- ナノ -
TOP小説メモレス

無価値な願い
※無知識転生トリップ系主人公は科学者
※ニジに関する多大なる捏造



 この世には、様々な『世界』がある。
 そこにいる人間が決めた常識が闊歩した『他とは違う』場所なんて、小さな家庭から大きな国家まで、それこそ星の数ほどある。
 大体の場合それは、外から覗き見ただけでは、その異常性すらも分からないのだ。

「メンテナンスは終了いたしました。ご協力ありがとうございます、ニジ様」

「あァ」

 柔らかくもない無機質なベッドに横たわっていた相手へ声を掛けて頭を下げると、一つ声を漏らした青年が起き上がった。
 その足が丁寧に磨かれた部屋の床を踏みつけて、体の向きを変える。
 海とも空とも違う青い髪と、青いレイドスーツ。
 室内でも目元を覆うゴーグルを外さないのは、その目が随分と高性能であるからだ。こうして締め切られた室内を少し薄暗くはしているが、もう目元を覆うことに慣れてしまった彼がそれを外したことはない。

「今日は随分と時間がかかったな。何か異常が見つかったか」

「先日、聴覚に違和感があるとおっしゃっていましたので、そちらを」

「あァ……そういや」

 そんなことを言ったなと嘯くように呟く相手が手を出したので、俺は診察台の傍の小さなテーブルへ置きっぱなしだったトレイを掴んで差し出した。
 飲んでくれる相手を待っていたスコッチが、その手に掴まれて奪われる。
 相手が水で割ることも無く酒を口に流し込むのはいつものことだ。体に改造を受けているヴィンスモーク・ニジは毒物の分解装置もすでについているし、酒なんて一時間も残らない。
 酒を手にした相手を見やり、トレイをテーブルへ戻して、いつものように手元のカルテに記入する。科学力が発展しているとは言え、こういった資料は基本的にアナログのままなのが、なんだか不思議だ。

「現在、違和感はございますか」

「いいや? 音も拾いすぎない」

「それはようございました」

 過敏になっていた聴覚神経を調整したのだが、うまくいったようだ。
 デンゲキブルーなんて二つ名まで肩に乗せた彼は、人体には過ぎた電撃を武器にして戦争をする。
 体の中の電圧がおかしくなるのは時たまあることで、今回のそれもそこから来る異常だった。
 人間の体にここまでの改造を施すことなんて、俺はこの国の科学者となるまで考えたことも無かった。
 『生まれる前』に経験していたあの世界であったなら、きっと世界中から後ろ指をさされたことだろう。
 いや、今のこの世の中だって、ひょっとしたらどこかではこの国の科学者こそが異常者だと言われるのかもしれない。
 何せ、目の前の彼の人体改造は、それこそ彼が母親の子宮にいた頃から行われている。

「銘柄が違うな」

 瓶の半分ほどを飲み終えたところで、ふと気付いたらしいヴィンスモーク・ニジが手元を見下ろした。手元のスコッチ・ウイスキーの話だろう。確かに、先日差し上げたものとは違う。

「新しいものが輸入されたそうです」

「悪くねェ」

 一口二口と口にすることを繰り返しながら、そんな風に彼が言う。
 その声音は機嫌がよく、どうやら気に入ったらしいと俺は判断した。それならしばらくは、その銘柄を準備していた方がいい。
 俺より年下で、俺がかかりつけの担当となったこのお人は、この国の最高権力者の息子だった。
 同じ年齢の青年が、あと二人いる。
 本来は四つ子だったらしいが、そのうちの一人は『失敗作』で『脱落』したのだと聞かされたのは、十年前にこの国へやってきたときのことだ。
 『事故』で死んだと聞いているが、その『脱落』した子供はひょっとして殺されたのではないだろうかと、俺は思っている。
 国民の男性のほとんどが『同じ顔』で、戦争を生業とした閉じた場所。
 『失敗作』は廃棄した、と言われても納得してしまいそうな、そんな国なのだ。

「ナマエ、手が止まってんぞ」

「……これは失礼しました」

 横から声を掛けられて、確かに止まっていた手を動かす。
 書類の一番最後まで確認して、チェックに漏れがないことを確かめ終えた俺は、バインダーごと書類を室内の端に置かれた机へ置いた。
 ペンをペン立てに刺して、少し散らかった机の上を見やり、それからくるりと振り返る。
 そうしたら、振り返ったすぐ後ろに、青い壁があった。
 思わず目を見開いてしまった俺の前で、くつりと青い髪の権力者が笑う。

「間抜けなツラだな」

 まるで気配を感じさせずに俺の真後ろへ移動していた相手の呼気からは、わずかにアルコールの香りがする。
 その手には酒瓶も持っておらず、どこへやったのだと視線を動かした俺は、診察台のすぐ上に転がされた瓶を見つけた。小さな瓶だった。もう飲み切ったのか。

「おい、ナマエ」

 逸らしていた視線を引き戻すように名前を呼ばれて、それから視界にその掌が現れる。
 顔に迫ったそれから逃れるように顔を向け直すと、俺の目元を襲う代わりにその手で俺の口元を覆い隠すように捕まえて、ヴィンスモーク・ニジが俺の顔を覗き込んでいた。
 にやりと浮かぶ酷薄な笑みはいつもの通りだ。

「分かっているとは思うが、おれの耳のことはイチジ達には報告するなよ」

 いつもの台詞だ。
 何か不具合があってメンテナンスをするとき、またはその不具合を直すとき、決まって彼は俺にこれを言う。
 『父上』と呼ばれているヴィンスモーク・ジャッジではなく、兄弟のうちで1の数字をもらっている一人の名前が出るのは、本人が意識していることなのか、それとも無意識なのかは俺には分からない。
 口を覆われたまま、ゆるりと瞬きをした俺の前で、笑ったままのヴィンスモーク・ニジが口を動かす。

「『分かりました、ニジ様』だ。それ以外は聞かねえ」

 ぱちりと小さく電撃を零して、その口から全く違う声を放った相手が、それから俺の口から手を離した。
 念を押してくる相手に、俺もそっと口を動かす。

「分かりました、ニジ様」

 言葉を放つ時に少し舌が痺れた気がしたのは、果たして気のせいだろうか。
 俺の返事に、満足そうな顔をした相手が頷く。
 その体が少しだけ俺から離れて、分かったんならいい、と漏らしたその手が軽く自分の耳元に触れた。
 改造を受けた耳には装置が取り付けられていて、指先が軽くそのふちを掻く。
 小さな子供が怪我を気にしてやるような動きだなとそれを見やってから、俺はわずかに息を零した。
 ヴィンスモーク一家の子供達は、それぞれがどことなくおかしい。
 『無駄な感情』をその心から削ったのだとはヴィンスモーク・ジャッジの談で、けれどもそんなことは本当に可能なんだろうかと、この国の科学者になってからずっと考えている。
 だってそれなら、ヴィンスモーク・ニジのこれはなんだろう。
 兄弟に自分の不具合を知られたくないというのは、見限られたくないからなのか、心配されたくないからなのか、それ以外の理由があるのか。
 どれだとしても、まるでそれは『普通』の人間のようなのに、ヴィンスモーク・ニジは、きっとそれを知らないのだ。

「そういや、新しいレイドスーツがもうじき出来上がるって報告を聞いたが?」

「ニジ様のものは自分が携わっています。あと二週間ほどで、正式にお渡しできるかと」

「バージョンアップしたって言ってたな。今のスーツとの差異はどのくらいだ?」

「装着のお時間が少し短くなったことと、それからニジ様の電圧に耐えられるように構成の変更を、」

 立ったままで報告を求められて、求められるがままに記憶をさらって答えていく。
 レイドスーツは目の前のこの人達が戦争へ赴くための道具だ。
 戦う国々から金を得て、勝利をもたらし、人々を蹂躙していく。
 始まれば終わりがくるのが世の中の理なのだから、いつかきっと、目の前のこの人は戦場で死んでしまうんだろう。
 できればその後は、ジェルマ以外の平和などこかに生まれ変わってくれたらいい。
 かつて俺が生まれて育って死んだあの『日本』みたいに、そこそこ平和な国に生まれていてくれたらいい。
 罪も歪さもジェルマの『世界』に置いて、いつかどこかで幸せそうな顔をして兄弟と暮らす子供を、頭の端が妄想した。

 なんとも科学者らしくない非科学的な思考だが、それがこの世に生まれ変わった俺の、十年近く一緒にいる子供へ差し出す願いだった。



end


戻る | 小説ページTOPへ