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セントエルモの悪魔
※notトリップ系主人公の倫理観はやばい
※ニジに対する捏造



 遠くで、大きな物音が聞こえる。
 銃声、怒号、悲鳴、それらと硝煙と鉄錆と砂の混じった風が、ひびの入った窓ガラスの隙間から室内へ吹き込んで消えていく。
 戦場の真っただ中になってしまったこの町で、このままじっとしていていいはずがない。逃げなくてはと思うのに、外に出る勇気が無かった。
 家にいた両親はナマエを見捨て、邪魔だと言って蹴飛ばしていったけれども、それでも、一人で外に飛び出す勇気が無かった。
 すぐそばで爆発音が聞こえ、驚いて振り仰いだナマエの目の前には、崩れてくる屋根の梁があった。
 たまたまそこに在ったというだけで巻き込まれた戦場で、じっと嵐が去るのを待つことしか出来ていなかったのに、迫りくる瓦礫がそれすら許さないと言わんばかりに覆いかぶさってくる。
 けれどもその場でナマエが押しつぶされなかったのは、飛び込んできた青い雷撃が、落ちてきた瓦礫を別の方向へ弾き飛ばしたからだ。
 家屋が揺れて、室内を埃が舞う。

『……出力の調整がおかしくねェか? ふざけやがって』

 頭から思い切り瓦礫にぶつかったはずなのに、痛いと悲鳴を上げることも無くそんなことを言いながら立っていたのは、青い髪の少年だった。
 年のころは、ナマエより少し上くらいだろうか。
 自分に倒れ込んでくる柱に片手を添えて、そのまま自分とは無関係な方向に押しやる手の動きはとても簡単そうだが、ナマエはそれが家屋を支える重さを備えた柱であることを知っている。
 屋根は半分近く吹き飛んでいて、残っている壁へ寄りかかった柱が、みしりと小さく音を立てた。

『ん?』

 目を見開き、身を縮こまらせていたナマエに気付いたのか、少年はくるりとナマエの方を振り返った。
 耳にも目にも何かをつけていて、表情が読み取れるのはその眉と唇からだけだ。

『オエッ』

 少年は、嘔吐するように舌を出した。
 いやなものを見たと言いたげに眉すら寄せて、ナマエの方から少し身を引く。
 初対面の相手にそんなことをされて戸惑ったナマエへ、少年が吐き捨てた。

『なんだお前、気持ち悪ィ目つきしてんな』

 とてつもなく不愉快そうに言い放ち、少年の手が犬を追い払うように揺れる。
 両親が時たまナマエへ向けるその仕草に身を縮こまらせたナマエへ、少年の口から漏れたのは舌打ちだった。

『殺される豚だってもう少しましな目つきしてるぜ』

 言葉を吐き捨て、少年がくるりとナマエへ背中を向ける。
 その足が扉を蹴飛ばすと、蝶番と逆向きに蹴られた扉はそのまま外へ飛んで行ってしまった。
 驚きに身をすくませているナマエを置いて、青い髪の少年が外へ出ていく。
 思わず、ナマエはそれを追いかけていた。
 けれども、外を覗いてみても、先ほどの彼の姿は無い。
 ただどこかで悲鳴や怒号や銃声が響き、燃える家屋が倒壊するのが遠めに見えた。
 よろりとナマエの足が家を出る。
 軍人めいた大人が数人いるが、幼いナマエなど眼中に無いようだ。
 なにがしかの号令をかけ、駆けていった軍人の姿がナマエの視界から消える。
 悪魔共を殺せと、どこかで誰かが叫んだ。

『あくま……?』

 初めて聞く単語に戸惑ったナマエの耳に、みしみしと響く音が届く。
 音を追いかけて振り向くと、今先程までずっと中にいた家屋が、支えだった柱を失って倒壊していくところだった。
 わずかに地響きがして、飛んできた埃に思わずぎゅっと目を閉じる。
 それからすぐに開いた目の前にはぺしゃんこになった建物があり、もしもその中にいたならば、ナマエはすっかり全身瓦礫に埋まってしまっていたことだろう。
 目の前にあった『死』に、ぞくりと体が震える。
 自分がどうしてそうならなかったのかを考えて、ナマエの目はもう一度、きょろりと周囲を見回した。
 青い髪のあの少年は、やはりどこにも見当たらなかった。







「あー、面倒くせェ」

 うんざりと唸りながら、ニジの指が首元に触れる。
 きっちりと締めたネクタイに指をひっかけて解き、柔らかすぎて身にまとっているかも怪しくなるシャツのボタンもついでに一つ外そうと指を動かした。
 けれども、ボタンをボタンホールへくぐらせる前に軟弱な糸がぷつりと千切れ、指に丸いボタンだけが残る。
 見やったそれに舌打ちを零し、振りぬいたニジの手が持っていたものを投げ捨てる。
 飛んでいったボタンが壁にめり込んだのが分かったが、この程度でどうにかなる筈もないので放っておく。ジェルマの船は頑丈なのだ。

「こういうのはヨンジ達の仕事だろうがよ」

 苛立ちのままに声を零しつつ、ニジは椅子へどかりと腰を下ろした。
 そのまま見やった室内は見慣れたもので、そこかしこに価値のある家具が置かれている。
 つい先ほどまで、ニジは今寄港しているこの国の『権力者』と顔を合わせていた。
 ジェルマは戦争を生業としている。その兵力を借りたいという人間はこの海にはどこにでもいて、相手もまたその一人だ。
 細かなやり取りは顔を合わせて行いたいという依頼主に、是と答えたのはニジの父親だった。
 普段なら、そう言ったものはヨンジかレイジュが行う。相手が『特別』なら国王かイチジだが、今回の依頼主はそうではない。
 どうでもいいことだと聞き流していたニジが、自分がその役目を担うと知ったのは今朝のことになる。
 ジェルマの最高傑作の一人であることをニジは自負しているし、その兵力は外交よりもよほど適した使い道があるだろう。
 もちろん、ヨンジやレイジュも同様だが、ニジは弟よりも殺傷力が高い能力を持っている。
 その自分をわざわざこんな場所へ送り出したということに、ニジは舌打ちを零した。
 それもこれも、かの依頼主が悪い。

「なァ、そう思うだろ、ナマエ?」

「おれにそれを言われても」

 言葉と共に首を後ろへ倒したニジの視界に、さかさまになった男の姿が入った。
 ニジが部屋に入った時から変わらずベッドの端に腰かけている男の手には、今は閉じられた本がある。
 ジェルマ王国の船に乗り込む彼は、しかしながらジェルマ66の一員ではない。
 戦争を生業とする王家を『支援したい』と言って現れた実業家だ。
 その人脈、資力、知識に至るすべてを持ち込んで庇護下に置かれることを望んだ男で、国王がそれを認めた。
 その彼が何故この船に乗っているのかと言えば、今回の依頼主とジェルマの間を繋いだのがこの男だとニジが判断したからである。
 船を降りる前はいなかったが、ジェルマの兵はちゃんと部屋へと案内したらしい。

「お前どういう紹介したんだよ。ただ話してるだけだってのに」

 つい先ほどの『会食』を思い浮かべつつ、ニジが顔をしかめる。
 ニジはジェルマの最高傑作の一人であり、媚びたり遜るなどと言った弱者の真似など決してやらない。
 だからただ仕事の話をしただけだというのに、まるで『聞いていた話と違う』というような困惑に満ちた態度を取られたのだ。あれが依頼主でなかったら、ニジの拳がその顔面に三回はめり込んでいた。
 ニジの言葉に、あれ、と男が首を傾げる。

「おかしいな、ちゃんと話しておいたんだけど」

 ニジより少し年下で、顔つきだけを見れば穏やかな表情だが、その目がわずかにギラリと光ったのをニジは視認した。
 苛立ちめいた何かを浮かべた男に、苛ついてんのはこっちの方だバーカ、と逆さまになったままの視界へ向けて言葉を放つ。

「大体、おれを指定して紹介してんじゃねェ」

 『ヴィンスモーク・ニジ』を、と指名をされているからと言われた時のニジは、すぐさま脳裏にこの男を思い浮かべた。
 何故だかナマエは、ニジを気に入っている。
 懐いているというのが一番正しい言い方かもしれない。
 ニジにはまるで理解できない話だ。
 銃よりサーベルが好きだとか、拳より蹴りが得意だとか、火花より電撃に愛着がわくだとかそういったことなのかもしれないが、理解するための素養がそもそもニジには存在していない。
 ニジに分かるのは、ナマエと言う男が事あるごとにニジを指名し、指定し、優遇しようとすることだった。
 一度『何故』と聞いたことがあるが、ニジには理解不能な返事が寄こされた。あれから『何故』と尋ねたことはない。

「そんなに嫌な対応をされたのか。ごめんな、後できつく言っておくから」

「二度とするなよ」

 言葉を放ち、ニジが後ろへ傾けていた首を戻す。 
 分かった、と男は答えたが、どうせ分かってはいないのだろう。ニジは、ナマエが理解力に乏しい男であることを知っている。よくもそれであれだけの金を生み出すものだ。

「それより、わざわざ呼びつけてやったんだ。何か面白ェことはねェのか」

「またそんな無茶苦茶な」

 ニジの言葉に笑ったナマエが、ぎしりとベッドから立ち上がった音がした。
 サイドテーブルにあったグラスや酒瓶を捕まえているのだろう、いくつか物音がして、忍ばせた足音がそのままニジの前へと回り込む。

「はい、どうぞ」

 飲むだろうと寄こされた酒に、ニジは手を伸ばした。
 軽く舐めても、中身はいつもと変わらないスコッチ・ウイスキーだ。今までナマエがニジの口にするものへ何か細工をしたことはないので当然である。

「たまには食い物でも持ってこいよ」

「それで、口に合わなかったら食べないんだろ?」

 そう言って笑うナマエは、やはりどこにでもいそうな、ただの、ニジには理解できぬ平凡な男だ。
 見やると少し苛立つのは、かつて城にいた『出来損ない』を何となく思い出すからだろうか。
 口にしたアルコールが体に入るのを感じながら、吐息を漏らしたニジの手がグラスを揺らす。

「おい、ナマエ」

「うん?」

「憂さ晴らしだ。何か寄こせ」

 暴君のように言い放って片手を出したニジに、ナマエが少し戸惑った顔をした。
 いつでも余裕ぶっている年下の男がたまに見せる幼い顔に、ふん、とニジが鼻を鳴らす。
 それでも満足して手を降ろさないのは、そうやって待っていれば、ナマエが何かを考えて絞り出すことを知っているからだ。
 ナマエはいつでもニジの無茶を叶える。
 何故かなんてそんなもの、ニジには理解できないが、しかし事実なのだった。







 世の中には、『悪魔』と言うものが存在するらしい。
 ナマエがそれを知ったのは、生き残ったあの日より後、少し大きくなってからだった。
 生きるために腰まで入った世の中の裏側で、あの日の青い電撃がそう呼ばれていることを知った時に、暗闇に頭まで浸ることを選択した。
 『悪い』ことも『ひどい』こともそれなりにやって、もがくようにしながら暗い日々を泳ぎ、海を往く海遊国家へたどり着いて。
 自分が持ってきた全てを差し出したのだってきっと、赤と並んで輝くあの青に近付くためだった。

「確かに、おれは『世の中悪魔ばかりじゃない』って教えたけど」

 天使だなんて言った覚えがないんだけどなとため息を零して、ナマエの手が本を閉じる。
 海を往くジェルマの船の上で、甲板を潮風が撫でている。
 硝煙も鉄錆も混じらない香りを受け止めて、それから視線を巡らせたナマエの視界に入ったのは、すでに遠ざかっている一つの島だった。
 青ざめていた『友人』を思い浮かべるが、どうせあと半年もすれば会えなくなる顔だ。忘れても構わないだろうと脳の中で整理して、どうでもいい場所へとしまい込む。
 自分の為にならいくらでも金を扱える『友人』だった。きっとジェルマに対しても金払いよく、そして青を宿したヴィンスモーク・ニジをきちんともてなして楽しませてくれるだろう。
 そう考えての選択だったが、どうやら自分は選択を誤ったらしい。
 帰ってきたニジは機嫌が悪かった。ニジを不愉快にさせたあの『友人』には、もはや何の価値もない。
 そこまで考えてから、まあでも、とナマエは視線を動かした。
 遠ざかる島から離れた視線の先、甲板に佇んで風を受けていた青い髪の青年が、それに気付いて視線を寄こす。

「なんだ?」

「本当におれの『仕事』を受けてくれるのかなって」

「父上も了承しただろうが。帰るついでだ」

 『憂さ晴らしをさせろ』と昨日言われて持ち出した『仕事』は、小さな島国を壊滅させると言った酷くありきたりなものだった。
 ナマエが裏から手を回してゆっくりと疲弊させた島国を、これから襲う。
 別にその程度の掃討戦、ジェルマの最高傑作を投じる必要はない。
 そもそもナマエにこれをジェルマに頼むつもりは無く、子飼いの海賊達でも使うつもりだった。
 けれどもニジに仕事をねだられて、簡単に暴れられる仕事がこれしかなかったのだ。
 話を聞いたニジはすぐさま父親へ連絡を取り、帰還の航路に件の小さな島国を盛り込んだ。そう離れた場所ではない。あと半日もすればたどり着くだろう。
 おれの仕事をその目で見ておけと言われたので、ナマエはこのままついていくことになっている。
 『憂さ晴らし』が出来るからなのだろうが、甲板に立っているニジは少し機嫌が良いように見えた。
 それだけで少し嬉しくなってしまうナマエとしては、仕事を覚えていた自分と、このニジを見るきっかけとなってくれた『友人』へ少しだけ感謝した。始末するときはあまり苦しまないようにしてやろう。

「何をニヤニヤしてやがる」

「いや、ニジと一緒にいられて嬉しいなと思って」

「ふん、またそれか」

 素直な気持ちを口にしたナマエへ、ニジは嫌そうな顔をした。
 豊かに表情を変えるその顔を見やり、ナマエは目を細める。
 電撃を生み出し人とその営みを破壊するジェルマの兵器は、ナマエの好意を理解しない。
 それどころか『初対面』すら覚えていないようだが、ナマエは彼に会うために生きてきたし、こうして言葉でも伝えているし、態度でもわかりやすく示しているつもりだ。
 『何故』と面と向かって尋ねられ、真っ向からそれへ返事をしたこともある。

『ニジのことが好きだから』

 そう答えたかつてのナマエを、ニジは理解不能の言語を放つ生き物を見るような顔で見つめた。
 あれきり同じ問いを向けられていないが、納得したとも思えない。
 『悪魔』が人間を理解しないなんてことは今更考えるまでも無いことで、だからきっと、それでこそ、ナマエの愛するヴィンスモーク・ニジだ。

「小さな島国だけど、美味しいウイスキーを作っているんだ。良かったら『仕事』の前に少しどうかな」

「スコッチだったら飲んでやるかもな」

「それはもちろん、ニジに勧めるんだから当然だ。十五年物をおさえてある」

「誘う前にキープしてるんじゃねェよ」

 ナマエの言葉に、ニジが笑う。
 楽しそうなそれに自分まで楽しい気持ちになりながら、ナマエはその日、青い悪魔と共に一つの国を滅ぼした。
 彼が楽しんでくれたなら何より嬉しいと、そんなことを思いながら。



end


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