時間をずらしている。
それはそのままその周囲のミンク族にも影響していて、町の者は昼間に、森の者は夜に活動するのが殆どだ。
俺も基本的には夜が活動の時間だが、最近は何となく自分の昼夜を逆転させて歩き回っている。
似たようなことをしているミンクは他にもいるし、咎められるようなことでもない。
昔から俺を知っている幼馴染は、俺の言葉で何を言いたいのか分かったのか、ぐる、とわずかに唸るように喉を鳴らした。
「またゾウを見て回っているのか」
「明るい方が観察のし甲斐があるからな」
俺の目的を言い当てたシシリアンに、頷いてそう答えた。
モコモ公国は広く、一昼夜に見て回れるようなものでもない。
ましてやミンクすら生活していない象主の体の外れまで向かうとなれば当然で、俺は時折そうやってあちこちを見て回っていた。
見ても分からないものは分からないが、それでも変化を探してしまうのだ。
活動範囲が広いのは、この体が虎のミンク族だからなのかもしれない。
どこまで行こうと、食糧さえ持って歩いていれば問題ない。
日に二度の『雨』を避ける方法も分かっているし、体が濡れたって乾かせばいいのだ。
「この頃森にもゆガラの姿が見えぬゆえ、ついに海へ出たかと思っていたが」
まだ出て行っていなかったのかと言いたげな顔をされて、俺は少しばかり首を傾げた。
「……なんで?」
なんでそんな考えになるのかと見つめると、シシリアンの尻尾がわずかに揺れる。
「昔からゆガラは外を見ているが、同じようなことをしているミンクは、大概が海へ出るだろう」
「そうかな? あー……確かに?」
外へと憧れるミンク族も、確かにいる。
俺がモコモ公国のあちこちを歩き回っていると、時たまその憧れを口にする相手に出会うこともあった。
海の向こうに何があるのか、どんなことが待ち受けているのか。
年下に聞かれても答えられない年長者である俺は、それが町の者ならイヌアラシ公爵へ、森の者ならネコマムシの旦那へ聞くよう話を逸らすのがせいぜいだ。
そのうちのほんの一割程度が海へ出ていくが、帰ってくるのはそこから更にほんの少しだった。どこで何をしているのかも、俺達には分からない。
「ん、あれ、もしかして俺のことを探してたのか、シシリアン」
そこまで考えたところでふと、俺はシシリアンの言葉に気付いて逸らしかけていた視線を戻した。
シシリアンの方から『森』へ近寄ることは、そう多くない。
もちろんモコモ公国を守るのが犬嵐銃士隊の仕事だが、どうしてもその活動範囲の多くは町になる。森は俺達侠客団のなわばりになるからだ。
だというのに、『森にも見当たらない』と言ったということは、わざわざシシリアンが森へ近寄ったということになる。
何か用事があったのかと尋ねた俺に、シシリアンが口を引き結ぶ。
語るべきでないことを口にしたとでも言いたげなその顔は、普段のシシリアンからすれば随分と子供っぽい表情だった。
「……用などはない!」
きっぱりと言いながら鼻先がこちらから逸らされて、珍しいその様子を見やった俺は、そろりと先ほどシシリアンが開いた分の距離を詰めた。
シシリアンは、俺より少し体格が小さい。
もちろん小柄だというわけではなく、俺の方が体が大きいというだけの話だ。
近寄ればその分見づらくなった顔を覗き込むために背中を丸めて、シシリアンの帽子のつばの下に頭をいれた。
ごつ、と軽く頭をぶつけて、少しばかり額を擦り付けてから離す。
「シシリアンの用事が何なのかは分からないけど、俺が象主を降りることはないさ」
近くなった顔を見ながら、言葉を続ける。
「俺がいなくなったら、シシリアンだって寂しいだろ?」
俺が『侠客団』に入ると言った時、なぜ犬嵐銃士隊じゃないのだと、シシリアンは滅茶苦茶に怒った。
ずっと幼馴染で仲良くしていた相手に追い回されたのは大変に恐ろしい思い出だったが、俺はシシリアンが犬嵐銃士隊に入ると言った時から、いろいろと考えたのだ。
シシリアンが一緒に行けないならずっと国の外へ向けていた興味がしぼむくらい、目の前のミンク族は俺にとって大事な存在だった。
シシリアンとずっと一緒にいたいという漠然としたこの思いは、ただの幼馴染に対するものとしては不似合いだ。
子供のうちはよくわからなかったからまだいいが、自覚してしまうと、四六時中一緒にいることは俺の精神衛生上とてもよろしくない。
かと言え理由を正直に伝えるわけにも行かず、『犬嵐銃士隊の訓練が厳しそうだから』と言ったら『甘いことを言うな!』と更に怒られて一週間ほど追われたわけだが、あれはあれでシシリアンを独り占めできる良い時間だったかもしれない。
逃げおおせた俺を仕方なく許してくれたシシリアンが、帽子の内側でその目を眇める。
これは、と慌てて両手で庇った腹が容赦なく蹴り飛ばされ、俺の体が宙に浮いた。
じんじん痺れる腕を抱えたままくるりと体を捻り、着地したのは訓練場の真下だ。
先程背中から落ちた何人かの隊士が、必死に壁をよじ登っている。
「わしの前で塩気のない話をするな! 次はのど笛を噛みちぎるぞ!」
こちらへ向けて怒鳴りつけてくるシシリアンは相変わらずだ。
全力の声がびりびりと鼓膜を刺激して、耳の良いミンク族など耳を伏せて耐えている。
可哀想だが、背負ってやるとまたシシリアンが怒鳴ることは目に見えていたので、俺はひょいと足を動かした。
まだわずかに痺れている腕を軽く振ってから、両手と両足で目の前の壁を上る。
千尋と言うほどの深さもない堀をのぼり終えるのは数秒もかからず、最後に高く飛び上がってくるりと回転した俺が降り立つと、右から影が迫った。
「っと」
抜いたサーベルで受け止めたそれは、シシリアンが振り下ろしてきた一撃だ。
鉄と鉄を打ち合わせた音が大きく鳴り響き、互いの間でぱりぱりと音を立てた電撃に慌ててシシリアンのサーベルを弾く。
「シシリアン、何か怒ってるか?」
「何も怒ってなどいない! これは訓練だナマエ、かかってこい、全力でな!」
エレクトロまで使いながらとびかかってくる姿のどこが怒っていないのか尋ねたいところだが、問う前に振り下ろされた一撃をどうにかいなして身を引く。
様子のおかしい相手に『どうしたんだ』『怒らないでくれよ』と声を掛けながら、逃げ出せずにそのままずっと訓練場に留まった。
そうやってシシリアンの『訓練』を受けていた俺が、シシリアンが俺を『探していた理由』を知ったのは、それこそ日が暮れる直前の、ようやくシシリアンが『訓練』を辞めてくれた頃だった。
今日は〇月◇日。
なんの変哲もないその日付は、俺の誕生日だ。
「…………いや、あのな……?」
『誕生日おめでとう』の一言くらい、照れ隠しせずに言ってはくれないだろうか。
疲れ果てた俺からの非難に、そんな甘いことを口にできるか! と同じくらいヘロヘロのシシリアンが唸る。
自分から祝おうとしていたくせに、全く、理不尽な幼馴染殿だった。
end
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