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花の都の
※主人公は転生トリップ系主人公で光月ナマエ(おでん様の弟)
※おでん様に夢見る捏造注意



 生まれた頃の記憶なんて、無いのが普通だ。
 ましてや『その前』のことなんて、覚えている方が変だ。
 けれども俺は、自分の『前世』を覚えていた。
 ただのサラリーマンで、家庭があって、普通に生活をしていて、そうして事故に遭った。
 病院で死ぬ瞬間のことは朧げだが、苦しかったのがだんだんと遠のいていって、ああ終わるんだ、と思った覚えがある。
 あの日大きな怪我をした場所には生まれつきの痣があり、生まれて育ったあの日々のすべてを『夢だろう』と決めつけるには、俺の中で『俺』が育ちすぎていた。
 梁のある天井と畳と障子、敷かれた布団に寝かされて、こちらを覗き込む人間は着物を着ている。
 『時代劇』みたいだななんて感想は、ただこの世に生まれた子供だったら恐らく持たない。
 つまり俺はあの日本からここに『生まれ変わった』人間で、さらに言うならば、俺が生まれ変わったここは日本どころか地球でもなかった。

「ナマエ、何をしてるんだ」

「兄上」

 畳の上で座卓に向き合っていたところで声を掛けられて、俺は顔を上げた。
 開け放たれた障子の向こうから、いつの間にやら縁側にいたらしい相手が身を乗り出している。
 体の半分以上を縁側に乗せているせいで寝転んでいるような格好になっていて、何とも行儀が悪いが、この『兄』にとっては今更だろう。
 歌舞伎役者みたいなりりしい眉に特徴的な髪型、着物を着崩して縄でたすき掛けをしている彼は、光月おでんだ。
 子供にそんな美味しそうな名前を付けるのかと困惑したが、俺の父親の名前はスキヤキだった。
 その名前と顔で俺が思い出したのは、『生まれ変わる前』に読んでいた漫画だ。
 生まれた後は一度だって読み返せていない記憶は朧げだが、それでもさすがに、慕われていた『おでん様』は覚えている。
 四歳で熊を撃破しただとかそんな恐ろしい噂も聞いたが、あの『おでん』ならなるほどと納得してしまう。きっと事実なんだろう。
 御年八つの兄上が、うつぶせの恰好からころりと仰向けになる。
 放り出された足が石畳を踏みつけて、ぱしんと軽く音がした。

「勉強なら毎日やってるだろう。ここは窮屈だ、今日は下におりるぞ」

「兄上は昨日もお出かけだったと聞きました」

「おれはお前の話をしてるんだ!」

 分かってて言ってるだろうと拳を突き上げられて、ふふ、とわずかに笑い声を零した。
 手元の筆を置くと、俺のその様子を逆さまに見ていた相手が、よし、と声を上げる。
 そのままむくりと起き上がった兄上が手招きをしたので、俺は立ち上がってそちらへ近付いた。

「ほら、掴まってろ」

「はい」

 促されるままにその背中に寄り添うと、兄上は懐から取り出した紐でくるくると俺と自分を結び付けた。
 その動きが手馴れているのは、こうやって背負われる形になるのが、俺がこの城から出かけるときのいつもの恰好だからだ。
 出かけるぞと連れ出されたものの、あまり人と歩調を合わせない兄上に気付かぬうちに置き去りにされてしまったのが、ちょうど二年前。
 二歳児になんてことをするんだろうかとも思ったが、何とか帰ろうと頑張って、最終的には中々危ない目にも遭った。
 そこへ飛び込み助けてくれた兄上は、あれからは俺を連れ出すときは背負うようになってしまった。

「もうそろそろ、俺も自分で歩けると思います」

「まだ小せェんだ、また置いてったらどうする」

「……そこは兄上が気を遣うしかないのでは?」

「だからこうして背負ってるだろうが」

 肩越しの俺の言葉に、ふふんと兄上が鼻を鳴らす。
 八歳が四歳の子供を背負うのはまあ可愛らしい見た目かもしれないが、俺と一緒の時の方が周りが騒ぐということを、兄上は理解しているだろうか。
 貴方の兄上はと乳母が話して聞かせる内容は、おおよそ俺の常識では考えられないことばかりだ。
 何せ俺は兄上のように乳母を投げ飛ばすこともできなかったし、兎を二羽捕獲できるほどの俊足でもないし、熊を大岩で撃退することもできない。
 比較するとか弱すぎる俺は、自分が本当に『光月おでん』の弟なのかと首を傾げる日々だった。
 そもそも漫画の中に、ナマエと言う名の誰かはいなかったはずなのに。

「おれがもう少し楽しいところへ連れて行ってやる」

「楽しいところですか」

「そうだ! 賭場は知ってるか? 運で金を増やせるんだ」

「賭場……」

 うきうきと話しながら立ち上がられて、俺は目の前の体にしがみ付いた。
 俺がしがみ付くのを確認してから、兄上がいつものように歩き出す。
 普段より高い視点から見回す。家臣の姿は見えないが、光月家には御庭番がいるので、すぐに俺達が出かけたと報告が行くだろう。

「そう言えば、兄上はお金が欲しいんでしたね」

 兄上が遊郭に入り浸って遊女達にあれこれと金を渡していたのは、確か一昨年のことだ。
 一度だけ連れていかれたのは多分あまり流行っていない店で、遊女達はみんな六歳の兄上を可愛がってくれているようだった。
 色んな事情であそこにいるのだろうから、金払いが良い客はそれだけでもありがたいだろう。
 ましてや兄上は色事が目的じゃなくて、金を撒くのが目的だ。界隈のもめ事を諫めたり、収めるために大きくすることも多かった。
 しかしさすがに外聞が悪いからと、父上が通いを禁じて、もう一年は経っている。
 店にあまり通えなくなってからも兄上はあのあたりを気にかけているし、金を稼いだらまた店へ金を落としに行きたいに違いない。

「『自分で稼げ』と言われたからな。だが、普通の働きじゃあ使いたい分にはまるで足らん」

 しかしそれでギャンブルに手を出すというのは、駄目な奴ではないだろうか。
 思わずそんなことを思ったが、兄上にそれを言っても今更だろう。
 ふうん、と声を零して、俺は兄上の肩越しに彼と同じ方を見る。
 けれども本当に同じものを見ているかなんて、背中からでは分からない。

「賭場ではいかさまも良くあるって本で読みました。気をつけてください」

「わっはっはっは! わかってる!」

 声を掛けた俺に、兄上が笑う。
 そうして俺は、生まれて初めて、兄と共に賭場へと足を踏み入れた。
 周りは恐ろしい人間が多く、その中でも堂々としている兄上は、さすがだった。
 しかし彼は賭場で思い切りいかさまを受けていて、あまりにもカモにされているその様子にその場で口を挟んでしまったのは、俺の失敗だ。

「このガキ、余計なことを!」

「あっ」

「おい、おれの弟に何をする!」

 小突かれた俺に激高した兄上が刀を持ち出したせいで、賭場は乱闘に陥った。
 騒ぎを聞きつけて捕縛された後、酒を飲んだからだと兄上は言い張ったが、絶対に俺のせいだった。







 六歳で遊郭通い、八歳で賭場通い、九歳で賭場の出入り禁止、十歳で暴行傷害。
 そのまま囚人として石切り場で働いて、見事そこで成り上がった兄上が帰ってきたのは十四歳になる少し前。
 それからも様々な事件を起こして、兄上は花の都を騒がせた。
 最近では、よく出国しようとしては失敗している。
 きっとこのワノ国は、兄上にとっては狭苦しいのだろう。
 俺と言う次男がいるからか、父上も兄上が出たいというならばと放任する考えで、しかし残念ながら、兄上の『出国』はなかなか成功しない。

「よう、ナマエ、息災か!」

「お帰りなさい、兄上」

 どかりと縁側へ腰を落ち着けた相手へ、そう声を掛ける。
 控えていた女中に飲み物をと声を掛けると、酒がいいと兄上が言った。
 戸惑う相手へ頷いて、手元の筆を置く。
 したためていた文を乾かしていると、俺の様子を見ていた兄上が首を傾げて、下駄をはいたまま縁側に足を上げた。

「また勉強か?」

「文です、職人あての」

「職人? また何か作るのか」

 ずいずいと膝で歩いて近寄ってきた相手に、机ごと文を近づける。
 つらつらと記された文字を読み、兄上は少しばかり眉を動かした。

「兎丼宛か。また例の石か?」

「はい。兎丼には兄上がお育てになった職人がいますからね」

 問われて答えると、ふむ、と兄上が顎を撫でた。
 ワノ国では、時々、特別堅い石材が採掘される。
 石工からも避けられがちのその資材の名前は、間違いなく海楼石だ。
 その事実に気が付いてから、俺は自分の持てるツテを使ってそれを集めるようになっていた。
 小さく加工して身の回りに仕込んでいるし、城のあちこちにも配備している。
 堅いから建材にいいなと父上は笑っているが、俺にとってはそれ以外の目的があった。

「兄上にも、今度何かおつくりしますか?」

 例えばこんなものはどうでしょう、と声を掛けて、手元にあった文鎮を放り投げた。
 緩く放物線を描いて飛んで行ったものを、兄上が受け止める。
 手元のそれをくるりと回し、要らん、と答えたその手がぽいとこちらへ文鎮を投げ戻した。

「貰っても売っぱらうぞ」

「面と向かって言わなければ売られても気付かないのに」

 あっけらかんと言い放つ相手に答えながら、飛んできた文鎮を受け止める。
 手元にわずかな重みを寄こすそれもまた、海楼石でできたものだ。
 それを素手で受け止めそして投げ返した兄上の動きに不審なところはなかったので、目の前の彼は間違いなく兄上本人だった。
 そんな確認を弟にされたとも気付かない兄上がごろりとその場に寝転んだので、はしたないですよと声を掛けつつ座布団を捕まえる。
 近寄った相手の頭の下へ二つに折り曲げたそれを押し込むと、兄上の頭が大人しくそれに乗る。
 ついでに身じろぎ仰向けになったその顔が、さかさまになって俺を見た。

「最近はめっきり外出しなくなったそうだな、ナマエ」

 都の連中が寂しがっていたぞと言われて、兄上がお戻りになりましたからね、と俺は答えた。
 俺が護衛を連れて花の都を出歩いていたのは、兄上が石切り場で囚人として頑張っていた頃と、大水害を起こしたせいで捕縛命令が出されて民衆が躍起になっていたしばらくの間だけだ。
 兄上が花の都を元通り出歩くようになれば、俺が目を配っている必要はない。

「なんだ、おれがいたら外に出ないのか」

 釈然としない顔で問われて、そうですねとそれへ答える。

「俺はもともと、城にいる方が性に合っています。じっとしているのも、なかなか良いですよ」

「おれには耐えられん」

「兄上はそうでしょうね」

 きっぱりと寄こされた言葉に納得を示すと、そう言われるのもまた納得がいかんなと兄上が唸る。

「昔はおれと一緒に出かけただろう。久しぶりにおぶっていってやろうか?」

「この年で兄上に背負われるのはちょっと……」

「兄が弟を背負うことの何が悪い」

「そうは言っても、見た目に問題が」

 家臣達は絶対に騒ぐだろうし、人の目にも止まるだろう。外聞が大変よろしくない。
 それに、久しぶりに父上から叱られると言うのも悪くは無いだろうが、できれば俺は、あまり城を離れたくない。
 もはや遠くなった朧げな記憶でも、俺の大事な兄上や父上が陥れられるという事実だけは、まだ覚えているからだ。
 光月ナマエと言う人間がいる以上、ここはあの漫画の通りにはならないのかもしれない。
 しかしそれでも、できることはやっておくべきだ。
 だから俺は、いつ、どこから来るかもあやふやな脅威の気配に備えて、ずっとずっと準備をしている。

「つまらん」

 拗ねたように声を零して、兄上はごろりとその場で寝返りを打った。
 特徴的な髪がこすりと少しばかり畳を擦って、こちらへ背中を向けた兄上の、そっぽを向いてしまったその目は恐らくふすまを睨みつけている。
 遠くから運ばれたのか、吹き抜けた風にわずかに潮の香りを感じて、俺は庭を見やった。
 兄上の太い足が履いている下駄の片方が、その足からやっと外れてカランと音を立てて縁側から落ちる。
 耳に響いたその音に、ふと、あまり城まで戻らない兄上がここへやってきた理由に気が付いた。
 御庭番の話によれば、兄上は今日も『出航』を失敗している。さすがに気落ちしているのだろう。

「次は出航できるといいですね、兄上」

 物資を準備して船を用意して、天候も確認して、俺がひそかに後押しもして、それでも国を出られないのなら、それはもはや才能ではなく、運命的な何かにさえぎられているのではないかと言う気もする。
 しかし、そんな目に見えないものの話をしても仕方がないし、俺は『いつか』は兄上が出国することを知っていた。
 それは恐らく今この時期ではないが、それでも間違いなく訪れる未来だ。俺の兄上は素晴らしい人なのだから、それも当然だった。
 俺の言葉に、やや押し黙ってから、そっぽを向いたままの相手が声を漏らす。

「出国は重罪だぞ、ナマエ」

「それでも、兄上なら絶対できますよ」

 無責任にも聞こえただろう俺の激励に、そう思うか、と兄上が声を零した。
 それから、その体がむくりと起き上がり、折りたたんでいた座布団がぱたりと広がる。
 引き寄せたそれを尻の下へ敷いて、片足に残っていた下駄をひょいと縁側の向こうへ放った兄上が、俺の方を向いた。

「おれもそう思っている」

 奇遇だな、なんて言ってにんまりと笑った兄上は、いつもと変わらない顔をしている。
 眩しいくらいのそれに少しだけ目を細めて、俺も同じく笑みを返した。

「兄上が出国したら、またあちこちへ出歩きますね」

「おい、それはおれに出て行けと言っていないか?」

 兄に対して何たる言い草だと怒った顔をした兄上は、しかしそれでもまたすぐに笑う。
 父上が呼んでいると家老が兄上を呼びに来るまで、俺達はそこでとりとめもない話をしていた。
 ワノ国に災厄がやってくるのは、まだ随分先なのだ。



end


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