結び目は緩くとも
※無知識トリップ系男児とマルコ隊長
じんわりと体が重い。
ゆるゆると瞼が沈んでぐらりと頭が揺れて、そのことにはっと目を開いて姿勢を戻す。
それを何度も繰り返すベッドの上の子供に、マルコの口からため息が漏れた。
「眠いんなら寝たらどうだよい」
「やだ、ねない」
声を掛けたマルコの横で、子供がきっぱりと言葉を返す。
だって本を読んでいるもんと続いたが、その手元の本が先程からまるで進んでいないことなど、すぐそばで椅子に座って資料を捲っているマルコにはお見通しである。
夜中の手前を示す簡易の時計しかない狭い船室で、いつものように本を捲ったマルコの部屋へ子供がやってきたのは、つい二時間ほど前になる。
ナマエと言う名のその少年は、しばらく前に白ひげ海賊団へ降ってきた人間だった。
言葉の通り、雲一つない青空からモビーディック号の上へ、ふわふわと綿毛のように舞い降りてきたのだ。
よほど恐ろしい目に遭ったのか、当人は気絶していて、どうしてそんな目に遭ったのかも覚えていない。一人で遊んでいたら、気付いたらこの船の上だったというのが彼の中の認識だ。
子供が住んでいた空島は、『ニホン』と言うらしい。
拙いナマエの言葉は要領を得ないが、とりあえずとても平和そうな国であるということはマルコ達も理解した。そうなればきっと、この子供の両親はそれはもうナマエのことを心配しているだろう。
返してやりたいという声が白ひげ海賊団のうちから上がり、モビーディック号は今、見たこともない空島を探すために海の上を走り回っている。
本人はのほほんとしているが、しかしナマエは決して一人きりになりたがらない子供だった。
何故かと問うまでも無い。こうして海賊船に乗り込む羽目になった事実がある。
誰かと一緒にいたがるナマエが、今日の相手に選んだのがマルコだった。
そもそも最初に発見して飛び上がり、ゆるゆると落下してくる小さな子供を捕まえたのもマルコで、降り立った甲板の上でナマエを起こしたのもマルコだ。懐くのは当然だったのかもしれない。
「寝ないと大きくなれねェぞ」
「ねむく、ない」
椅子に座ったままで声を掛けたマルコに、ぐらぐらと頭を揺らしていた子供がしゃんと背中を伸ばして言い返す。
いじっぱり極まりない子供に、マルコの眉間にしわが寄った。
きりりと顔を引き締めたくせ、すぐにとろりと目を閉じかけては首を振る子供は、誰がどう見ても睡魔に殺されそうになっている。
無駄な抵抗を示す相手に、マルコの口からはため息が漏れた。
「なんでそんな意地はってんだよい」
眠いなら眠ればいいし、腹が減ったら食事をすればいい。
マルコが乗り込むこの船は海賊船で、海賊と言うのは己の欲望に素直なものだ。
幼いナマエも今はいっぱしの白ひげ海賊団なのだから、そんなさっさと眠ってしまえばいいだろう。
けれどもマルコの言葉に、ナマエが何やら恨めし気な視線を寄こす。
「……だって、おれ寝たら、マルコおれのことおいてくもん」
そうして口を尖らせながら訴えられた言葉に、マルコは少しばかり瞬きをした。
そう言えばつい先日、甲板で作業をしていたマルコの横で昼寝を始めた子供に気付いて、柔らかなベッドのある船内へと運んだ覚えがある。甲板は固く、幼くて柔らかい体を転がしておくには忍びなかったのだ。
眠っているからいいだろうとそのまま船内へ置いていたが、起きてきたナマエはしばらくとても不機嫌だった。
寝ている間におやつの時間を過ぎていて、コックの特製おやつを食べ損ねたせいだろうと仲間達と笑っていたが、もしやそれ以外にも理由があったのだろうか。
「…………根に持ってんのか」
思わず呟いたマルコの言葉が分からなかったのか、ナマエは答えず、その両手が手元の本を握りしめる。
つい先日クルーの一人が買い与えた絵本は少し厚みがあり、小さな手によって支えられ、子供の双眸にじとりと睨みつけられた。
その目は一生懸命に文字を追っているが、しかしやはり、まるでページは進まない。
またうとうととし始め、そしてはっと目を開いては眠気を追い払おうとする子供の動きを一巡眺めてから、マルコの口からは再びのため息が漏れた。
「……ナマエ」
「?」
仕方なく名前を呼ぶと、子供の目がマルコの方へと戻される。
少し不思議そうなそれを見やって、マルコはぽんと自分の膝を叩いた。
言葉も無く見つめていると、マルコの言いたいことが分かったらしい子供が、ベッドの上を降りる。
その手に本を持ったまま、近寄ってきた子供をマルコの手が捕まえて、自分の膝の上へと乗せた。
その背中を自分の体で支えてやり、子供が持ってきた本を子供と自分の膝の上で広げる。
「このまんまでいてやるから、本を読むのに飽きたら寝ろよい」
「ねないもん……」
「膝に乗られてたら、少なくともどこにも行けねェ」
むっと口を尖らせた子供へ言い聞かせたマルコに、ナマエがちらりと視線を送る。
それからその手が、絵本を広げるのをマルコに任せて、ごそりとマルコの体に触れた。
何をしているのかとマルコが見つめている間に、子供の手が素早くマルコのサッシュベルトを緩める。
マルコの膝へ乗り上げているナマエは、緩めた布地の内側に両足をいれて、するりとマルコの体に密着した。
小さな両手が無理やりきゅっとサッシュベルトを結び、ぐりぐりと体を揺らして快適さを確かめるかのように動く。
「…………うん、これでよし」
「何してんだよい」
「これならおれ、おいてかれないもん」
どことなく得意げな声を出して、ナマエはマルコから絵本を取り返した。
マルコの膝に跨り、そこにある足をテーブル代わりに背表紙を押し付けてくる子供の表情は、後ろからそれを見下ろしているマルコには見えない。
しかしどことなく満足そうなその様子に、やれやれ、とマルコは肩を竦めた。
そのまま少し椅子の上で尻を滑らせて、体を少しばかり後ろへと傾がせる。
マルコを背もたれにしているナマエの体も同じく傾いで、マルコの足をテーブル代わりにできなくなったナマエが両手で絵本を持ち直した。
「ま、お前が満足したんならいいが」
飽きたらさっさと寝ろよい、ともう一度言葉を投げたマルコへ、ねないもんとまたナマエが言葉を放つ。
しかし、三十分も経たずに船をこぎだした小さな海賊は、マルコと自分の体を結び付けたまま、やがて静かに眠りの沼へと誘われていった。
それを確かめてからサッシュベルトを解こうとしたマルコがそうしなかったのは、つい先日の、子供の拗ねた顔を思い出したからである。
「…………仕方のねェ奴だよい」
子供の執念と言うのも侮れないなと笑った海賊は、子供を自分に結び付けたままでベッドへ移動して、そのまま寝入って朝を待つことにした。
朝方、目を覚ましたナマエが寝ぼけた顔で自分とマルコを見て満足そうに笑ったので、それで正解だったのだろう。
end
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