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真夏のシャワールーム
※主人公は無知識トリップ系クルー
この小話の軽めの加筆版


「おォーいナマエ、髪洗ってくれ」

 ひょこりと顔を出したお頭の発言に、俺は『はァい』と軽く返事をした。
 見やった先にはにかりと笑った誰かさんがいて、片手に手拭いの入った小さな桶まで持っている。ここが陸なら風呂屋にでも行きそうな格好だ。

「最近暑いですもんねェ」

「なァ。夏島は暑いもんだが、こう毎日だと堪えるぜ」

 そんな会話をしながら立ち上がると、俺がついてくると見てとったお頭がくるりと体の向きを変えた。
 そのまま向かっていくのはレッド・フォース号の小さな浴室の方角で、俺もその後ろをついていく。
 途中で必要なものを倉庫から引っ張り出しに行って、すぐに駆けてお頭を追い抜き、たどり着いた浴室の扉を開いて相手を招くと、こちらを見たお頭が軽く笑った。

「ドアくらい開けられるってのに」

 すまねェな、なんて言いながら招いた相手が入ったのを見やって、俺は軽く扉を閉ざした。
 一応きちんと閉ざしたが、鍵はかけない。
 俺がこの『役目』を貰うようになってから置かれている折り畳み式のビーチチェアを広げて、どうぞ、と相手をそちらへ促した。
 さすがにシャンプーチェアはないので、本来の使い方とは逆向きに座ってもらうのがいつものことだ。
 お頭がまたぐようにして腰かけたので、その手に持っていた桶をひょいと受け取って、中に入っていた三枚のタオルのうちの一枚を広げる。
 服があまりぬれたりしないようにとお頭の首周りを丁寧にタオルで覆い、さらには持ってきたケープを広げる。
 この前の島で購入したそれは、俺がよく知るものと似た形のものだ。マジックテープじゃなくて普通のボタンなのが少しだけ使いにくいが、そういえばこちらの世界でマジックテープを見たことがない気がする。

「はい、じゃあゆっくり倒れてください。そのまま、目ェ閉じてくださいね」

 体が濡れないように覆い終えてから、声をかけつつその背中に手を添えて、ゆっくりと相手の体をチェアの上へ横たえた。
 両足はチェアをまたいだままだが、幅の狭いものなのでそれほど問題はなさそうだ。
 もう一枚のタオルを長く細めに折りたたむと、お頭が素直に目を閉じる。
 信頼しきったその顔を隠すようにそっとタオルを乗せてしまえば、準備は完了だ。
 右も左も分からぬこの世界にやってきて、早一年。

『片腕だと、風呂とか不便じゃないですか?』

 運よくこの海賊団に拾われ、一員となった俺がこうやってたまにお頭の頭を洗うようになったのは、そんな失礼な問いかけをしたのがきっかけだった。
 あの日はとても酔っていて、しばらくの疑問が思わず口をついて出たのだ。
 お頭は怒るでもなくそれを笑いとばしてくれて、何なら一緒に入るかと冗談も言ってくれて、『頭を洗うのは得意ですよ』とそれに答えたのが最初のこと。

『男なら、一度言ったことは撤回しねェよな?』

 そんなことを言った相手に風呂場に連れ込まれて頭を洗うことになり、それからお頭は、俺の手際を気に入ってくれたらしい。
 海の上では毎日風呂に入るわけにもいかないし、たまには頭だけでもきれいに洗ってすっきりしたいだとか、そんな時に声がかかるようになった。
 どうやっても再現できそうにない赤毛にそっとシャワーから湯をかけて、こびりついた汚れを落とすように指を滑らせる。

「水温大丈夫ですか?」

「おー」

「じゃ、進めますね」

 じゃぶりと水で髪を撫でるように触りながら、いつものように両手を動かす。

「かゆいとこありませんか?」

 シャンプーで丁寧に髪から汚れを落とし、時々頭を押し揉むようにしながら触っていたら、なんとなくいつもの癖で口から言葉が漏れた。
 それを聞いたお頭が、なぜだかタオルの下で小さく笑い声を零す。

「あー……鼻の先っちょがかゆい」

「ははァ、鼻」

 そこは自分で掻いてください、と言葉を落とすと、素直に動いたお頭の片手がタオルの上からごしごしと自分の鼻のあたりを擦ったようだった。

「お前いつもそれ聞くのに、掻いてくれた試しがないな」

「もう癖みたいなもんなんで、どうぞ気にせず……っていうか、頭でかゆいとこが無いか聞いてるんですよ」

 何度も使ってるからシャンプーが合わないことはないだろうが、頭皮に傷がついていて染みたりしていないかとか、色々と気になることもあるのである。
 別にそんなこと聞かなくてもいいと思うかもしれないが、この世界に来る前から聞いていたことなので、こういうことをしているとついつい聞いてしまう。

「はい、流しますよー」

 シャンプーの泡を流し、丁寧に水気を切ったら、次はコンディショナーだ。
 みんなも使うだろうと大きいものを買ったのだが、なんと俺と、俺が頭を洗う時のお頭しか使わないので全然減らない。
 ふわりと柔らかなにおいを零すそれを掌へ広げ、赤い髪へもみ込むように指を滑らせる。
 日頃の日光と潮風のおかげでいくらか傷んでいるが、少しは補修できるだろう。

「お頭はもっと髪に気を使ってもいいと思うんですよね。こんなにきれいな赤毛なのに」

「……んー、おれにそう言うのもお前くらいなもんだろうなァ」

 タオルの下で笑いを含んだ声をくぐもらせて、お頭がそんなことを言う。
 それは周りがおかしいんです、と答えつつ手入れを終えた俺は、ある程度行き渡ったところで髪へもう一度水を注いだ。
 じゃぶ、と海水をろ過して作った水を流して、丁寧に仕上げをしていく。
 耳回りも丁寧に流して、すすぎ残しが無いことを確認してから手を止めて、最後の一枚のタオルを手に取った。
 広げたそれで頭を捕まえて、最後のマッサージを加えながら髪を拭いていく。
 髪の水気がある程度消えたところで顔のタオルを支えながら促すと、お頭がむくりと起き上がった。
 その顔からタオルを外し、もう一度髪を拭く。
 水が滴ったりしないことを確認してからケープを外して、首に巻いていたタオルも外すと、髪が濡れている以外はここへ来た時と何も変わらない。

「さっぱりした! ありがとう、ナマエ」

 にかりと笑ったお頭の言葉に、どういたしまして、と答えながら持っていたタオルを畳みなおした。
 お頭が持ち込んできた桶の中へそれを入れて、今度は俺がそれを小脇に抱える。

「ここは湿っぽいですから、髪を乾かすのは甲板にしましょう」

「それもいいが、お前も汗だくじゃねェか」

 ついでに水浴びしてったらどうだ、とシャワーを指さされて、少しばかり心が揺れた。
 何せ、ここは夏島の海域だ。
 八月でもないのに猛暑が船を襲い、日陰にいてもじんわりと汗をかくし、密閉された浴室は当然ながらさらに暑い。

「……いや、でも、俺だけそんな贅沢は」

「いいじゃねェか、ちょっとだけだ。……あ! なんならおれが洗ってやろうか?」

 いいことを思いついた、とばかりに笑顔で言葉を寄こされ、いやそれは遠慮します、と間髪入れずに返事をする。

「なんでだよ、そんなにイヤか?」

「というより、お頭が風邪をひいても困るので……」

 水浴びで体を冷やしたら、この人は濡れたままでうろうろしていそうだ。
 確かに気化熱で涼しくなるだろうが、思ったより体が冷えてしまったら体調を崩すだろう。俺はともかく、船長がそれはまずいと思う。

「おれァ風邪なんてひいたことねェぞ」

「それはバ……いや、なんでもないです。ほらお頭、ここ暑いですから風通しの良いところに行きましょう」

「おいナマエ、お前いま『バカ』って言いかけなかったか?」

「気のせいです」

 こら、と寄越される注意をはぐらかしつつ、俺はそのままお頭を促して浴室を出た。
 それから何度か『一緒に風呂へ入ろう洗ってやるから』と誘われているが、どうやって洗ってくれるつもりなのかまったく見当がつかないので、とりあえず遠慮している。


end


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