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恋をしたから
※主人公は無知識トリップ



 小さい頃から、恋愛と言うものがよくわからなかった。
 それはそれこそ絵本でも児童書でも漫画でもそれ以外の文学でも、アニメでもドラマでも映画でも、懐かしの名曲や流行りの歌にも潜んでいて、きっと『わからない』俺がおかしいんだろうと言うことがわかるくらいには明確な何かだ。
 周囲の誰かが恋をしては成就したり破れたり、その話をされてもずっと他人事で。
 俺が誰かを好きになることなんて、きっと一生ないんだろうと思っていた。

『あららら……大丈夫?』

 だから、右も左もなんなら上下も分からないような場所へ放り出されて落下して、がしりと受け止められたところで上から覗き込んできた相手を見た瞬間の動悸を、それと認識するにはかなり時間がかかった。
 昔親が見ていた映画の俳優に少し似た顔立ちに黒い癖毛、俺の常識では困惑することしか出来ないくらい大きな体に、白いベストに青いシャツ、緑のアイマスク。
 悪魔の実とかいうよくわからない何かで力を得た超能力者の彼はクザンと言う名前で、俺よりずいぶん年上の、男の人だ。

『行くとこがねェの。そりゃそうか……それじゃ……まァ……あれだ……あー……説明が面倒くせェな……まァついてきなさいや』

 だるそうな顔をしながら、それでも俺を放り出すでもなく人の多い場所へ連れてきて、今にして思えば多分『海軍大将』としての信用を使ってまで俺の仕事を斡旋してくれて、住む場所までくれた。
 俺が働いて過ごすようになってからも、たまにふらりとやってきては様子を見て帰っていく。

『それで、どう、最近』

『おかげさまで、頑張れてます』

『ふうん。困ってることも無い?』

『はい、大丈夫です』

 笑って返せるようになった俺に、そう、と答えた彼が微笑む。
 その顔を見ると心臓が痛い気がして、目を逸らしたくて、でも見ていないなんてもったいないからいつもちゃんと見ていた。
 会いに来てくれると嬉しくて、少し読むのが大変な新聞でも彼の名前が載っていないかと毎日確認したし、写真に写り込んでいる時は捨てきれずにとっておいた。
 彼が帰った日から頻度を計算して、そろそろ会いに来てくれるんじゃないかとそわそわしだした俺に、まるで恋してるみたいねと笑ったのは職場の同僚の女性だ。

『……いやいや、まさか』

 その時はそう言って笑ったのに、じわりとわいたのは焦りに似た何かで、自己分析する時間がたくさんあったおかげで、俺は自分の初恋と言うものに気付いてしまった。
 同性を好きになる人間と言うのも存在することはわずかな常識として知っているが、まさか自分がそうだなんて思わなかった。
 それに、俺がクザンさんを好きだとしても、クザンさんが俺を好いてくれる可能性は無いだろう。あの人は女性が好きだ。
 女性に軽く声を掛けているのを見たこともある。
 あの時少し面白くないと思ったのはきっと、俺があの時には彼を好きだったということが理由だったのだろう。
 クザンさんは男で、俺も男だ。
 ましてや俺は年下で、何のとりえもない移民でしかない。
 他の人との違いはどうやら生まれたのがこの世界では無いらしいということくらいで、しかしそんなの、何の魅力にもなりはしない。
 そう言えば何かで『初恋は実らない』なんて聞いたなあと、そんなことを思い出した。
 『初恋』が終わったら、いつかまた他の誰かを好きになるんだろうか。
 この年になるまで誰かを好きになることも無かった俺にそんな甲斐性があるとは思えないが、それでも今は、『初恋』を抱いたままでいる。
 クザンさんの口から『ナマエ』と呼ばれるのが嬉しくて、会えるのが嬉しくて、だから彼が帰るときはそれはもう寂しい。

「そんな寂しそうな顔をしないでよ」

 だけどもまさか彼にそう言われるなんて思わなくて、寄こされた言葉に思わず目を見開いた。
 動きを止めてしまった俺の前で、クザンさんは頬杖をついている。
 俺の休みを知っているかのように現れた彼に誘われて、少し人の少ない喫茶店へと入った。初めて入ったそこは雰囲気が良く、食べた食事も美味しかった。
 この島に住んでいるのは俺で、クザンさんは普段こことは別の場所に住んでいるのに、この人は俺よりこの島に詳しいと思う。
 食後の飲み物を口にしながら、今日はもう帰らなくちゃならねェんだ、と言われたのがつい先ほどのこと。
 そうなんですか、忙しいと大変ですねと相槌を打ったはずの俺の前で、彼はこちらを眺めている。

「……バレちゃいました?」

 何と言って誤魔化そうかと考えて、しかしそれをやめて片手を顔に添える。
 寂しいと思ったのは事実だ。いつもなら、あと数時間は一緒にいられるのに、彼はもう帰ると言う。寂しくないはずがない。
 素直に認めた俺を前に、あららら、とクザンさんが笑った。

「素直だねェ」

「顔に書いてあったなら仕方ないですからね」

 寄こされた言葉に笑って答えると、クザンさんの手がコーヒーカップに触れた。
 くるりと中身を確かめるように揺らされて、カップの端から温かなコーヒーの香りが逃げていく。

「ナマエはポーカーフェイスだけどね」

「…………そうですか?」

「いっつも笑ってるでしょうや」

 指摘するように言葉を寄こされて、少し首を傾げる。
 愛想笑いを何となくしてしまうからだろうか。むっつりと黙りこくって働くよりは、笑顔を浮かべて対応する方が接客の面では有利だし、癖になっていることは否めない。

「右も左もわからねえ場所で働いて生きてて、帰り道も分からねェのにニコニコしてる」

 俺がこの世界へ放り出されたところを助けてくれた海兵からの言葉に、はあ、と声を漏らした。

『おれが帰してやる、とは言えねェが』

 耳に蘇るのは、俺が生まれも育ちもこの海とは違うどこかだと話した時の、クザンさんの言葉だ。

『お前さんがここで生きてく間は、まァ、少しなら手助けもできるけど』

 どうする、と尋ねられて、お願いしますとただ一つの頼りに縋った。
 俺の頼みを受け止めて、クザンさんはこうして時折俺の顔を見に来てくれている。この人はいい人だから。

「無理してないか気になるわけよ」

「してませんよ。皆さん、仲良くしてくれてますから」

 問われた言葉に、俺はそう返事をした。
 この島の人達は穏やかで、斡旋された職場も少し忙しいがいい人ばかりだ。
 たまに酔っ払いが暴れたりもするが、周りが諫めてくれるし、当人も酔いが醒めたら謝ってくれる。
 多少のトラブルはどこで生きて過ごしていても変わらないし、何もかもを放り出した元の居場所のことは気にかかっても、最初の頃のようなじんわりとした焦りは薄れていた。
 元の場所へ帰ったらこの人に会えなくなると、そう気付いてしまったからかもしれない。
 今までまるで知らなかったが、恋と言うのは身勝手だ。

「友達は出来た?」

「クザンさん、俺も子供じゃないんですから……」

「遊びに行く相手とか、気の合う仲間とか、あー……ほら、あれだ、気になる相手とか」

 島に慣れたならそう言う相手がいてもいい頃でしょと、そんな風に言うクザンさんの言葉が、耳に刺さった。
 反射的に微笑んでしまったのは、他に取り繕う表情が浮かばなかったからだ。
 心臓がじくじくと痛いのは、ただ想いを寄せているだけの相手に酷いことを言われたと勘違いして傷付いているからだろうか。

「皆さんいい人ですし、遊んでくれる人もいますよ。今日はたまたま空いてただけで」

 俺が休みの日を狙ったように現れる彼についていく為に、基本的に休みの一日は空けている。
 暇ならと誘われて毎回快諾する俺を、どうやら少し気にしてくれていたらしい。それならこれからは何回に一回かは断らなくてはいけないのかとも思うが、俺にそれが出来る気はしない。
 俺の顔を見つめたクザンさんが、カップを置いて緩くため息を零す。
 それが失望なのか安堵なのかは分からず、そちらを見やった俺の前で、大きな体が少し後ろに傾ぐ。
 彼の体格に合わせて運ばれた椅子が、ぎし、とわずかに音を立てた。

「駄目だね、どうも。こういう面倒なのは合わねェや」

「クザンさん?」

「悪かった」

 意味も分からないまま寄こされた謝罪と共に、前へ戻ってきたクザンさんの頭がわずかに下げられた。
 目を瞬かせる俺の前で、クザンさんの掌がテーブルに添えられる。
 ヒエヒエの実と言うらしい、何もかもを凍らせる超能力を放つ指が、わずかに力を込めたようだった。

「おれァさ、ナマエ。海軍大将なわけよ」

「ええと、はい」

 それは初対面の日に教えられたことだ。
 海軍と言うのはこの世界で言うところの警察のようなもので、そして海軍大将と呼ばれるクザンさんは猛烈に強いらしい。
 どのくらいかと言うと、海で襲い掛かってきた大きな生き物を海ごと氷漬けにするくらいだ。人間なら、相手は全員凍死するだろう。

「男だし、お前さんよりまァ年上だし、住んでるとこもここから遠いし、生まれが違うんだから価値観も違うし、酷ェ野郎だ」

 よくわからないことを数え上げられて、聞き捨てならない最後の言葉に思わず反論しようとした俺の方へ、クザンさんの顔が向く。

「それでも、お前さんが好きなんだけど」

 おれのになってくれねェか、とその声が続いた。
 放られた言葉が唐突すぎて、出て行こうとした言葉が頭から抜ける。
 目を見開いて硬直する俺を前に、クザンさんが口を動かした。

「ナマエも、おれのこと好きでしょうや」

「な……」

 まるで世の中の理を示すように、はっきりと言葉を告げられて、思わず口が開く。
 それでも言葉が出ずにぱくぱくと口を開閉させた俺を前に、見てたら分かる、とクザンさんが俺の声ならぬ問いに答えた。

「おれが会いに来たら嬉しそうにしてくれるし、帰るときは寂しそうだし。ああ、周りが気付いてるかは分からねェな、お前さんいつもニコニコしてるから」

「そ、」

「おれはナマエを見てるからね。分かるよ、そりゃあ」

 それなら、と放とうとした言葉を遮るようなクザンさんの発言に、俺の口から出て行こうとした言葉が消えた。
 ばくばくと、心臓が痛い。
 顔が熱くなった気がする。
 もはや死ぬんじゃないかと言う苦しさで、今すぐテーブルに突っ伏して隠れてしまいたいのに、目の前の相手を見るのに忙しくてそれも出来ない。
 少しだけ眉を下げたクザンさんが、どうしてだか申し訳なさそうに、それでもこちらへ向けて微笑んでいるのだ。
 これを見逃すなんて、そんなことするくらいなら、恥ずかしい方がましだ。

「最初の頃はただの勘違いだったろうけど、それでも、まァ、損はさせねェからさ」

 言葉と共にそろりと近寄ってきた手が、テーブルに触れていた俺の片手を捕まえた。
 そうっと触れる指は優しくて、もしも俺が振り払ったなら逃がしてくれそうな強さだ。
 クザンさんは俺より強いのだからもっと強く掴めるはずなのに、まるで選択の余地を残しているかのような触れ方だった。

「おれのになってよ」

 心臓がうるさい。
 それでもクザンさんの言葉は、しっかりと俺の耳に届いた。
 恋した相手にそう求められて、頷かない人間なんているものか。
 だから俺は頷いたし、それを見たクザンさんが嬉しそうに笑ったからやっぱり、目なんて逸らせないまま。
 初恋は実らないなんて、まるであてにならない言葉だったと、俺はその日初めて知った。



end


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