ビスケットはひみつ味
※無知識トリップ主人公はクラッカー様の恋人で海賊
好きだとか、愛してるだとか。
恋愛感情を交えたそんな言葉を、俺は『この世』に生まれてこの方口にしたことがない。
きっと素直に『この世界』で生まれて育ったんなら何の問題も無かったはずだが、どうしてだか俺は生まれた時に『前世』の記憶めいたものを持っていて、どうしてもそう言った方面の言葉を口にするのが恥ずかしかったからだ。
どう考えても日本なんて存在していないこの場所で生まれて、心機一転人生をやり直しているというのに。
母親の腹に入る前から持ってきた倫理観やらなにやらはゴミ箱へくれてやって、生きるために生きてきてからも、そう言うところは変わらないらしい。
今の恋人がそんな俺に対して不満があるというのなら、それは修正していきたいところなのだが、まだそう言った方面で文句を言われたことはないというのは幸いだ。
「はー、やれやれ」
一仕事を終えて、船の連中と共に訪れた塒で、上納する金を詰めた袋の口を閉じる。
隣にある甘ったるい香りの袋の中身は、先ほど襲撃した島の特産品だという菓子類だった。
『美味しいお菓子の噂を聞いた』と言う、何とも自分の舌と胃袋に正直な女海賊からの湾曲的な命令で、俺達が回収してきたものだ。
一つ二つは味見をしたが、まあ何とも甘ったるかった。
甘いものが苦手な俺には正直無理な甘さだが、一味の中にいた甘党はうまいと言っていたので、きっとあの女海賊の眼鏡に叶うだろう。
手元の袋を持ち上げて、軽く振ってみても口が開いたりしないことを確認する。
もうじき回収の船が来るから、そちらへ渡せば仕事は終わりだ。
すでにみんなは宴を始めているから、気持ちよく酔っぱらっていることだろう。この塒はうまい具合に隠れているから、海軍からの襲撃だって心配ない。
わざわざ四皇への上納金を盗むような馬鹿はいないから、桟橋の方にでも運んでおくか。
そんなことを考えて屈んでいた姿勢から立ち上がったところで、ふと、嗅ぎなれた匂いがすることに気が付いた。
「クラッカー?」
「やっと気付いたか」
名前を呼んで振り向けば、いつの間にそこにいたのか、窓代わりの穴に腰を落ち着けている男がいた。
見慣れたその顔は、シャーロット・クラッカー。
ビッグ・マム海賊団の将星と呼ばれる幹部だ。
ただし、手配書とはまるで顔が違う。
そっちの姿で来るのは久しぶりだなと笑って、俺は荷物を両手に持ち上げて、相手の方へと近寄った。
「もう来てたんだな。いつもの恰好はしないのか?」
「『外回り』の帰りだからな。休んで帰ると言ってあるし、『ビスケット兵』は甲板で瞑想している」
言葉と共に外へと続く闇を指で示されて、相手の肩ごしにそちらを見やる。
新月の海は薄暗いが、いつもの海賊船が停泊しているのが見えた。
甲板にも人はいるはずだが、彼の言う『ビスケット兵』がどうしているかまでは見えない。
シャーロット・クラッカーは、いつでも強固なビスケットの『外装』を着込んでいる。
ただ装備する鎧ではなく、その顔も体もすべてを覆い隠して、まるで別人のような見た目になるのだ。
手配書に載っているのもそちらの顔で、恐らく彼が海兵と対面しても、海兵は彼が『シャーロット・クラッカー』だとは気付かないに違いない。
俺だって初めて町で会った時は気付かなかった。
好みの体型と顔をしている相手だったから声を掛けたら付き合いのある海賊だったなんて、偉大なる航路は広いくせに変なところで狭いものだ。
「休んでいくなら、酒も取ってくるか」
「もうここにある」
足元へ袋を下ろしながら尋ねると、大きなその手がひょいと瓶を二つ取り出した。
見やったラベルは随分お高いもので、多分彼がここへ持ち込んだものだろうと分かる。珍しいなと思ったのは、少し辛口のものだからだ。俺は好みだが、クラッカーはそう好まない味だった気がする。
「そっちの船で飲まなくていいのか?」
「お前をつれてか?」
酔っぱらったら戻るのが大変じゃないのかと尋ねた俺に、クラッカーが首を傾げる。
その顔はにやりと笑っているが、少し不機嫌に見えた。
傷の横切る目が少しばかり眇められて、じとりとこちらを見つめている。
「……どうかしたのか?」
そっと尋ねつつ、相手との距離をもう少し詰める。
見つめた先のクラッカーは、何も言わずに俺へ酒瓶を押し付けた。
寄こされたそれを受け取ると、離れて行く途中でその指がコルクを抜いていく。
自分の瓶からもコルクを抜いたクラッカーは、それをそのままぽいと窓穴の外へと投げた。もはやこの酒を飲み干す以外の選択肢はなさそうだ。
とりあえず酒を口にしてみるが、じりりと舌を焼くようなそれはやはり度数が強い。
俺がすぐに瓶を下したのと逆に、クラッカーはまるで水でも飲むようにごくごくと瓶の中身を口にした。
けれどもその途中で一気に瓶を下ろして、片手で口を押さえている。
「大丈夫か?」
そんなに一気に飲まなくても、とその肩をさする。
肌に触れた俺の手を、クラッカーの片手が素早く捕まえた。
「おい、ナマエ」
ぐいと引っ張られ、間近になった顔から酒のこもった声がかかる。
にらみつけるようなその眼差しに目を瞬かせていると、俺の腕をつかむその指に強く力が入った。
「なんでお前は女じゃねェんだ」
「………………へ?」
「お前が女なら、話は早かった」
正面から寄こされた言葉に、ぱちりと瞬きをする。
舌打ちを零した彼がそれから唸ったのは、前から俺に話して聞かせていた計画だった。
俺を今の海賊団一味から引き抜いて、自分のところへ連れて帰る。
半年くらい前に『いいことを思いついた』と笑顔で語って聞かせてきた、俺の意思なんてまるで考えていないと思われる計画だ。
まあそれでも彼が楽しそうだから別にいいかと好きにさせていたのだが、何と彼の一番上の兄から『待った』が掛かったらしい。
何故かと言えば、俺がこの海賊団の経理の分野を担当しているからである。
俺が所属しているこの海賊団は、四皇の権威をかさに着て好きなように生きている、とても下っ端海賊らしい海賊だ。
俺が入る前から四皇の下だったが、俺が入ってからの方が上納金や今回のような気を回した奉納が行われていると、どうやら彼の兄は気付いていたらしい。
『ママが喜んでいるからそのままにしておけ』とは、彼ら以外の誰かが言ったならマザコンかと笑ってやるところだが、ビッグ・マム海賊団においてはその言葉の通りである。
「お前が優秀なのは構わねェが、やりすぎだ、馬鹿ナマエ」
「優秀な海賊と言うのは誉め言葉でいいのか?」
「褒めてるに決まってんだろうが」
そんな言葉を零した彼が、俺の体をさらに引き寄せる。
大きな腕にくるりと回されて、後ろから抱え込むような姿勢にされてしまった。
シャーロット・クラッカーは俺より大きい体をしているので、そんなことも簡単にできてしまうのだ。
ふんわりと彼から漂うのは、嗅ぎなれたビスケットの、少し甘い香りだ。彼は基本的にあのビスケットの塊を身にまとっているから、その匂いが移っているらしい。
俺が寄りかかったところで後ろに倒れるはずもない相手に甘えて寄りかかりながら、酒瓶を傾けるクラッカーの横で俺も酒を舐める。
「優秀で悪いな」
「調子に乗るな、馬鹿」
ちゃんと反省した顔をして謝ったのに、舌打ちを零した相手がごちりと俺の頭に頭突きを寄こした。
まるで痛みを感じない程度の攻撃なのは、自分が痛くないように気を使ったからだろう。シャーロット・クラッカーは、とことん痛みを嫌っている。
はあ、と長くため息が漏れて、その手がまた酒瓶を口へ運ぶ。
「お前が女だったら話は早かったのによォ、ナマエ」
「うーん」
先程と同じ言葉を口にされて、どういう意味か分かっただけに、俺の口からは微妙な声が漏れた。
もたれる体を傾けて、ちらりと真横のその顔を見やる。
「そこはさァ、『おれが女なら』じゃ駄目だったのか?」
男と女でやることをやっていると、時々責任問題に発展することがある。
それならどちらが女でも同じことだろうと考えての俺の言葉に、じろりと真横から視線が寄こされた。
「ママが、『娘』の自由恋愛を許すと思うか?」
「ああ……」
放たれた言葉に、俺は思わず納得の声を漏らした。
国家を築くビッグ・マム海賊団は、基本的には一人の女海賊とその子供で構成されている。
そしてその子供と結婚して『家族』になることが、ビッグ・マム海賊団と強くつながる為の条件だ。
俺達の海賊団のような末端ではなく、幹部クラスにまで昇格した海賊団の面々は、それぞれの誰かが婚姻を結んでいるらしい。
島や国相手でも似たようなもので、つまり、ビッグ・マムの子供は、政略結婚の駒の一つだ。
「確かに、駄目だろうな」
だからこそ納得して頷き、でも、と首を傾げる。
「別に、息子の『自由恋愛』だって許さないだろ?」
政略結婚を結ぶのは、女だけの話じゃない。
クラッカーの兄だか弟だかがどこそこの王族と結婚したという話を俺は聞いたことがあるし、どこで出会ったのかと聞いたら政略結婚に決まってるだろとけろっとした顔で言っていたのは傍らの彼だ。
俺の言葉に、ぱち、とクラッカーが瞬きをする。
「………………確かに……」
そうしてぽつりと言葉を落としたその顔は、今初めてそこに気付いたと言わんばかりのものだった。
子供みたいなそれに少しだけ笑って、瓶を持っていない方の手を軽くその顔に添える。
「すごく間抜けな顔してるぞ、クラッカー」
「なんだと」
笑いながら声を掛けると、ぎゅっとクラッカーの眉間へ皺が寄る。
顔に傷のある強面の、恐ろしい金額をその首に掛けられた海賊の睨みは鋭く、けれども本気で怒っていないことは俺には丸わかりだった。
あまりにも可愛かったので顔を寄せて、子供にやるみたいにその頬に吸い付く。
「だからまァ、ほら、これはママには内緒な?」
親のしつけが厳しい子供をそそのかすような言葉が、俺の口から出た。
それを聞き、先ほどより目の鋭さを増した相手が、それから舌打ちを零す。
その手が俺へ自分の持っている酒瓶を押し付け、顔に触れていた手を下ろしてその瓶を受け取ると、俺の体の前で大きなその手がぱんと叩いて合わせられた。
そうして、どこからともなくビスケットが現れる。
相変わらず不思議だが、ここはそういう『世界』だった。悪魔の実の能力者とかいう、超能力者が偉大なる航路には大勢いる。
空中に現れたそれをその指が捕まえて半分に折り、そのうちの半分が俺の口に押しつけられる。
無理やり唇を割り開いて入ってきたそれを咥えると、歯に当たったところが小気味よく音を立てた。
口の中に広がったのは、小麦の香ばしさとほんのわずかの甘み、それから塩気だ。俺好みに甘さ控えめの、さくさく美味しいビスケットだった。
「当たり前だろう、馬鹿ナマエ」
俺のことを何度も馬鹿と言いながら、クラッカーも自分が生みだしたビスケットを口にする。
そうしてそれから、片手が改めて俺の体に添えられて、ぎゅうと抱き寄せられた。
痛みを与えない程度に、けれども逃がさぬ程度に拘束するそれに身を任せて、大きな体に背中からもたれる。
好きだとか、愛してるだとか、恋愛感情を交えたそんな言葉を、俺は『この世』に生まれてこの方口にしたことがない。
何ならそれを言われたこともないのだが、そういうのは言われなくても伝わるものなのかもしれないな、なんて。
母親と同じく甘党の彼が用意してくれた俺好みのビスケットを噛みながら、俺は少しばかり笑った。
なんだよと唸りながらも俺を手放さないクラッカーも、同じく笑っているようだった。
end
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