- ナノ -
TOP小説メモレス

つよがり
※主人公はnotトリップ主でハートクルー
※ホラー表現あり
※シャチへの捏造



 偉大なる航路というのは、不思議に満ちている。

「ひ……っ」

 何せどう見ても人間じゃない、それどころか絶対に生きていない何かが海の上を歩いていたりするんだから、相当だ。
 シャチは両手で自分の口を押さえながら、そんなことを考えた。
 何故口を押さえているのかと言えば、海をぼんやりと歩く首のひしゃげた男を目撃してしまったからだ。見つめて悲鳴など上げてしまったら、また『おかしなこと』が起きてしまう。

「シャーチ、何してるんだ?」

「!!!」

 ぽん、と肩を叩きながら声を掛けられて、シャチはほぼ垂直に飛び上がった。
 それから慌てて振り向くと、驚いた顔をした仲間がひとり立っている。
 ナマエという名前の彼は、シャチやペンギン達と同じ町で暮らして生きて、そしてトラファルガー・ローについてきた仲間のうちの一人だ。

「よ、よォ、ナマエ。いやァ、べつに、なんもしてねえよ?」

「……いや、嘘だろ。なんだ、変なもんでも拾ったのか?」

 笑顔を取り繕って答えたシャチに、不思議そうな顔をしたナマエが、それからむっと眉をよせた。
 また猫でも拾ったのかと尋ねながら、シャチの肩口からシャチの後ろ側を覗き込む仕草をした男が、そのままシャチの後ろへ回り込む。
 そんなことしてねェよ、と返事をしかけたシャチの耳に、パシャ、と波音とは違う水音が届いた。
 びくりと震えかけた体を、どうにか押さえつける。

「シャチ?」

 どうしたんだ、と尋ねられて、シャチは恐る恐る、自分の後ろへ回り込んだナマエのほうを見やった。
 相変わらず不思議そうな顔をしているナマエのすぐ後ろに、人影が見える。
 もちろん、ポーラータング号にはシャチやナマエの仲間が何人も乗っているのだから、人影があることなんておかしくはない。
 いや、やっぱり、おかしいかもしれない。
 だってシャチが背にしていたのは向こう側に海が広がる欄干で、つまりナマエが立っているのもその傍だ。
 だからナマエの後ろはそのまま海原が広がっている筈で、魚人や人魚だってそこに『人影』と言えるほどはっきりと立つことなんてできるはずもない。
 ちらりと見えた服装は先程海を歩いていた『男』のもので、そして相変わらず首があらぬ方向に折れ曲がっている。
 相手がいつの間にやら近寄ってきているという事実に気付いてしまったシャチは、出来るだけ不自然にならないように気を付けながら顔を逸らした。

「別に、なんでもねェって言ってるだろ。にしても、早く島に着かねェかなァ」

「ふうん? まァでも、そろそろ陸が恋しいよなァ」

 あまり納得していない様子ながらも、頷いたナマエはシャチへと話を合わせてきた。
 そのことに少しだけ安堵しつつ、シャチは手を伸ばして、ナマエの腕を捕まえた。
 少し強く引っ張れば、不思議そうにしながらもナマエがシャチへと引き寄せられる。
 戸惑いの視線が送り付けられているのを感じながら、しかしシャチはもうナマエの方を見ることなく、足をそのまま動かした。指が冷え切り、少し震えているような気もするが、ナマエはきちんと長袖のつなぎを着ているから、きっと気付かないだろう。

「暇すぎるし、カードでもしようぜ。なんか賭けるなんていいかもな」

「そんなことしたら、またシャチはパンツまで毟られるぞ。弱いんだからさァ」

「弱いたァなんだ、弱いたァ!」

 演技臭く怒りながら、今日は絶対勝てるんだと声を張り上げ、シャチはナマエを引っ張った。
 さっさとこの甲板からおさらばしなくては、あの『人影』に気付かれてしまわないとも限らない。
 あれは恐らく、『幽霊』というやつだった。
 見知った顔に出会ったことは無いから確証はないが、少なくとも海の上を歩く『人影』達は全て致命傷を受けている。触れもしない。これで生きていますと言われたら、シャチはローに手習いしたもろもろを全て根本から見つめ直さなくてはならないと思う。
 初めて出会ったあの日も、『幽霊』は、シャチが『見えている』ことに気付くと、まるで光に寄せられる虫のようにシャチへと近寄ってきた。
 毎日毎日付きまとい、小さいが無視できない程度の声を漏らしてシャチの睡眠を妨害し、シャチの視界を不気味なその姿で塞ぐ。
 手や足に取りすがられ、自分でかきむしったような赤い跡を刻まれて、不愉快な相手を追い出してやろうと殴りつけても手も武器も空振りするばかりだ。
 そして、あの姿がシャチ以外の誰にも見えないせいで、仲間達にどうしたんだと心配される。
 他の誰にも見えないものが見えるなんて話をしたら、大事な仲間に『どうかしてしまった』と思われるだろうか。
 そんなことを考えるとすぐには言い出せずに、結局船長に呼び出されてカウンセリングまでされた。睡眠不足の酷い顔をしていたからだろう。最初のあの頃、鏡の中で見た目元の隈は船長とおそろいかそれ以上だった覚えがある。

『大丈夫か? シャチ』

 ナマエも同じように心配をして、シャチにまとわりつく『幽霊』に気付くことも無く、少しばかり憔悴したシャチの世話を焼いていた。
 そうしてそのうち、『幽霊』達はシャチ以外にもまとわりつくようになって、『幽霊』が見えていない筈の仲間達にまで睡眠障害やそれ以外の症状が現れた。
 幸い、島へたどり着いたところで消えてくれたおかげでそれ以上の被害は無かったが、あんなこと、一度あれば十分だ。
 この海に来て、あのおかしなものが見えるようになったのはシャチだけだというのに、他のみんなにもその影響があるだなんて、この海はとことん理不尽である。
 視線を隠すように目元のサングラスの位置を直しながら、シャチはちらりとナマエのほうを見やった。
 少しばかり怪訝そうな顔をした仲間の向こうには、やはり先程の人影がある。
 首の折れた男は、しかし首がそっぽを向いているせいでシャチの視線に気付かなかったのか、海の上でゆらゆらと揺れていた。
 そうして、付いてくるのを止めたのか、前へ進むポーラータング号からゆるりと離れていく。
 少なくとも危機は去ったことを感じて、ほっとシャチの口が吐息を漏らす。

「んー?」

 シャチの様子を見ていたナマエが、声を漏らしつつくるりと後ろを振り向いた。
 けれども、離れていく『人影』の一つも見つからなかったのだろう、その顔がシャチの方へと戻される。

「何見てるんだ?」

「なんにも見てねェよ」

 不思議そうに紡がれた言葉に、シャチはそう言い返した。
 シャチの言葉に、しかしナマエは納得がいかないのか、自分の腕を軽く揺らす。
 しっかりとシャチが掴んでいる腕が揺れたので、シャチの手も同じく揺れた。
 何をしているんだと思ってシャチが見ている先で、ナマエのもう片方の手が動いて、そっとシャチの手を掴む。

「なんか、緊張してる?」

 怖いことでもあったのか、と気遣うように言いながら、ナマエの手がつなぎごと相手の腕をつかんでいるシャチの指を軽く撫でた。
 足を止めたシャチへ近寄り、じっとシャチのことを見下ろすその顔は真剣そのものだ。
 小さな頃から一緒にいて、こうして今は海賊までやっているナマエという男は、あの頃はシャチと同じくらいの背丈だったくせに、いつの間にやらシャチより頭一つ上背がある。
 そして、体が大きくなったからか、それとも別に理由があるのか、同い年であるシャチの世話を焼こうとしたりすることが多くなっていた。
 構われること自体は悪くないが、しかし男として、『弱い者』扱いされるのは癪だ。
 その顔をじろりと睨めあげてから、ふん、とシャチは鼻を鳴らした。

「だから、なんでもねェって言ってるだろ」

「だって、シャチ」

「ははん、さてはナマエ、お前、おれにカードで負けると分かってんだろ」

 誤魔化そうと言葉を紡いで挑発的に笑うと、シャチのそれを見下ろしたナマエが、仕方なそうにため息を零す。

「じゃあもう、それでいいよ」

 心配してるのに、と紡ぎつつ肩を竦められて、シャチはけらりと笑う。
 ちらりと見やった海原はいつもと変わらぬ偉大なる航路で、おかしな『人影』はもう影も形も無かった。



end


戻る | 小説ページTOPへ