見えない優しさについて
※身体的退行な男児主
俺がこの世界に『出た』のは、今から半年ほど前のことだった。
日本のどこにでもいるようなただの社会人だったので、何がどうなってこうなったのかも分からない。
ずっと夢か何かを見ているんじゃないかと思うくらいだ。
もしもこの手元に今はもう動かなくなってしまった携帯電話が無かったら、自分がおかしくなったんだろうという結論を出していたと思う。
例えば体が自分が知っているものよりも幼くなって、見たことも無いような化物に襲われて、それを空飛ぶ人間なんていう非現実的なものが助けてくれたりしたのだから、仕方ない。
「ナマエ、どこだー?」
「あ、サッチたいちょ。こっち」
呼び声に返事をしながら、俺は現れた人影を見やった。
俺の声に反応してこちらへ顔を向けたのは、何とも立派なリーゼントを頭にそびえさせた男だった。
顔の傷もある分、随分といかつく見える筈なのに、笑い掛けてくるその顔は何とも親しみやすい。
昔近所にいた不良の兄ちゃんを思い出しながら寄ってきた相手を見上げると、マルコが探してたぜ、と言葉を落とされた。
「マルコが?」
「おう。見かけたら部屋に来るよう言ってくれって言われてたからよ」
寄越された言葉に、ふうん、と声を漏らす。
サッチが言う『マルコ』とは、俺をあの日助けてくれた、何とも特徴的な髪形の海賊だ。
ついでにいえば『不死鳥マルコ』で、俺が乗っているこの船は『白ひげ海賊団』の『モビーディック号』だ。
何とも恐ろしいことに、この世界は漫画『ワンピース』の世界だったらしい。
『オヤジ』と呼ばれた大男を見た時にそれに気付いて卒倒しかけた俺も、今ではかの大海賊を『オヤジ』と慕う一人だ。
だってオヤジってば懐が深くて男前だから仕方ない。
「何してんだ?」
近寄ってきた相手に見下ろされて、にもつかたづけてる、とそれに答える。
この間の島で買ったといういくつかの荷物を、すぐそばに置いた俺手製のカートの上に乗せた。
から、と板の下の車輪が回ったのを見て、サッチが首を傾げる。
「それ、誰から貰ったんだ。マルコか?」
「おれがつくったよ」
尋ねられて返事をしながら、にんまりと笑う。
猫車みたいな奴はあるが、今の俺は五歳かそこらの体格しかないので、サイズが合わなかったのだ。
それならカートみたいなやつが欲しいと思って、でも誰かに頼んで作ってもらうのもなんだかなと思った俺は、空いた時間を使ってせっせとこれを自作した。
もともと、俺に力仕事が回ってくることはあまり無い。
『家族』であるこの海賊団には人が随分と多くて、その分仕事だってたくさんあるが、それぞれを適材適所で割り振っているらしい。
円滑に仕事が回っているようだからそれで構わないような気もするが、やっぱり、自分が出来ることはやらねばならないだろう。
この船には何人も船大工がいて、そのうちの一人から工具を借りた。
材料は好きに使って良いという物から使用して、今日ついにこれが完成したのだ。
これでやっと、俺の体では運ぶのが大変な荷物も運ぶことが出来る。
図工なんて久しぶりだったが、何とかなるもんだ。
俺の返事に、サッチが少しばかり微妙な顔をした。
どうしたんだろうかとそちらをちらりと見やってから、俺はとりあえず乗せられる分の荷物をのせて、落ちたりしないように持参したロープでくるりとそれを板に巻き付ける。
「それじゃ、おれ、これそーこにおいてくる。そしたらマルコにあいにいくから」
「……おう、気を付けてな。転んでもあんまり泣くなよー」
「なかないって」
どうやら心配してくれているらしい相手に笑ってから、ひらひらと手を振って、俺はそのままカートを押して歩き出した。
サッチを残した甲板を後にして、船内へと入り込む。
からからと音を鳴らしながらひたすらに進んで、通路を歩いていく。
その足が止まったのは、何とも重大な事実に気付いてしまったからだった。
「…………はしご……だと……」
忘れていたが、俺が運んでいるこの荷物は船倉近くの倉庫にいれるべきものだった。
それはすなわち、カートだけでは無理だと言うことだ。
目の前の、下の層へと続く梯子を見やって顔をしかめてから、そっと軽く息を吐く。
まあ、なんとかなるだろう。
「よっと」
カートを梯子のそばまで移動させてから、ロープをそっと解く。
荷物が倒れたりする前にカートのそばに広げてから、何も上に乗っていないそれを両手で持ち上げた。
よいしょ、と背負ってから、カートと自分をロープで結ぶ。
軽い木材を使えと言われたので何とかなっているが、それでもやっぱりちょっと重い。
まあでも運べないほどじゃないだろうと、俺はそっと梯子に手を掛けた。
「んっと……」
「ナマエ?」
そのままいざ下へ、と移動し始めたところで、声がかかる。
梯子を掴んだままで視線を向けると、ちょうど俺の目の高さまで来ている床の上に佇んだ特徴的な髪形の海賊が、俺のことを見下ろしていた。
「マルコだ」
「……何してんだよい?」
返事をする代わりに名前を呼んだ俺の方へと近寄って、屈みこんだマルコが俺へ向かってそう尋ねてくる。
寄越された言葉に首を傾げてから、両手で梯子を掴んだまま、俺は自分が背負っているものを少しだけ揺らした。
「これ、はこんでる」
今の俺の状況を見れば分かることじゃないだろうか。
分かりきったことを聞く相手に首を傾げると、そうじゃなくてよい、と呟いたマルコの手がこちらへと伸びてくる。
伸びた両手にひょいと掴まれて、俺は進行方向とは逆に当たる方向へと持ち上げられた。
「一人で何でもしようとしてんじゃねェよい。誰か呼んできた方が早いだろい」
俺をカートごと持ち上げたまま立ち上がったマルコが、そんな風に言いながら俺を見る。
お前は小さいんだから、と寄越された言葉に、いやいやと俺は右手を横に振った。
「おれ、ちいさくないから」
確かにマルコに比べて今の体は小さいが、中身はただの成人男性なのだ。再三告げていると言うのに、マルコも他の誰も今一つ信じてくれない。
「何言ってんだよい、こんなに小さい癖して」
言いつつ俺を床へ降ろしたマルコが、ぽんと俺の頭に手を乗せる。
俺の知っている限りだと背が高い分類に入るマルコは、この『ワンピース』の世界に置いてはどちらかというと平均的な大きさだ。
そのままわしゃわしゃと撫でてくるがままにさせながら、すくすく育ったらしい相手を見上げる。
「おれはへいきんてき。マルコたちがでかいんだ」
「そうでもねェだろい」
一般男性の平均的身長だった俺からの発言に、マルコが軽く笑った。
何とも失礼な奴だ。
そんな相手を見やってから、ふと先ほどサッチに言われたのを思い出した俺は、退いていった手を目線で追いかけながら言葉を投げた。
「マルコ、おれにようじだった?」
部屋に来いなんて、俺が他のクルーだったらちょっとドキッとするような呼び出しだ。絶対に怒られると確信を持つに決まっている。
しかし、ここ数週間はよく付き合ってくれるハルタやエースが傘下の海賊団を回っていていないので、俺も大人しくしているから何も問題は無い筈なのだが。
俺の疑問を受け止めてか、ああそうだった、と今思い出したと言わんばかりの何ともサッチが可哀想な声を漏らしたマルコが、その視線を俺の背中側へと向けた。
注がれた視線は、俺が背負っているカートへ向けられているようにも思える。
「?」
どうかしたのかとそれを見返すと、やや置いてから、マルコが軽く首を傾げた。
「……それ、どうしたんだよい?」
「それ?」
「その背中の」
言われて、ああこれ、とマルコが見つめているカートを指差す。
こくりとマルコが頷いたので、俺はにまりと笑ってそれを見上げた。
「じぶんでつくった。にしゅうかんかかったけど」
折り畳むこともできる、何とも満足のいく出来栄えだ。
見てみるかとロープを解いてカートをおろし、俺はそれを広げてみせた。
マルコと俺の間に横たわったカートを見下ろして、どうしてかマルコが何とも言えない顔をする。
「? マルコ?」
一体なんだと言うのか。
よく分からず戸惑った俺を見やってから、ふ、と小さく息を吐いて、マルコの手がひょいと俺の前からカートを奪い取った。
「あ」
「ほら、これとそこの荷物、下に運ぶんだろい?」
そんな風に言う相手に、ようじは? ともう一度尋ねるが、もういいよいと面倒臭そうにマルコが言葉を零す。
「それより、さっさとしろよい」
そうしてそんな風に言い放ち、もう一度俺の頭を軽く撫でてから、マルコは梯子も使わず階下へと飛び降りた。
驚いてそちらを見下ろすと、足をくじいた様子もなく下へ降り立ったマルコが、カートを置いてから俺を見上げている。
「これに乗せてやるから、荷物落とせよい」
言いつつこいこいと手招かれて、よく分からないまま頷く。
「マルコ、しごとおわったのか?」
「今は休憩時間だよい。ほら、さっさとしろい」
その大事な休憩時間を、どうやら俺のために費やしてくれるらしい。
少し申し訳なかったが、せっかくの厚意を無下にすることもできず、俺は運んできた荷物を一つずつ、マルコの方へとそっと落とした。
さすがに一番隊隊長は運動神経もよろしいらしく、荷物は一つも床と接触することなく受け止められて、全部が丁寧にカートへと積み込まれていく。
最後の一つを落としてから、俺もすぐに梯子を使って下へと降りた。
俺が降りてくるまでの間に荷物をカートへ積んでしまったマルコが、カートの手押し部分を掴んで押していこうとしたので、慌ててその横に移動した。
「これ、おれのしごとだから」
「ああ、そうかい」
軽く腕を押しやったら、マルコが軽く肩を竦めた。
けれどもあっさりと手を離してくれたのは、俺がいつもそう言ってマルコが代わろうとしたものを奪い返しているからだろう。
俺は確かに見た目が小さいし子供だが、それにしたってマルコは海賊にしては優しい分類だ。
エースやハルタに言った時には首を横に振られたが、間違いないと思う。
「マルコ、かたづけたらごはんたべよう」
「そういや、おれもまだ昼飯食ってなかったねい」
からからとカートを押しながら声を掛けると、呟いたマルコが頷いた。
メニューはなんだろうなァなんて話をしながら、マルコと並んで倉庫を目指す。
俺以外にもやっぱり不便を感じている人はいたのか、一番隊に『共用道具』として真新しいカートが一つ導入されたのは、その日の夜からのことだった。いつから注文したのかは分からないが、取っ手の高さを変えられる特注品らしい。多分金を出したのはマルコだと思う。相変わらずいい隊長だ。
それを話したら、どうしてか何かを言おうとしたエースを遮ってハルタがニヤニヤと笑っていたのだが、俺にはまったく意味が分からなかった。
end
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