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面倒なふたり
※ロー相手な筈がとってもベポ
※もしかしたらうっかり異世界トリップ主人公




 どたばたと甲板へ駆け出てきた足音を聞いて、世にも珍しい人語を操るシロクマの見た目をした航海士が、ぴくりとその耳を動かした。
 少し前の時間にクルーに進呈されたタオルケットをかぶったまま、ほこほこと日向の光を浴びていた体をむくりと起き上がらせたところで、甲板の端で身じろいだベポに気付いた足音の主が、更に派手に足音を鳴らしながらベポの方へと駆けてくる。

「ベポっ」

「わあ」

 声を掛けながら飛びかかられて、ベポはとりあえず驚いたような声を漏らした。
 普通の人間よりずいぶんと力のある片腕で飛びかかってきた相手を捉え、その手で相手の着込んでいるつなぎを捕まえて、ずるりと自分の前方へと引っ張りこむ。

「ナマエ、どうかしたの?」

 ベポの膝に収まる格好になった相手へそう尋ねながら、ベポは軽く首を傾げた。
 とても焦った顔をしているナマエが、慌てたようにベポの膝の上で起き上がり、すぐにそこから降りてベポの体の影に隠れる。

「か、匿ってくれ!」

 そうして放たれた言葉に、どうやらいつもの『あれ』らしいと気が付いて、ベポはこくんと頷いた。
 その体がずい、とナマエを押しやるように動いて、傍らにあった荷物と荷物の間にナマエを押し込んで、先ほどシャチが置いていったタオルケットをナマエの頭からかぶせて、最後にナマエを隠すように荷物へと寄り添う。
 これでいいかな、などと呟いてナマエを最大限隠せるようベポが体を動かしたところで、かくれんぼの鬼が甲板へ出てきた音がした。

「おい、ベポ」

 ベポの方へ声を掛けてきたのは、この潜水艦の中で誰よりも尊敬される船長だ。
 いつもの帽子を部屋に置いてきたのか、無造作な髪に潮風を受けながら、近寄ってきたローがその長身を折り曲げる。
 そうして見下ろされて、ベポは軽く首を傾げた。

「キャプテン、おれに何か用事?」

 問いかけたベポに、ナマエを見なかったか、とローが尋ねる。

「ナマエ?」

 寄越されたその名前を繰り返したベポの影で、タオルケットの中から伸びてきている手がしっかりとベポの服を捕まえた。
 縋るようなそれをローからは見えない箇所で受け入れながら、ベポはもう一度首を傾げる。

「またナマエおいかけてるの? キャプテン」

「逃げ出すあいつが悪い」

 ベポの言葉に、ローはあっさりとそう答えた。
 そのままきょろりと甲板を見回して、そこにはベポしか見当たらないことを確認した上で、もう一度その目がベポを見下ろす。
 じとりと注がれる視線を受け止めて、ベポはふふふふ、と日向に座り込んだままで小さく笑った。

「キャプテン、あんまりナマエをいじめちゃだめだよ」

「虐めてねェよ。可愛がってるんだ、この上なく」

 ベポの言葉にそう答えて、微笑み返した船長の表情は、随分と『悪い』もののようにベポには思えた。
 相変わらずなその様子に少し呆れた顔をしたベポを置いて、その目でちらりとベポの後ろに積まれた荷物を見やってから、ローの口がため息を零す。

「……とにかく、『見かけ』たらあとでおれに言え」

 そんな風に言葉を置いて、ローはそのままベポへ背中を向けた。
 船内へと入っていくその背中を見送ったベポが、やや置いてその姿が見えなくなったのを確認してから、もぞりと身じろぐ。

「ナマエ、もう大丈夫だよ」

「お、おう」

 後ろへ向けて声を掛けてやると、頭からタオルケットをかぶったままのナマエが、ありがとう、とそのままの状態で言葉を紡ぐ。
 まだ身を隠しているつもりらしいナマエを見やり、ベポはぴるりとその耳を揺らした。
 未だタオルケットの下に隠れているナマエという名前の青年は、つい半月前、潜水艦が辿り着いた無人島の浜に落ちているところをベポが拾った青年だった。
 ベポを見て驚き怯えた筈のナマエは、そうされてしょんぼりと落ち込んだベポを慌てて慰めてくれた。
 『大丈夫だ熊だしガブッといけるってガブッと! さァこい!』と両手を広げて迎え撃とうとしてくれたナマエは、少し変わった漂流者だった。
 どう見ても人でない見た目のベポに対してそんな態度で、行くあてもなくどうして自分がここにいるのかも分からないと困惑した顔をしたナマエを、ベポが潜水艦へと連れて帰ったのは仕方の無いことだった。
 けれどもまさか、ただの人間の雄であるナマエを、船長のトラファルガー・ローがこれほど気に入るとは思いもしなかったのだが。

「ナマエ、もうキャプテンいないよ?」

 まだ出てこない相手に不思議そうに瞬きをして、ベポの手がタオルケットの端を捕まえた。
 かぶったままのタオルケットを剥がしてやろうと引っ張ると、それに対抗するようにナマエの手がしっかりとタオルケットを掴んで引っ張り返す。
 ぐい、ぐいと二回ほどお互いにタオルケットを引っ張ってから、ベポはひとまず手の力を緩めた。
 そうしてそのままで小さく息を吐いて、今だ姿を隠しているナマエを見つめる。

「ナマエ、今日はなんでキャプテンから逃げたの?」

「べ、別に逃げてないし……」

 放たれたベポの言葉に、もぞりと身じろぎながらナマエは答えた。
 うそついてる、とその言葉を否定して、ベポは少しだけナマエの方へと顔を近付ける。
 鼻先をタオルケットに押し付けると、自分自身の匂いとナマエの匂いがした。
 それに少しばかりローの匂いが混ざっているのは、ナマエが匂いが移るほどローと一緒にいたと言う証拠である。
 ナマエがこうやってベポのいるところまで逃げてくるときは、大体においてローがナマエへ『何か』をしようとしたりした後だった。
 あの日助けた人間を構うベポ以外は、ローがやってくれば匿っていたナマエをあっさりと引き渡すからだ。
 この潜水艦はローの物で、ベポたちクルーもローの物であるのだから仕方ない。

「そ、その……押し倒されたっていうか……」

 もぞもぞ身じろいだナマエが、タオルケットの下で小さく声を零した。
 押し倒す、という言葉の意味を考えて、ベポがタオルケットから鼻先を離す。

「交尾?」

「いやいや何その赤裸々な単語! ちょっと噛まれただけだし未遂だし!」

 ベポの言葉を聞いて、タオルケットの下の彼がじたばたと暴れた。
 そのままタオルケットがはだけて落ちてしまわないのは、その両手がしっかりとタオルケットを内側から掴んでいるからだ。
 必死なその様子にふうんと声を漏らしてから、頭の中でナマエの言葉を繰り返したベポが、あれ、と呟く。

「キャプテンに噛まれたの?」

「う」

 尋ねたベポに、ナマエはじたばたと暴れるのをやめた。
 相変わらずタオルケットの下に隠れている相手を見やってから、ベポがそっと身を屈める。
 視界を遮られたナマエが動いた影に反応する前に、ベポの手がばっとタオルケットを下からめくりあげて、現れた隙間にその頭を突っ込んだ。

「うお!」

「どこ噛まれたの? 痛くない?」

 驚いた顔をしたナマエの膝に頭を乗せる格好になってから、尋ねたベポが目の前のナマエを見上げる。
 そうしてそこにあった顔に、ぱちりと瞬きをした。
 そばにベポがいるとそれだけで目立ってしまうのではないかと思うくらい、ナマエの顔が真っ赤に染まっている。
 体温も上昇しているらしく、汗をかいているらしい匂いがした。
 じいっとベポが視線を注げば注ぐだけ顔を赤くして、慌てたようにナマエがタオルケットの下から逃げ出す。
 ベポもそれを追いかけようとしたが、タオルケットを上から押さえつけてきたナマエの手によってそれも叶わなかった。
 振り払うことなど容易だが、ベポが知っている誰よりも弱いナマエが怪我をしてしまってはいけないだろうと思うと逆らうこともなかなか難しい。

「ナマエ? 苦しいよー」

 男の堅い膝に頭を押し付けられて、タオルケットで視界までふさがれてしまったベポがそう訴えると、くるしくない! とナマエが何とも酷い意見を述べる。
 おれは苦しいんだよとそれへ訴え返してから、ベポは仕方なくそのままでもう一度言葉をつむいだ。

「ナマエ、キャプテンにどこ噛まれたの? 痛くない?」

 ナマエの動きに不自然なところは何もないが、ベポは船長に噛み癖があるとは全く知らなかった。
 ベポと違って普通の人間の歯列でしかないから大けがなどはしないだろうが、大人の顎の力で噛まれては痛い思いをするに決まっている。
 ナマエがどこか怪我をしたり痛い思いをしているなんて、ベポはいやだった。
 あの日ベポが拾ってから、ナマエは小さな子供のようにベポの後ろをついて回っていた。
 最近では間に船長が挟まることも多くなったが、ベポにとってのナマエとは、『守るべきもの』の一つだ。
 ナマエは変わっているし、弱いし、ベポより航海の掟を知らず、危なっかしいことこの上ない。
 敬愛する船長であるトラファルガー・ローを非難することなど出来ないが、もしもローがナマエに痛い思いをさせたなら、ベポはその分ナマエを慰めてやりたかった。

「ねェ、ナマエ?」

 だから名前を呼びかけて、ベポはよいしょ、と体に力を入れる。
 上から押さえつけてくる力を押し返すようにゆっくりと体を起こすと、やがて諦めたらしいナマエの手から力が抜けた。
 さっき姿を隠すために貸したタオルケットをほぼ丸ごと自分がかぶる形で奪い取って、起き上がったベポがナマエを見下ろす。
 やっぱり一見して無傷のナマエが、ベポと目が合ってすぐに目を逸らした。
 やはり顔が真っ赤なままだ。
 ナマエ、ともう一度ベポが名前を呼んだところで、その口がそっと動く。

「その…………だよ」

「え?」

「……だから、……」

 そうして呟かれた部位に、ベポはぱちりと瞬きをした。
 その目が思わずそこを見やって、どこ見てんだよと唸られて慌てて視線をナマエへ戻す。
 ナマエが呟いたその部分は、今はしっかりとナマエの衣服に覆われている。
 そのあたりを気にしてみても血の匂いはしないので、どうやら怪我はしていないようだ。
 衣服を剥いで舐めてやろうにも、そんなことをしたら恥ずかしがりやなナマエが怒ることは間違いないので諦めて、んー、とベポが声を漏らす。
 しかし、何でそんな場所をローは噛むことが出来るのだろうか。
 不思議そうにナマエを見下ろしたベポは、それからやや置いて、ああ、と小さく声を漏らした。

「そっか、ナマエとキャプテンはつがいだもんね」

「つ!?」

「違わないでしょ?」

 驚いたようにベポを見やったナマエへ言えば、何かを言い返そうと口を開きかけたナマエが、それでもそれを飲みこむように口を閉じる。
 ナマエとローがつがいであることは、この潜水艦に置いては周知の事実だ。
 ベポが拾ってきたナマエをローは気に入って、可愛がって、傍に置いている。
 ナマエを『女性』扱いするのではなく、ちゃんと雄として扱って、その上でつがう相手として選んだのだ。
 ナマエを大事にしていたベポへ、おれの物にするぞと断ってきたローに、雄同士なのになんでだろうとはベポも少しばかり思ったが、ナマエの目だってローへ向いていたのだから仕方の無いことだった。

「…………俺、女の子が好きだし」

 往生際悪くぽつりと呟くナマエに、そう言ってたねー、とベポも頷く。
 初めて連れて行った島で、甘い香水の匂いがする雌にしなだれかかられて、顔を真っ赤にしていたナマエをベポも覚えている。
 シャチや他のクルーと島で見た『カワイイ』雌の話もしていたし、その時のナマエは随分と楽しそうだった。
 ほのぼのと過去を思い返すベポのそばで、俺男だし、とナマエが言葉を落とす。

「うん、ナマエは雄だねえ」

「キャ……キャプテンも男だし……」

「そうだね」

 寄越された言葉にうんうんと頷いて、でも、とベポは言葉を続けた。

「それでも好きだって、前、言ってたもんね」

 ベポが紡いだそれは、まだローとナマエが『つがい』になる前、こっそりとベポにだけ零したナマエの言葉だった。
 どうしようベポと困惑した顔をしていたナマエに、大丈夫だよとその額を軽く舐めてやったのも、もう随分と前のように思える。
 結局あの後ローの方がナマエを捕まえて、驚いたり今日みたいに逃げ回ったりしながらも、ナマエはローの『相手』としてやってきている。
 たまに『俺も男なんだけどな……』と何とも黄昏た顔をしているのは少し気になるのだが、ベポはつがう相手に雄を選んだことは無いのでそのあたりの悩みは分からないままだ。
 ベポに淡々と言葉を返されて、ますます顔を赤くしたナマエが、そのままそっと膝を抱えてしまった。
 恥ずかしそうに顔を伏せた相手を見やって、少し考えたベポの手が、先ほど奪い取ったタオルケットを掴んで広げ、もう一度それでナマエを隠す。
 ちゃんとローを好きだと言うナマエが、ローにそれを表現されたりするたび慌てて逃げてくるのは、ナマエが恥ずかしがりやなせいもあるが、何よりローの『可愛がり方』に問題があるのではないだろうかと、ベポはこっそり思っている。
 確かに可愛いと思っているのだろうし、大事に大切に可愛がっているのは横から見ていてベポにも分かるのだが、その表現の仕方がナマエにとっては恐らく『やりすぎ』なのだ。
 またやってる、と呆れたベポの方へナマエが逃げてくるのも一度や二度ではないし、そうやってナマエをあっさりと逃がしたローが、ナマエが自ら自分のところまで近寄ってくるのを待っているのも知っている。

「キャプテンはちゃんと、ナマエのこと好きだと思うよ」

 先ほど背中を向けて行った相手を思い出してベポが呟くと、傍らのタオルケットの塊がもぞりと動いた。
 しばらくの沈黙を置いて、やがてその下から小さな声が紡がれる。

「…………知ってる」

 囁かれたそれを聞きながら、動物同士ならただお互いを選んだことを示して寄り添うだけだというのに、人間というのはやっぱり随分と面倒な生き物だなァと、ベポは少しばかり考えたのだった。



end


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