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偶然と必然
※『ボガードと誕生日』の続編
※notトリップ主は煙草屋さん



 ボガードにとって『ナマエ』というのは、行きつけにしている煙草屋の店主の名前だった。
 一度か二度来たことがあるはずの店へ久しぶりに足を向けたのは他で売っていなかった手入れ道具を探しに来たからで、年嵩の店主が座っている筈の椅子にいたのがナマエだった。

『いらっしゃいませ』

 身なりは清潔で、海兵に比べれば華奢にも思えるがそこまで小さくも細くもない、どこにでもいるような青年だった。
 店の中も綺麗に整頓されていて、ボガードが尋ねたことにもすらすらと返事が出来るのは、きちんと店と生業を掌握しているという証である。

『おっしゃってた道具だと注文すれば一週間くらいでは……ああ、そうだ! 良かったら、おれがやりますけどどうでしょう?』

 パラパラとカタログらしい冊子を捲って、それからポンと手を叩いた相手からの提案に頷いてしまった理由については、未だにボガード自身にも分からない。
 煙管の手入れは中々に手間がかかる。そこもまた楽しんではいるのだが、今の配属部隊ではそういった時間を取れないことも多かった。
 だから店主の提案は確かに渡りに船だったが、恐らくナマエ以外の誰かにそう提案されたなら、ボガードはそれを断っていただろう。

『ひと月に一度程度……不定期にもなるだろうが、問題ないか?』

 けれどもボガードの口から出たのはそんな言葉で、大丈夫ですよ任せてくださいとナマエが胸を張ったので、契約は成立した。







「あ、そうだ、ボガードさん」

 いつものように支払いを終えたところで、ナマエがそんな風に言葉を放つ。
 それを受けてボガードが視線を向けると、カウンターの内側に金を片付けた青年が、ひょいとそこから暦を持ち出した。
 卓上で扱うためのものらしいそれは小さく、くるりと向けられたのは来月の日付だ。
 ちょうど中頃に赤くバツ印が五つ並んでいるそれを見たボガードの前で、ナマエの指がその日付を示す。

「この五日間、店閉めて旅行に行くので、次の受け取りはその後にしてほしくて」

 先にお知らせしておきますね、とあっさりと寄こされた言葉に、なるほど、とボガードは頷いた。
 ボガードがこの店へ訪れるのは不定期だ。
 少なくとも月に一度は訪れるようにしているが、中将の遠征についていく為にそれすらできないこともある。
 そんなボガードをわかっているのだろう、事前に知らせてきた相手に分かったと了承を返して、それからボガードは少しばかり首を傾げた。

「旅行か。どこへ行く予定だ?」

「え? あ、キューカ島の予定ですよ」

 なんだかこの日程で祭りがあるらしくって、とナマエが笑って返事をする。
 そう言えば確かに、ボガードもそんな噂を聞いた覚えがある。
 警邏ついでに見に行くかと言って笑っていた上官に、他の仕事をするべきだと勧めたのは確か先週のことだ。

「なるほど……誰と行くんだ?」

 わざわざ店まで閉めて出かけるのだから、恐らく前々から計画していた旅行なのだろう。
 尋ねたボガードに、あはは、とナマエが笑い声を零す。

「おれ一人ですよ! 実は、一緒に行く予定だった相手が仕事で無理になっちゃって」

 あいつの分まで楽しんでくるんですと続いた言葉に、ボガードは少しばかりの不快感を感じた。
 何に対しての感情なのかは明白だ。ボガードの知らない誰かを『あいつ』と呼んだナマエの顔は穏やかで、相手との親密さを示している。
 しかしながら、そんな感情をその顔に浮かべるはずもなく、そうか、と言う相槌がボガードの口から出ていった。

「それは友人も残念だったな」

「ほんとですよねえ、せっかくお互い初めてのキューカ島だったのに」

 やれやれと肩を竦めたナマエが、暦を今月に戻したカレンダーをカウンターの内側へと移動させる。
 『友人』と言う呼び名を否定されなかった事実を受け止めて、ボガードの手が煙管の入ったケースを懐へと片付けた。

「ボガードさんってキューカ島行ったことあります?」

「ああ、中将の付き添いでなら」

「付き添い! キューカ島でも働くなんて、海兵さんは大変ですね……」

 寄こされた言葉に目を丸くしたナマエが、しみじみと呟く。
 仕事はどこでも大変なものだろうとそれへ返事をしながら、ボガードは自分の来月の予定を頭の中で確認した。
 残念ながら、休みを取ることは難しいだろう。有休をとることは当然可能ではあるが、日取りが厳しい。
 いくつか検討してみても難しいことを判断して、すぐに選択を切り替えたボガードは、その視線を改めてナマエへ向けた。

「今度の祭りは盛大なものらしいからな。楽しんでくるといい」

「はい! あ、ボガードさんにもお土産買ってきますからね」

「……おれにか?」

 寄こされた言葉に、ボガードの声に戸惑いが滲む。
 そうですよとそれへ答えて、ナマエは楽しそうに笑った。

「この前のお返し、まだしてなかったから」

「この前の……」

「おまんじゅう、美味しかったです」

 おれも美味しいのを探してきますねと続けたナマエに、ボガードはしばらく前に渡した贈り物を思い出した。
 あれこれと考えすぎて、無難なのか斬新なのかも疑問な贈り物を渡した覚えがある。
 あの日は〇月◇日で、目の前の彼の誕生日だった。
 恐らく気付いていないのだろうなと思ってはいたが、やはり気付いていなかったらしい。誕生日プレゼントに『お返し』をする人間はそういない。
 後々になって考えてみると、誕生日プレゼントに饅頭と言うのは、さすがにおかしかったかもしれない。
 しかし、ボガードはこの店の客で、ナマエはこの店の店主だ。
 それ以外の関係などない間柄で、他に選択肢が浮かばなかったのだ。
 悩みぬいた一か月まで思い出し、ボガードの口から緩く息が漏れる。
 その口がわずかに笑みを浮かべて、目の前の相手へ言葉を投げた。

「それでは、楽しみにしているとしよう」

「はい!」

 嬉しそうに笑うナマエの顔は普段と変わらない。
 それでも、せっかくの旅行先でボガードのことを考えてくれるというのなら、それはボガードにとっては嬉しいことだった。





 しかしまあ、それはそれとして。


「ん? なんじゃ、やっぱりお前さんも見たくなったか、祭り!」

 よし行くか楽しみじゃなァと笑う上司に予定の変更を進言したのは、仕方のないことだろう。
 夕方の数時間に自由時間を組み込んだら預かっている新兵二人が喜んでいたので、こんな仕事もたまには悪くないものだ。



end


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