基準値の相違
※無知識トリップ系主人公は民間人
俺の知っている食パンと言えば、スーパーやコンビニに並んでいるものだ。
掌くらいかそれより少し余るくらいの大きさの、スライスされた奴が何枚か並んで入っている。単位は定かじゃなかったが、一斤とかそう言う呼び方だった気がする。
ノースライスなんて書かれた奴も見たことがある。カラオケや居酒屋で見るハニートーストなんかで使うやつだなくらいの感想だった。
しかし、俺の知っている食パンは、この世界では少数派だったのかもしれない。
『………………でかっ』
目の前にでんと並ぶ、恐らくケースから出されたばかりの焼き立てパンの群れに思わず出た感想は単純で、しかしそれ以外は思いつかなかった。
「なにそれ」
俺の話を聞いていた傍らの人が、そんな風に言ってわずかに笑う。
「いや、本当にでかかったんですよ、こーんな」
相手を見やって言いながら、俺は両手でつい数時間前に見たものを模った。
俺の想定の四倍はあったあの食パンは、縦にも横にも長くて厚みもあって、それはもうでかかった。
意味が分からず三回くらい見直した。そして同時に納得もした。
「そりゃトースターがめちゃくちゃでかいわけですよ」
家に最初からついていたトースターさんときたら、何枚一気に焼きたいのかと問いたくなるサイズだったのである。
俺の言葉に、このあたりのは大体そうだろうねェ、と隣の人が言う。
この世界にやってきて、初めての知り合いになった傍らのこの人は、クザンさんと言う名前だった。
本人の自己紹介によれば海軍大将というなんかすごそうな肩書で、たまの休暇にこうしてこの島を訪れているらしい。
生まれたのとはまるで違うこの島で、今俺達がいる砂浜に、なぜか半ば生き埋め状態になっていた俺を助けてくれたのもこの人だ。
『あららら……兄ちゃん、そう言う趣味?』
『そうじゃないです……あ、ありがとうございます……でかっ』
そんな風に言って笑いながらひょいと助けてくれた相手がめちゃくちゃでかくて、びっくりした覚えがある。
誰かに酷い目に遭わされたのかと聞かれて、まるで心当たりが無かったから首を横に振った。
空から降ってきて砂浜に着地したのかとも言われたが、そんなことがあったら俺のつま先から腰くらいまでの骨が砕けていると思う。砂と言うのは案外固いので。
「ナマエは小さいから、見るもんなんでもでかく見えるんでしょうや。もっとたくさん食べなきゃ」
「俺は普通ですしちゃんと食べてます。この辺の人がみんなでかいだけです」
答えると、へえそう、とどうでも良さそうな相槌が返る。
俺をこの島の何とかいう責任者のところまで連れて行って、いろいろな手続きまでしてくれたクザンさんのおかげで、俺はこの島で身分を保証された。
町が一つしかない場所だ。のどかなスローライフと言ったところで、そして住民は全員大きい。
体つきもたくましく、見た目も決して日本人どころか地球人とも思えず、俺はこの場所が自分の生まれ育った場所とはまるで違う場所だという結論をつけた。
そもそも、俺の知る化学にカタツムリが家電にとって代わる技術はない。
見知らぬ場所だが周りの人はとても親切で、他と比べて小さい俺でもできる仕事というのもいくつか見つけることが出来た。大は小を兼ねるとは言うけれども、細かい作業なら小さいほうがいいこともあるのだ。
『連れてってやってもいいけど、他の島まで結構遠いんだよねェ』
そんな風に言い放ったクザンさんに、いいです気にしないでくださいありがとうございます、と告げたのは、俺が彼と共に海を渡れるとはとても思えなかったからだった。
そもそも普通の自転車は海の上を渡れるようにはなっていないし、ずっと後ろに座っているのは大変そうだし、クザンさんにも負担があるだろう。
来たんだから帰れるだろうと思ってはいるが、今のところその傾向は無い。
「それで、結局買ったの、その食パン」
「一応買いました……だって食パン食べたくて」
「食いたい時が食い時だもんなァ」
出来るだけ薄く切ってもらったが、そのせいで随分な量がある。
しばらくはパン生活ですねと告げた俺に、おかしそうにクザンさんが笑った。
この島へやってくるときのクザンさんは、大体いつもラフな格好だ。
青いシャツの胸元を緩めて、ネクタイもない。
海軍大将と言うのがどういう仕事なのかを俺は良く知らないが、たまに手に入る新聞と島のみんなのクザンさんに対する態度を見る限り、かなり偉い人ではあると思う。
ついでに言うならクザンさんは超能力者だ。俺は、海水を凍らせてその上に立つ人間というのを、生まれて初めて見た。
吹き抜けた風を追うように見やると、すでにクザンさんが凍らせた氷は全て溶けて消えていた。
「クザンさんが来るって知ってたら、半分くらい焼いて持ってきましたよ」
「あらら、それじゃあナマエの家のバターを使い切っちまうんじゃない?」
「なんでバター塗ってく前提なんですか。うちにバターなんてありませんよ」
「焼いただけのパンくれる予定だったの」
美味しいだろうけどさすがに飽きちまうよと言い放つクザンさんに、何を言ってるんだかと肩を竦める。
「渡すものをそんなに簡素にしてどうするんですか。具くらいつけます」
そこまで手の込んだものは作れないが、クザンさんがあまり好き嫌いをしないらしいという話は前に聞いているし、簡単なホットサンドでも、渡せば食べてくれただろう。
言葉を放った俺の横で、なるほど、とクザンさんが頷く。
「手料理を振舞ってくれる予定だったわけね。そいつァ勿体ないことをした」
事前に連絡しときゃよかったなと続いた声からは本当に残念がっているかどうかは分からないが、付き合いでもそう言ってもらえるとなんだかこう、親しくなっている気がする。
俺にとっての第一村人であるクザンさんは、俺にとっては大事な相手だ。
何せ砂浜に埋まっていた俺を助けてくれて、身元を保証してくれて、こうやってこの島で生きていけるようにしてくれた。
おれが来なくても誰かが助けてくれたよとクザンさんは笑っていたし、確かに島のみんなは優しいから、もしも他の誰かが見つけても同じように助けてくれたんじゃないかと思う。
だけど実際に俺を助けてくれたのはクザンさんで、だからクザンさんは俺の命の恩人だ。
俺より大きくて、強くて、何なら超能力者で年上で、優しくて自分がしたことを『特別だ』と言わないし恩に着せない。
まるで正義の味方みたいなこの人に恩返しをする方法は、未だに分からない。
「……うちに食べに来ます?」
「ん? いいの?」
「はい。焼いたパンなら出しますよ」
傍らを見やっていった俺に、そんじゃあバターでも買ってくかな、とクザンさんが言う。
それから立ち上がった彼は本当にバターとそれからジャムを買い込んで、半分も使わずに残りを全部俺の家に置いて行った。
クザンさんの手で持ったら普通に見えたトーストもバターやジャムの瓶も、俺が手にするとめちゃくちゃでかかった。
end
戻る | 小説ページTOPへ