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あついので
※無知識トリップ系主人公は大将黄猿の副官



「文明の利器があります?」

 書類を運び込んできたと思ったらきょろきょろと室内を見回して、質問なのですがと前置きしながら変なことを言ってきた相手に、クザンは首を傾げた。
 どういう意味だと見やった先には、まだ不思議そうな顔をしている男がいる。
 クザンよりも随分と小さく、この暑いのにしっかりとネクタイまで締めて額に汗を浮かべているその男は、確かクザンの同僚の副官である海兵だった。
 よく働くと、大将黄猿が褒めていた覚えがある。元は移民であるらしく身元は不明だが、実直で『海兵らしい』海兵だという話で、海軍へ入隊した理由は、あの大将黄猿がたまたま海で拾ったからだった。
 確かナマエとか言ったっけな、とその顔を見やって考えたクザンの前で、ふるりと男は自分の中の疑問を否定するように首を横へ振った。

「いえ、申し訳ありません。おかしなことを」

「別にいいけどさ。つうか、暑くねェの、その恰好」

 記録的な猛暑がマリンフォードを襲っているのは、ここ数日の話だ。
 熱中症には気をつけろと広報が声を上げ、屋外での演習も控えめにするように連絡が出ている。
 クザンなどいつもの『サボり』に出かけていたところを呼びつけられ、マリンフォードへと帰還させられている始末だ。
 マグマ人間を遠征へ追い立て、ヒエヒエの実たる悪魔の実の能力者であるクザンが留まってこうなのだから、指示が出る前のマリンフォードがどうだったのか、考えるだけでも恐ろしい。
 能力の過剰な使用が禁じられていなかったら、クザンは今頃この海軍本部を氷漬けにしているところだ。
 いつもは面倒でも羽織っているコートすら壁にかけ、何ならベストも脱いで青いシャツのボタンも三つほど外しているクザンの向かいで、海軍大将の副官殿はいつもとまるで変わらぬ恰好をしている。
 しかし暑さを感じていないのかと言えば、その額ににじむ汗を見ただけで明白だった。

「職務中ですので」

 けれども男はそう言い放ち、こちらの書類には今すぐサインをください、と言葉を続けた。
 きちんと文字の記されたそれを一瞥し、ふうん、と声を漏らしたクザンの手が差し出された書類に伸びる。

「ぶっ倒れねえ程度にしなさいや」

 頭の固そうな男へ言い放ち、クザンの手が雑に記したサインは、そのまま書類と共に執務室から奪われていった。







 そんな数日前のやり取りを何となく思い出して、クザンの口からため息が漏れる。

「オォ〜……どうしたんだァい?」

 幸せが逃げちまうよォと言い放ったのは、クザンより幾分年上の同僚だ。
 しっかりとスーツを着込み、にこにこと笑っているのは相変わらずだった。
 優しそうに見えると噂の海軍大将黄猿だが、その笑顔のまま海賊を蹂躙する男であることを、当然ながら同僚であるクザンは知っている。

「なんで部屋に押しかけられてんだろうかと思ってさァ」

 やれやれと首を横に振ったクザンの言葉に、ここが涼しいからだねェ〜、と大将黄猿が口にする。

「わっしは涼めてェ、クザンはサボらねェよう見張ってもらえてェ〜……持ちつ持たれつってやつだろォ〜?」

「それ、おれの得が欠片も無いでしょうや」

 にっこり楽しそうな年上の男に、クザンの口からは呆れの混じった声が出た。
 記録的な猛暑は、ゆっくりと落ち着きを取り戻している。
 後一週間ほどでどうにかなるなどと言ってきたのはそう言う予報を生業にしている誰かで、そいつは良かったねとクザンも相槌を一つ打ったところだ。
 しかしそれより問題なのは、ここ最近、ずっと向かいの男がクザンの執務室へと訪れることである。

『茶は冷たいのでいいよォ〜』

 この暑さの最中、休んでていいよと声を掛けたクザンの指示によりクザンの執務室にクザンの副官は居らず、にっこり笑って言葉を寄こした男への飲み物はクザンが用意してやったものだった。
 嫌がらせに熱い茶を出してやったらにこにこ笑いながら主張されたので、仕方なく中身は冷やしてある。

「クザンは得しなくても、他に得するのがいるから仕方ないねェ〜」

 湯呑まで冷えているだろうそれを手に取り、しみじみ言いながら笑った男は、その手でひょいと自分が持ち込んだ書類を捲った。
 初日はクザンの副官の机を椅子代わりにして、膝に書類を乗せているというなんとも威厳の無い行儀の悪さだったのだが、ここ数日でいくつかの品がクザンの執務室へと運び込まれて、今ではクザンが使っているのとそう変わらない机が椅子と共に一対置かれている。
 自分の部屋でやりゃあいいでしょうやとクザンは呆れたが、こういうときのこの男は決して引かないのだ。
 実力行使で追い出すならまた別だろうが、クザンにも事情がある。
 ため息を再び零したクザンの耳に、扉をたたく音が届いた。

「はいよ、ドーゾ」

「失礼します」

 許可を出したクザンの視界で、かちゃりと扉が開かれる。
 クザンに合わせた大きなそれを押し開いて現れたのは、大将黄猿の副官だった。
 きりりとした顔で、いつもと同じくしっかりとスーツを着込んでいる。
 部屋に足を踏み入れたところでほんの少しだけその表情が緩んで、それから自分のそれに気付いたのか、すぐにその顔が引き締められた。

「大将、執務は自室で行っていただきたいと、昨日も申し上げたではないですか」

 その顔が見やった先にいた大将黄猿が、とぼけた様子で首を傾げる。

「そうだったけェ〜?」

「……そのうち音貝で録音しますよ」

 むむ、と眉を寄せて言い放つ年下の副官に、大将黄猿はのほほんとした顔で笑っている。
 その手が先程捲ってサインをしていた書類を差し出すと、副官はそれを両手で受け取った。
 中身を検めた男の口が曲がったのは、書類がきちんと仕上がっているからだろう。

「届けるついでにおやつでも持ってきなよォ〜」

「おやつって大将……子供じゃないんですから……」

「クザンの分もねェ〜……ああ、ナマエの分も忘れるんじゃねェよ〜?」

 忘れたら昨日みたいにするからねと、続いた言葉に副官が黙る。
 紡がれたその言葉に、クザンも大将黄猿の言う『昨日』を思い出した。
 なんとも横暴なこの男は、クザンの分だったせんべいを半分割って奪い、自分の分を副官にくれてやったのである。
 クザンの分をそのまま奪い取らなかっただけ優しかったのかもしれないが、上官二人が食べ物を分け合っているというのに自分だけ丸々一つを渡されて、副官であるナマエはなんとも言えない顔をしていた。
 そのまま昨日の午後はここで共に仕事をしたが、微妙な顔をしていたナマエは最後までそのままの顔だった覚えがある。
 同じことを思い出したらしいナマエが、何とも渋い表情をする。
 その目がちらりとクザンを見やり、それから自身の上官へと視線を戻して、かしこまりました、と言葉を投げた。
 書類を手にして部屋を出ていくその様子を、クザンは頬杖をついて見送る。
 扉から通路へ出る時に気合を入れていたその背中は、扉が閉ざされたことですぐに見えなくなってしまった。

「部下にまで迷惑かけてるじゃねェの」

「ン〜?」

 頬杖をつきつつ書類を手にしたクザンのすぐ近くで、執務机に向かっている大将黄猿が声を漏らす。
 その目が自分を見ていることに気が付いてクザンが視線を向けると、何やら面白がった顔の同僚がそこにいた。

「そうは言うけど、クザンだって気を使ってるじゃねェか〜?」

 冗談めかして言い放つ相手に、クザンの口からは三度ため息が漏れる。
 ピカピカの実を食べた光人間が、気温の変化を意に介さない男だということを、クザンは知っている。
 今までだって似たような猛暑は経験しているが、クザンの執務室までこうして押しかけてきたのは初めてのことだ。
 その理由が何なのか思い至ってしまうと、クザンだって仕方がなく、部屋を普段より冷やしてやるしかないのである。
 部下想いと言えば聞こえは良いが、それに同僚を好き放題に巻き込んでくるあたり、海軍大将黄猿は横暴な男だ。きっと、副官のナマエも日々迷惑を被っていることだろう。

「……汗だくのまんまここで体を冷やしちゃ風邪をひくでしょうや。次からそこで着替えさせたら? もうちょっと涼しい恰好とかにさァ」

「言って聞くならこんなことしてねェんだよォ〜」

 頭が固いからとため息を零した同僚に、ふうん、とクザンが声を漏らす。
 ひとまず、小さな海兵が戻ってきたら、クザンが手ずから茶でも淹れてやることにしよう。



end


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