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ノーランドと誕生日
※無知識トリップ主



 生まれる前の『記憶』を持っている人間と言うのは、一体この世に何割いるんだろうか。
 世界は広大で海は果てしないから、きっとどこかには俺と同じような人間だっているんだろう。
 だけど、俺が生まれたこの小さな島の小さな村には、俺と同じ人間は一人だっていなかった。
 電子機器も無く、不衛生なものが多い場所で、文明もまだまだ未発達だ。
 ましてや海で跳ねていた『海王類』を見る限りここはどうやら俺がかつて過ごした世界ですらもないようで、今後も自分が求めるほどのものはきっと手に入らない。
 俺が自分で出来ることなんて、本当にわずかなことだ。
 それでも、生まれ直したこの体は兄弟の一番上だったから、小さな弟と妹と、それから母親と父親の為に頑張った。
 俺が覚えていることなんてひどく一般的なことくらいで、村の中が劇的に変わるなんてことはない。
 手洗いうがいに体をこまめに清めるのだって、『ナマエは綺麗好きね』と笑われるくらいだ。
 ほかの家よりうちの家の人間は病気をしなかったと思うけど、『善い行いをしていたからだ』と言われる程度で、まあそれでも、大事な家族が元気に暮らしてくれるなら問題ない。
 そうやって過ごして、あと数年で成人を迎える頃、俺と同じくらいの年齢の何人かの村人が倒れた。
 ぜいぜいと息を荒げ、片腕側に赤い斑紋が出て、高熱を出している。
 幼馴染の様子を見に行って、何かの病気だと俺は判断した。
 けれども村の中には『呪いだ』『祟りだ』と声を上げる大人ばかりで、ここには俺が知っているような医術が扱える医者だっていない。
 祈祷の準備が行われても、それで本当に治るのかすら分からない。ひと昔前にもこの『呪い』だか『祟り』だかを患った人間がいて、そのことごとくが死んだというんだから尚更だ。
 身を清めたり熱が下がるようにしたりと俺が少し触ってみたって、それで劇的に回復するわけもない。
 見る見るうちに弱っていく彼らへ忍び寄る死に、恐ろしさで自分の体まで冷えていくような気がした。

「お願いします、友達を助けてください!」

 そうして俺は、島へやってきたその船乗り達の前へ飛び出して膝をついた。
 丸く削れた浜辺で、離れた場所には見知らぬ大きな船。降りてきている人間の先頭で、村民から仲間を庇うようにして立っているその人がきっと代表だとあたりをつけた。
 後ろで俺を呼ぶ村人の怒声が聞こえる。余所者は追い出すべきだ、神聖な島を汚すつもりかと、怒っている人達がいる。
 この島は余所者に対して排他的で、いつだって島へ足を踏み入れようとする船乗りを追い出していた。それを知っているから、船が近寄ってきているという話を聞いてすぐに走ってきたのだ。
 信仰と言うのは自由だから、それを怒るつもりは無い。全部全部、俺のせいにしたっていい。
 けれどそれでも、俺の幼馴染達を助けてくれるのはきっと、目の前のこの人達しかいなかった。
 服装や装備のどれを見ても、目の前の彼らは俺が住むこの島より水準の高い生活をしている。この人数で船に乗って旅をしているのだ、きっと医者だって乗っている。
 もちろんその医者が分からない病気の可能性もあるけれど、それでもあのまま、放置してしまうよりはマシなはずだ。

「どうしたんだ。怪我人か病人がいるのか?」

 大柄な人が、そんな風に尋ねながらこちらを見下ろす。
 問われた言葉にこくりと俺が頷くと、そうか、と答えたその人は、少し屈めていた身をすくりと伸ばした。砂浜の砂が、その足元でじゃりりと音を立てる。

「私は『北の海』ルブニール王国から来た探検家、モンブラン・ノーランド! 彼の言う『患者』を、我々に診せてもらうことはできるだろうか」

 必要以上に島へ侵入するつもりは無い、と続けた彼に、そんなことが出来るかと村の大人達が怒っている。
 持ってきた武器を手に威嚇して、なかなか話を聞いてくれない相手達に、『モンブラン・ノーランド』と名乗った探検家は、根気よく説得をしてくれた。







 結局、村長まで出てきた後で、ようやく俺の幼馴染達は医者にかかることが出来た。
 俺には知らない病名を医者が口にして、村の何人かに薬の作り方まで教えてくれた。十年程度を周期に流行る病だったらしい。恐ろしい話だ。

「君は、ここでは少し変わっているようだな、ナマエ」

 『特別』に島の散策を許されて、森を歩くノーランドへついてきた俺へ、隣を歩く探検家が言った。
 どういう意味かと視線を向けると、丸い目がこちらを見下ろす。
 初対面の時は気付かなかったが、ノーランドの頭には大きな栗のようなものが乗っていた。『モンブラン』と言う名前にちなんだ帽子か髪飾りだと思うのだが、触れるほどの高さに来ないので確かめたことはない。

「いくつか村の家を見せてもらったが、君の家ほど衛生的に良い状態を保たれているところは無かった」

「うん、俺、『綺麗好き』だから」

「弟と妹には手洗いを命じていたな。体を清め、服を洗い、部屋を掃除し、汚物を片付ける。どれも大事なことだ」

 しみじみそんな風に言われて、なんだかくすぐったい気持ちになる。
 弟と妹は俺が言うから従うのだし、父母がそれに付き合ってくれるのも俺がその血を引く子供だから。実際、幼馴染や、他の人達の家は変わらなかった。
 俺がしてきたことを認めて貰えたのは、多分初めてのことだ。

「それに、三日前の初対面の時だが」

「うん?」

「君は、私と私の仲間達を見て、『助けを求める』と判断した」

 一歩、二歩と木の根を避けて歩きながら寄こされた言葉に、ぱちりと瞬きをする。
 思わず足を止めた俺の数歩先を進んだノーランドは、そこで足を止めてちらりとこちらを見た。
 大きなその手が自分の胸元へと寄せられて、その顔ににこりと笑みが浮かぶ。

「見た目か、人数か、それ以外なのかの決め手が分からないが、君のおかげで私はまた一つ、進歩を届けることが出来た」

 ありがとう、と言い出した俺達の恩人に、俺は慌てて両手を横に振った。

「ノーランドさん達が俺達を助けてくれたんだから、礼を言うのは俺達の方だよ」

 『恩人』に対する礼をすると村長が決めたので、今村の大人達は宴の準備に忙しい。
 きっと俺達があまり見たことも無いようなごちそうも用意されるはずだから、ノーランド達が楽しんでいってくれたらいいと思う。
 こちらこそありがとう、と言葉を紡ぐ俺に、はっはっはとノーランドが笑った。

「互いに礼を言いあうのも妙な気分だな。これは、貸し借り無しと言うことにした方が良さそうだ」

 そうしてそう言ってから、軽くこちらを手招きする。
 寄こされたそれに従って近寄った俺は、数歩分開いてしまった距離を縮めてまたノーランドへ並んだ。
 近寄ってきた俺を一瞥したノーランドが、すぐ傍らにそびえていた大きな木を掌で示す。

「この木は分かるか? 強く根を張り、硬い岩盤をも砕いていく。しかしその強い根が土壌を支え、雨で崩れることも防ぐ」

「家の傍に植えるなって言われてるやつだ」

「そうだな、家屋の傍に植えればやがて家屋の下へも根を伸ばし、深く埋めた柱すらも傾かせるだろう。村の中にあるなら移した方がいいが、森や山の中で薪の為に切り倒すときは注意しなくてはいけない」

 そんな風に言いながらまた歩き出したノーランドは、ついて回る俺に色んな事を話してくれた。
 この樹皮が薬になるだとか、毒があるだとか、島の外ではどう扱われているんだとか。
 森を歩きながら話してくれるのーランドの話を、俺は出来る限り覚えていようと思った。







 感謝の宴が終わって、倒れていた病人達の治療も終わった。
 俺達の感謝の気持ちを半分は受け取ってくれたノーランド達は、国へ帰るといって出航の準備を始めた。

「そろそろみんなも体力の限界のようだからな。この島で休ませて貰えてよかった」

「船乗りって大変なんだね」

 用意の合間の小休止を取っている彼らに近寄って、俺はノーランドへ話しかけた。
 俺も含めて何人もの人が手伝いをしていたから、この休憩が終わったらすぐに準備が終わるだろう。
 太陽はまだ真ん中にも来ていないし、良い出航になるはずだ。

「ああ、そうだ。ナマエ、手を出してごらん」

「うん?」

 声を掛けられて思わず両手を前に出すと、俺の手の上にぽとりとものが落ちてきた。
 両手で受け取ったそれを、慌てて掴み直す。

「…………ナイフ?」

「ああ。今日がナマエの生まれた日付だと聞いたからな」

 少し古びたそれを見やって目を瞬かせた俺に、お古で悪いが、とノーランドが言う。
 確かに、今日は〇の月の◇の日で、俺が十何年も前に生まれた日だ。
 毎年、この日だけは父母が俺を祝ってくれる。弟と妹も同じくで、帰ったらぎゅうぎゅうに抱きつかれることは間違いない。

「私たちの国では、誕生日は祝ったり贈り物を贈ったりすることが多くてね。受け取ってもらえるだろうか」

「……いいの?」

「もちろん。使ってもらえたら何よりだ」

 切れ味は保証するぞと続いた言葉に、俺はそっと小さな鞘に収まったままのナイフに触れた。
 どんな切れ味か試してみたいけど、この場では難しい。
 帰ったら試そうと考えて、そっと腰に巻いた布の内側へとそれをいれる。

「ありがとう。俺だけ特別に貰っちゃったな」

「確かに。内緒にしてもらえると助かる」

 こそばゆくて呟いた俺に、少し神妙な顔をしたノーランドが言う。
 あまりにも真面目な顔をしているからおかしくて、くすくすと笑い声を零すと、つられたように傍らの彼も笑った。
 しばらくそうやって笑ってから、ふと過った疑問が、口から転がる。

「ノーランドさん達は、どのくらい旅をしてるの?」

 俺の問いかけに、今回か? と答えたノーランドは、少しばかり考えてから返事をくれた。

「うまく帰れて、ちょうど一か月と言ったところだな……この分なら、三度目はもっと長く航海できそうだ」

「長く航海したいもの?」

「この海は広い。まだまだ私の知らないものが多くあるんだ。長く航海できればそれだけ、多くのものを見ることが出来る」

 にっこり笑ってそんなことを言う相手に、ふうん、と声を漏らす。
 俺が木箱に座っているにも関わらず、俺より目線の高いノーランドは、どうした、と声を漏らしてこちらを向いた。

「もしかして、航海に興味が出てきたか?」

 尋ねて少しばかりにやりと笑った相手に、俺はそっと目を逸らした。
 見やった先には海があって、彼方まで広がっている。
 ノーランドの話すことを聞いていると、今まで何となく感じていたこの島の中の狭さを、さらに強く感じる気がした。
 きっとどこまで行っても『俺』が知っている日本にはたどり着けないけど、もしかしたら似たような場所だってあるかもしれない。
 そう考えるのはなんとも不思議な感覚だ。
 もしも俺が頼んだら、ノーランドは俺を連れて行ってくれるかもしれない。
 そんなことは一昨日くらいからちらちらと頭の端を過っていることで、けれどもそれから、ノーランドに褒められたことまで思い出すのだ。

「……外に出かけてる暇はないかな。村の中で、やることがたくさんありそうだし」

 俺がやっていたことが、外から来たノーランドの目から見て『良い』ものだったなら、それを村の中に広めることだってもう一度試してみてもいい。
 この島には文字すらないから、それを考案したり、粘土板や石や木を彫ることで物事を伝えられるようにしてもいい。
 十年ごとに流行る病があるのなら、その薬の作り方だって何かに記しておかなくては、作れる人間がことごとくいなくなっていた時に対応が出来ないのだ。
 俺がすべてを導くなんてことは絶対にできないし、そこまで大した人間じゃないけど、ノーランド達が持ち込んだ『進歩』を失うことだけは、してはいけない。
 片手を腹部に当てて、先ほど貰ったばかりの贈り物を確かめながら、そんなことを考える。

「そうか」

 俺の考えなんてお見通しのような顔をして、ノーランドが笑う。
 どことなく嬉しそうな顔をしている相手を見やって、俺も笑った。

「元気でね」

「ああ、ナマエ達も」

 次の航海でまた立ち寄るなんて約束をして、そうしてそのまま、その日ノーランド達は島を出て行った。
 水平線の彼方にその船影が消えるまで、俺はずっと彼らを見送っていた。



end


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