- ナノ -
TOP小説メモレス

とりかへばや (1/6)
 


 ナマエは確かに死んだ筈だった。
 それなりに生きて、料理人としてそこそこ成功して、それなりに幸せをつかみ、時が経って死んで、そして生まれ変わったのだろうと言うのが、目を開けて周囲を観察した時に得た確信だ。
 赤ん坊とは言え色々な世話を焼かれるのはとてつもなく恥ずかしかったが、清潔に生きていく為には仕方のないことでもあったのでどうにか我慢できた。
 けれども自分を覗き込む大人に見覚えがあり、名付けられた名前の知っている響きに、おかしいと気が付く。
 『サンジ』。
 家名はどうやら『ヴィンスモーク』。そうして、ところどころで聞こえる『ジェルマ』と言う単語。
 それらが示すのは、彼が前の人生で『ナマエ』だった頃に読んでいた、漫画のキャラクターだった。
 漫画のキャラの名前を名付ける大人も時にはいるが、家名までそれについてくるはずもないし、自分が四つ子で他の三人も知っている名前で、姉だという少女を紹介された。
 自分が漫画の登場人物と同じ状況に置かれていると知った時の困惑は、ひと月ほど彼を悩ませた。
 しかしまあ、悩みはそのうち放り捨てた。自分はまだまだ幼く、解決策も無い問題を考えても仕方がないし、彼はどちらかと言えば前向きな方である。
 それよりも自分が『サンジ』だというのなら、いつかはあの漫画の『主人公』の仲間になるのだ。
 彼が覚えている通り、『サンジ』の体は生まれつき、他の兄弟達とは違う。
 母親のヴィンスモーク・ソラは母親として彼を愛してくれていたが、父親が『サンジ』を助けてくれないことなんて知っていたから、助けを求めたりなんてせず、自分で兄弟からの暴力を避ける方法を考えた。
 努力の甲斐もあって、あまり怪我はしないでいられていると思う。
 いずれ『サンジ』として戦えるように、努力も怠らなかった。
 自分が実験の『失敗作』であることを把握し、実験の結果を確かめる研究者達にもこっそりと相談したし、筋肉をつけるためのトレーニングメニューだって頼んで、それを実行した。
 来る日に備えて、それはもう入念に頑張ったはずなのだ。

「…………おかしいよな……」

 自室に、『サンジ』の呟きがぽつりと落ちた。
 静かな一部屋だ。華美な装飾品が無いのは彼がそれを好まないからで、腰を落ち着けている椅子はしばらく前に訪れた商人達から自分で買い付けたものだった。
 それに座る『彼』は、十九歳だ。
 そう、十九歳である。
 『彼』が本当に『ヴィンスモーク・サンジ』ならば、今頃はあの海賊団の仲間になっている筈だ。
 すでに『主人公』は賞金首になっていて、その手配書も出回っている。
 だというのに今日まで、彼はこうしてジェルマ王国の船にいる。
 偉大なる航路を目指した海遊国家がそこへ足を踏み入れたのは、もう何年も前にだった。
 そもそも、もっと幼い頃に『死んだこと』にされて監禁されるはずだったのに、身構えていた筈のそれすら起きないままここまで来てしまった。
 ひょっとするとここは、本当は『漫画』の世界ではないのかもしれない。
 全く同じではない、どこか別の場所である可能性を、彼は何度も考えた。
 しかし、『サンジ』に『ヴィンスモーク』に『ジェルマ』、そうして『偉大なる航路』に『悪魔の実』。そして手配書の出回った『主人公』。
 それらはやはりどう考えてもあの『漫画』の世界がこの現実であることを示していて、まるで違うとは言い切れないのではないだろうか。
 そんなことを考えてうーんと首を捻ったところで、音を立てて扉が開く。
 それに気付いて顔を上げた『サンジ』は、部屋へ入ってきたのが兄の一人だと気が付いた。

「ノックしようとか思わねェのか、クソ兄貴」

 四つ子でそう呼ぶのが正しいのかは知らないが、兄として扱われ兄として振舞う赤毛の相手へそう声を掛ける。
 粗野な『サンジ』の言葉に軽く眉を動かして、それから兄が緩く首を傾げた。

「必要があるか?」

 なんとも横暴な発言に、思わず『サンジ』の口から舌打ちが漏れる。

「着替えてる途中だったらどうするんだよ」

「お前の裸を見たところで今更だ」

 あっさりと寄こされた返答に、誤解を招く言い方をするなよと声を上げた。
 男兄弟で、お互い研究者に体を管理されている身の上だ。今更と言えば今更だが、ここは研究室ではない。

「それで、何の用だよ」

 王位を継承するだろう兄相手に不遜な言い回しを崩さず、『サンジ』は椅子に座ったままで尋ねた。
 それをとがめるでもなく、近寄ってきた相手が彼を見下ろす。
 サングラス越しに注がれる視線を受け止めて、『サンジ』はそれを見つめ返した。
 この赤毛の兄は、よくそうやって『サンジ』を見ている。
 何が楽しいのか分からないが、暴力を振るわれるわけでもないので、彼はそれを好きにさせていた。
 それでも、何が悲しくて血を分けた兄弟と見つめあわなくてはならないのか。
 ため息を零して目を逸らした『サンジ』の傍に佇んだまま、兄が言う。

「…………煙の臭いがするな」

「…………」

 そうして落ちてきた言葉に、『サンジ』は椅子の上で少しばかり身をよじった。
 『煙』の匂いと言われると、彼にはとてつもない心当たりがある。
 しばらく前にこっそりと手に入れた煙草を、ついつい一本吸ったのだ。
 体には毒であることは間違いないが、漫画の『サンジ』も吸っていたし、そもそも生まれ変わる前の『彼』は喫煙者だった。
 何故だかそう言った嗜好品のないこの国で手に入れるのはとても苦労したし、まだ吸った本数も多くない。『サンジ』らしさを楽しむための、いわば遊び道具だ。
 手洗いにうがい、歯磨きもして室内の換気もしてあるというのに、ジェルマの改造人間と言うのは嗅覚まで強化されているらしい。
 『サンジ』の様子を見下ろした兄が身じろいだのが視界の端に見え、そちらへ視線を戻した『サンジ』は、自分の方へ差し出されている拳を見つけた。
 彼が手を出すのを待たずに拳が開かれ、握られていたものが『サンジ』の膝へと落ちる。
 出てきたそれは最近見慣れるようになった丸くて赤い包みで、きゅっとひねられた包みの端から白い棒が飛び出していた。

「おっと」

「ほどほどにしておけ」

 膝から転がり落ちていきそうだったそれを捕まえた彼の傍で、赤毛の兄が言葉を落とす。
 寄こされた言葉に再び『サンジ』が視線を向けると、それを受け止めた兄はまだ彼を見つめていた。

「レイジュには知られたくないだろう」

 揶揄するような言い方に、『サンジ』は目を眇めた。
 初めて喫煙したあの日のことを思い出して、わずかに舌打ちが漏れる。

「…………脅してんのか?」

「よせよ。おれがお前を脅迫するメリットがあるのか?」

 鼻で笑いながら寄こされた言葉に、むっと『サンジ』が眉を寄せる。
 しかし確かにこの兄の言う通り、そんなことで兄が得られるメリットはない。
 しいて言うなら『サンジ』を揶揄うことが出来る程度だが、この兄がそんなことにメリットを見出すとは思えなかった。

「ご忠告ドーモ」

 言葉を放った『サンジ』に、ふん、と兄が鼻を鳴らす。
 一体何の用事だったのか、彼はそのまま踵を返して、『サンジ』の部屋を出て行った。

「……何しに来たんだ、あいつ?」

 相変わらずわけの分からない兄を見送って、肩を竦めた『サンジ』の手が、手元の包みに触れる。
 棒の先の包みを開くと、中からは半透明の赤い球が現れた。てらりと光るそれを口に入れて、唇で棒を支える。
 舌に触れたキャンディは、甘いイチゴのフレーバーだった。




戻る | 小説ページTOPへ